祝☆平●均ねーさま、サイトオープン(今更)


時を越えて・・・


1

「今日からこのクラスを担任する、氷室零一だ。」
既視感・・?
違う・・・。私はこの人に、会いたかった・・気がする。
何かを思い出させようとするように、私の鼻腔を花の香りが擽った。

意識が・・軽く遠ざかる。



―愛しては、いけない。
そう気付いた時には、もう遅いもので。



「お茶が入りました。」
部屋に入って目に飛び込んで来るのは、本棚に並べられた難しげな専門書。
この書斎で読書にふける旦那様の傍らに、いつものように茶碗を置く。
この方は酷く几帳面で、お茶を置く位置がずれるといたく不機嫌になられてしまう。
・・・でも。この仕事も、明日でおしまい。
「あぁ、有難う。」
最近やっと本から目を離して、優しい笑顔を向けてくれるようになった。
眼鏡の奥の切れ長で少し冷たい印象の目が、幾分か緩やかになられたのはいつからだっただろう。
そしてその優しい顔で、私の居る間にお茶を口にする。
「いつも美味い茶を、有難う。」
仕事ですから、と答えるにはあまりに勿体無いお言葉。
私は盆を胸元へ抱きこむと、それはとても小さな声で答える。
「・・・旦那様のお喜びになられる事をする事が、私の喜びですから。」
言ってはいけない言葉であったと、旦那様の眉間に皺が寄ってから気がついた。
「お、お忘れ下さい!」
失礼しますの台詞を忘れて、私は大慌てで書斎を出た。
後ろでにドアを閉め、もたれかかる。
動悸の激しさに、眩暈を覚えた。
―あの方を愛しては、いけない。
一層強い警告を、理性が発する。

「いつもご苦労様。」
声を掛けられ、はっと此処へと意識が戻る。
「奥様。」
仕立ての良い着物を身に纏い、それに遜色ない美貌を持つ奥様。
・・・似合いのお2人。
その優しい声色に、胸に抱く不埒な思いが消えてゆく。
「どうしたの?そんな顔をして。」
「いえ、何でもないんです。・・・失礼します。」
「貴女はいつも一生懸命務めてくれたから・・・明日でおしまいなんて、少し残念だわ。」
奥様が本当に残念といった様子で、綺麗に整えられた眉を下げた。
奥様は何かと私を気に掛けてくれていて、そのお陰で私は立派なお屋敷にお嫁に行ける。
郷里の両親も大変喜んでいた。でも・・・、私は少し複雑で。
「色々、有難う御座いました。奥様。」
私はすぐに思っている事が顔に出てしまうから、それを隠すように深々と頭を下げると、 足早に奥様の前を失礼した。

私が今流行りのモダンな作りのこの屋敷へ、奉公へ来た時。
庭に佇む旦那様と奥様の仲睦まじい様子に、思わず見とれてしまった。
なのにも関わらず私は、奥様のように旦那様に愛されている自分を、無意識で妄想してしまう。
身の丈六尺を越える長身。端正な顔立ち。大学で教鞭を執られる程の、知性。
何より元華族という家柄の良い旦那様が、私のような使用人を相手にされる訳が無い。
あの庭に咲き誇る薔薇が放つ香りを、私はずっと忘れられない。
あの時から、私の心には旦那様が居て。
でも旦那様には、奥様が居て・・・。
解っている。でも理解をしているのは、頭の中だけだった。



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