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「梅干しとミントを使ったカクテル?」
 その日の夜。火村と私は開店を待って、再び『Remembrances』の扉を開けた。
 餅は餅屋、変な事件は推理作家、カクテルはバーテンダー聞け、どうやらそういうことらしい。
「そんなカクテルはありませんか?」
「さあ、ちょっと考えられませんね」
 火村の問いに、マスターはカウンターを拭きつつ、興味なさげに応えた。そんな彼の様子を気にも止めずに、火村は続ける。
「お得意のオリジナルカクテルで作れませんか」
「お作りしてみましょうか」
「お願いできますか」
「ベースは何を」
 と聞かれて、火村は私に視線を流した。その意図を察した私はう〜んと唸る。
 私だって隣の助教授同様、カクテルには詳しくないのだ。
「そうやな。ここは癖のないウォッカをベースにお願いしてみたらどうや?」
「じゃあ、それで」
「かしこまりました」
 私たちの依頼を引き受け、マスターが冷蔵庫を開ける。中を覗いて彼は申し訳なさそうな声を上げた。
「ああ、すみません。丁度梅干しを切らしていまして」
「ということは普段こちらには梅干しがあるんですか」
 改めて火村が確認をとる。
 私でさえ多少感じることなのだから、聞かれている本人は、いちいちうるさいなと思っていることだろう。
「ええ、焼酎をお飲みになるお客様の為に」
「焼酎の梅割りですか」
「ええ」
「それにミントを入れる方はいらっしゃいますか」
「いやぁ〜、ちょっと想像できない味ですから」
「そうでしょうね」
「梅干しカクテルの代わりに何かお作りいたしましょうか」
 にこやかな笑みを添えて、マスターが提案する。
 梅干しカクテルを作らなくても済んで安堵しているように見えるのは私の気のせいか。
 そんな彼を見て、私と同じ感想を抱いたのか、火村は挑戦的な笑みを浮かべながら、ジャケットのポケットからゆっくりと梅干しを詰めた小さなタッパーを取り出し、カウンターの上に置いた。
 余談だが、この梅干しはもちろん我が家から持ち出されたものだ。
「……準備がよろしいんですね」
 言葉を発する前、ほんの一瞬だけ、マスターの目が見開いたのを私は──そして、きっと火村も──見逃さなかった。
「バーに梅干しは置いてないと思いまして。作って頂けますか」
「ええ、もちろんです。梅干しとウォッカと、あと、ミントですね」
 気を取り直して、といった感じで、彼は材料を次々とカウンターの上に並べていく。
 私はミントのリキュールというのは全て緑色をしているのかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしく、目の前に並んだミントのボトルは透明は液体が入っていた。
 マスターが指で梅干しをちぎり、シェーカーの中に入れる様子をまじまじと眺めながら、火村がふいに問いかける。
「亡くなった倉沢さんとは長いお付き合いなんですか」
「30年以上になりますね」
「彼はよくこちらに」
「最近は仕事が忙しかったみたいで、あまり」
 淀みなく返答しながらも、決して彼は火村の目を見ようとしない。
 彼の動向を逐一観察しながら、夫の浮気を見破ってやろうといきまいている女性もこんな感じで相手を観察しているのだろかと、どうでもいいことを思う。
「今週の火曜日は?」
「火曜日ですか──」
「倉沢さんが殺された夜です」
「火曜日は、定休日ですよ」
 心なしか定休日のところにアクセントが置かれている。定休日だから人は来ませんと言っているようだが、二人の長いつき合いを考えれば、休みだからこそ会っている可能性だってある。
 私がそんなことを考えている間に、新種の梅干しカクテルは完成したらしい。
 私と火村それぞれの目の前に、カクテルグラスが差し出される。
 一般的にショートカクテルが出されるグラス──ラッパのような形をした物──とは幾分形状が違う、小さなワイングラスのような形のものに、それは注がれていた。
 多分梅の果肉の色なのだろう、極々薄いピンク色をしてはいるが、決して見た目を楽しめる色ではない。
 素人が言うのは簡単だ、と言われてしまえばそれまでだが、カクテルのプロならば、一考の余地があるようなきがしてならない作品だ。
 なので、「カクテルは見た目にも楽しむものだと思っていましたが」と、思ったままを口にする。
「ええ、だからカクテルは飲む宝石だと言われます」
「しかし、これはその点、あまり」
「そうですね」
 マスターはあっさり認めた。形は違えど、同じ創作に関わる者として、そんなに簡単に自分の作品を駄作だと認める彼の態度をますますおかしく思う。
 そう、少なくとも言い訳くらいはしても良いのではないだろうか。例えば、時間がないとか、材料を変えてもう一度作らせてくれとか。
「味は悪くないですね」
 私が見た目に関する感想を述べている間、一足先にカクテルを味わっていたらしい火村が、今度は味の感想を述べる。美味い──火村の悪くないは、大抵の場合美味いということなのだ──というのは意外だったので急いで自分も味見をする。確かに、味はいい。
 考えてみればガムや飴にも梅ミント味というものが存在するのだから、まんざら合わない取り合わせでもないということか。
「いや、しかし、商品としては、この見た目ですと」
「でしょうね、水にゴミが浮いている様に見えますし」
 あっさりと助教授が同意する。火村、君はそれでいいのか?
「やはり、梅干しを入れたカクテルというのは……」
「無理があるのかもしれませんね」
 語尾を濁したマスターの台詞の続きを火村が補なった。
 私は先程心の中でした問いを再び繰り返す。
 火村、そんなにあっさり引き下がって、本当にそれでいいのか?




 5

「そうは言うけどな、単なる民間人すぎない俺が、あれ以上どうやってくいさがれって言うんだよ」
 自宅に戻った後、私には弱気に思える彼の態度を指摘した私に、助教授は上記の台詞で反論した。
「せやったら、船曳警部に君の意見を述べた上で、同行して貰えばええやろ」
「状況証拠さえないのに、いたずらに府警を惑わせていい訳ねぇだろうが」
「なら、その状況証拠さえないのに、君はなんであの店のマスターを疑っとるんや。男の勘なんて抜かすなよ。そんなん君の芸風ちゃうわ」
「ガッコのセンセに芸風があってたまるかよ。俺の言いたいのはこういうことだ。例えば……そうだ、有栖川先生の著作を例にするか。もし仮に、有栖川先生の書いた作品が、大ベストセラーになったとする。まあ、虚しい例えだけどな」
 キャメルに火を点けながら、助教授はなんとも失礼な発言をする。まあ、事実だろうが。
「虚しい例えで悪かったな。けど、ほんまにそんな奇蹟が起きたら手放しで嬉しいな。朝、目が覚める度に年甲斐もなくコサックダンスでも踊ったるわ」
「まあ、コサックダンスはともかく大抵の人間はそうだな。もちろん周りもそういう目で見る。が、もし、その大ベストセラーが、本人の意志に反して発売されたとしたら?」
「意味が解らん」
 私は首を傾げた。意志に反して本にならないということなら、腐るほど経験しているが、その逆など考えられない。
「解れよ、仮にも作家なんだろ。だから、例えばその小説は有栖川先生が誰か大切な人との想い出を綴った私小説だったとしよう。先生としてはその作品は誰かたった一人の心の中に刻み込まれればいい。そんな作品が、たまたま編集者の目に止まったとしよう。その編集者はこう言う。『有栖川さん、この作品は素晴らしいです。本にしましょう。絶対売れますよ』。お前はどう思う?」
「どう思うて……」
 火村の問われて考える。
 言っていることは解るのだが、今ひとつイメージを引き寄せられない。
 いや、待て。こういうことか。例えば私が火村を主人公に小説を書いてみたとする。こういう奴だから、それは立派に小説として成立するだろう。だが、自分が言うならまだしも、その小説を読んで、彼のことを良く知らない他人が無責任に彼に対するコメントをするのはきっと腹立たしいし、彼も傷つける。
 無言のままの私に業を煮やしたのか、火村は続けた。
「言われてお前はこう思うんじゃねぇか? この話は出版しなくていい。その人と自分の背景を知らない不特定多数の人間に、勝手な想像やコメントされたくない。その人との想い出を汚されたくないって」
「まあ、そうやろな」
 頭の中のイメージが火村だったせいか、想い出を汚されたくないとはまでは思ってはいなかったが、確かにそういうことはあるだろう。
「俺の見る限り、あのマスターにとって、オリジナルカクテルというのは、そんな小説と同位置にある。一つ一つが想い出で小さな記念碑。彼もそう言ってただろう。柄にもなく彼が犯人でなければいい、そう思うよ。だが……」
 苛立たしげに火村が灰皿にキャメルを押しつける。
 消えた彼の言葉の続きはきっとこうだ。
 もし、本当に犯人ならば、絶対に逃がさない、それが俺の役目だ──
 そして、火村のそんな想いを感じ取る度に、私も思うことがある。
 何故、君はそんなに重たい荷物を背負うのだ──

*   *   *

「あれっ、こんなところでどうしました? 今日は平日ですよね」
 翌日、京都に戻る前に、もう一度死体遺棄現場を見たいという火村と行動を共にしていた私は、又しても隣人と出会った。この間の老婦人も一緒だ。
「ええ、年休を取りました。叔母さん、日曜日にはロンドンに発つって言うんで。叔母さんが言った店はこの辺りにあったらしいんですが、この有様です。有栖川さんはどうしてここに?」
 聞かれて私は隣の老婦人に聞こえないよう、声を潜める。
「この間の殺人、ここであったんですよ。ちょっと野次馬根性を出してしまいました」
「ああ、例の飲食店オーナーの事件ですね。道理でものものしい警備だと思いました」
「でも、折角いらっしゃったのに店が見つからないのは残念ですね」
 こそこそ話をしていると思われるのは本意ではないので、声のトーンを少し上げ、私は老婦人に向かって話しかけた。
「ええ」
「失礼ですけど、このご時世です。潰れてしまったのかもしれませんね」
「潰れるような店じゃなかったんですけどね……」
「どんなカクテルだったんですか」
 残念そうに首を傾げる老婦人に、ふいに火村が問いかけた。昨日、一昨日とカクテルづいているので、興味を覚えたのかも知れない。
「はいっ?」
「ご主人とお飲みになったというそのカクテルです」
「少し塩気があって、でもミントの味が爽やかで……」
 そのカクテルを思い出す為か、再び彼女は首を傾げる。年齢を重ねていても彼女にこの可愛い仕草はよく似合っていた。
「塩味が効いていた」
 火村も首を傾げる。こちらはさして可愛くはない。
「ええ」
「ってことはグラスに塩が飾ってあったの?」
 真野さんが会話に割って入る。言ってはなんだが、なら、最初にそう言うだろう。
「いいえ、でもグラスの中に何かフルーツが浮いていたわねぇ」
「フルーツを使ったカクテルですか」
「それで塩気がある」
 火村、私の順で言葉を発する。ものすごく、心当たりがあるような気がするのは気のせいだろうか。
「緑色のとても綺麗なカクテルでした」
「緑色、緑色でミントの味がしたんですね」
 火村が確認をとる。
 そう、やはりミントといえば緑。
「その店のバーテンダーが私と彼だけの為に作ってくれたお酒なんです」
「その店の場所がここだった」
「ええ」
「間違いありませんか」
「多分」
「確かその店は、ピアノがあるレストランで、バーコーナーがあったんでしたね」
「ええ」
 老婦人を質問攻めにした後、火村は一礼して突然踵を返した。
 慌てて、私も助教授の後を追う。
 が、路地を出たところでいきなり火村が立ち止まるので、私は彼の背中にぶち当たってしまった。
 鼻が痛い──
「畜生──時間がない」
 私に思い切りよくぶつかられたというのに、助教授はそんなことなど気にも留めずに、腕時計を見て歯がみしていた。
 さては助教授、また休講か?




 6

 感心なことに、火村は授業を休講にはしなかった。
 その代わりに私を運転手がわりに使うという暴挙にでたのだ。
 私が京都への道のりを運転している間に、携帯電話で府警に連絡を取り、その返答を待つ間、ずっと何事かを思案していた。
 運転手がわりに使われるのは本意ではないが、こんな状態の火村に車の運転をさせるのは、確かに不安だ。多分、彼自身もそれに気付いていたから、私に送らせたのだろう。久しぶりに婆ちゃんや猫たちにも会いたいし、まあええか、となんとか自分を納得させた。
 講義を終えた後、大阪にトンボ帰りをするという火村を、婆ちゃんとの世間話で時間を潰した後、頃合いを見計らって拾いに戻った。
「偶然に助けられたな」
 助手席に収まった途端、火村が言う。
「ああ、悪いことはバレるように出来とるもんなんやな」
「そうじゃねぇよ。時間をかければ彼が犯人だという証明はできるだろう。が、この偶然はきっと全ての人にとっていい結果になる」
 この言葉を最後に、大阪に着くまで、火村の口はずっと開くことがなかった。

*   *   *

 3日続けて同じバーの扉を開く。
 前日までとは違い、時間が遅くなってしまった為、店内のカウンター席は半分ほど埋まっていた。
「いらっしゃいませ」
 条件反射で言った後、客が私たちだと気付き、マスターの表情が一瞬曇る。
「何になさいますか。又、梅干しのカクテルをお作りしましょうか」
「いえ、それは又いずれ。今日は『ザ・イエローオブテキサス』をトワイス・アップ(酒とウィスキーの割合を1:1にしたもの)で」
 火村はオーダーを告げて席に付いた。私も同じ物をと告げてそれに続く。
「7年と12年と15年物がありますが」
「この店は移転して何年になりますか?」
「15年になりますが」
「じゃあ、15年物を」
「かしこまりました」
「やはり、移転していたんですね」
「ご存知なんでしょう。今日、警察の方がいらっしゃいましたよ。何でも、犯罪学を研究なさっている先生なんだとか」
 火村はそれには応えず、言葉を続ける。
「このお店、以前は駅前に」
「ええ、今とはかなり趣が違いますが」
「ピアノのあるレストランバーだったとか。それが、何故、このような正統派のバーに」
「私が純粋にカクテルを楽しめる店にしたいと、倉沢に我侭を言いまして、それでまあ、この店を」
「あなたと倉沢さんは、良きパートナーだったんですね」
 グラスの中の琥珀色の液体を見つめながら火村が呟く。
「私のカクテルを初めて認めてくれた人でした」
「それが、30年前ですか」
「はい」
「だから、その想い出の場所に彼の遺体を運んだ。30年前、このお店のあった場所に。そんなお二人が一体どこですれ違ってしまったんでしょうね」
「もう酔ってらっしゃるんですか」
 淡々とした火村の口調とは対照的に、彼の言葉は上擦っていた。
「全てのカクテルには想い出がある」
「ええ、その通りです」
「だからこそ、それを缶に詰めて売ることに耐えられなかった。たとえオーナーである倉沢さんの命令でも」
「先程から何をおっしゃっているのか」
 マスターはとぼけてみせるが、成功してはいなかった。言葉も表情も硬い。
 私は思わず叫びたくなる。
 もう、諦めろ──と。
「それを解って欲しくて、最後に彼にあるカクテルを飲ませましたね。あなたの最も思い出深いカクテルを。
それでも倉沢さんの気持ちは変わらなかった」
「だから、私が倉沢を?」
「ええ」
「証拠はあるんですか?」
「必要ですか?」
「当たり前です」
「では、明日、連れてきます」




 7

 火村を先頭に店に入って行った時、マスターはあからさまに嫌な顔をしてみせた。
 が、隣人の叔母さんを認めた途端、その表情が変化する。
「あの、覚えてらっしゃらないと思いますけど、わたくし…」
「30年ぶりですね。私が以前の店に居た時、いらっしゃいましたね」
 彼女の言葉尻を取って彼は続ける。顔を見ただけで思い出せるとは思っていなかっただけに、私は感嘆した。この人は本当のプロだ。
「覚えてるんですか」
「テーブルが空く間、私のバーコーナーにいらして、そこでイギリス人の方と席が隣り合わせになって、それから何度かお二人でおいでになって。ご無沙汰しております」
「あの後、わたくたち結婚したんですよ」
「そうだったんですか。さあ、どうぞ」
 マスターがカウンターからわざわざ出てきて、女性陣の為に席を引く。
 私と火村は入口近くに立ったまま、その様子を眺めていた。
 真野さん達には、叔母さんが捜しているバーが見つかったとしか伝えていない。
「あれから30年、お互いに年をとる筈ですね」
「いえ、おかわりなく。すぐに解りましたよ」
「まあ、嬉しい」
「ご主人はお元気ですか」
「亡くなりましたの。一月前に。今日一緒にくることができたら、どんなに喜んだことか」
「そうですか。何かお作りしましょう」
「あの時飲ませて頂いたカクテルを」
 言われて、マスターの表情が曇る。
 当然だ。今、ここでそのカクテルを作ることは、多分彼の破滅を意味するのだから。
「叔母さん、それが飲みたくて日本に来たんです。なにか、フルーツとミントが入っていてちょっと塩気があったとか。覚えていらっしゃいますよね」
 そんな彼女を老婦人は制した。
「覚えてませんよね」
「そんなことないわよ」
「いいのよ、早織。よく考えたら30年前に作って頂いたきりだもの。でも、あの1杯でわたくしたち一緒になれたんですよ。本当にありがとうございました。これで、もうロンドンに帰れるわ」
 彼女の言葉を火村が補足する。
「明日の朝、ロンドンに発たれるそうです」
 それを聞いて、マスターは目を閉じ、大きなため息を飲み込むような仕草をした後、言葉を発した。
「彼女の為にカクテルを作ってくれませんか──確か彼がそうおっしゃったんですよね。そうしたら、あなたが私じゃなくて彼の為に作ってって。それで私が二人とも同じカクテルでよろしいですか、と」
「そう、そうよ。わたくしすっかり忘れていて」
「私も、やっと思い出しました」
 にこやかにマスターは笑う。
「本当ですか」
「ええ、喜んで作らせて頂きます」
 そう、彼は決心したのだ。
 自分の保身よりも、お客に喜んで貰う選択を。
「良かったわね叔母さん」
「ありがとう」
 喜ぶ女性陣を目にして、彼は一端店の外へ出た。多分closedの札をかけるために。
 その後、彼はカウンター内に戻り、材料をに並べ始めた。
 どうやらベースはジンだったらしい。更にミント。やはりグリーンミントだ。
「えっ? 梅干し」
 そして、梅干しが出てきた時、真野さんが声を上げる。
「じゃあ、カクテルの塩気って」
「ええ、梅干しがフルーツに見えたのね」
 彼女らがおしゃべりをしている間も、彼の作業は続く。正に絵になるような姿でシェーカーを振った後、グラスにカクテルを注ぐ。
「Best Partnerというカクテルです」
 見た目にも美しいカクテルが、老婦人の前に差し出される。
 カクテルの名前を聞いて、私は全てを把握した。
 このカクテルの名がBest Partnerな訳も、彼が倉沢にこの酒を飲ませた意味も。
「これです。ずっと、これが飲みたかった。あの人にも飲ませてあげたかった……」
 感慨深気に老婦人が呟く。30年振りに味わうカクテルとはいったいどんな味がするのだろう。
 想い出を呼び覚ますカクテルは。
「綺麗なカクテルですね。まさに宝石の様です。イギリスのジンを使うのがポイントだったんですね」
 私は思ったままを告げる。完全ではなくても、彼の思いを解ってあげたいと思う。
「ええ」
「どういうことですか?」
「真野さん、イギリスのジンと日本の梅干しですよ」
「ああ、だからBest Partner」
「はい」
「このカクテルにそんな意味があったなんて」
「国際結婚した叔母さんにぴったりじゃない」
 はしゃぐ女性陣の前から離れ、マスターは火村の傍らへとやって来た。
 そして尋ねる。
「いつから私に目をつけていたんですか」
「確信したのは二度目にお会いした時です」
「はっ?」
「あなたの爪」
「はっ!」
 マスターは思い当たったように、自分爪を見つめた。
 成る程、それで火村は梅干しをちぎる彼の手元をあんなに見つめていたのか。
「バーテンダーが爪の手入れを欠かすことなど、まずあり得ません。特にあなたの様なプロならば」
「爪切りは毎日の習慣だったのに……」
「大切な習慣を忘れるほどのことが、あなたの身に起きたんだと思いました」
「倉沢を殺そうと思い悩んだ時から、私はバーテンダーではなくなっていたんですね」
「いえ、あなたはプロのバーテンダーです。30年前に作ったカクテルを覚えていた。自分の罪を逃れるよりも、客の想い出を大切にする人だと思っていました」
 火村の言葉に彼は俯いた。
 色々な思いが彼の心中を駆けめぐっているのだろう。
「私にも一杯作って貰えますか。君も飲むやろ」
 私は告げる。
 私も彼はプロのバーテンダーだと思う。
 しかし、それを改めて言葉にするよりも、暫くは飲めないであろう、彼のカクテルを味わうことの方が、言葉よりも多くのものを伝えられるような気がして。
「ああ」
 私の意図を感じとったのか火村が応じる。
「はい」
 私たちの言葉にマスターは顔を上げ、プロになる。
「何をお作りしましょうか?」
「じゃあ、私もBest Partnerで」
 傍らの助教授を見て、咄嗟にオーダーを決める。
 彼にとって私は決してBest Partnerとは言えないだろう。彼のフィールドワークに貢献できないばかりか、足を引っ張る有様だ。
 しかし、BestではなくともBetterなパートナーでありたいと思う。
 そんな思いを込めて──

2003. 03. 10

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第一作目にして、この企画失敗決定。ちっとも原作風じゃない。
しかも週末とかって言っておいて、結局週が開けてる有様。
例によってずぶずぶやんけ。
………………すんません。

● Alice top ●


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