1 「アリス?」 英会話教室にて── 担当の講師に別れの挨拶をしていた時、聞き慣れたバリトンでふいに呼びかけられ、私は振り返った。 案の定、十年来の悪友で、現在母校で教鞭をとっている火村英生の長身が、教室の入口からこちらを覗き込んでいた。 「火村? なんでここに?」 「そりゃあ、こっちの台詞だよ。いや、お前が英会話教室にいるのは、まあ、良しとしよう。でも、なんでわざわざ京都の駅前に留学してるんだ?」 「………その件に関しては多くを語りたくない。特に今は」 もちろん、私がここにいる理由はある。 しかし、悪友だけならまだしも、他人に聞かせるには少々情けない成り行きではあったので、私は言葉を濁した。 「OK、じゃあ、多くは後で語って貰おう。授業はもう終わったのか?」 ありがたいことに火村はしつこく聞いてこなかった。 「ああ。で、君の方は?」 私の質問に、火村は自分の身体でこちらからは死角になっていた京都府警の柳井警部を親指で差し示した。 「殺人事件か?」 目があった警部に会釈してから、声を潜めて火村に問う。 悪友の専門は犯罪学で、これまでもフィールドワークと称して警察の捜査に協力したことがあり、私も時折助手という名目でそれに同行する。 このいきなりな質問は、そのような状況から吐き出されたものだ。 「いや、別件で府警に顔を出したんだが、警部の高校時代の後輩が妙な事件に巻き込まれててな、相談を受けた」 「妙な事件?」 「ああ、推理作家向きのな。この後、付き合えるか?」 そこまで思わせぶりなことを言われて引き下がれる筈もない。どのみち予定もなかったので、私は右手でOKサインを出して教室を後にした。 2 本日、柳井警部は非番だった。 リゾート開発の会社に就職した後輩からの相談事はその内容からして、あまり自分が役に立てるとは思わなかったが、ことによっては渡りくらいは付けてやる心づもりで、彼の会社を訪れていた。 予想外の人事で現場からいきなり総務に飛ばされた後輩の真鍋は、慣れない仕事にほとほと参っている様子で、以前みた時よりも一回りほどやせていた。 「わざわざ出向いてもらってすいません」 「大丈夫か? 大分やせたみたいに見えるが」 「ええ、戸惑うことばかりで。相談できる相手がいて助かりました」 「あまり役には立てないぞ」 「部長」 釘をさしかけたところで、制服を着た女性社員が真鍋の元に駆け寄ってくる。 「総務の応接室が全部ふさがってまして、経理部資金課の応接なら空いているんですが」 「資金課か〜」 真鍋が困ったように首を傾げた。 「俺はどこでもかまわないよ」 「では、13階へ」 言って、柳井を促しかけた真鍋を女性社員が呼び止める。 「部長。それから、北村常務がお話があるそうです」 「常務が? 何かな。じゃあ、応接で待っていて頂けますか。すぐまいります」 「先に、その脅迫状を見せて貰えるか?」 「ええ、これです。じゃあ、ご案内して」 女性社員に指示をして、真鍋は踵を返した。 営業スマイルが張り付いた女性社員に案内され、柳井は応接室へと向かう。 「ここです」 と言われ、柳井は先程真鍋が、この応接を使うことに躊躇したのかを知る。 応接とは名ばかりの部屋の一角をパーティションで仕切ってあるだけのその小部屋は、ドアが付いているだけましという代物だった。 通されてみると、ソファにテーブル観葉植物と、応接必須アイテムは揃っているものの、資金課の音が筒抜けだ。 電話の呼び出し音、FAXの音、人の話声、端末を叩く音まで全てが丸聞こえの部屋である。 自分はともかく、一体どういう人物がこの応接に通されるのだろうが、等と一瞬余計なことを考えかけたが、気を取り直して脅迫状に取りかかることにする。 ポケットから手袋を取りだしはめると、封筒から脅迫状を取り出す。 『タツミ開発に明日はない』 と、墨汁で書かれた文字。それに虎だか猫だか柳井には判断の付かない動物のキャラクターが、バラバラに切り裂かれたイラスト。 「これは…、企業マスコットってやつなのか」 柳井は先程下で見かけた光景を思い出した。 会社の入口付近で着ぐるみの虎──猫? 本当に判断がつかない──が子供を手招きして風船を配っていたのだ。 何故こんなところに子供がいるんだ? と不思議に思い眺めてみると、どうやら敷地の一部を公園の様にして市民に開放しているらしいことが解ったのだ。 その時は、単に子供受けするために、あの着ぐるみを着ていると思ったのだが、脅迫状にも同じキャラクターがついているところを見ると、おそらく自分の判断に間違いはないだろう。 となると、真鍋本人も言っていたとおり、これは多分、総会屋の嫌がらせというやつだ。 「微妙なとこだな」 その気になれば小学生でも作成可能であろう、こんな脅迫状一通では、どうにも動きようがない。 一応手袋をはめてみたものの、多分指紋も出ないだろう。 「しかし、ほんとにうるさい応接室だな」 ひっきりなしになる電話、それに応対する声、あげくにパイドなんたらという、何屋なんだかさっぱり解らない会社の社員を呼び出す社内放送がかぶさって、耳がおかしくなりそうだと柳井は思う。 やれやれと、柳井は脅迫状を封筒にしまい、手袋を外すとテーブルの上のお茶に手を伸ばした。 * * * 「遅いな」柳井は腕時計をチラリと眺めて呟いた。 ここに通されてから、既に20分が経過しているが、真鍋は姿を現さない。 それにしてもうるさい電話だ。と、再び辺りの騒々しさに意識を向けた時、柳井はおかしなことに気付いた。 電話がこんなに鳴り続けているのはどういうことだ? それに、先程まで聞こえていた話し声も全く聞こえない。 柳井は応接室のドアを開け、資金課を覗き込んだ。 「これは……」 自分の目を疑う光景に、柳井は立ちつくした。 誰もいない……? 何故だ? 「すいません。お待たせしました。あれ? 資金課の連中は?」 柳井が呆然としていると、真鍋がようやく姿を見せ、室内の様子を見て、警部に問いかけた。 「さあな」 「ええ? どうしたんだろうな」 「まるでマリーセレスト号だな」 呟いて、柳井は室内をゆっくりと歩き始めた。 数字の打ち込みが途中なままのパソコン。鳴り続ける電話。吐き出されるFAX。 機械だけは通常通りに自分の仕事をこなしている。 そう、忽然と人だけが居なくなっているのだ。 「何を言ってるんですか。ここは21世紀の日本ですよ。そんな神隠しみたに資金課全員が消えてしまうなんてことがあるわけがありません」 「真鍋、あれは?」 声を荒げる真鍋を制して、柳井は目に付いた──多分、これだけはいつも通りではないだろう状態の──金庫を指差した。 「ああっ」 既に金庫としての意味をなしていない、パッカリと扉を開けたそれに、真鍋が飛び付き中を覗き込んだ。 「金が……消えています」 3 「で、その資金課の方々はどこに?」 柳井警部から一通りの話を聞いて、私は大いに興味をそそられる。 「15人全員が中庭の噴水の周りにストーンサークルみたいに突っ立っていました。びしょ濡れなのに、ボーっと空を見上げたままでね。タツミ開発の常務に警察がいて何てザマだと散々罵られましたよ。非番だったという言い訳は聞いて貰えませんでした。まあ、盗まれた金額が金額ですから、それも仕方ないでしょう」 小さなため息を漏らしつつ、金のない時にはなんとなく拝んでしまいそうな欲求にかられる風貌の警部は言った。 「一体いくらの金が消えたんですか?」 「2億円です。不動産関係の取引が多いとかで、常にそれくらいの現金があったそうです」 「………」 2億円──同年代のサラリーマンと同様の年収を辛くも維持している私が一生かかって稼ぐ金額だ。 天文学的な数字ではない分、余計にくらくらする。 10年後の1千万より、明日の10万円。そんな感じか? ゆっくりと頭を振る私に向かって、火村は、 「資金課の防犯カメラの映像を見せてもらったんだが、突然何かに取り憑かれた様に、一列に並んで部屋を出ていく様子が映っていた。そのくせ、自分がなんでそこに居たのかは解らないんだとよ」 火村の言葉は矛盾を含んでいる。 自分でも何かに取り憑かれた様にと形容しているではないか。大抵の場合、何かに取り憑かれた時の記憶というのは無いものだ。 まあ、実際何かに取り憑かれた経験はないから、断言はできないが。 「まるで、ハーメルンの笛吹きやな。で、そのビデオには犯人は映っていなかったのか?」 「映っていたさ。ふざけた犯人がな。企業マスコットのたっちゃんの着ぐるみを着て。最後には防犯カメラに向かってこうさ」 言って火村は掌を私に向け、数回指先を折り曲げて見せた。 「確かにふざけとるな。推理作家の興味をそそる状況やってのも解った。でも、ここに来た理由は?」 「もちろんある。アリスと違って、誰にでも堂々と言える理由がな」 「やかましいわ」 「失礼、余計なことを言った。現実問題として悪霊やら物の怪やらに取り憑かれることは有り得ない。ならば、現実にあり得ることで、彼らの行動に説明をつけるとしたら、何が考えられる?」 「………催眠術とか」 火村の問いに答えながら、私は眉を寄せた。 たとえ催眠術だとして、15人もの人間をそう都合良く催眠状態にできるものだろうか? 「ああ、しかも、多分、後催眠ってヤツだ。そこで、警部に頼んで、真鍋さんにここ1月の資金課全員の行動記録を作って貰ったんだ。それを受け取って検討した結果、全員に共通していたのは、この英会話教室だけだったという訳。Do you understand?」 「It is easy to understand」 からかうように火村が英語で問いかけてきたので、私も英語で答えてやる。 いくら英会話教室に通っているからといって、ばかにするな。大体、私の英会話での問題点はリスニングに集中しているのだ。 いや──威張って言うことではないが。 * * * 「タツミ開発の資金課の方に教えていたのはどなたですか?」事務局にて。 パソコンを操作する女性の背後で火村が問いかける。 「スチュワート・ケビン・リサ、この3人です」 「15人に共通しているのは?」 「……リサだけですね」 「えっ?」「どんな方ですか?」 私と火村の声が被った。 「ちょっと待て火村。この状況だと、リサ先生を疑うことになるんやろ。それはないぞ」 「その根拠は?」 「彼女は昨日お父さんを亡くしたばかりで大変な時なんや。それで、アメリカに帰ることになって、今日はみんなにお別れの挨拶に来てたんや」 「先刻、教室でお前が話していた女性か?」 「ああ、だから彼女は関係ない。いくら全員に共通して教えてから言うて、父親の亡くなった翌日にそんなことしでかす人間なんておるわけないやろ」 「やけに庇うじゃないか。まさか、惚れてるのか?」 「まさか。客観的な事実を述べただけや」 ああ、この後5年くらいは、この英会話教室のネタで火村にからかわれることになるのだろうと、私はこっそりとため息をついた。 何がまさかなんだか知らないが、私が彼女に惚れていないことは確かだ。 だが、気になる人物ではある。 如才なく仕事をこなしながらも、時折見え隠れする彼女の影のようなもの。 興味本位ではないとは言い切れないが、私はその彼女の影が気になっていた。 まるで──誰かを見ているようで。 * * * 2時間後──京都市内の教会。私たちはリサが弔問客に挨拶する様子を眺めてた。知り合いらしい子供を呼び寄せ、抱きしめる。 その様子を火村はくいいるように見つめていた。 「どうかしたんか?」 「いや、別に」 火村の返事は素っ気ない。 が、火村が何かを感じ取っていることは確かだ。出来ればそれが悪いもので無ければ良いと思う。 折を見て、柳井警部は彼女を外へと呼び出した。 質問をするのは火村だ。 「お忙しいところすみません」 「有栖川さんのお知り合いの方だそうですね。警察の方が何か?」 珍しく火村は彼女の誤解を訂正しなかった。面倒なやりとりをしたくなかったのだろう。 「少しお尋ねしたいことがありまして」 「なんでしょう」 「タツミ開発の方々に英語をお教えになっていたそうですね」 「皆さん、とても熱心でいい生徒さんでした。それが何か?」 英会話教師は眉を寄せる。 「今朝ほど、タツミ開発で盗難事件がありました」 「ああ。ニュースで見ました。大変でしたね」 「関係者の方々からお話を伺っています。今日の午前中どちらにいらっしゃいましたか?」 「自宅で葬儀の準備をしたり、帰国の荷物をまとめたりしていました」 「アメリカに帰国されるそうですね」 そう、これは私が火村に与えた情報だ。 そのことに彼女も気付いているのだろう。一瞬だけ私に視線を流した。 「はい。父は日系人なんです。心臓病の治療のために半年程前に日本に来ました。ひとりじゃ心配だったので、その時あたしも一緒に」 「そうですか。じゃあ、もともとは向こうで」 「はい、母のお墓が向こうにあるんです。私が若い頃に母がなくなったので。その近くに父を葬ってあげるつもりです」 そして、彼女はゆっくりと父親の遺影を振り返った。 4 「火村、お前は彼女を疑っとるのか?」 柳井警部と教会で別れた後、私はなしくずしに火村の下宿に転がり込んでいた。 私は季節限定商品桜チューハイのプルトップを引きながら、火村に向かって今一度確認をとる。 「さあな」 同じく季節限定商品のストロベリー・チェリーのチューハイの缶を開けながら助教授は素っ気なく答えた。 お互いビールにしておけば良かったと後悔しなければよいが。 「彼女は英会話教師やで。一体何が出来ると言うんや」 「それを今考えてるんじゃないかよ。……アリス、彼女の経歴知ってるか?」 「そんなの一介の英会話教室の生徒が知っとる訳ないやろ。ああ、けど、ハーバード大学出とるとかって聞いたな」 「ハーバード出ててなんで英会話教師なんだ」 「そんなん俺が知るか」 私はチューハイの缶を傾けた。ついている、当たりだ。 「ちょっと調べてみるか」 振り返って助教授は机上のノートパソコンの電源を入れた。 「さて、アリス。多くを語って貰おうか」 PCが立ち上がるのを待つ間にとでも思ったのか、火村は──忘れたままでいてくれれば可愛気があるのに──思い出したように話を振ってきた。 「語るもなにも、気付いたら入れられとったんや」 「誰に?」 「姉御な女流作家」 「朝井さんか?」 火村に問われ、私は頷く。 「せや、マレーシアから帰って来て、英語で苦労したいう話したら、知り合いが英会話教室にいて、安く受講できるからて、あれよあれよという間に。いくら受講料が安くても、毎週京都まで通うてたら却って高うつくわ。まあ、彼女の顔立てて3ヶ月位は通ってお茶を濁すつもりやけど」 「相変わらず流されっぱなしの人生だな」 やれやれといった様子で、火村は煙草の煙を吐き出した。 自分でも多少はそう思うものの、思うからこそ人から言われると腹立たしい。 それに、これは火村に関わりのない話でもないのだ。 「そうは言うけどな、『イイ年して男ふたりで海外旅行やなんて、しょっぱすぎるやないのっ。私がアリスに同情して枕を涙で濡らす前に、外に出て女でも捕まえなさい』なんて凄まれたら、気弱な俺には断りきれん」 「……それ、彼女の物まねのつもりか。友人として忠告する。彼女の前では披露するな。殺されるぞ。なにしろ相手は人殺し関係だからな」 言っている台詞こそ、いつもどおり皮肉めいてはいるものの、火村は何とも複雑な表情を浮かべていた。 私がしょっぱいのなら、自分も同じく思われていることに気付いたのだろう。 藪をつついて蛇を出す様な真似はまっぴらごめんとばかりに──丁度PCも立ち上がったので──助教授は話題をもとに戻した。 「ハーバードだったな」 「ああ」 火村は私に背を向けて、インターネットで検索をし始めた。カチカチと端末を叩く音が聞こえる。 「あったぜ」 言われて、私は立ち上がり火村の傍からPCの画面を覗き込んだ。 英語だ……いや、当たり前か。 「彼女の専攻は心理学科だ」 「心理学科?」 「サイコロジーという科学雑誌に論文を書いている。Practical application of the hypnotic therapy to PTSD! おい、アリス」 「ひとりで解るな。日本語に訳せ」 とは言ったものの、hypnotic──催眠という単語が出てきているのは解る。 「PTSDの催眠療法の実用的応用」 「催眠療法……専門家や」 「もう一度彼女に合う必要があるな」 * * * 「お願いします」翌日、柳井警部の処に顔を出してから、昨日の教会に向かった。 私の役目は、彼女をそこからすぐ裏の公園に連れ出すことで、今、それを果たしたところだ。 10段程度の石段を登きったところで、ベンチに座る火村の姿が目に入る。 「火村、来て貰ったで」 私の後ろを付いてきていた、リサを促し、火村の隣に座らせる。 「お忙しいところ申し訳ありません」 頭を下げて火村が詫びる。 「内輪とは言え弔問客がありますので」 「手短に済ませます」 「お話というのは何ですか?」 「これを見て頂けますか」 火村は膝に抱えていたノートパソコンを開く、その画面上で再生されているのは、タツミ開発の人間が職場を離れる映像だ。 独自にちょっと調べたいことがあるからと、警部に頼んで落としてきたのだ。 どうやら三課は盗難事件の犯人として真鍋さんを疑っているらしく、警部は快く了解して、話をつけてくれた。 ちょくちょく関わりのある一課とは違い、三課は火村が関わることにいい顔はしなかったらしいが、警部に嫌味をいう程度でデータは渡してくれたそうだ。 「これが何か?」 彼女が火村に問う。 どうでもいいが、いつ、どんな時でも口調が全く変わらない人だ。悪い見方をすれば、言葉に気持ちが入っていない様にもとれる。 「全員が誰かに操られるかのように職場を放棄しています。どうやれば、このようなことが可能なのでしょう」 「さあ、解りません。どうして私に?」 「専門家のご意見を伺いたいと思いまして。あなたはハーバード大学で催眠療法を研究なさっていました。彼らの行動を分析して頂けますか」 まさか、あなたを疑っているからとは言えまいと思っていたが、火村は無難に受け流した。 「この映像だけからではなんとも」 「あなたならこれと同じことが可能でしょうか」 「私にはとても無理ですよ。一度に15人もの人に催眠暗示をかけるだなんて」 ご冗談を、とでも言うように彼女は肩をすくめた。 そんな彼女の仕草がとぼけているように見えて、私は自分でも頭が悪そうだと思ってしまう質問を投げつけた。 「でも、テレビのショー番組ではやってますよね。あれはどうやるんですか」 「あれは、ショーですから」 ええ、そうでしょうとも。 間抜けな質問するなよ、という火村の視線が飛んでくる。私は頭を掻いて誤魔化した。 「私をお疑いなんですか? 盗難事件の犯人が私だとでも」 流石にこんなことをしつこく聞く私たちに疑問を抱いたのだろう。彼女は火村の顔を見据えて問いかけた。 「いえ、とんでもありません」 火村は素知らぬ顔で否定をしたが、英語講師はそれを言葉通りには受け取らなかったらしい。 「私にはあんな大金必要ありません。生活するのに必要なお金には困っていませんから」 「そうでしょうね」 「もうよろしいですか?」 「最後にもうひとつだけ」 立ち上がった彼女を火村は人差し指を立てて引き留めた。 「いつ向こうに立たれるんですか?」 「明日の午後です」 * * * 「火村、ひとつ聞いていいか」彼女が立ち去った後、私は火村の隣に腰掛け聞いた。 「なんだよ」 「そもそも、何を根拠に彼女に疑いを持ったんや」 そう、それが解らない。 彼女が心理学を専攻していると判明する前から、火村はあの英語講師を疑っていた節がある。 「お前は人を手招きする時どうする?」 「手招き?」 「おいでおいでと言ってもいい」 眉を寄せた私を見て、火村が言い換える。 手招きの意味が解らなかった訳ではない、そんなことを聞かれる理由が解らなかったのだ、というのは、どうでもいいか。 「そりゃ、こうやろ」 私は掌を下に向け、数回手首を振って見せる。 「なら、バイバイは?」 今度は掌を垂直に立て、左右に。 「こう……なんなんやコレ」 火村だって何の意味もなく私に招き猫の真似をさせたい訳ではないだろう。しかし、その意図が掴めない。 「あの、企業マスコットだよ」 「マスコットってあの着ぐるみの? たっちゃんやったっけ?」 ますます解らない。そのたっちゃんがどうしたというのだ。 「そう、そのたっちゃんの着ぐるみを着た犯人の仕草だよ。外国では人を手招きするとき掌を上に向ける。バイバイする時の仕草も日本とは違う。つまり、犯人は外国育ちの人間だ。習慣はそう簡単には変えられないからな」 そういえば、英会話教室でも火村は犯人の仕草を正確に表現していた。手を横に振るのではなく指を折り曲げて。 加えて、昨日彼女が子供を呼び寄せる様子を凝視していた理由も今解った。 「なるほど。せやけど、瞬間的に15人もの人間に集団催眠をかけるのは無理なんやろ」 「だから、最初に言ったじゃねぇか。あれは、後催眠だって」 2003. 05. 17
すいません。もう既に当たり前の様に続きます。 |