作家になる方法──
「う〜。これもあかん。話が広がらん」 2時間前から1行の変化も見られないワープロの前で、私は途方にくれていた。 ありがたくも、私によく声を掛けてくれる、ミステリ雑誌の密室特集の原稿を上げるためだ。 話が持ち込まれたのは半年ほども前なのだが、締め切りは1週間後。 話を貰った時の私は密室トリックのストックを持ち合わせて居なかったが、半年もあれば何か一つくらいは思いつくだろうと、たかをくくっていて、現在の苦境に至っていた。 否、密室トリックがない訳ではない。 書き始めて、とてもじゃないが100枚程度の話では、おさまらないことに気付いたのだ。 冒頭部分で40枚近くも使っていたのでは、肝心の謎解き部分が駆け足になる。 なら、短くすれば良いようなものだが、そうすると、どうしても書き込み不足になり、犯人の動機が曖昧になってしまう。 他人が読んでどう思うかまでは知らないが、私にとってこのトリックは、目の前の短編を消化するためだけに使ってしまうのは惜しいものだった。 3日程、悩んだ末、このネタは長編書き下ろし──そんな依頼が来ればの話だが──にとっておくことにして、現在は新たなトリックを捻りだしている途中だ。 物理的な密室。心理的な密室。それぞれ1つずつ考えて見たものの、残念ながらこのトリック達は、トリックができれば話も付いてくるといった、ありがたい代物ではなかった。 他の大がかりなトリックの補足として使うならともかく、このネタ1本で話を作り上げるのは少々厳しい。 いつまでもワープロの前で唸っていたところで、勝手に文章が打ち込まれていく筈もない。 「あ〜あ、作家やめて喫茶店のマスターでもやったるかな〜」 実際、喫茶店のマスターは、私が作家の次にやってみたい職業だ。 常連客しか来ないうらぶれた喫茶店で、店の中のことは店員にまかせ、私は日がな一日本を読んで過ごすのだ。 夕陽が差し込み、オレンジ色にライトアップされた、夕暮れの店内風景。ただ、静かに流れる時間──そんな映像まで頭の中に浮かんでくる。 但し、その理想がそのままが実現したとしたら、1月と持たずに店は潰れそうだ。 単なる想像だというのに、ご丁寧に店が潰れる潰れない等、妙にリアルなことを考えている自分に苦笑しながら、私は、気分転換の為にキッチンへコーヒーを入れに行くことにした。 現実逃避の時間を少しでも延ばすために、インスタントではなく、きちんと豆を挽いて落とすことにする。 が、冷凍庫を開けた途端、豆はこの間切らしたことを思い出す。補充しなければと思いつつも、最近の私はココアにはまっていたので、忘れっぱなしになっていたのだ。 普段の飲み物は割と何でもいい私だが、執筆中──はたして、今はそうなのだろうか──は、どうしてもコーヒーでなくては気が済まない。 初めは眠気防止に飲んでいただけなのだが、習慣というのは恐ろしい。今飲むものは、どうしてもコーヒーでなくてはならないのだ。 仕方なく、インスタントコーヒーで我慢することにして、冷凍庫からネ○カフェ・ゴールドブレンドの瓶を取り出した。 火村は学生時代からこの銘柄を愛飲していて、インスタントコーヒーは絶対これでなくては口を付けない。よって、うちに買い置きされているインスタントコーヒーもこの銘柄なのだ。 コーヒーを冷凍庫にしまうというのも、どこで仕入れた知識かは知らないが火村の指示で、こうしておくと豆でもインスタントでも香りが飛ばないのだ。 もちろん、火村がこんな我侭を抜かすのは、自宅と長年の友人である我が家でに限ったことで、他人の前ではそんな大人げないことはしない。 火村いわく茶色い粉──というより、顆粒だろうこれは──をカップに入れて、湯を注ぐ。 火村がこの銘柄と冷凍庫にこだわるのも、なんとなく理解はできる。安物や、開封してから常温に放置しておいた物とは格段に香りが違うのだ。 何やら先程から、気付けば火村のことばかり考えているが、それは、まあ、当然だろう。 なんせ、私は煮詰まっているのだから── * * * 「悔しい……」「はっ?」 社会人三年目のとある日。 私は例によって火村の下宿に生息していた。 ここ数日、とある事情で心穏やかではいられなかった私は、暫く顔を見ていなかった火村の元へ、手みやげのビール片手に押し掛けたのだ。 近況報告をしつつ、ハイペースでビールの缶を開ける。それでも足りなくて、貧乏学生の火村が大事にしまっておいたウィスキーの水割りに切り替え、呑み続けた。 お互い、いい具合に酔いが回った頃合い。 私は、そんなことを思う自分が情けなくて、誰にも言えなかった胸の内を、どうしても吐き出したくなった。黙っていた処で、思ってしまっているのは事実なのだ。口には出さなくても、思った時点で私の人間性は知れている。 「いいか火村。今の俺は酔っぱらいや。せやから、どんなしょうもないこと言い出しても、それは酔っぱらいの戯言や。聞いたらすぐ忘れろ」 「おれの頭脳に、一度聞いたことを忘れろっていうのは、難しい仕事だが、まあ、他ならぬアリスの頼みだ。頑張ってみるさ」 火村のどこまで本気なのか判断が付きかねる物言いに、私も話が続けやすくなった。 「俺がこのあいだ、推理小説の新人賞に応募したの、知っとるやろ」 「ああ、見事落選したやつな」 「そうそう、一時審査にも引っ掛からず見事に落選──って、落選に見事てつけんなやっ」 「悪い悪い、で?」 言葉とは裏腹に、悪いと思っている様子も見せずに、火村は続きを促した。 「ああ、君いわく俺が見事落選した、その新人賞とったのが、大学1年生の男の子や。しかも、それが初めて書いた小説なんやと」 「ほぅ、ビギナーズラックってやつか」 「パチンコとちゃうんやから、そんなんあるかい。受賞は彼の実力や。俺も読んでみたけど、よう出来とった」 「2作目3作目と続くとは限らねぇだろ。人間1本は小説が書けるって言うからな。まあ、大多数の場合、それは自分の人生を綴った私小説ってやつらしいが」 「君、俺がもし何かの賞を受賞した時も、同じこと言うんかいな」 「お前は、しつこい位に何本も書いてんだろ。そんな心配してねぇよ」 「あはは〜、見事に落選するやつをな」 ああ、笑いが乾く。 自分で言っても悲しくなるが、所詮これが現実というやつだ。 「自分で見事ってつけてたら、シャレにならねぇだろうが。まさかそんなことで落ち込んでるのか?」 「まあ、落選で落ち込んどんのも事実やけど、どっちかいうと自分が目の当たりにした現実にいう方が正しいかな」 「現実?」 「そう、現実。俺は推理小説いうやつが、ほんま好きやし、書くのも好きや。せやけど、こないな現実見せつけられると、せつななる。俺はもう7年以上も小説書き続けとって、自分でも何本書いたか咄嗟には数えられん。長年書いとるのがえらいとは思うとらんし、応募作品が落選するのも、自分に実力が足りんからいうことは解っとっても、やっぱ悔しいんや。子供みたいに手足をジタバタさせて暴れたなる。自分のふがいなさが悔しいだけならまだしも、サクッと新人賞もぎ取っていきよった奴に、ものすごく嫉妬しとる。いい出来や思う反面、なんやこんな話て、こき下ろしたくてしゃーないんや。そして、そんなん考えとる自分が嫌で嫌でたまらんのや……」 ずっと、誰にも言えずにため込んでいたものを、思い切りぶちまける。 話しているうちに、感情が高ぶってきて、今にも目から涙が溢れ出しそうになった。 そんな私を見て、火村は静かに笑った。 「アリス、ひとつ聞くぜ。お前はそいつになりたいのか?」 「えっ?」 「そいつの代わりに、そいつの文章が書きたいか?」 「……いや、考えてみもせんかったけど、そうは思わんな」 「だろう。お前が羨ましいのは、単にそいつの立場さ。初作品が受賞、しかも学生デビュー。小説家を目指す奴なら、それに憧れない人間はいないだろう。他人に振り回されず、お前はお前の文章を書けばいい」 「こんなん考えとる俺に、文章を書く資格があるやろか?」 「資格かなんか知らないねぇけど、これが悔しくないってんなら、別に作家になる必要はないだろうが。作家になりたいからこそ悔しいし、嫉妬もするんだろう」 「そんなもんやろか」 言われてみると、もっともな気もするが、この手の感情はそう簡単に整理がつくものではない。 「話は変わるが、アリス、ダービーで優勝できる馬ってどんな馬か知ってるか?」 言葉どおり、火村は本当に突然話題を変えた。 何故、いきなりダービー? 「よう解らんけど、ダービーは運のいい馬が勝つて聞いたことあるような気がするな」 「残念でした。ダービーに出られた馬が勝つんだよ。宝くじだって買わなきゃ当たらない」 「そりゃそやけど……それ、答えになっとらんのとちゃうか」 「いいや、これが絶対に外れない唯一の正解さ。では、ここで話を戻す。作家になれる人間っていうのは、どんな人間だと思う?」 「………才能のある人間?」 私の返答に火村は頭を掻きむしった。 そんなに髪の毛の無駄遣いして、将来ハゲても知らないぞ。 「何の為に俺がいきなりダービーの話振ったと思ってるんだよ。いいか、よく聞け。作家になれる人間っていうのは『書き続けた』人間だ。どんなに才能があっても書かなけりゃ作家になれっこないんだよ。書き続けた者が作家になれる。これが唯一の真実だ」 「そんなん、当たり前やん」 「その、当たり前のことが出来ない人間も大勢居る。忙しいのは理由にならない。人間本当にやりたいことなら、どうやったって時間を作るものさ。愛煙家が金がないと言いつつ、どこからともなく煙草代だけは引っ張り出すように。なっ、死にそうな残業に耐えながらも、どこからともなく小説を書く時間だけは作り出す、有栖川先生」 火村は煙草をくわえながら、私に下手くそなウィンクを飛ばした。 目にゴミでも入ったんかい。 「そうやな、どんなに金欠でも煙草とコーヒーだけは切らさない火村先生」 「俺は先生じゃねぇよ。それに──」 「それに?」 「……お前が作家にならなくても、ここにお前の作品を待っている読者が1人は居る。だから──書き続けろよ」 「火村──」 自分でいった台詞に照れたのか、火村はそっぽを向いて、ものすごい勢いで煙草をふかし始めた。 そんな火村を見ながら、私はいつのまにか、自分の気持ちが軽くなっていることに気付いた。 別に火村は、私に作家になれるという保証をくれた訳ではない。 しかし、希望はくれたのだ。 ああ、持つべきものは、他人の書いている小説を勝手に覗き見る根性を持った友人だ── なあ、火村。 * * * 大きめのマグカップにたっぷり注いだコーヒーを、充分に時間をかけて飲み干し、現実逃避&回想終了。私はリビングのソファから立ち上がり、孤独な作業を再開するために、書斎へと向かう。 そう、火村の言った通り。 時間はかかったが、書き続けることで、私はこの手に夢を掴んだのだ。 そして、ありがたいことに、私の話を待っていてくれる人間が、確実に1人は存在する。 だから、私はこれからも書き続けよう。 夢を叶えた今となっても、書き続けることが作家でいられる絶対で唯一の方法なのだから。 そうだろう、火村── 2003. 01. 26
3月以上も前から、すごく書いてみたかった話にも関わらず、出来上がったのは今。 |