ヒムアリin北海道(スキー場編)

『あっ、有栖川さん。例の件、調べてみたんですけどね。イケると思います。それでですね、百聞は一見に如かずってヤツで年内の内に行ってみたらいかがです?』
 12月に入ったばかりの月曜日、例によって新製品のカップ麺を試すべく、湯を沸かしていた私に、心優しい編集者から電話が掛かってきた。
「いかがですって……。別に急いで書く必要があるもんやなし、何も年内やなくても。暇ならいくらでもあるし」
『相変わらず優雅過ぎますよ、有栖川さん』
 苦笑と共に電話の向こうの片桐が語った。
 去年の年末に商店街──いったい片桐はどこの商店街に出没したのだろう?──の福引きで10万円分の旅行券を結局今頃まで持てあましてしまった。
 旅行券の期限は年内。しかし、既に年末進行に突入している出版業界で今頃休みを取るのは、私がスワヒリ語を自在に操るより無理な話だ。
 只の紙切れにする位なら誰かに譲ろうと思っていたところに、私が丁度良い話を持ち込んだらしい。
『どうせ無駄にするなら、有栖川さんに譲って新作の誕生に協力できたら、編集者冥利にもつきますしね』
「片桐さん、それ、逆効果ですよ。私はデリケートなんでプレッシャーに弱いんです」
『冗談はともかく、有栖川さんのOKがとれるという前提で、コース考えてみたんですよ』
 あっさり冗談扱いかい、とは思ったものの、本当にデリケートでプレッシャーに弱ければ、缶詰になるというような自体は避けられるだろうと、自分でも思うだけに反論の余地はない。
『何せ敵は、大阪府が44個も入るくらい広大な土地ですからね。いかに効率よく回るかが勝敗の分かれ道になると思います。取りあえず、ニセコという有名どころを押さえつつ、穴場をお勧めしたいですね』
「というと?」
 どんな勝敗やねん。
 又しても突っ込みたくなるが、私はどうも『穴場』という言葉に弱い。今まで良くキャッチセールスに引っ掛からずに生きてこられたものだ。
 しかも、我が担当編集者よ。何故、東京ではなく大阪を基準に計算する?
『観光客にはあまり有名じゃないみたいなんですけどね。雪質日本一ってふれこみの国際スキー場、名寄のピヤシリスキー場です』
「雪質日本一って、それ、誰が決めるんですか?」
『少なくても僕じゃないことは確かです。国際的なスキーヤーとかじゃないですか。どうです? 興味わいてきました?』
「なんか、まんまと乗せられてる様な気もするけど、凄く興味はあります。でも、それって滑らなくても判るほどの違いなんですかね」
「滑ってみれば良いでしょう。スキー場巡りをするのに、滑らない気でいたんですか?」
「巡りって2箇所やないですか。それに、滑ったことがないんです」
 なんで、こんな場面でこんなことを暴露しなくてはならないのだろう。否、元々は私が片桐に話を振ったからなのだが……。
『って有栖川さん。それでスキー場を舞台に小説を書く気だったんですか』
「実際に体験したことしか書けないんだったら、私は火山弾の飛んでくる山でキャンプしたことがあるってことになりますよ。法螺話を書いてこその推理作家。だからこそ、火村のフィールドワークを小説化したりしない訳ですしね」
『それっ! それです、有栖川さん』
「なんですか?」
『火村先生。よく判らないけど、先生ならきっとスキーも滑れますよ』
「なにを根拠に……」
 『きっと』で『スキーも』なんだ? と思いはするが、火村がスキー上級者なことは確かだ。
 北海道での暮らしは、記憶も怪しい程幼少の頃のみだったらしいが、向こうでは小学校でもスキー授業というものがあるため、歩ける様になった時からスキーを履かされる子供が少なくないらしい。
 気付いた時には滑れていたと、いつぞや火村が言っていた。恐るべし、子供の吸収力。
『編集者の勘です』
「…………」
『そこで、無言になるってことは図星なんですね。じゃあ、火村先生に交渉してみて下さい。早急に資料と旅行券お送りするんで、お二人で楽しんで来てくださいね』
「ちょっ、片桐さん。まだ、火村が行くとは決まっとらんし、滑らんでも雪質が判るんやったら火村がムダ足になるやないですか」
『僕としては、別に滑らなくても用が足りても、火村先生に同行してもらいたいんですよね』
 焦って抗議しかけた私に対し、片桐はしれっと言った。
「言っときますが片桐さん。旅行に関しては火村より私の方が手慣れてますよ」
『う〜ん、そうじゃなくてですね。冬の北海道に有栖川さんを一人で行かせたりしたら、なんとなく遭難しそうな気もしてたもんで……』
「………」
 遭難──
 なんとなく、自分でもしてしまいそうに思っただけに、やはり私は火村に電話をかけることを決心した。
 因みに、電話を切ってからお返しに調べてやったのだが、東京都は北海道に38個入る。

§ § § § §

「おじちゃん、バイバイ」
 旭川空港にて。
 機内で隣り合わせた子供が火村に手を振っている。
 傍らに立つその子の父親もぺこりと頭を下げた後、彼らは人波の中に消えた。
 勉強は出来ても、人付き合いは不器用だったと思われるその父親は、子供に『飛行機はどうして飛ぶの?』と聞かれ、ベルヌーイの定理とは何か、という話を始めてしまったのだ。
 『流体の速度が増加すると圧力が下がる』云々を説明されたところで、子供にわかる筈もない。
 彼の表情が曇るのを見て、火村が口をはさんだ。
「飛行機は飛ぶように作られてるから飛ぶんだよ」
 ちっとも説明になっていない様な気もしたが、何故か子供は納得したらしい。
 父親に向かって「飛ぶように作られてるから飛ぶんだって」と得意気に話していた。
 どうして、人間嫌いのこの男が、猫と子供のあしらい方に長けているのかは、知りたくもあり知らないままでいたいような気もする、多分永遠の謎である。
 そして、どうしてまんまと火村が私の取材旅行にくっついて来ているのかも、彼の名誉の為に秘密にしておく。
 空港に到着したといっても、目的地に着く為には、もう少々交通機関に揺られる必要がある。JR旭川駅までバスで35分。目的地のピヤシリスキー場がある名寄まで、更に特急で1時間、普通列車ならば1時間半といったところだ。
 スキーもしないくせに、スキー場巡りをする自分の行動に少々の疑問を持たない訳でもないが、今回の謎解きのメインは、スキー場の雪質の違いというやつなのだ。
 片桐も言っていたとおり、百聞は一見に如かず、この目で確かめておかないことには始まらない。
「アリス、俺に見とれる気持ちは解るが、行くぞ。特急逃したくないだろう」
「誰が見とれとるって〜」
 実際、今回は火村に見とれていたわけではないので、私は大いに抗議した。
 しかし、本当に見とれている時があるのも、火村には絶対内緒な割には、とっくにバレている秘密である──

§ § § § §

「ここまでまるっきり違うとは思いもよらんかったな」
「確かに違うな。ここも滑りやすそうではあるけど、昨日のピヤシリ、ありゃ別格だ」
 ニセコ、ひらふスキー場にて。
 俺とアリスはスキーウェアも着ずに、ただしゃがみ込んでいる男とそれを見下ろす男という異様な二人組を演じていた。たとえそれが男女の二人組だとしても、その異様さにさして違いはあるまい。
「ここも滑ってみるか?」
「否、別にスキーがしたくて来たんじゃねぇしな」
「な割には昨日は張り切って滑っとったやん」
「だから言っただろう。あそこは別格だよ。雪質日本一ってうたい文句に間違いはないな。あそこまで軽い雪は見たことねぇよ。しかも空いてるし」
 本当にあんな雪は見たことが無かった。
 出張で初めて北海道の雪を体験したときにも、その軽さに驚いたがピヤシリスキー場の雪はその比ではなかった。
 ダイヤモンドダストや樹氷が、温度の下がる2月前後には日常的に見られるという土地だけあって、雪がカサカサと音を立てるのだ。
 キュッキュッと音を立てるという北海道の粉雪は、たとえて言うなら片栗粉の様な雪だが、名寄の雪はホウ酸の様な雪だ。
 一端降り積もった雪でさえキラキラと舞い上がる。
 もちろん、手袋をはめたままでは雪玉をつくることも出来ない。握ったところで固まらず、サラサラと指の間から流れ落ちる。もちろん、これはアリスが実践してくれたので解ったことだ。
「でも、ここの雪も雪玉にはならへんな」
「ところで先生、この取材に収穫はあったのですか」
「充分や。写真も充分撮れたしな。きっと、再来年の今頃には店頭に俺の新作書き下ろしが並んどる筈や」
「テーマがテーマだから、冬に出すっていうのは解るが、なんで来年じゃなくて再来年なんだよ」
「自分の執筆速度を冷静に計算した結果や」
「自慢するなよ、そんなこと。で、これからどうするんだ?」
「有島記念館に向かおう思っとる。作家の端くれとしては一応おさえとかならん記念館や。その後は決めとらん」
「はぁ〜」
 一瞬、目の前が暗くなった様な気がした。
「だから、決めとらんって」
「アリス、勘弁してくれよ。お前が旅行日程は3泊4日って断言するから、きっちり予定が決まってるもんだと……」
「大雑把には考えてある。取材は今日で終わり。この後は君と二人で単純に北海道旅行を楽しむ所存や。明日は函館で新鮮な魚介類三昧ってものええかな、なんて考えとる」
「………」
 それは、それは。
 大変嬉しいお申し出だこと。
 結局、このひと言で俺は文句の全てを飲み込む羽目になった。
 傍目にどう映っているかは知らないが、きっと俺の人生はずっとこの調子でアリスに振り回されていくのだろう──

 『有島記念館』とはニセコで農場開放という偉業をなしとげた文豪有島武郎のゆかりの地に建つ記念館で 彼に関する資料の展示してある施設だ。
 ここに関しては、後日有栖川先生がエッセイででも詳しく書いてくれるだろうから、俺の感想は割愛する。
「なあ、これからどうする」
 それを俺に聞くか。
「とりあえず、いつまでもここに突っ立ってたってしょうがねぇだろ。ほら、あのタクシー捕まえるぞ」
 丁度、観光客を乗せたタクシーが客を降ろすところだ。
「乗せてもらえますか?」
 運転手が頷くのを確認して、まず先にアリスを座席に押し込む。
「どこに行きます?」
 俺が乗り込んだところで、運転手が声をかける。
「え〜と……」
 口ごもるアリスは放っておいて、俺はさっさと自分の意志を告げる。
「ここらでいちばんメシが美味くて風呂がきれいな旅館かホテルまでお願いします」
 アリス──
 まんまと俺を連れだしたと思っているだろうが、俺はそこまで暇じゃねぇんだよ。
 さてさて、夜はこれからだ──

● Alice top ●


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