ヒムアリin北海道(登別編)
「三大ガニ食べ放題……」 「カニなら昨日散々食っただろう。もういいだろうが」 「確かに食べ放題なんやろけど……」 登別温泉某ホテルにて。 俺達は現在夕食バイキングの真っ最中だ。 アリスが自分に手渡された皿をみて、しみじみと感想を語る。 「俺には2回以上この皿取りに来る根性ないわ」 「もう1回は来る気なのかよ……」 俺はこっそりとため息をついた。 そう、先刻から延々とアリスが不満そうな声を漏らしているのは、三大ガニ食べ放題という、まあ、北海道の温泉にはありがちなバイキングのウリについてだ。 アリスの手に持たれている皿には、毛ガニ、タラバガニ、ズワイガニの足が2本くらいずつ乗っている。ちなみにタラバガニに関して言えば、2本もの足が乗っている筈が無く、食べ良い大きさに切った物がということになる。 バイキングは大雑把にいうと、御飯物、麺物、サラダ、1品料理といった具合にコーナー分けされていている。 各自好きな物を、それぞれ好きなだけ皿盛れる前述のコーナーとは別に、三大ガニのコーナーは存在する。 他のコーナーとは違い、そのカニコーナーには、今アリスが手にしているのと同様の皿がテーブル一杯に並べられ、皿ごと持って行くシステムになっている。 多分、否、絶対にアリスはカニも自分の好きなだけ皿に盛れると思いこんでいたのだろう。 お一人様1泊12,800円でそんなオイシイ話がある訳がないことなど、人並みの推理力を働かせれば解りそうなものだと思う。 「なあ、コレ、誇大広告ちゃうんかな」 陣取っていたテーブルに戻ってからもアリスの不満は続く。 「誇大広告ってことはないんじゃねぇのか。お前が今朝したように、旅の恥をかき捨てるんなら、食べ放題だぜ」 「放っとけやっ! せやけど、基本的にけちくさいやんか。カニはともかく、飲み物は別料金やで」 「合理的なんだろうよ」 「どこが?」 「アリスみたいな人間が、世の中には大勢いるからだよ。気持ちだけが先走って、カニを皿に大盛りにした上に、その他の食い物も胃の許容量を大幅に凌駕するだけ持ってくる。あげくに、食いきれなくて余されてでもみろ、経営側としちゃイイ迷惑だろうが。飲み物も同様。食事をする上で最低限のものは提供されてる。しかも、水、お茶以外にジュース、コーヒーもある。最低限以上だぜ」 「………」 無言のアリスをよそに、この話は終了という意味も込めて、俺は目の前のラーメンサラダに取りかかる。 言っておくが、このバイキングのメニューにこんなものはない。 まず麺コーナーから本来付け麺にするべきラーメンをかっぱらってきて、サラダコーナーの野菜とサウザンアイランドドレッシングをぶっかけた物だ。 何もこんな創作料理を作り出さなくても、バイキングではなく部屋食にしておけば、アリスからの文句が出ることもなく、それなりの料理が楽しめた筈だが、何も食事だけが旅行の醍醐味じゃあるまい。 とはいうものの、俺にしたってこんな混雑した食堂で慌ただしく食事をするのではなく、アリスと差し向かいでゆっくりと部屋食を楽しみたかったのは事実だ。 しかし、平日なおかげで部屋だけはなんなく取れたものの、そちらの希望までは叶わなかったというのが真相。 故に、ゆ・え・に・だ! 俺は、こんなところで必要以上に三大ガニ論議をして貴重な時間を潰したくないのだ。 ちらりと視線をアリスに投げる。 一応、俺の言うことに納得したらしい推理作家はカニの皿を脇によけ、山菜御飯を口に運んでいる。 前々から思っていたのだが、自分の好きなものを最後に残しておくというのは、アリスのあまり良くない癖だと思う。 突然地震でもおきて食えなくなったら、残しておくだけ損なだけだ。 まあ、地震は極端な話にしても、好きな物は先に食っとく、というのが俺の持論だ。 それに、食ってみなければ、その好物が本当にうまいかどうかも判らない。 もちろん、その持論は食い物だけに適用されるとは限らない。 「アリス」 「ん? なんや」 「そのカニ、大事に取っておかないで、先に食っておいた方がいいと思うぜ」 俺の台詞にアリスは不満げに応じた。 「まさか、他のもので腹が一杯になって食えなくなる前に食えとか、子供にするような心配してるんか」 「いいや。アリスの愚痴をこれ以上は聞きたくないからさ」 「……意味が解らん」 「食ったら解るさ」 意味が解らないながらも、俺に言われたとおり、アリスはカニの皿を引き寄せた。 一瞬思案した後、タラバガニを取り上げ──多分一番食いやすいからだろう──身を取り出し口に運ぶ。 「なっ、なんやコレ!」 そんなアリスに、我ながらニヤリとしているだろうな、と実感する笑みを浮かべて追い討ちをかけてやる。 「言った通りだろう」 大抵の場合、こういう処でこういう風に出されるカニはさして美味くはないと相場が決まっている。 ましてや、取り立てのゆでたてとまではいかないものの、昨日それなりのカニを味わっているのだから、より一層そう感じる度合いも大きいだろう。 「なっ、やっぱり皿に取り分けてある方が合理的だっただろう」 俺の言葉に、アリスも今度は心の底から納得した様だ。 「確かに──君の言う通りやな」 § § § § § 食事を終え部屋に戻ると、ホテルの従業員により、既に布団が敷かれていた。火村が私と泊まるために予約したこの部屋は、最大4人まで泊まることのできる和室だ。 こういった和室では、仲居さんが布団を敷きに来てくれるということをすっかり失念していた私は、少々──否、かなり──荷物を散乱させたまま、食事に出掛けてしまった。 まさしく後悔先に立たず。 一方の火村の荷物は全て鞄の中に収まったままだ。 しかし、これは仲居さんが部屋に入るのを見越した訳ではなく、彼は私と違って部屋に到着した途端店を広げるような真似をしないというだけだ──と思いたい。 火村がすることと言えば、チェックインしてからまだ部屋の中には1時間足らずしかいないというのに、既に小さな灰皿を一杯にすること位だ。 今だって窓の外を眺めながらニコチンの補給に余念がない。食堂では混雑が激しくて、喫煙席が取れなかった為だ。 途中で買い足していた風もないのに、これだけひっきりなしに煙草をくわえていて、火村がそれを切らす気配はない。 もしかすると、あの旅行鞄の中には、CAMELが5カートンくらい詰まっているのかもしれない。 「何、見てんだよ。にーちゃん」 そんな私の視線に気付いたのか、火村がチンピラの様な台詞でからんでくる。 君、その趣味が悪い柄のシャツ着て、そんな台詞言うたらシャレにならんて。 「いえ、見てません。お金も持ってませんっ!」 「じゃあ、ジャンプしてみろよ」 冗談に乗った私に、火村はこれまたお約束な台詞を投げ掛けた。 しかし、お約束ではあるが、私はこの件に関しては微妙に疑問を感じている。 「なあ、火村」 「ほら、早く飛べよ」 「もう、ええって。こんなところでジャンプしたら、下の部屋に迷惑や。飛んだところで、判るのはそいつが小銭持っとるってことだけやろ。だいたいポケットに小銭をじゃらじゃら詰め込んどる奴に、金持ってる奴はおらん。そう思わん?」 私の質問に火村はため息をつきながら、大きく首を横に振った。 「アリス、単なる遊びなんだから、そんなこと真面目に考えないでくれよ」 「別に真面目に考えた訳やない。なんとなく思うただけや。それに、あの遊びを続けたところで、これ以上面白いことないやん」 「あるさ。証明してやるから飛んでみろよ」 絶対に何かを企んでいる、と確信させられる笑みをこぼしながら火村が言う。 しかし、その視線に捉えられた私は、火村の言葉に逆らうことができなかった。 階下の人間に迷惑をかけないよう、ほんのちょっとだけ飛び跳ねる。 チャリ。 小銭なんか入れた覚えは無かったが、私のスラックスのポケットの中で、金属の触れ合う音がする。 「やっぱり、持ってるじゃねぇか」 いつ何処で入れた物かと考えている間は無かった。火村が私の背後に回り込み、左腕で私を抱きかかえながら、右手を私のポケットの中へと忍び込ませたからだ。 「やめっ、火村」 極く薄い布地を通して、火村の指先が私の太股に触れる。 それでなくても他人にポケットを探られるのは身震いするほどくすぐったいのに、その上、意図的に太股をなで上げられたりしては、ひとたまりもない。 「面白いことしたいんだろ」 火村が耳元で低く呟く。 合わせ技一本。 ガクッと膝から力が抜ける。 「アリス──」 火村の唇が降りてくる。 強引に首をねじられての口づけは、息苦しいがその分より一層クラクラする。 残念ながら、私たちが北海道の温泉に浸かれるのは、もうちょっと後になりそうだ── § § § § § 「ウニのにおいがする」「アリス、お前の頭の中には食い物のことしかないのかよ」 1時間後、チンピラから着流しの浪人風に変貌をとげた火村と私は、ようやく地下にある大浴場へ出向いていた。 江戸っ子のじいさん以外に入っていられる者など居ないと断言できるくらい、必要以上に熱い檜風呂から逃げ出し、現在は適温のミョウバン泉に入っている。 どこかで嗅いだ臭いだと1分程考えて、それがウニの臭いだと思い出した。 「だってウニのにおいするやろ」 「違う。ウニは綺麗に形を保つためにミョウバン水で洗って出荷されてるんだ。だから、これはミョウバンのにおい。ウニの方がミョウバン臭いんだ」 「うわっ、そんなん聞いたら食いたなくなるやん。せやったら本物のウニのにおいって、どんなやろ」 「大抵の魚介類は磯くさいんじゃねぇか」 「夢がないなぁ〜」 「現実っていうのは大抵そんなもんさ。それより、露天風呂行かなくて良いのか? 確か10時までだった筈だぜ」 「えっ、せやった? 火村、早よ行くで」 ウニ温泉、否、ミョウバン泉から上がり、ガラス張りのドアの外にある露天風呂へと向かう。 ドアを開けて表に出た途端、温泉の湯気が霧となって視界を奪う。 温泉の温度と外気温の差が大きい為に、湯気も立ち方も激しいらしい。 こんなところで間抜け面を曝したくはないので、転ばないようにそろそろと石畳を進み、やっとという感じで湯船にたどり着く。 「こりゃいいな」 私の隣に腰をおろした火村が声をあげる。 「せやな。顔が涼しくて気持ちええわ」 身体は湯の中で暖かく、肩から上が涼しいのは非常に快適だ。のぼせる心配もなくじっくり浸かって居られそうだ。 「そうじゃなくて──」 火村は私の耳元に口を寄せた。 「ここなら何をしてても、他人には見えないぜ」 大胆不敵な台詞に、私は一瞬にしてのぼせそうになった。 「ええかげんにしときっ!」 哀れ火村は、ベタベタな関西弁の突っ込みと共に、湯船に沈められたのである。 § § § § § 「火村、ペンギンの子供や。なんや、親より大きく見えるけど、ペンギンて大人になったら縮むんやろか」「んな訳ねぇだろ。産毛がふわふわしてるからそう見えるだけで、中身は少ないんだよ」 翌日、マリンパークニクス。 登別から千歳まで1時間程度で行けるとはいっても、手続きもあるので、そうのんびりとはしていられない。 そのことは解っているのに、私は火村の嫌味な台詞など右から左でペンギンの子供の前から離れることが出来なかった。 可愛い──かわいすぎる。 もしも許されるのなら、50万払ったって私はアレを持って帰る。 ふわふわしたグレーの産毛に被われたキングペンギンの子供は、誰だって抱きしめてみたい欲望にかられるぬいぐるみの様だ。 「アリス──。子供にみとれるのもいいけどな、大人のペンギンの行進が始まるって。言っておくが、11時10分のパレード逃したら、俺達に次はないぜ」 「解った」 それを見逃してはもともこもないので、ペンギンの子供に別れを告げることにする。 時間の関係で、折角ここまで来たのにも関わらず、イルカショーもアシカショーも時間が合わなく、見ている暇はない。 ニクス城内のエントランスのクリスタルタワーや、頭上を魚が泳ぐアクアトンネルも幻想的で素晴らしくはあったが、やはり私の最大の目的はペンギンパレードだ。 パレードが行われる広場に向かうと、既にパレードコースに沿って人垣が出来ている。 待つこと数分。 飼育係に先導されて、ペンギン様ご一行が姿を現す。 ちょこちょことした足取りで、時折立ち止まったり、よそ見をしたりしながら、彼らは観客に愛嬌を振りまいている。 ああ、君らはもう大人のくせに、どうしてそんなに可愛いのだ。 ペンギンの体調不良でこのパレードは中止になくこともあるというから、ペンギン的には好きでやっていることではないのだろうが、そんな罪悪感など余裕で一時棚上げできる程、彼らは愛くるしかった。 1匹くらい、懐に隠して持って帰れへんやろか── 「アリス」 「なんや」 「犯罪者にはなるなよ」 「………犯罪学者の隣で、そんな恐ろしいこと、よう出来んわ」 「どうだかな」 又しても絶妙のタイミングで、火村が私の心を見透かした。 全く── 君は、どうして、いつもいつもそうなんだ。 この絶妙のタイミングは、たとえ身内にだって計れるものじゃない。 君の隣が居心地がよくて仕方がないのは、きっとそのせい── だから、私も昨日ホテルの部屋で気付いた事実は黙っていよう。 君と私の靴底の仕様が、全く違っていたことは── FIN
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