トリックカード──Version H
天然──人工が加わっていない、自然のままの状態。 最近では、作為なくして少々困ったことをやらかす者や、大まじめに話しているのに周りの笑いを誘う発言をする者を表現する時にも使用される言葉。 落ち着け火村英生。こいつは天然だ。舞い上がるだけ自分が損だ。 アリスが俺の腕に自分の腕を絡めて席まで引っ張ってきたのは、俺を逃がさない為。 鈴木を押しのけてまで、俺と並んで席についたのも、以下同文。 テーブルの下で、未だに俺の手首を握り締めているのも、やはり以下同文。 自分の行動が、どれだけ人の心中をざわつかせるかなんて知りもせずに、俺に接触するアリス。 知ってるか? 男ってのは悲しいほどにボディタッチに弱い生き物なんだ。 ああ、ああ、知らないんだろうさ。 だからこそ、天然ってのは無敵なんだ。 そんな益体もないことを考えつつ、気を紛らわせていた俺だが、もちろん、この件でアリスを天然呼ばわりするのはどうかと思われるのは自覚している。 どちらかというと等と言わずに、アリスに触れられて鼓動を早める俺の方が確実におかしいのだ。 いろんな場面において、こういう時友人ならばどうするべきなのか、といちいち考えなくてはリアクションできない自分は、いい加減アリスに首っ丈状態なのだろう。 だから、俺は今も考えている。 自分がアリスの友人としてどういう反応をするべきなのかを。 15秒ほど思案して、俺はテーブルの下のアリスの足を蹴飛ばすと同時に、掴まれていた手首をアリスの手から引きはがした。 アリスの視線がこちらに向いたのを確認して、テーブルの下で指を3本指立てる。 この指は先刻アリスが2本立てた指と意味が同じだ。つまり、3千円分の食材で手を打ってやるという合図。 畜生足下見くさって、と言わんばかりに嫌な表情を浮かべつつも、アリスはテーブルの下で、OKサインを出す。 交渉成立ってな訳で、俺はアリスに自室の鍵を手渡した。 逃げる気がないことを知らせるのと同時に、予防線を張る為に。 こうしておけば、アリスは少なくとも俺に黙ってフェイドアウトはできない筈だ。 いや、その気になればレジに預けるだとか、色々な手を打てるだろうが、ばかにしている訳ではなく、アリスにそんなことは思いつけない。 基本的にアリスは律儀な人間だからだ。 ──こいつらなら解らないけどな。 アリスが小さな安堵のため息をついている横で、既にかなりテンションを上げまくっている鈴木と田中──特に鈴木は見苦しい程だ──を見て、俺はそんな感想を抱いた。 自分でも、ものすごく冷ややかな視線で奴らを見ていることが判る。 あんな風に生きて行けたら、人生はすごく楽しいだろうなと思いつつ、かと言って、自分がああなりたいかといえば、絶対になりたくないと思ってしまうのは、人間心理の微妙なところ。 悪い人間でないことは解るのだが、どうしても自分と価値観が合わないと感じてしまう。 毛穴開きまくってますと言わんばかりに、ベラベラとしゃべりまくる奴らが狙っているのは、鈴木→山本、田中→佐藤という女性らしい。 ……スナック菓子コンビ。それはいよいよ洒落にならねーぞ。 俺に比べて、千倍くらいはお前らに対して寛大な心を持ち合わせているだろう、アリスの視線でさえ冷ややかなのがその証明だ。 つーか、いい加減にしておかないと相手の方が退くだろうに。 と、俺がやれやれと、小さなため息をついた時だった。 「じゃあ、ここで、お互いの交流をもっと深めるいうことで……」 多分──というか確実に、タイミングをずっとみはからっていたのだろう。 かなり不自然に話の流れをぶったぎり、鈴木が鞄から何故かトランプを取り出した。 まさか、女に受けるために手品でも披露する気なのだろうか。 ──鈴木、その作戦は失敗だ。例え、その手品が受けたとしても、女の興味をひいているのはお前じゃなくて、手品の種だ。 などとのんきに考えていられたのは一瞬。 鈴木がトランプを取り出した理由は、手品とは全く別の目的だった。 居酒屋の店員を捕まえて「すいませ〜ん。割り箸貰えますか〜」と頼まれるよりは恥をかく相手が減る分まだましだとはいえ、そんなに嬉しそうな表情で王様ゲームを提案する人間と友人だと思われたくはない。もっと言えば、顔見知りだと思われるのさえちょっと不快だ。 ──しかも、ガッコの女相手に…… 俺は、大きなため息をそれと知られずつくために、煙草に火を点け、煙を吸い込んだ。 何故って、多分向こうのグループのオピニオンリーダーらしい佐藤さんが、どうやらそのゲームに乗り気になっているらしかったから。 ──勘弁してくれよ。 俺は煙と共にため息を吐き出す。 そう、王様ゲームなんて、その場を盛り上げる為の、それこそただのゲームだ。 人が困る姿を見て、他の人間が楽しむための趣味の良くないゲーム。 人によっては、お目当ての相手とあ〜んなことや、こ〜んなことができるかもしれない、と心ときめくゲーム。 しかし、そのメンバーの中に、自分が本気で好きだと感じる相手が混じっているならば。 それは拷問以外のなにものでもない。 考えまいとしても、様々な状況が頭の中を駆けめぐる。 例えばアリスが誰かとキスなんかすることになった時──俺はそれを絶対に直視できない自信がある。 例えば俺が誰かとキスすることになった時──キスすることよりも、それをアリスに見られているのが何よりも嫌だと感じる。 そして例えば──俺とアリスがキスすることになった時。 俺はきっと、どうしていいか解らない── ★ ★ ★ 「アリス、レポート用紙とマジック。あと、セロテープ寄こせ」スペードの1〜7及びキングのカードを使用した王様ゲームは、7巡目を迎えていた。 その間に、俺はこのゲームに使われているカードがトリックカードだということに気付いた。 しかも2重仕掛けの。 鈴木が普段はかけていない眼鏡を掛けていることと、視線の動きを見ればすぐ解る。 あの眼鏡をかけてカードを見ると裏側からでもそのカードの数字が読みとれるって訳だ。 折角そんな仕込みをしているのにもかかわらず、それが裏目に出てなかなかキングのカードを引きに行けない鈴木が面白すぎる。 どうやら、アリスもこれがトリックカードだということに気付いているらしく、先刻から(知っていて見れば)不自然な動きを連発する鈴木に対して、笑いをかみ殺していた。 そして、このカードに仕掛けられた秘密はもう1つ。 鈴木のかけている眼鏡のみならず、うまく焦点を合わせると、このカードはバックの模様に3Dで数字が浮き上がり読みとれるようになっているのだ。 ゲームが5巡する内に、田中は2度キングを引いた。 その時に限って、田中の視線がうつろになるのと、2度とも鈴木と山本嬢を絡ませてやっているのを見ていて気付いたこの事実。 このカードが取り出されたのは鈴木の鞄だが、元々の持ち主は田中なのだろう。 意外と友人思いだな田中。 それはともかく、この仕掛けに気付けたのはラッキーだった。 強烈な眼精疲労をおこしてまで自分がキングを引く気はないが、偶然引きあてられた場合には、アリスを指名しないで済むからだ。 ってな訳で、今回キングを引き当てた俺は、自分のことは棚に上げて不正を働く鈴木をこらしめてやることにした。 重たいだけだろうに、普段から様々なものを鞄の中に入れて持ち歩いているアリスから、先刻口にした物を受け取り、レポート用紙にでっかく『ベンツ』と書き、更に筆記用具をボールペンに持ち替えて紙の隅に罰ゲーム中と付け加える。これを付け加えたのは武士の情けだ。 その間に目を細めて、鈴木のカードをチェック。……『3』か。 「では、王様からの命令。3番の人は、この紙をセロテープで胸のところに貼って、ハンバーガー屋でドライブスルーしてくること。1番と2番の人は3番がきちんとドライブスルーするところを見張りに行ってくれ。最終的には出来なくてもかまわないが、少なくともドライブスルー用のマイクに向かって注文はしてみること。以上」 周りから、それきっついわ〜、とかなんとか声が上がる。 勘弁してくれと泣きつく鈴木を一瞥して、俺は首を横に振った。 「女性陣ならともかく、当たったのがお前なら絶対やってもらう。付き添うのは誰と誰だ?」 俺の問いかけに、田中と山本さんが手を挙げた。 「OK。じゃあ、ふたりは、あくまでも遠くから見守ってやってくれ。良かったな鈴木、近くにマ○クがあって。さっさと済ませば5分で帰って来られるぞ」 鈴木は最後の最後まで抵抗していたが、結局は面白がる田中と山本さんに引きずられるようにして、店を出て行った。 その姿を見送った後、アリスが俺に向かってぼそりと呟く。 「火村、君、ほんまに鬼やなぁ」 「ばかだなアリス。本当に鬼なら紙の端に罰ゲーム中なんて書いてやるかよ」 「せやから、大阪人に向こうてばか言うなて前から言うとるやろっ! それにマ○クやなくてマ○ドッ! 郷に入ったら郷に従がわんかいっ!」 「……そんなん、どっちでもいいじゃねぇか」 これをきっかけに、俺は関西陣3人に寄ってたかってあそこはマ○ド(しかも○の部分にアクセントが置かれている)だと熱く主張される羽目になったが、まあ、これはこれでよしとしよう。 なぜなら、俺が指示したものより、もっと面白い罰ゲームを考え出したいという情熱を燃やしたアリスが、すぐに話題を次の罰ゲームの話へと切り替えたからだ。 1万円札で5円切手を買って領収書切って貰うてのはどうやろ? だなんて、会話を聞き流しながら、俺は作戦が成功したことにほくそ笑んだ。 この王様ゲームが、完全に楽しい罰ゲーム大会にシフトしたからだ。 ★ ★ ★ 「じゃあ、あんまりしつこく続けるのも何やし、時間も時間やから次で最後いうことで」結局、コンビニに切手を買いに行かされたり、通りすがりの人に貰い煙草に行ったりといった風の、罰ゲーム大会になってしまった王様ゲームは、田中のこの言葉で、次が最後になると決まった。 前回王様だった田中がカードを集め、手早くシャッフルする。 「最後やから王様になった人は、全員に何かさせて下さいね。この後、俺ともっと呑みたいわいう人は、遠慮せんと申し出て下さい。俺の予定は空きまくりやから〜」 そんな田中のジョークに、ノリも良ければあまり女性らしくない大胆な罰ゲームを思いつく、発想力豊かな佐藤さんが受け止めた。 「あら、残念。ご一緒したいのは山々やけど、あたし明日朝イチの講義入ってるんよ」 「あ、ラッキー。なら8時45分まで呑んでられるいうことやない。俺は全然大丈夫やから、遠慮せんといて♪」 「あはは〜、そうきましたか」 「ええ、そうきますとも。まあ、その話は後でゆっくり煮詰めるとして、カード配りますね」 言うと、何故か田中は今回に限ってカードを皆に引かせずに自分で配りだした。 ──何を企んでる…… と思ったのは一瞬。 他の誰でもなく、田中がキングを引き当てたのは、絶対に奴の企みだ。 そんな田中の行動を見つめながら、俺が眉をひそめていると、その視線に気付いたのか、奴はこっそり俺にウインクをして見せた。 そのウインクに、俺はとてつもなく嫌な予感を感じた── ★ ★ ★ 「え〜、場を盛り下げて申し訳ありませんが、俺が続けて王様をやらしてもらいます。まず、2番は王様ともう1件付き合う事。行き先は英都の学生御用達のドラゴン倶楽部です。女性だったら俺が奢りますけど、男性だったら俺に奢って下さいね。次に5番と8番、会計が終わって店員さんに『ありがとうございました』て言われたら、声を揃えて、しかも大きな声で『どういたしまして〜』とお返事して下さいね。なぁに、返事としては決して間違っていませんから恥ずかしくなんかあらしません。そして、3番は6番をどんなに反対方向でも絶対に送って帰って下さい。公共交通機関を利用する方の場合は駅まででいいです。最後に4番と7番、最後ですから場を盛り上げて呑み会を終わらす為にも、皆さんの前でキスシーンをご披露して頂こうかと思います。おでこやほっぺは問題外、唇にぶちゅーっと行ってもらいます。一瞬やとつまらんので、みんなで5カウントするまでそのままでおって下さい。ってな感じで指令が出たところで、みなさん手持ちのカードを示して下さい」──そうきたか…… 自分のカードを確認して、俺はチッと舌を鳴らした。 呑み会も終わりに近づいて、俺の機嫌を損ねることが怖くなくなった田中が、先刻コンビニでいちご大福を温めさせられた報復に出たらしい。 ──相手は誰だ。 俺は素早く辺りを見回した。 まずはアリス。 その涼しい表情から見て──違う。 多分3番か6番ってとこか。いや、アリスなら案外「どういたしまして」も平気かもしれない。そういう言葉遊びは好きだろうから。 もちろん、王様の田中は除外。 だが、推察できたのはそこまで。 残りの人間は揃いも揃って複雑な表情を浮かべていて判断できない。 ──頼むから、鈴木だけは勘弁してくれ。 誰に頼んでいるのか自分でも解らないまま、俺は「せーの」という田中のかけ声と共にカードをひっくり返した。 ★ ★ ★ 俺は、固まっていた。4番のカードを持っていたのは、予想外にも涼しい表情をしていたアリス。 呑み会を楽しく締めくくる為の生け贄が決まったところで、その他の人間から「チュ〜ウ・チュ〜ウ」のコールが起こるが、それをたしなめる気にもならない。 本当に、色々なことが頭を駆けめぐりすぎて。 ありがたいことに俺は動揺が顔には出ないタイプで、今のところは単におもちゃにされるのを嫌がっているぐらいにしか思われてはいないだろうが、目覚めたら宇宙人に拉致されてUFOの中いたってな位に、どうしていいか解らなかった。 いや、4番のカードを引きながら、涼しい気な表情をしていたアリスがショックだったのかもしれない。 別に誰と当たってもいいさ、というその態度が。 それが、このメンバーの中に、アリスが特別好きな相手も嫌いな相手もいないことを証明しているような気がして。 決して、この想いを告げることはないと思ってはいたものの、こんな形でそれを知らされるのは辛かった。 ましてや、今日はアリスの誕生日だというのに── いや、誕生日は関係ない。 それがいつだって、こんなことを知りたくはなかった。 知らなければ、もしかして、という期待だけは胸に抱いて生きてゆけた筈だから。 悪態を付きながらも、2時間程前アリスに腕を絡めとられた時のように、ささやかな喜びを感じながら。 ──我ながら、女々しい考え方だ。 と、俺が小さくため息を漏らした時だった。 「はいはい、そんなに色めきたたんでも、きちんとご覧になれますよ。瞬きしないでよう見とって下さいね。本邦初公開、これが火村のキスシーンや」 まくしたてて周りを黙らせたかと思うと、アリスは俺の肩に右手を置いて唇を重ねてきた。 夢ではない、本物のアリスの唇の感触── それが離れてしまうまで、あと5カウント。 そう、現実に戻る為のカウントダウン── ★ ★ ★ 「大体、本邦初公開ってなんだよ。それだと俺が外国ではキスシーンを披露しまくってるみたいじゃないか」「また、そんなしょーもないあげあしとりを。言葉のアヤちゅーやつや」 思った通り、あっさりと現実は戻ってきた。 佐藤さんと次の店に向かう田中と、山本さんに送られて自宅に帰る(といっても駅までだが)鈴木を見送り、更に片方のアパートに泊まるという残りの女性ふたりを近くまで送っていってから、今、俺とアリスは下宿に向かって歩いている。 いつもと変わらぬ道を、いつもと同じ歩調で、いつもと同じ軽口を叩きながら。 「言葉のアヤねぇ。仮にも作家志望なら、もうちょっと気の利いた台詞考え出せよ」 「充分、気は利いてたやろ。ウケも取れたし」 「そーゆ問題かよ」 「そーゆー問題や。ああっ、問題といえば……火村、冷蔵庫の中身補充すんの、来月分のバイト代出てからでもいいか」 「お前……今月のバイト代入ったの昨日じゃねぇかよ。何でそんなに金が無いんだ」 「ん〜、そうなんやけど。天皇誕生日が近いから」 「はぁ〜? 競馬でもしにいくってか?」 「違う。田中は恐れ多くも天皇陛下と同じ日に生まれたんや」 「牡牛座だな。それがどうした」 「星座はどうでもええっちゅーねん。問題は、俺があいつの誕生日プレゼントにファミコンソフト買うてやらなあかんいうことや」 「って、お前。自分の誕生日にあんなだまし討ちくらった上に、なんであいつに誕生日プレゼントまでやらなきゃならねぇんだよ」 「それが我ながら謎やねん。強いていうなら、王様ゲームに使われてたカードがトリックカードやったから? しかも二重仕掛けの。田中、あれでいて案外役者やし。それに、田中がいちご大福温めてもらうとこ見守っとったのは俺やし」 「──っ」 俺は息を飲んだ。 もしかして、それは── 「なあ、火村。あんまり人を鈍感やと思わない方がいいで」 続いたアリスの言葉に、俺はくわえていた煙草を落としかけた。 もしかしなくても、これは── 「そんでもって火村。田中でさえくれた誕生日プレゼントを、君は俺にくれへんの?」 確実に── 再び夢が始まるカウントダウン── FIN
車の名前はひらがなで『べんつ』にした方が良かったかも。 |