トリックカード──Version A・H
その後の展開は俺が思ったよりも、平穏なものだった。 席に着いた後、火村のつま先に蹴飛ばされ、テーブルの下にある奴の指を見ると薬指と小指を除いた3本の指が立っていて、3千円で手を打ってやると言っていた。 畜生足下見くさって、と思いつつも、親指と人差し指で円を作りOKサインを出すと、火村は俺に部屋の鍵を手渡した。 感心なことに、逃げる気がないという意思表明らしい。 そんなこんなで、俺がそっと安堵のため息をついている反面、鯛で海老を釣る気が満々──我が友人ながら情けない──の鈴木と田中(特に鈴木)のテンションは高かった。 互いに牽制し合っているせいなのか、仏頂面はしないまでも、返答が素っ気ない火村に怖じ気づいているのか、女性陣があまり彼に話しかけられないでいるのをいいことに、パワー全開でベラベラとしゃべりまくる。 鈴木が狙っているのは山本さんというロングヘアの女の子で、田中が狙っているのは佐藤さんというショートカットの女の子らしい。 餌が餌だけに、4名いる女の子はどれも平均以上の容姿を持ち合わせているが、中でもその2人は群を抜いている。 気持ちが解らないとは言わないが、地味に思う。 今日の主賓は俺やったんとちゃうんかい? それにだ、まかり間違って、彼らがカップルになったら、火村の言うようにスナック菓子コンビならぬスナック菓子カップルが出来上がってしまう。 どうだろうそれは。 まあ、俺が不思議野さんや鏡野さんの婿養子に行くよりは、全然ましやろうけど。 地味に国野も嫌やなぁ。 と、人に聞かれたならば、そんな名字は存在せんという突っ込みを確実に頂いてしまうような、下らないことを俺がつらつらと考えていた時やった。 「じゃあ、ここで、お互いの交流をもっと深めるいうことで……」 と、鈴木が鞄から何故かトランプを取り出した。 まさか居酒屋でババ抜きでも始める気か? と思ったのは束の間。奴がトランプを持ち出した理由はすぐに知れた。 確かに、鞄の中から割り箸を取り出すよりはいくらか印象がましかもしれないが、どんなツールを使ったところで王様ゲームは王様ゲーム。 見ず知らずの相手ならともかく、同じ大学の女の子相手にそんなゲームをやらかすのは、どんなものかと大いに思う。 どうせ、女性陣から却下されるに違いないと思うた俺の予想は、意外にも裏切られた。 どうやら、彼女らはこのゲームのリスクとチャンスを秤にかけ、チャンスを取ることに決めたらしい。 そのチャンスとは何か。言わずもがな。火村と絡めるチャンスだ。 二の足を踏まずに確実にチャンスをものにする。こういうことに関しては、男よりも女の方が断然思い切りがいい。 ただ、世の中そんなにうまいこと回らないことを、彼女たちにとってリスクである俺は知っとる。 何故って、いつもはコンタクトを入れ取る鈴木が、勝負な筈の今日に限って眼鏡をかけているからや── ★ ★ ★ 成る程な。取り出したトランプからスペードの1〜7、そしてキングを抜き出しシャッフルしている鈴木の表情と、それを眺めるアリスの冷ややかな表情を見て、俺は確信した。 あれは、トリックカードだ。 鈴木が普段はかけていない眼鏡を掛けているのもその為。あの眼鏡をかけてカードを見ると裏側からでもそのカードの数字が読みとれるのだろう。 ……ってことは、田中も共犯か。 田中よ、経験値0.5人の友人がそんなに気の毒だったか。 まったく、鈴木もアリスもいい友人を持ったもんだ。 あぁん? さりげなく自分を勘定に入れるなって? ばか言え、この場に留まっている時点で俺も充分友人思いじゃねぇか。 これでアリスが困らないってんなら、俺が立ち去った後にどんなに場が凍りつこうと知ったことじゃない。 ましてや、こんなゲームが始まると解ったら最後、2秒でこの場から消えてやる。 誓って言うが、3千円分の食材に買収された訳じゃない。 お・れ・が・ゆ・う・じ・ん・お・も・い、だからだ。 ちょっとしつこかったか? まあ、誰に向かってしているんだか解らない言い訳はともかく、俺はこの茶番に付き合う覚悟を決めた。 居酒屋で出来ることなどたかが知れているし、その程度ならば罰ゲームとして割り切れる。 それに── もしかしたら、ラッキーが振ってわくかもしれないし── ★ ★ ★ ゲームを幾度か繰り返す内に、最初はビールの一気飲みだ、肩を揉めだ、枝豆を一皿一人で食えだ──ああ、いい塩加減で美味かったわ──というふうに、罰ゲーム風だった王様役の指令の内容が、王様ゲーム本来の目的へとシフトしだした。王様──というか女王様?──役を引き当てた山本さんが、まんまと自分の手の甲に火村からのキスを貰うことに成功したのがきっかけだろう。 自分が指名された時の火村は、困った顔も嬉しそうな顔も、更には照れもせずに全くの涼しい顔で、向かいに座っている女性の手をとり口づけた。 恰好がだらしないとはいえ、その流れるような仕草は山本嬢の表情をうっとりとさせ、その他の人間の闘志に火を付けた。 そらそうや。 火村が女嫌いであることを知っとる俺でさえ、そのスマートさ加減に腹が立つくらいや。 しみじみ思う。 こうしていい男とは敵を増やしていくもんなんやと。 まあ、それは大げさやとしても、火村が確実に彼女狙いな鈴木を敵に回した事だけは確かや。 その証拠に、根が小心者なのか、折角仕込んだトリックカードを今まで有効活用出来ずにいた鈴木が、事情を知っている者から見れば、少々不自然な手の出し方でキングのカードを取りに行く。 まんまとキングをゲットした鈴木はう〜んと悩む振りをしてそれぞれのカードを確認し、5番──山本さん──を指名した。 「5番のカードを持ってる人が、王様のほっぺにちゅーすること」 ……そこで、大胆になりきれない辺りが、鈴木の限界なんやろう。 何だか目頭が熱くなってくるのは気のせいやろか。 見ると、田中もやれやれと首を振っている。 どうせ大胆になれないのならば、ここで田中に恩でも売っておけば、後で返してくれたかも知れんのに。 だが、周りの心中はともかく、先程のラッキーでご機嫌だったらしい山本さんが「えぇ〜っ」と声を上げつつも、特別嫌がる風でもなく頬にキスをしてくれたのが嬉しかったんやろう。当の鈴木はご機嫌やった。 安上がりなやっちゃなぁ〜。 その点女性陣はしたたかだ。視線だけで共同戦線を張ると、王様になった人間が複数指定をするという技に出てきたのだ。 1番が5番のおでこにキス。3番が6番に唐揚げを食べさせてもらうという風に。 確認した訳ではないが、女性陣がカードを引いた場合、絶対に女同士でそれが行われないところを見ると、テーブルの下で指が立てられていることは確実だ。 下手にカードの数字が解って連続でキングを引きにいけない鈴木のやり方なんかより、よっぽどこっちの方が確率がいい。 王様役が二回り程した頃には、女性陣全てがなんらかの形で火村と絡むことが出来ていた。 女性陣の誰も抜け駆けしようとしない辺りは、火村のキャラクターのなせる技なんやろう。 さすが、ミス英都を振ったと噂される──事実無根──男。 俺がそんなことを考えていると、前回王様だった田中がカードを集め、手早くシャッフルしながら、口を開いた。 「じゃあ、あんまりしつこく続けるのも何やし、時間も時間やから次で最後いうことで。最後やから王様になった人は、全員に何かさせて下さいね。この後、俺ともっと呑みたいわいう人は、遠慮せんと申し出て下さい。俺の予定は空きまくりやから〜」 微妙に本音も混じっている気もするが、女性陣には確実にジョークにしか受け取られないであろう口調で、田中がその場をまとめにかかり、その言葉を女性陣の中でもノリの良かった佐藤さんが受け止めた。 「あら、残念。ご一緒したいのは山々やけど、あたし明日朝イチの講義入ってるんよ」 「あ、ラッキー。なら8時45分まで呑んでられるいうことやない。俺は全然大丈夫やから、遠慮せんといて♪」 「あはは〜、そうきましたか」 「ええ、そうきますとも。まあ、その話は後でゆっくり煮詰めるとして、カード配りますね」 言うと、何故か田中は今回に限ってカードを皆に引かせずに自分で配りだした。 ──何か怪しい…… すごくそんな気がするが、眼鏡を掛けているのは鈴木の方やから、田中にカードの番号を知る術はない。 ましてや、配る直前まで田中は手元を見ずに佐藤さんと話しながらカードをシャッフルしていたから、そこでズルもできそうにない。 ──気のせいやろか? と、思いかけたところで、その怪しさを証明するように、田中がキングを引き当てた── ★ ★ ★ 5回目のゲームの時に、俺は唐突に気付いた。鈴木の下手なやり口ばかりに目が行って、アリスは気付いていないようだが、田中までもがある程度皆のカードを把握していることが。 2度目の時と今回。田中は自分がにキングを引き当てた時、不自然にならない程度に鈴木に山本さんを絡ませやっている。 何故だと、よくよく田中を観察していて解った。 時間が経つほどに充血していく田中の目と、不自然な黒目の動き。 あのカードは鈴木のかけている眼鏡のみならず、うまく焦点を合わせると3Dでカードの裏が読みとれるようになっているのだ。 これに気付けたのはラッキーだった。 強烈な眼精疲労をおこしてまで自分がキングを引く気はないが、偶然引きあてた場合には、アリスを女に絡めずに済むからだ。 それに田中の方も、だまし討ちみたいな形で呼び出した俺をこれ以上怒らせるのが怖いとでも思っているのか、自分がキングを引いた時には絶対に俺を指名してこない。 つまり、鈴木はともかく、田中は案外食えない奴だということか。 そんな田中が終了間際に取った不自然な行動に、俺が眉をひそめていると、その視線に気付いたのか、奴はこっそり俺にウインクをして見せた。 そのウインクにどんな意味があるのかは知らないが、これだけははっきり言える。 気持ち悪いぞ田中。 ★ ★ ★ 「え〜、場を盛り下げて申し訳ありませんが、俺が続けて王様をやらしてもらいます。まず、2番は王様ともう1件付き合う事。行き先は英都の学生御用達のドラゴン倶楽部です。女性だったら俺が奢りますけど、男性だったら俺に奢って下さいね。次に5番と8番、会計が終わって店員さんに『ありがとうございました』て言われたら、声を揃えて、しかも大きな声で『どういたしまして〜』とお返事して下さいね。なぁに、返事としては決して間違っていませんから恥ずかしくなんかあらしません。そして、3番は6番をどんなに反対方向でも絶対に送って帰って下さい。公共交通機関を利用する方の場合は駅まででいいです。最後に4番と7番、最後ですから場を盛り上げて呑み会を終わらす為にも、皆さんの前でキスシーンをご披露して頂こうかと思います。おでこやほっぺは問題外、唇にぶちゅーっと行ってもらいます。一瞬やとつまらんので、みんなで5カウントするまでそのままでおって下さい。ってな感じで指令が出たところで、みなさん手持ちのカードを示して下さい」──怪しい、怪しすぎる。 最初から自分が王様になることが解っていたとしか思えない、田中の流暢な話しぶりに、俺は自分が持っているカードが何番なのかということなど、すっかり忘れて、ジト目で彼を見つめていた。 「有栖川、何ぼーっとしとんねん。カード見せ」 その田中にせっつかれ、俺は自分のカードを裏返した。 俺の持っているカードはスペードの4。だが、田中のしゃべりがあまりにも流暢だったせいで、自分がなにをすればいいのか解らない。 4番は何をするんやったんやっけ、と田中の台詞を反芻しかけたところで、皆の視線が自分に集まっていることに気付いた。 これは──もしかしなくとも、場を盛り上げる為の役目が俺に当たっとるいうことなのか? なら、相手は? キョロキョロと辺りを見回すと、苦々しげな火村の表情にぶち当たった。 ──まさか…… と思ったところで、田中がそれがまさかではなく事実であると教えてくれる。 「有栖川、良かったな。これなら女の友情にヒビ入れんで済むで。みんな後が詰まっとるんやから、さっさと始め」 「なっ──」 なにを勝手なことを抜かしとんねんっ! と叫びたいのに言葉が出ない。 頭の中で色々なことが渦巻きすぎている。 キスなんか人前でするもんやないだとか、何でよりによって他の誰でもない火村なんやとか、だからといって鈴木や田中とキスするのは絶対嫌やとか、ならば女だったらいいのかといえばそれはそれであまり気乗りがしないやとか、火村が他の誰かにキスするのも見たくないだとか、ここであんまりゴネるのも大人げないとか、火村に本気で嫌がられたらそれはそれでなんか悔しいやとか── あぁ、頭の中が爆発する── 俺が本気で頭を抱えようと思った時やった。 「こんなどうでもいいことで、そんなに真剣に悩むなよ」 呆れた口調でも、その美しさを損なわない声で告げた後、火村は俺の唇に自分のそれを重ねてきた。 それは、多分── 一生の内で一番長くて短い5秒間── ★ ★ ★ 「借りは返したからな」なんとかというショートカットの女と連れだって次の店へと向かう田中が、すれ違いざま俺の耳元で囁いた。 よく言うぜ、と、その言葉を無視して先を行くアリスを追いかけかけた俺だが、その途中で気が変わった。 足を止めて、ジャケットのポケットから手つかずの煙草を取りだし、田中の背中に声を掛ける。 何や? と振り返った田中に向かって俺は煙草を放った。 「釣りだ。とっとけ」 「? ああ、サンキュー。貰っとくわ」 片手を上げる田中に俺も応じて、今度こそ踵を返す。 アリスに追い付くまで、あと推定5秒。 それは、きっと── 人生の中で一番不安で幸福な5秒間── FIN _
ここにきて、何故かアリスの一人称が『俺』になっていたり。 |