10.祭の後

『ああ、俺、疲れてると時々寝言を言うらしいな。昨日は寝不足だったし。しかし、夢の中のお前、酷かったぜ。人参が食べられないって言っただけで、全ての料理を片付けちゃうんだからな」
 ホテルに泊まった次の日、観光をしながら疑問を投げかけた弘樹に、智史は前述の解答を示した。
 これに対して、弘樹はかなりの胡散臭さを感じていた。あんな寝入りばなに見た夢の内容を、こんなにはっきりと覚えているものだろうか。しかし、そんなことはありえないとも言い切れない。
 結局、この件はうやむやにされたまま、帰宅後、智史は仕事部屋にこもった。もちろん、鬼のような生徒会長に依頼された作詞をするためである。
 気が向いた時にだけリビングに顔を出し、適当に食事をとる智史に、弘樹はあえて進行状況を尋ねることはしなかった。原稿をやっている時と同様、煮詰まっている様子が顔に出ていたからである。
 そして──締切当日の昼。
「あがった」
 やつれた様子で、一言だけ言って、智史は部屋を後にした。

☆   ☆   ☆

「智史、確かにアレ、悪くはなかったけど、私信に使うのはやめてくれない。涼が気に入っちゃったから、僕が口をはさむ余地はなかったけど、涼が歌うにしては芸風が違うよ」
「コメディアンじゃないんだから、芸風って言い方は違いませんか。涼なら、どんなのだって歌いこなせますよ。あなたが認めている人物でしょう」
「そうやって、人をおだてて話を変えるんだから。まあ、今回は僕も眼をつぶるよ。君、頑張ったしね」
「次回なんてありませんよ」
 涼の高校の学校祭当日。彼のステージを見に行こうと出掛ける途中、智史と弘樹は寮の廊下で風折とばったり出会った。
 彼も目的はふたりと同じらしく、成り行きで一緒に歩きながら、冒頭の会話が成立した。
「もったいないと思うけど、実際」
「やめましょうよ、この話題。弘樹がついてこれないでしょう」
「ふーん、触れられたくない話題か。まっ、いいさ、幸運を祈る。僕は先に行くよ」
 寮の敷地を出て、待たせてあったらしいタクシーに乗り込んだ生徒会長を確認した後、弘樹が独り言のように言う。
「何だったんだ。あの人は……」
「いつものことだろう、遅れるぞ」
 さり気なくその話題を流した後、促すように智史は弘樹の肩を叩き、少し急ぎ足で歩き出した。

☆   ☆   ☆

 これがラストで新曲だ、と、涼がステージ上で発言した途端、周りの女の子から黄色い声があがる。
 更に作詞は神崎智美だと知らされると、途端にそれはざわめきへと変化した。
 一介のアマチュアバンドに、少女小説家とはいえ、一部の世代には名の通っている作家が、歌詞を書いてくれたのは何故かという疑問と、神崎智美がどんな詞を書いたのかという興味が交錯したざわめきである。
「お前もなかなか有名人じゃないか」
「この世代に名前も知られてなかったら、少女小説家としての存在意義がないじゃないか」
「それもそうか。しかし、涼のバンドの演奏は初めて聴いたが、人気があるだけあるな。素人にしちゃ結構うまい」
「涼の容姿も、人気の要因ではあるがな」
「ドラムの奴も結構人気があるみたいだが」
「ああ、あいつは涼のクラスメートだ。人柄の良さが人気らしい」
「確かにそんな感じだな」
 そんな、ざわめきの中で、智史と弘樹のふたりは周りの緊張感とはかけ離れた、のほほんとした会話を交わしていた。
「弘樹、始まるぞ」
「ああ」
「弘樹──」
 呼びかけられ、弘樹はとっさに智史を見る。しかし、彼の視線は依然として前を向いたままだ。
「よく聞いてくれ。この歌詞を書いたのは俺だから」
「……解った」
 智史の意志を明確には理解できてはいなかったが、弘樹はその低く発せられた言葉に頷いた。
 リードギターがひときわ高く鳴った後、涼の歌声が辺りに響き渡る。
 それを中ほどまで聞いた時、弘樹の眼が大きく見開かれた。
 これは──

☆   ☆   ☆

「信じられない奴らだよ。俺、吐きそうだ」
「調子に乗って呑むからだ、ばか」
「だって、ただ酒だぜ。あそこで呑まなきゃ、俺は一生後悔する」
「みみっちいな」
「そういうお前だって、俺と同じくらい呑んでるくせに。ざるっ」
 涼のバンドの打ち上げで、すべて風折さんのおごりで、しこたま飲み食いした後の帰り道における、智史と弘樹の会話である。
 両者ともまだ足取りはしっかりしているものの、会話の内容は酔っぱらいそのものである。
「随分な言い様だな智史」
「ざるにざると言って、何が悪い」
「そういう風にはっきり言えばいいじゃないか」
「だから言ってるだろう。これ以上何をはっきり言えと言うんだ。酔っぱらい」
「小細工するな、と言ってるんだ。しかも、あんなものに感動してしまった自分が情けない」
「小細工できなきゃ、小説家なんてやってられないよ。で、俺がどんな小細工したって言うんだ?」
「本気で聞いてるのか? とぼけてるんじゃなくて」
「俺は割と本気なつもりなんだが。心当たりがありすぎて、どれの話か見えていない」
「最も重要なものであることを願いたいな」
「小細工にランクなんてあるかよ」
「そうか。じゃあ、わたしがこう言ったらどうする? 幸いしっかり者の妹も居ることだし、大学を卒業した後も、ずっとお前の傍に居たい、って」
「! なにっ、その話だったのか。悪い、大ボケだった。しかも酔ってるな。そうか、小細工だよな。俺、卑怯だった?」
「否、いいきっかけだった。それこそ、一歩前に踏み出すな」
 言いながら、弘樹は智史の肩を抱き、辺りに人影がないのを確認して、素早く唇をかすめ取った。
 彼らにとって、目撃者のいない、初めてのキス。
 そして──
 ──ねがいは、叶う。


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