9.地方都市での夜
「いったい何しに来たんだ、わたしたちは」 「観光なんてしてる体力的余裕がないよな。帰る?」 駅までの道のりをたらたらと歩きながら、彼らは自分たちのこれからの行動を相談していた。 「せっかくここまで来て、トンボ帰りも虚しいな。……智史、風折さんから頼まれているアレ、何とかなりそうなのか?」 「さあ。何せ、やったことないからね。まあ、2日もあれば何とかなるんじゃないの。それに風折さんのことだ、安全策として、プロ、しかも有名どころにも頼んであるよ、きっと。俺ので用が足りるようなら、新人歌手にでも流用する契約でね」 「そんな話をOKするプロがこの世にいるのか?」 「だから、俺も一応プロだって。作詞のじゃないけど。まあ、風折コンツェルンの依頼を断れる人間の方が、この世に居る訳ないと思うけどね」 「風折さんの家って、わたしが聞いたことがあるくらいだから、すごいとは思っていたが、そんなにすごいのか?」 「芸能界だけじゃなく、どの業界でも、風折コンツェルンの力が及ばない業界は日本にはない」 「だったら、なんで風折さんは全寮制の和泉澤なんかにいるんだ? そんな処の跡継ぎだったら、適当な私立にでも行って、帝王学の家庭教師でもつけているのが相場じゃないのか」 「充分勉強はしてるだろう。和泉澤の経営を実際に行っているのは風折さんだ。つまり、和泉澤の経営は歴代の生徒会長が行うことが伝統なんだ。だから、経営のノウハウの実践フィールドとして、表向きとは別の意味で財閥関係に特に有名なんだ。確か、財閥のトップに立っている人間でうちの出身って奴は結構いるはずだぜ。ただ、財閥のお坊ちゃんだからといって生徒会長になれるかというと話は別。学長の承認がないと立候補すらできない。……悪い、話がそれてるな。何の話だっけ?」 「いや、時間に余裕があるなら、今夜はこっちに泊まって、明日の午前中から観光するのもいいかな、と思っただけだ」 「のった! 現金はあるよな。俺、2万ぐらいしか持ってないけどお前は?」 「現金は1万2千くらいだが、カードを持ってる」 「じゃあ問題ないな。さっさと寝に行くぞ」 「……」 寝にいくのは確かだが、他にもっと言いようがないのだろうか、などと考えていた弘樹には発するべき言葉が見つからなかった。 「おい、弘樹、何してるんだ。駅前にホテルがあっただろう、急ぐぞ」 「ハイハイ」 智史に急かされ、弘樹はかなり先に行ってしまっている、その背中を慌てて追いかけた。 ☆ ☆ ☆ 「すいません、306ですけど、コーヒーふたつお願いします」タオルでガシガシ髪を拭きながら、智史は受話器を置いた。 「お前は、寝る前にどーしてもコーヒーを飲まなけりゃならない義務でもあるのか?」 「なに言ってるんだ、寝る前にコーヒーを飲むのは俺の権利だ」 権利と義務が気の毒になるくらい、いい加減な使用のされかたで、ふたりの会話は成立していた。 「それにしても、この時期によく飛び込みで部屋がとれたな」 「まだ夏休み前だからな。しかし、お前、ホテルが取れると思ってなくて、よく一泊しようだなんて提案したな。もし、部屋が取れなかったら、俺の気力は寮にに帰るまで持たな……おい、お前の携帯鳴ってるぞ」 「えっ、前田さんかな」 「それ以外に考えられないだろ。大方、偽物の住所でも解ったんだろうよ」 智史の言葉に、そうだなと呟きつつ、弘樹は鞄の中から携帯を取りだした 「智史……違う」 「違う? 何がだ。さっさと電話に出ろよ」 「だから、それが違う。鳴っているのは私の携帯じゃないんだ」 「はあ? じゃ、何だよ。まさか、目覚ましのアラームか? こんな低音じゃ目が覚めないぞ」 ふたりはきょろきょろと音源を捜した。 「智史、わたしにはこの音、お前の鞄から聞こえるような気がするぞ」 智史の鞄を差し出しつつ、弘樹が言う。 「まさか。俺の鞄にこんな音出す物なんか入ってない筈だぞ」 言いつつも、智史は自分の鞄を探る。 「何だ、これ?」 「ピッチに見えるな。その、紐の先につながっている紙はなんだ」 「えっ、ああこれか。……風折さんだよ、おい」 その短冊の様な紙には、生徒会長の達筆な字で『出掛ける時は行き先を明確にすること。これは君へのプレゼント(ハートマーク)』と書いてあった。 「あの人は全く……。はい、神岡です」 『いつまで待たせるの? 何回コールしたと思ってるの。コール3回以上待たせたら、お待たせしました、と言ってから出るのが常識だろう』 「一般家庭でそんな電話の出かたをしたら、相手の方がびっくりしますよ」 『言い訳は結構。それより君、今何処に居るの?』 智史は、風折の問いかけに、今自分がいる地方都市とホテルの名前を告げた。 『そっちで一泊して帰る? 智史、君、随分余裕があるみたいだね。仕事はちゃんとしてるの』 「ハイハイ、ちゃんとやりますってば。それより、何の用ですか」 『ハイは1回でいいの。何、その口のきき方は。君の心配事が解決したから一刻も早く知らせてあげようと思って電話してるのに』 「心配事? 俺の?」 『そう、例のハッカー、見つかったよ』 「ええっ! まさか、野崎が見つけたんですか?」 『野崎にそんな暇と甲斐性が有るわけないだろう。あいつはぶっとんだデータの入力で手一杯だよ』 「じゃあ、誰が。まさか風折さんですか?」 『なんで、まさかなのさ。僕が本気になって、犯人の1人や2人捜せないと思ってるの』 否、犯人は1人でしょう。という智史のツッコミは一生日の目をみることはなかった。 「いえ、大変お忙しい生徒会長様が、野崎ごときの為に時間をさくとは思えなかったものですから」 『まあ、その件に関しては当たってるね』 「で、誰なんですか? その優秀な探偵は」 『なーんと、例の野崎の彼女、吉住千秋ちゃん。あの時間、野崎と千秋ちゃんがオンラインで逢い引きしている事を知っているのはごく少数に限られるそうだ。その中でこんなことをしでかしそうなのは、ウィルスマニアの部員だそうだ。何でも彼女は自分で作ったウィルスの実験をしたくて和泉澤の回線に侵入したらしい。すぐさま初期化しないでウィルスが繁殖するのを待っていれば、天野○孝ばりの麗しいグラフィックが、華麗に舞う様が見られたらしいね』 「それは見てみたかった気もしますね。で、その人物はどうするおつもりなんですか」 『まあ、基本的に悪いのは野崎だからね。あまり本格的にいじめる気はないけど、附属の短大には進学できない様に画策ぐらいはさせてもらうよ。自分の罪はちゃんと償わなけりゃ、彼女の人生に良くないからね』 「そんなもんですかね。じゃあ、野崎は?」 『試験休みをまるまる潰してのデータ入力で償ってもらうよ。これに懲りれば二度と同じ間違いはしないだろう』 「まあ、そうでしょうね」 『取りあえず、君への用件は終わり。弘樹に替わって』 「弘樹、お前に替われって」 智史が弘樹にPHSを渡した時、タイミング良くチャイムが鳴る。ルームサービスだと判断した智史はそれを受け取りにドアに向かった。 弘樹が生徒会長と何を話しているかなど全く知らずに…… ☆ ☆ ☆ 1時間後、弘樹は規則的に呼吸する智史の寝顔を何とも言えない表情で見つめていた。『チャンスだよ弘樹、自分の気持ちをハッキリ行動に示す。僕が保証するよ、智史も君が好きだって』 なーんて、保証されても実際に行動に出るのは弘樹なのである。 無責任なことをけしかけないで欲しいと思う。 しかも、この状況をチャンスと呼ぶなら、智史と同居している弘樹にとっては、毎日がチャンスの大安売りということになるのではないだろうか。 それとも、環境が違えばテンションが上がって、雰囲気に流されがちになるとでもいうのか。そんなんじゃ、修学旅行カップルと同じ末路をたどるに決まっているではないか。 中学生の頃、弘樹はその修学旅行で手痛いめに遭っていた。当時の彼女──中学生らしく、ほほえましい交際内容だったが──が修学旅行というイベントをさかいに、自分の親友へと心を移した。 一番信用していた彼女と親友に裏切られたのも辛かったが、好きなものは仕様がないと、やっと自分の心に折り合いをつけた矢先に、彼らは別れた。 友人を裏切ってまで手に入れた彼女と、そんなに簡単に別れてしまえる、親友だったクラスメイトにも失望したが、弘樹とよりを戻したいと言ってきた彼女にはもっと失望した。 そして、弘樹は決めた。 誰も、本気で信用などしない──と。 軽やかな人付き合いとは対照的に、他人行儀な一人称代名詞は弘樹の鎧。 しかし── 「弘樹っ、待て! 行かないでくれっ!」 弘樹の思考が結論に向かおうとしていた、その時、急に発せられた智史の台詞に、彼はビクッと肩を震わせた。 見る限り、智史はまだ眠っている様子で、従ってこれは寝言ということになるのだろう。が、智史は普段寝言を言うことなど無いし、また、どんな夢を見ているのかも皆目見当がつかない。 弘樹が智史の制止を振り切って、何処に行くというのだろう。 「智史、俺はここだ。何処にも行かない」 寝言に話しかけるのは良くないと承知の上で、弘樹の口から言葉が漏れ、ふとんの上に出ていた智史の手が握られる。 「弘樹、頼む。俺が悪かった。もう我侭は言わないから、行かないでくれ。ああっ、弘樹っ……」 「智史?」 「人参も、ちゃんと食べるからぁ〜」 ガクっと、弘樹の頭が落ちる。 「小学生じゃあるまいし、変な夢見るな!」 腹立ちまぎれに叫んで、弘樹は自分のベッドに入る。 いらいらして、暫くは眠れないかと思ったが、昨夜からの疲れがたたってか、弘樹は間もなく眠りに落ちた。 しかし、弘樹は気付いていなかった。 智史が自分の声で途中から眼を覚ましていて、台詞に細工をしたことを。 智史は以前、弘樹が大学を卒業したら実家に帰り、家業を継ぐ約束をしていることを聞かされていた。今朝言ったとおり、自分は身軽であるが、弘樹は違う。 この事実を改めて思い出した為に、智史はこんな夢を見てしまったのだろうか。 先程、彼の見ていた夢は、弘樹が自分の元から立ち去ってしまうものであった。あんなに懇願したのにも関わらず。 懇願── その単語に智史の思考が止まる。 そんな行動をとらなければならないほど、弘樹の存在は自分にとって重要なのだろうか。 自分自身にそんな疑問を投げかけながらも、智史は気付いていた。自分と居る時だけ、ごくまれに弘樹の一人称代名詞が『俺』になることに。 再び睡魔に襲われる前にと、智史は精一杯考える。 ──これは、智史にだけは気を許している証拠だと思ってしまっていいのだろうか? それとも……。 否、それでも、たとえ見切り発車でも、スタートしなければならない 先刻の悪夢を正夢にはしたくないから── |