DESTINY3 (1)



 本日、神岡智史(かみおか・さとし)は機嫌が悪かった。
 そりゃあもう、1杯1,200円という普段は絶対に手が出ないコーヒー専門店のブルーマウンテンの味をじっくり味わう余裕もない程に。
 というか、機嫌が悪くてあたりまえだと智史は思う。
 この状況でご機嫌だったら、そんな奴は絶対に変態だ。
 隣に座るルームメイトの伊達弘樹(だて・こうき)と向かいに座る、担当編集者の前田がものすご〜くご機嫌な様子なのも忌々しくて仕方ない。
 にやけた顔というのは、今、この瞬間の弘樹の顔を形容するために作られた言葉だと智史は確信する。
 ──そんな顔してたら、百年どころか千年の恋も醒めるっつーのっ!
 そんな相手を、それでも絶対嫌いになれない自分のていたらくぶりに大っぴらにため息をつきつつも、智史は腹立ちまぎれに24.5センチのミュールの踵で、思いっきり弘樹の足を踏みつけた。

☆   ☆   ☆

 神岡智史は和泉澤学園附属高等学校という全寮制の名門校に通う、あんまり普通ではない男子高校生である。
 何をもって普通の高校生と定義づけるのかは、非常に難しいところではあるが、智史の場合やっぱり普通ではないのだ。
 まず、彼はべらぼうにIQが高い。そして、高い割には結構間抜けである。
 更に、彼は神崎智美というペンネームで執筆活動をしているプロの少女小説家である。しかも、ちょっとした出来心みたいなもので小説家になってしまった、心底小説家を目指している者にとってはなんとも憎たらしい奴である。
 そして、ついこの間、下手すりゃものすごく退かれてしまう手段で彼がゲットした恋人は男なのだ。
 まあ、このどれか1つというならば、そんな高校生はどこかしらに居るだろう。
 しかし、これが三点セットとなってしまうと、どう頑張っても普通の男子高校生とは言い難い。
 加えて、そのルームメイトであり恋人でもある伊達弘樹が、彼の小説にイラストを入れているイラストレータだなんて状況は、現実にあっていいことだとは思えない。
 結果──全体的に普通じゃない。だけど、本人的にはいたって普通なつもり。
 神岡智史はそんな高校生なのである。
 そして、本日。智史がご機嫌斜めな原因は、全てがこの普通じゃなさに起因する。
 本人としてはその原因は、自分をいつもいつもやっがいごとに巻き込む先輩のせいだと思っているが、そもそも智史が作家でなければ、こんなことにはならなかったのだ。
 地味に智史が作家になった理由には、その先輩が色濃く関わっていたりするのだが、それだって智史が和泉澤に合格しなければ始まらない……
 こんなことを言い始めるとキリがないので、この際、責任の所在は置いておくことにして、ここ1月の間に彼の身に起こった事実を、本件に関係のあるところだけピックアップしてみよう。
 夏休みが間近に迫ったとある日。彼は件(くだん)の先輩にやっかいな仕事を押しつけられた。
 その先輩というのは智史の通う学園の生徒会長で、名を風折迅樹(かざおり・としき)という。
 地獄耳の彼に聞こえると30光年彼方からでもとんできて、鈍器で後頭部をどつかれてしまうから、聞こえない程度の小声で囁く。以下、日本昔話風に。
 ち〜とも昔ではない、現代の日本に、風折さんが大好きで大好きで大好きで仕方ない、西沢涼という名前のバンド少年がおりました。
 その涼くん率いるバンドが、学校祭のステージで2〜3曲演奏することになったとさ。
 そこで、新曲を発表したかった涼くん達なのじゃが、バンドの作詞担当の涼くんが追試を5つも抱えておって、作詞が間に合わなくなってしまったんだと。
 幸い曲の方はできておったので、風折さんは神岡智史こと神崎智美に、こうおっしゃったとさ。
『涼の代わりに君が作詞しなさい』
 言われた智史は大層困ってしまったそうな。
 それというのも、智史は作詞なんぞしたことがない上に、他に面倒な仕事を抱えておったからじゃ。
 いい加減飽きてきたので普通の文章に戻す。
 無駄な抵抗をしたあげく、結局は作詞を押しつけられてしまった智史は、秘かに心惹かれていた弘樹への想いを歌詞にした。
 涼によって高らかに歌われたその歌詞を、弘樹はきちんと受け止めてくれて、めでたくふたりは恋人同士となった訳だが、昔話と違い、めでたしめでたしで話が終わらないのが現実というやつだ。
 そのステージをきっかけに、涼が実力派ギタリストに彼の相棒としてスカウトされたのは別にいい。
 良くないのは、涼が口を滑らせたせいで、智史の担当編集者づたいに作詞の依頼がきたことだ。
 風折に無理矢理押しつけられたから仕方なく作詞したのであって、智史は今後も作詞をするつもりなどは、まったくない。
 絶対にお断りだと担当編集者である前田に頼み、依頼をしてきた女プロデューサーにその旨伝えてもらったのだが、その相手が一筋縄ではいかなかった。
 前田曰わく、彼女と学生時代から確執のあるそのプロデューサーは、絶対に神崎智美の正体を突き止めてやるといきまいていたのだそうだ。
 体裁の悪さを第一の理由に、プロフィールを一切開かしていない智史に向かって、前田は下手に嗅ぎ回られるよりはいいでしょ♪ と恐ろしい提案をしてみせた。
 智史に女装してそのプロデューサーに会えというのだ。
 5万歩くらい譲って、その提案はまだ良しとしよう。
 だが、弘樹を自分の旦那として一緒に連れてくる意味が解らないし、その提案にほいほいと乗っかっる弘樹はもっと解らない。
 もっとも、智史だって黙って言われるがままになっていた訳ではない。
 見た目はともかく声は誤魔化せないだとか、男子の17歳での婚姻は日本の法律で許されてはいない筈だと、必死の抵抗を試みはしたのだ。
 が、その意見は、とある声優みたいな声だから大丈夫だとか、弘樹は妙に落ち着きがあるから20歳前には見えないから平気だとか言われて却下されてしまったのだ。
 斯くして、本日の智史は、思う存分惰眠を貪ることの夏休み中なのにも関わらず、朝もこっぱやくから担当編集者のマンションへとふたりがかりで拉致られて、顔やら爪やらに色々なものを塗ったくられたあげくに、のど仏を隠すための黒タートルネック(でもノースリーブ)とミニスカートを身につけさせられ、更には胸もでかいが足もでかい前田のミュールを履かされ、都内の喫茶店まで連れ出されているのだ。
 そりゃあ、ご機嫌も傾くというものである。

☆   ☆   ☆

「智史、足が痛いんだが」
「痛くなるように踏んだんだから当たり前だ」
 弘樹が、痛ぇ〜っと叫ばなかったことに、大いに不満を抱きながら、智史は彼の足の上から自分の足を下ろした。
 落ち着きがあるのは悪いことではないが、こんな時まで落ち着いていられる奴は確実に変な奴だ。
 この有様では、強盗にナイフで腹を刺されたって、その強盗に向かって『君、腹が痛いんだが』とか言いかねない。
 足を踏まれた弘樹は全く動じなかったが、それとは対照的に前田は彼の発言に慌てていた。
「ちょっと伊達くん、智史は勘弁して。お願いだから智美かそれが嫌なら神崎って呼んでくれなきゃ」
「失礼しました。足が痛くてそれどころじゃなかったもんで」
 それどころじゃなかった割にはリアクションなかったじゃないかと智史は思う。が、悔しいので口には出さない。
「気を付けてよ。かみ…じゃなかった神崎さんも、言葉遣い気を付けてね」
 弘樹の言葉を受けての前田の発言に、智史は気を付けるのはあんただよという感想を抱いた。別にこれは悔しくないので言ってやる。
「平気ですよ。別段女言葉を話さなくても、丁寧語で問題ないでしょう。それよりも、前田さんこそ、お願いですから私のことを神岡くんとは呼ばないで下さいね」
「えぇ、えぇ、気を付けますとも」
 憎ったらしいガキねぇという表情を隠そうともせずに、前田は感じの悪い返答を寄こす。
 まあ、感じが悪いのはお互い様だろうが。
「前田さん」
「何よっ」
 弘樹の呼びかけに前田は今度はお前かと、キッと視線を飛ばす。
「アレ、わたし達の待ち人じゃありませんか?」
 言われて振り向いた前田が、肯定の返事をしたのを聞いて、智史はゆっくりと深呼吸をする。
 ものすごく不本意ではあるが、やるからにはそれを完璧にこなすのが智史の主義だ。
 相手が誰だって騙してやるさと、智史は前田の姿を見つけてこちらに歩いてくるショートカットの女性に向かって、挑戦的な笑みを浮かべた。

☆   ☆   ☆

「じゃあ、早速本題に入らせて頂きます」
 オーダーしたコーヒーが届くのを待って、工藤ゆかりという名のプロデューサーは話を切りだした。
 前田が智史と弘樹のことを、神崎智美さんとその旦那さんの綾瀬(弘樹のペンネーム)さんと紹介した時、工藤は一瞬目を見開いたものの、巧みに動揺を押し隠した。
 そんな工藤を、大したもんだと智史は思う。
 しかし、感心してばかりはいられない。
「その必要はありません。どんな話を聞かされても私の返事は『お断りします』に決まっていますから」
 まずは、涼が関わるユニットのコンセプトを説明しようとでも思ったのだろうか。鞄の中から資料を取り出す工藤を智史は制した。
「それはどういうことでしょう。交渉の余地があるから、ここにいらっしゃって下さったのでは?」
 そんな訳がないと解っているくせに、工藤は目をしばたかせてとぼけてみせた。
 面と向かってしまえば、高校生ごときを丸め込むのは訳がないとでも思っているのだろう。
 しかし、今彼女が相手にしているのは、同じ高校生でも西沢涼ではなくて神岡智史なのだ。
 懇意にしている相手ならば、なし崩しに丸め込まれてやることもある(今回の女装みたいに)智史だが、相手を完全に敵だと認識している場合、彼の口はとてつもなく達者になる。
「いいえ、違います。ここには、交渉の余地はありませんとはっきり申し上げるために来たんです。人を介してお断りしても諦めて貰えないことが前回で解りましたから」
「私としては、前回お断りされたのは、間に人を挟んでいてこちらの意図が完全に伝わっていないからだと判断しております」
「そちらの意図は全く関係ありません。言った筈です。交渉の余地はないと。工藤さんがなさりたいであろう説明を聞くことは既に交渉です。ですから、聞くことはできません」
「子供のお使いじゃないんですから、私としても、はいそうですかと引き下がることは、ちょっと出来かねます。納得いく理由をお聞かせ願えますか」
 数回の会話のやりとりで、相手が手強いことを察知した工藤は、交渉の方法を変えることにした。
 相手がこの仕事を断る理由というのを、ことごとく潰してやる方法に。
「ええ、いいですよ」
 そんな工藤の意図などお見通しと言わんばかりに、智史はにっこりと微笑んで見せた。
「今現在、連載を3本も抱えていて忙しいとか、彼が私が忙しいのをあまり快く思ってはいないとか、そろそろ仕事をセーブして受験勉強を始めたいだとか、色々理由はありますけど、まあ、これはおまけです。はっきり言って私に作詞はできません」
「えっ? だって、西沢くんの……」
「それが違うんです。西沢くんのバンドは彼の歌声と、書く歌詞の良さが最も評価されているバンドです。あの時、西沢くんはどうしても作詞ができる状況ではありませんでした。だからと言って、適当に他の誰かが作詞したんじゃ周りががっかりする。彼と私の共通の友人の提案で、彼とファン層がシンクロしている私が名前を貸すことになりました」
「それじゃ、名義貸し……」
「そんな、犯罪に関わりあるみたいな言い方はやめて下さいよ。自分で言うのもなんですが、私のネームヴァリューを利用だけです。ここまで話したからには全部お話ししますが、当の西沢くんでさえ知らないことですから、絶対に他言はしないで下さいね。あの歌詞はありとあらゆる業界にコネのある、その共通の友人が絶対に名前を出さないと言う約束でプロに頼んで書いてもらったものです。お解り頂けましたか」
 智史の問いかけに工藤は眉を寄せた。
 お解り頂くもなにも、作詞をしたのが目の前の少女小説家でないのだとしたら、はっきり言って用はない。
 たとえ、工藤が個人的にその小説家の大ファンだったとしても。
「その作詞家の名前を教えて頂く訳には……いかないんでしょうね」
「ええ、無理です。それに、その作詞家は40代ですよ。多分、工藤さんの意図するところとは違っていると思うんですけど、違いますか?」
「……違いませんね。いやぁ〜、まいったわ。高校生にそこまで読まれてるとは思わなかった。前田、こんな切れ味のいい子と付き合ってて、よく神経すりきれないわね」
 最後の最後まで粘って食い下がりはするものの、それでも駄目だと判断した時の工藤の切り替えは早い。
 交渉相手に見せるつもりだった資料の束を鞄にしまいながら、なんとも妙な表情を浮かべて隣に座っている前田の肩をバシッと叩く。
「痛いじゃないのよ! まったく、あんたに関わる方がよっぽどあたしの神経すり切れるってもんよ! ほんとっーに、後生だから、あんたとの腐れ縁は今回で勘弁して欲しいわよっ」
「はは〜んだ。それはこっちの台詞よ。ほら、さっさと伝票寄こしなさいよ。神崎さんが駄目なら、こんなところでぐずぐずしてる暇なんかあたしにはないんだからね」
「あたしだって、かみ…神崎さんだって暇じゃないわよっ! ほら、さっさと帰れ」
 いきなり目の前で始まった大人げないふたりの喧嘩に、智史と弘樹は目を丸くするばかりだ。
 ましてや、物静かさを売りにしている、このコーヒー専門店では目立ってしょうがない。
 工藤が前田に手渡された伝票を掴んで退席した時、智史と弘樹はようやく恥ずかしさから解放されると、揃って安堵のため息を漏らした。
 しかし、安堵したのも束の間、支払いを終えた工藤が何故か席へと戻ってくる。
 まだやるかと身構える前田を無視して、工藤は智史に向かって、サインペンと共に先日発売された神崎智美の文庫本を差し出した。
「すいません。サインお願いします」
 何で俺に関わる人間は、こんなにキャラの濃い奴ばかりなのだろう……。
 智史は心の中でこっそりとそんなことを思いつつ、本の見返し部分にサラサラとペンを走らせた。
 気の毒だが、それが智史の運命ってヤツなのである。

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