DESTINY3 (2)
本を胸に抱えほくほくした表情で、今度こそ本当に立ち去る工藤の背中を見つめながら、智史は大っぴらにため息をついた。 今回の件は、涼が不用意な発言をしたのが全ての原因だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。 少なくとも、工藤が必要以上にしつこかったのは、単純に彼女が神崎智美に会ってみたかったからだろう。 私、POSH BOYSシリーズの風間会長のファンなんです(ハート)。だなんて、胸の前で両手を組みながら言われたところで智史に語るべきことは何もない。 本人の目についても言い訳が立つ程度にキャラの修正はしてあるが、風間は、智史にやっかいごとを持ち込むことを趣味にしているみたいな例の生徒会長がモデルだからである。 ──ああいう人間が、本当に近くいてみろ。絶対に好きになれるもんか。 と考える智史は、もっとも風折の側にいる涼のことは勘定に入れてはいない。 ──知らないってことは、幸せだよな。 智史はもう一度盛大にため息をつくと、水の入ったグラスに手を伸ばした。 コーヒー専門店だけに、この店は水にもこだわりのあるらしくグラスの中身は水道水ではない。 緊張でのどが渇いていたせいもあるだろうが、その水はそれを差し引いてもうまかった。 売っているものならば、買って帰りたいと思うくらいには。 グラスに残った水を一気飲みして、ひと心地ついた時、智史はようやく、前方と左側から自分につきささる冷たい視線に気付いた。 「なっ、なんだよ」 そんな視線で見られる理由が思い当たらず、声を上擦らせた智史の問いに、まずは弘樹が口を開いた。 「そろそろ受験勉強に専念したいねぇ〜」 高野豆腐もびっくりってなくらいに、弘樹の台詞にはたっぷりと含みがあった。 まず第一に、和泉澤学園は大学までエスカレーター式の学校だ。更に、智史の成績ならば医学部にだって楽勝で進むことができる。 よしんば、別の大学を受験するにしても、智史が合格できない大学なんて、少なくとも日本にはないというのが現実だ。例え、その試験がたった今始まったとしてもだ。 つまり、受験勉強の必要なんてひとっつもないくせにとよくそんな言い訳が思いつくな、と弘樹は言いたいのだ。 まあ、和泉澤に入学するためにかなり無理をした弘樹が、携帯の機種変更でもするように──諸々の事情があったとはいえ──あっさりと学校を変えた智史に嫌味のひとつも言いたくなる気持ちは解る。 だが、事実はどうあれ、高校生が何かを断る理由として、受験勉強が一番納得してもらいやすいのは確かだ。 ──お前だって、そんなことは言われるまでもなく解ってるだろうが。 と、智史が弘樹を睨み付けてやったところで、今度は前田が口を開いた。 「そうそう、忙しいのを彼が快く思っていないとも言ってたわよね。彼って誰よって感じよね」 「少なくともわたしじゃありませんね」 「でしょうね。それにしても、よくもまあ……」 「あんな大嘘を次から次にベラベラと……」 この場をうまく納めた自分に対して、このふたりの言いぐさはどうだろう。 智史は、本日何度目になるか──ついた回数が多すぎて──さっぱり解らないため息を再びつきつつ反論した。 「大嘘じゃない。波風立てずに人生を生きて行く上での些細な嘘だ。細かいこと気にしている奴は大物になれないぜ」 「ほら、言った先からまたそんな減らず口を。わたしはここに宣言するぞ、お前のもっともらしい言い訳なんて、二度と信用しないことを」 今までだって、俺の言い訳なんか聞いてくれたためしは無かったじゃないかと智史は思うが、口にしたら最後、後が恐ろしいことになりそうなので黙っている。 「あたしも同感。あの工藤がなす術もなく言いくるめられてるところなんて見たの初めてよ」 「言いくるめるって…、人をどこかの生徒会長や女編集者みたいに言わないで下さいよ。人聞きの悪い」 「なによそれ、誰のこと言ってるつもりなの?」 「さあ、心当たりがないなら、別にいいです」 「ふ〜ん、そういう態度に出るんだ。じゃあ聞いてやる。前から気になってたんだけど、神岡くん、どんな歌詞書いた訳。どうせ正体バレてないからって、すっごく恥ずかしい歌詞でも書いたんじゃないの? じゃなかったら、既にできあがってる歌詞を使わせない理由がないもんね。しかも、女装までして」 「女装までしてって…」 させたのはあんただろってな感じだが、どうせこれも言うだけ無駄なので智史は再び口を噤んだ。 「なによ、今度はだんまり作戦?」 「だんまり作戦も何も、言うべきことがないだけです」 「それって全部を認めるってこと?」 「どうとでもとって下さい。もうなんでもいいから、俺はこの恰好から解放されたいです。一刻も早く帰りましょう」 智史は前田の返事を待たずに立ちあがった。 女装をしていること自体も嫌だが、それよりもマニキュアを塗られた爪が気持ち悪くて仕方ない。 現在の智史は、爪って呼吸してるんだなとしみじみ実感している状態だ。 「あっ、それ、無理」 「はぁ? なんですか、それ」 予想外の前田の返答に、智史は一旦立った席に座り直した。 「あたし、これから仕事だもん。っていうか、今も仕事中だし」 「男子高校生を無理矢理女装させるのがですか?」 「ばか言わないで、作家の面倒みるのも仕事の内ってこと。そんなことばっかり言ってると、コレ、あげないわよ」 言うと、前田はバックの中からピンク色の液体が入った小瓶と、ウエットティッシュみたいなものを取り出した。 「なんですか、コレ」 「マニキュア落としとメイク落とし。まあ、これ以上高校生いじめるのも何だから、あげるけどね。じゃ、あたしそろそろ会社に行くから。伊達くん、あとはよろしくね」 「わかりました」 だから、どうして俺の周りには……と、智史は先程工藤に対して抱いた感想を、今度は前田に対して感じていた。 というか、全くの他人や仕事上でしか付き合いがない人間のキャラが濃いのはこの際いい。 問題は、今、自分の隣にいる人間である。 「弘樹、てめぇ、何よろしくされてんだよっ!」 ☆ ☆ ☆ 「あっ、俺の服〜っ」「今頃気付いたのか。間抜けだな」 その日の夜。 自宅に帰ってようやく自分の服に着替え、気持ちに余裕のできた智史は、前田宅に忘れてきた自分の服のことを思い出した。 そんな智史の言葉を受けて、弘樹が言ったのが冒頭の台詞だ。 「じゃあ、お前は気付いてたっていうのかよ」 「ああ、因みに前田さんがあのまま仕事に向かうのも知ってたぞ」 「なら、どうしてその時服持って出るように言ってくれなかったんだ」 「愚問だな。その方が楽しいからだ」 「……ああ、お前は楽しかっただろうよ」 前田が出ていった後、智史と弘樹も間もなくその店を後にした。 店を出て、タクシーに乗り込んだ智史が運転手に謝罪しながらまずしたことはマニキュアを落とすことだ。 顔に塗られたファンデーションもベタベタして嫌だし、かかとの高いミュールも足が痛くて嫌だが、何よりも我慢できないのは爪の気持ち悪さだ。 普段やりつけない作業に手間取りながらも、何とか10本全部の爪からマニキュアを落とし終えた時、智史は異変に気付いた。 どう考えても、この車は寮に向かってはいない。 どうやら、智史がマニキュア落としに夢中になっている間に弘樹が勝手に目的地を変更したらしく、最終的にタクシーが着いたのは何故か、千葉にあるけど東京ディズニーランド。 どうしてこうなるんだと詰め寄る智史に、弘樹は顔色も変えずに言ってのけた。 これなら普通のカップルに見えるし、折角だから可愛いお前を他人に見せびらかしたいと。 これが弘樹以外の人間の口から出たものだったら、全身に鳥肌が立つ上に、もしかすると吐き気までもよおしてしまいそうだが、不思議と弘樹というやつは、こういう台詞が似合う男なのである。 彫りの深い顔立ちに、染めている訳でもないのに薄茶な髪、180センチオーバーの身長。あげくに、気障な台詞が冗談にならないときたもんだ。 そんな弘樹に智史は時折、こいつ本当は外人なんじゃねーのかという感想を抱く。 ともかく、来てしまったからにはこのまま帰ったのではタクシー代がもったいないという理由もあったが、結局は惚れた弱みというやつなのだろう。 とうとう智史は、弘樹の要望どおり女装したまま1日を過ごすはめになった上に、最後にはラヴホにまで連れ込まれ、散々恋人を楽しませることになったのだ。 これで、別に楽しくはなかっただなんて言われたら、それこそ、たまったもんじゃない。 そんなこんなで、お空に向かって『神様、明日はいい日でありますように』と願う智史は、ここまでしたにも関わらず、例の作詞絡みで再び恥ずかしい思いをすることになることを、まだ知らなかった── |