DESTINY3 (36)



『百里を行くものは九十をもって半ばとす』
 という諺にもあるとおり、舞台を劇中劇から常磐学園へと移しての最終幕は、白取清花とのアドリブ勝負──風折が仕組んだ質の悪い演出とも言う──のせいで、智史はラストの辻褄があうように、僅か5分──しかも着替えながら──脚本の訂正をしなければならなくなった。
 風間(弘樹の役)のことが好きだった名取綾子(白取清花の役)が、プライベートでも風間と親しい橘(智史の役)を妬んでやったってことで、よろしく〜。
 と、一応もっともらしい設定だけは考え出しておいてはくれたものの、風折がその後始末を全て智史に丸投げしたからだ。
 ──なにかしでかすのなら、最後まで責任とれよっ!
 と悪態を付きつつ、それでも5分で話をまとめ、諸悪の根元である風折と白取清花、更には自分と弘樹の台詞を変更するのみで、未だ、なにが起こったのか解ってはいないだろう他の役者は前の台本通りで舞台が進むようにしたところが、さすが智史。IQの無駄遣いが多いとはいえ、頭の回転速度だけは折り紙付きだ。
 咄嗟に信用できる──すぐに台詞を覚えられるという意味で──人間だけを選り分ける判断力も誉めてやってもいいかもしれない。
 しかしながら、そんな智史には覚えなくてはならないことがひとつある。
 それは、下手になんでもできるから、風折に面倒を押しつけられるということである。
 とはいえ、覚えた所で無駄かもしれない。
 智史は、一見不可能に思えることをやってのけて、後から「俺ってすご〜い」とか自画自賛するのが大好きな、弘樹とは全く別の方向でナルシストな人間だからだ。
 まあ、それはともかく。
 裏側はわったわったの状態だった舞台も、観客席には──ありがたいことにも──そういう印象を与えなかったらしく──どういう意味合いのものかは不明だが──多いに拍手を頂き、更には内容が内容だった割には来賓からクレームをつけられることなく、ようやく無事終了を迎えたのである。

☆   ☆   ☆

「あ〜っ、疲れた〜」
「来年からは確実に業者変更だな」
「風折さんじゃあるまいし、来年のことまで俺が知るか。そんなことより、弘樹、俺に言うことあるだろ」
 智史はソファにだらしなく横たわったまま、意味ありげな視線で脇に立つ弘樹を見上げた。
 ケータリング業者のミスで、合同演劇発表会後のクリスマスパーティに本物のシャンパンが紛れ込み、どえらい迷惑を被った智史は、12月25日の23時近くになって、ようやく自室のソファに沈み込むことが出来た。
 全てのトラブルを自分で対応しようとせずに、他の人間にまかせたならば、こんなに疲れずにすんだのだろうが、元々自分でやった方が早いことはあまり他人にまかせたくないのが智史である。
 この辺りが、人をうまく使える風折と違い智史が統率者に向いていないところなのであるが、それは本人も自覚していて、普段はなるべく他人の仕事に手を出さないように努力──というより我慢──していた。
 だが、今晩の智史は、もたもたしている人間を暖かくどころか冷ややかな目でさえ見守っている余裕がなかった。
 なぜって、ようやっと弘樹とつるんでいられる許可が下りた──そもそも、なんで許可がいるんだなんてことは、この際考えないことにした──今、一刻も早くプライベートタイムへと突入しなくてはならなかったからだ。
 そんなこんなで、和泉澤の生徒会長(=将来有望)の肩書きに群がってくる──実際は、そればかりが理由でないのだが、少なくとも智史はこう思い込んでいる──霞ヶ丘の女生徒を蹴散らしつつ会場を飛び回り、ようやく辿りついた恋人とふたりきりの自室。
 智史じゃなくても、来年のことなど知ったことかという気持ちになるだろう。
 もちろん、それは弘樹も同様──というか智史以上──だったので、いつになくお誘いモード(注:あくまでも弘樹ビジョン)の智史の両足を持ち上げ、自分の膝の上に乗せると、彼と同じソファの上へと収まった。
 そして、やや覆い被さるようにして恋人の頬に左手を伸ばすと、前の学校の女生徒の間で腰がくだけるともっぱら評判だった、だが最近は完全に智史専用になった美声で弘樹は彼の耳元へと囁きを落とす。
「だたいま、智史──」
 会いたかったよ、と甘く続くはずだった囁きの続きは、智史の「おつとめ御苦労様です」という、心情的にはあまりにも的確な応対によって阻まれた。
 けれど、そんなふざけたやりとりも、暫く引き離されていた彼らにとっては、ムードをぶちこわすものではなく、智史は愛おしそうに弘樹の瞳を見つめると、8時間ほど前に自分が拳をくらわせたにそっと手を触れた。
「ごめん──痛かっただろ」
「ああ、あれはかなり効いたな。でも、お陰で浮気をしたらどんな目にあうのか解って良かったよ。あんなことでもなければ、一生経験できなかっただろうからな」
 暗に一生浮気なんてする気がないと告げる弘樹に、智史は嬉しそうに微笑むと、降りてきた口付けを受け止めた。

☆   ☆   ☆


 なぜここで場面転換すると憤る方や、やっぱりなと苦笑を漏らす方もいるだろうが、早まらないでもらいたい。このシーンはカットされたのではなく単に先送りされただけだ。
 そんなことをするぐらいなら、もったいぶらずにさっさと書けよと思われるかもしれないが、ここいら辺りで風折が昨日弘樹の耳に囁いた台詞の内容を記述しておかなければ、このシリーズ、謎を残したまま終わってしまうのである。
 他の話の伏線として残す謎ならともかく、そうじゃないなら、それは大変頂けない。
 ってな訳で、例によって再現フィルムスタートである。


 ひょいひょいと人差し指で風折に呼びつけられた弘樹は、やれやれと彼の口許に耳を寄せた。
 そんな弘樹の耳に落ちてきたのは、風折の「舞台上で本当に智史にキスしてやんな」という、とんでもない台詞だった。
 それを聞かされた時の弘樹の驚きぶりといったら「風折さん? それ、マジで言ってます?」と、普段は使うことのない『マジ』という言葉を使ってしまう程のもので。
 だが、そんな弘樹の驚きをものともせずに、風折は更に声のトーンを落として(まかり間違って話の内容が涼の耳に入って、自分の邪悪さがバレたら困るからというのが、その最大の理由なところがものすごく彼らしい)言葉を続けた。
「もちろん大マジさ。大丈夫、絶対にバレないから。それにさ、好きな相手が自分に恋する瞬間を見られる機会なんて、まず滅多にあるもんじゃないよ。まあ、僕だって恋する瞬間そのものとは言わないけどさ、これだけ引き離された後だ、それにかなり近い智史の顔が見られると思うよ。意地っ張りだけど、智史の奴、あれでいて君のことかなり好きみたいだし。例のチェスの一件で君だって自覚してるだろ。君の為なら智史はかなりとんでもないことやってのけるって。あれはとってもいいヒントだったよ。結局は本気に勝る演技なしってことだよね。だから、今回、智史には白取さんを本気で憎んで貰わなきゃならなかったし、それには、君が彼の近く居ちゃまずかったって訳さ。しかも、僕と白取さんしか知らないことだけど、劇中劇のラストは智史と彼女のアドリブ勝負で締めることになってる。そこで語られる言葉は全て智史の本音さ。そして君は智史の本音に、自分が感じるままに応えてやればいい。そうすれば、舞台は自然と最高の結果になると僕は信じている。いいかい、この僕が信じてるんだ。この意味は解るだろ」
「……ったく、目的はソレですか」
 忌々しげな声を上げながらも、弘樹の表情は先程よりは明るいものへと変化していた。
 経験上風折が口にすることは真実になるということを知っていたし、それでなくとも他人からここまでその絆を信頼されている自分たちの関係が誇らしく思えたからだ。
 だから、既にストレスで荒れてしまっている胃壁が発する痛みに変化はなかったけれど、「まあ、目的はともかく、どう? 胃の痛み、少しは収まったんじゃない?」という風折の問いかけに、「我ながら情けないとは思いますが、おっしゃるとおりですね」と弘樹は応えた。

☆   ☆   ☆


「んっ──」
 最初は触れるだけだったキスが、徐々に深いものへと変化し、智史の鼻から甘い声が漏れる。
 たまには場所と気分を変えて──だなんて思う程、身体を重ねた回数は多くなかったので、彼らが煌々と明かりのついたリビングのソファで行為に及ぼうとするのは、今回が初めてのことだ。
 普段だったら、電気を消せとかここじゃ嫌だとか、イチイチ面倒な注文をつけてくる智史も、今日ばかりは僅かな時間も無駄にしたくはないらしく、弘樹にされるがままに制服のYシャツはだけさせ、その肌を蛍光灯の下にその肌を曝している。
「あ──」
 胸の突起に軽く歯を立てられて声を漏らした恋人に再びキスを落とすために、その役目を右手に譲った弘樹の唇が智史のそれに近づいた時、彼は同じ場所に本日三度目の衝撃を受けることとなった。
 なにを思ったのか、智史が突然その身をガバッと起こしたからだ。
「アタッ──智史! なんのつもりだっ!」
 思わず声を荒げる弘樹に対する智史の反応は、謝罪ではなく詰問で。
「弘樹っ! お前、風折さんからこの部屋の鍵、ちゃんと取り返したのかっ!」
 智史のあまりの剣幕に、弘樹は自分が怒っていたことも忘れて首を傾げた。
 思えば、帰ってきた時智史が鍵を開けたので、気にもとめなかったが、確かに鍵はまだ返して貰っていない。
「そうえいえば、まだ返してもらってないな──しかし、それがどうかしたのか?」
「どうもこうもあるかっ!」
 大声で叫ぶと、智史は弘樹を押しのけ、はだけた制服もそのままに、ヅカヅカとリビングを横切って玄関へと続く廊下のドアを開けた。
「風折さんっ! 何してんですかっ!」
 智史が腰に手を当てて見下ろす視線の先には、何故かコンパクトサイズのデジタルビデオを構えた風折の姿。
「ちっ、バレたか」
 言葉の割にはそう残念そうでもない口調で言った後、風折は智史に向かってにっこりと微笑んだ。
「見ればわかるでしょ。ビデオ撮影♪」
 風折のこの返答には、何が起こったのか理解出来ずにソファの上で出遅れていた弘樹も、ものすごい勢いで身を起こし、彼らの元へと飛んでいった。
 弘樹の到着とほぼ同時に、智史が拳を握り締めながら風折に向かって口を開く。
「……確かに見れば解ります。なら、質問を変えましょう。そのビデオ一体どうするおつもりなんですか?」
「決まってるでしょ。その筋に高く売りつけるのさ。この頃色々と物入りでさぁ〜。あっ、きちんと顔にはモザイクかけるから安心して」
「「できるかっ!」」
 筆者としては顔以外にかかるモザイクがどうなるのか非常に気になるところであるが、当事者である弘樹と智史にそこまで思い至る余裕があるはずもなく──あっても嫌だが──かなり恥ずかしいシーンを目撃&撮影されていた憤りもあって、敬語も忘れて同時に叫ぶ。
 弘樹と智史──
 どうやらこのふたりは、話の最初から最後まで、更にはこの先もまだまだ風折に振り回される模様である。
 だが、それはまた、別のお話──

DESTINY3・完_

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