DESTINY3 (35)



「なんでこうなるんです。勘弁して下さいよ〜」
「君の泣き言聞いている暇は1秒たりともない。じゃ、連れてって」
 別に自分が悪いという訳でもないのに、他人に振り回されて、ゴタゴタに巻き込まれたりドタバタさせられたりするのが、既に日常と呼べるようになっている智史は今日──合同演劇発表会当日──も、やっぱり他人のせいで、霞ヶ丘の女生徒に両脇から腕を掴まれ、ズルズルと廊下を引きずられる羽目に陥っていた。
 もう、合同演劇発表会がらみの予定変更には慣れっこになっていたつもりの智史であったが、この行事は最後の最後までやってくれた。
 風折が、世にもえげつない脅しをかけて、上演時短縮のために智史に脚本の訂正をさせたにも関わらず、その原因を作った張本人がこちらに向かう途中で事故ったとかで、上演時間が大幅に繰り上がってしまったのだ。
 そのせいで、ケータリング業者と最終的な打ち合わせをしていた大学部の体育館から、全力疾走で霞ヶ丘まで戻ってこなければならなかった智史が文句や泣き言や悪態のひとつも言いたくなったとしても、それは当然のことである。
 だが、普段からして智史の泣き言などに聞く耳を持っていない上、今日に至っては3分後には舞台に上がらなくてはならない風折が、話を悠長に聞いてくれる筈もなく、彼の叫びは虚しく霞ヶ丘の廊下に響き渡っただけだった。
 とはいえ、霞ヶ丘女の子部員の焦り方を目の当たりにすると、智史にも物事を客観的に見られる冷静さが戻ってきた。
 ランスルーを短縮版の台本で終えてしまった今、舞台装置やライティングの都合もあって、舞台を元の長さに戻すことは出来ないし、大幅なカットを行った為、第一幕の上演時間は20分余り。
 つまり、本来ならば余裕を持って出来る筈だった智史の舞台メイクを、結局はカット前と同じ時間でこなさなくてはならなくなった彼女達の方が、只座ってればいいだけの自分よりも、余程文句を言いたい立場であろうということに気付いたからだ。
 だから、「あ〜、あなた、衣装合わせの時よりも痩せたでしょっ! なんで痩せたのよっ!」とか、怒られたって今更どうしようもないことで怒鳴られた時も「すいません」とだけ応え、ダブついた部分を調整するピンが一瞬背中に刺さった時も、痛かったけど我慢した。
 そんな智史と女の子部の面々の努力が身を結び、なんとか第二幕開始に間に合うように舞台メイクは完了。
 さて、文字通り、智史にとってここからが本番の開始である。

☆   ☆   ☆

 原材料の大部分にコンパネ(コントロールパネルではなくコンクリートパネルの略。建築現場でコンクリートの型枠様に使われる板のこと)が使用されているとは思えないほど、素晴らしい仕上がりの天蓋付きベッドに横たわる智史の姿を見て、今が演技中であることを忘れてしまう程に弘樹の胸はときめいた。
 自分がここで言うべき台詞は解っているのに、この感動はあんなきざったらしい言葉じゃ表現できないと思ってしまう程に。
 いつまで経っても台詞を言わず、ただ立ちつくす弘樹の姿に、舞台袖と観客席がざわめき出した時に、彼は引き寄せられるように、智史が横たわるベッドの脇に腰掛けた。
 愛おしそうにベッドに横たわる人物を見つめ、自分が何をしているのかさえ解っていない様子でゆっくりと智史の頬に指先を伸ばしてゆく弘樹の姿は、脚本をまるっきり無視しているにも関わらず、上手い具合に役と重なり、謀らずして名演技となった。
 そして──
 昨夜、弘樹が風折に囁かれた通り、智史の唇に──する振りではなく本当に──キスを落とした時。
 智史のまつげが微かにゆれて、ゆっくりと瞼が開かれた──

☆   ☆   ☆

 目を開けて、しっかりと弘樹の視線を受け止めた智史は、人前──しかも舞台本番中に口づけられたことに驚愕するでも憤るでも動揺するでもなく、嬉しそうににっこりと微笑んで見せた。
 弘樹の姿が被っているので、観客席から智史の表情は見えないにも関わらず。
 つまり──この微笑みは、演技ではなく智史の本心。
 いや、そんな理屈は後付けのもので、自分はこの笑顔が本物であることを最初から確信していたのだと弘樹は思う。
 そして、智史と思う存分見つめ合うことができる──そんなことにさえ、これほどに幸福感を感じることのできる程に、自分にとってこの3週間がキツかったのだということを実感していた。
 今のこの感覚は暫く吸わないでいた煙草の煙を久しぶりに吸い込んだ時と良く似ていた。息苦しくて、くらくらと眩暈がするけれど、ものすごく気持ちが満たされる──そんな感じ。
 それに多分、自惚れではなく、智史も自分と同じ風に感じてくれている筈だ。
 この3週間、風折にされた仕打ちを決してありがたいとは思えないけれど、この経験があれば、自分たちはこの後、劇中でふたりが迎えるような、いわゆる倦怠期とは無縁でいられるだろう。
 好きな相手の側に居られる──たったそれだけのことが、どれほど幸せかということを実感できたから。

☆   ☆   ☆

 目を開けた瞬間、弘樹の顔が視界一杯に広がり、本当に眠っていた訳ではないのに、智史は悪夢からようやく目覚められたような気がした。
 弘樹のさらりとした指先と、微かにラークの匂いが漂うキスは、智史がここ暫く思い描いていたものと全く同じで、それでいてずっと鮮烈だった。
 そう、ここが舞台上だということを、一瞬忘れてしまう程に。
 ──ああ、本物の弘樹だ……
 と、にっこり微笑みながら目の前の恋人に見惚れていた智史が、ハッと我に返ったのは、弘樹の首に片手をかけて、もう一度キスをねだるために上半身を起こしかけた時。
 今まで弘樹の身体が智史の視界から遮っていた、観客席が目に入った時だ。
 ──ヤバッ!
 と思った智史が、無駄に多いIQのおかげで、こんな状況でも飛んでしまっていなかった台詞を口にしようとした瞬間──舞台暗転。
 それは、智史が思った以上に、これ以上はさすがにヤバいと判断した風折による、強制終了であった。

☆   ☆   ☆

 その後の舞台は再び風折に強制終了を食らうことなく、滞りなく進んだ。
 智史が風折に幾度と無くダメだしを食らった、例のシーンも含めて。
 上手い演技が出来ることよりも、日常生活での平穏を心の底から望む智史ではあったが、風折のせいで──いつものことだが、間違ってもおかげとは言いたくない──心の底から白取清花を忌々しく思うことの出来た彼は、観客の背筋に悪寒を走らせる程冷たい視線で彼女を睨みつけることが出来たからだ。
 そして、劇中では姫の男装ということになっているが、実際は女装した男の男装という訳の解らない魅力で弘樹演ずる王子と、智史扮する姫が元サヤに収まり、劇中劇は大団円を迎える──筈だった。
 それを迎えることが出来なかったのは「もう彼女の所には行かない。君とずっと一緒にいるよ」という弘樹の台詞と共に降りてくる筈の幕が一向に下げられず、抱き合ったまま途方にくれる彼らの元に、王子の浮気相手を演じていた白取清花が乱入してきたからだ。
 不利な立場をものともせずに、正妻を挑発し自分のペースに持ち込もうとする言いぐさは、数ヶ月前、どこぞの前チェス部長が、弘樹に対してやらかしたことと大層よく似たやり方で。
 考えるまでもなく、智史と弘樹には、それが舞台を盛り上げるために風折が仕組んだことだということが解った。
 更に、智史にいたっては霞ヶ丘の元校長の挨拶云々の話自体が作り話であると既に確信しており、そして、それは正解だった。
 神岡智史──伊達にあの腹黒男の被害に遭っている訳ではない。
 まあ、それはともかく。
 北島○ヤならいざ知らず、演技に関しては素人の俺がアドリブで舞台を乗り切れる訳ないだろうがと呆れかけた智史ではあったが、残念ながら、そもそも彼は自分が思っている以上に負けず嫌いな性格の持ち主だった。
「私は彼に何でもあげられるわ。お金も自由も気持ちも全て。100年前ならいざしらず、今では対してお金がある訳でもなく、そのくせプライドばかり高いあなたが、彼に何をしてあげられるの? 何かあるなら言ってごらんなさいよ」
 自分ではなく、自分の演じている役に対して言われていることだとはいえ、人を小ばかにしたような口調で、しかも勝ち誇った表情でこんなことを言われて、黙っていられるかと智史は拳を握り締めた。
 そして、怒りを含んだ低い声で、彼女に告げる。
「そうね……こんなのはどうかしら」
 次の瞬間──
 バキッと音を立てて、智史の拳が目的の場所にヒットした。

☆   ☆   ☆

「……なんてことするのよ。気…気でも狂ったの」
 猛烈に面食らった様子を見せながら、白取清花は果敢に演技を続けた。
 もちろん智史もその演技を受けて立つ。
「私が彼にあげられるものはこれよ」
 と言いつつ、智史は自分に殴られて床に転がった弘樹を見下ろした。
「あなたが道をあやまったなら、いつでも私が止めてあげる。あなたが私を目覚めさせてくれたように、あなたの目を覚まさせてあげるわ。どんなに手と胸が痛くても、何回だってはり倒してあげる」
 ここまでの台詞は弘樹に向かって告げ、その後智史は白取清花に向き直った。
「さて、この勝負どちらの勝ちかしら」
「ばかじゃないの? こんなの勝負になる訳ないじゃない」
 白取清花は智史の言葉を切り捨てると、未だ床にへたり込んだままの弘樹に向かって手を伸ばした。
 そして、彼女が弘樹を連れて退場しようとしたところで、もう一悶着。
 それが、白取清花の頭に描かれた舞台の展開であったが、その予想は裏切られた。
 弘樹が彼女の手を取ることを拒否したからだ。
「なんで……どうしてなの?」
 この言葉は、演技ではなく白取清花の本心から出たものだ。
 劇の展開上、最終的にはこのふたりが上手くいってくれなければ困るが、そうなるのは意地を張っていた智史が、追いつめられて素直に自分の気持ちを吐露した時だと思っていたからだ。
 特に目新しさのない展開ではあるが、学生劇やドラマでは、そういうお約束が解りやすいし、好まれる。
 だが、そんなことはどうでもいいと見える弘樹は、彼女の戸惑いをよそに自分なりの解釈で演技を始めた。
「どうしたもこうしたもない。自分がどう評されるかを気にせず他人の前で人をはり倒すことなど、君にはできない」
「それがどうしたっていうの? そんなことはしないに越したことないじゃない」
「確かに、殴られないに越したことはないな」
 と、弘樹は智史に殴られた頬をさすりつつ、立ち上がった。
「だが、今ので改めて確信した」
「何がよ」
「君と彼女、どちらの愛が真実なのか?」
「何を言っているの? まさかあなたは私よりも彼女を選ぶつもり? 一体、あれの何処が真実の愛だというの?」
「愛というのは、相手の欲がる物を全て与えることではない。相手が道を間違ったら正してやり、その気持ちが相手に伝わると信じることだ。だから、私は君に感謝するよ」
「何を?」
「君みたいな俗っぽい女性に、一時的にでも魅かれた自分がどれだけばかだったか気付かせてくれたから。頼むからこれ以上私が君に失望する前に、さっさと帰ってくれないか。手切れ金は、君が私にくれるつもりだったもの全て。あれだけ大口を叩いたんだ、足りないとは言わせない」
「……なっ、なんて人なのっ!」
 バシッ。
 この辺りが潮時だと咄嗟に判断した白取清花は、弘樹に平手打ちを一発くらわせて、舞台袖へと消えた。
 真実の愛云々のくだりはともかくとして、手切れ金がどうのという部分は、とてもアドリブだとは思えない程の名台詞だったからだ。
 先程、グーで殴られたのと全く同じ部位を今度はパーで殴られて、再び頬をさすりながら自分の方に向き直る弘樹に向かって、智史はにっこりと微笑んだ。
「解ってくれると、信じていたわ」
 智史の台詞をきっかけに、スルスルと舞台の幕が降りてきて、劇中劇はここで終了であることを告げる。
 この10数分間をなんとか乗り切れたことと、4ヶ月余りも自分を翻弄し続けた合同演劇発表会があと少しで終わりを迎えることに、智史はそっと安堵のため息を漏らした。

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