DESTINY3 (34)



「智史、ちょっと頼みがあるんだけど…」
「嫌です」
 本当はそれで白取清花の写真を突き刺してやろうと思って持ち歩いていたダーツの矢(大抵の場合、一般家庭に五寸釘は常備されていないからだ)を、写真ではなく本人に向かって(といってもギリギリで外れるようにではあるが)投げつけた翌日の夜遅く。
 いつものように、夕食が乗ったトレイと共に部屋にやってきた風折が言った頼みの内容も聞かずに、智史は即答した。
 これが例によって例の如く、風折が彼に無理難題を押しつけようしているのならば、まあ、彼がそう返答する気持ちも解らなくはないが、今回の場合──例え、諸悪の根元が風折だとしても──周りの人間に多大な迷惑をかけまくっているのは、既にダメ人間に成り果てた神岡智史である。
 現在の智史は『嫌なものは嫌』の既に子供状態。例え、相手が風折であろうと面倒なことなんて、弘樹の本物に会えるまでは(なら、偽物には会ったというのか?)絶対引き受けませんモードに突入していた。
 それで、生徒会長をクビになるなら、却ってラッキーってなもんだし、年上のお姉さま相手に春を売ってるという噂も流したきゃ流しゃいいさ。そうなったら、弘樹を連れて(本人の意思まるで無視)オーストラリアあたりに留学でもしてやるさ、の完全やけっぱち&(アーンッドと発音する)ある意味無敵モード。
 そんでもって、やろうと思えば、語学力的にも経済的にも問題なく実現できそうな辺りが、本当に智史のタチの悪いところである。
 とはいえ、基本的にめんどくさがりや──智史が部屋を散らかさないのも、仕事を片っ端からやっつけるのも、細々とプログラムを組んだりするのも、この性格が原因。とにかく彼は後で楽をしたいタイプなのだ──で生活が激変するのを嫌う彼が、ここまで開き直るからには、そこに至るまでのストレスがどれだけ大きかったかを証明している。
 だが、そこで退いたり、智史のことが気の毒になるような風折など、既に風折ではない。
 もちろん、風折が涼の前以外で風折らしくなくなることなんてそうそうある筈もなく、彼はそうこなくっちゃと言わんばかりににやりと笑って口を開いた。
「解った。じゃあ、頼むのは止めよう。これは命令だ。合同演劇発表会の脚本の冒頭部分、明日のランスルーまでに書き直して」
「って、何のた……じゃなかった。無理です」
 風折の言いぐさに、いつものように抗議しかけ、智史は慌ててそれを飲み込んだ。
 ちっとも実践できてはいないが、智史だって解ってはいるのだ。あれこれ理屈をこねくり回さず──つまり、出来ない理由なんていうのを告げず──に、出来ないものは出来ませんと言えば、風折の特技『必殺・口ぐるま』の威力が半減することは。
 出来ない理由を言うからこそ、風折はそれに対して、出来なくない理屈を捻りだすのだから。
 しかし、例によって智史の認識は甘かった。
 例え半減したとしても、元々の威力が凄まじければ、得られる結果になんら変化はないのである。
「無理じゃないよ。内容増やせって言ってるんじゃなくて、減らして欲しいんだから。しかも、第一幕での君の出番を根こそぎカットってな具合さ。そこの部分って、元々原作にはなかったのに、上演時間を水増しするために後から付け足した部分だろう。他の部分ならいざ知らず、そこがカット出来ない筈がないよ。簡単、簡単。」
「……」
 ──なら自分でやったらどうですか。
 と言ってやりたい衝動を、智史は口を開かないでいることで押しとどめた。
 そんなことを口にして、実際風折が脚本に手を入れたら最後、それがどんな有様に変貌するか──少なくても智史にとって良い結果になるとは絶対に思えない──想像もしたくなかったからだ。
 そんなことになるくらいなら、いっそ自分が最初から手がけた方が100倍ましだ。
 だからといって、その仕事をしたいかといえば、確実にしたくはない。
 黙っていてどうなるものでもないのは解っていても、黙っているしか出来ない時というのもある。
 だが、結局のところ、どうにもならないものはどうにもならないのだ。
 自分と目を合わせないまま、口をつぐんでいる智史を冷ややかな視線で見下ろすと、風折は口を開いた。
「いつもと違うリアクションを取った所で僕の言う台詞は全く同じだ。そういう態度をとるんなら僕にも考えがあるよ」
 ここで一呼吸おいて、風折は智史の反応を見る。
 いつもならば、ここで黙っていられる性格の智史ではないのだが、今回ばかりはその挑発に乗る気はないらしい。
 ならば、黙っていられなくするまでさ、といわんばかりに、風折は『僕の考え』とやらを語り始めた。
「あっそ、ここまで言っても駄目。ってことはそれなりに覚悟が出来てる訳だ。でもそれって、所詮学校やめるとか、いっそ海外に逃亡しようか程度のことでしょ。しかも、弘樹も連れて。でも、ここまでの覚悟は出来てるかなぁ〜。弘樹は今、僕の部屋のリビングでソファをベッド代わりに寝るって生活をしてて、リビングってのはその性質上鍵がかかる筈がなくって、彼にはどういう訳か──どんなに胃が痛くても──寝る前にコーヒーを──さすがに薄いのだけどね──1杯飲む習慣があって、何故か僕の手元には使う気はないけど、ノリと勢いで取り寄せちゃったある種の怪しい薬物──世間一般的に媚薬って呼ばれる種類のものだけど──があって、今夜あたり、何かの拍子に手がすべっちゃうような気がすごくする訳。僕さぁ、前々から考えてたことがあるんだよね。いざという時の為に実地訓練つんどいた方が涼にとっても安全なんじゃないかって。そして、聞く所によると、弘樹って君に抱かれる覚悟はあるらしいじゃない。ってことは、これってものすごく一石二鳥なことに、後々君の為にもなるってことなじゃない。まあ、涼以外の男とどうこうするなんてゾッとはするけど、弘樹って性格はともかく顔だけは綺麗だしね。やってできないこともないこともないこともないだろう。いいや、どんな無理をしてでも僕は頑張るよ。他ならぬ、涼と君の為だもの。ってな訳で、どうさ智史? 僕としては、君から「解りました風折さん。喜んで脚本書き直させて頂きます」って台詞を聞くまで、この素敵な提案を引っ込める気はないんだけど、その辺りの覚悟も出来ている訳?」
 風折の話を中程まで聞いた時点で、智史は文字通り開いた口がふさがらなくなった。
 その怪しげな薬とやらを、いつどこでどんな時に誰に対して使うつもりだったのかだとか、その薬もそうだが、智史と弘樹が人気のない裏庭で交わしていた少々ディープな会話の内容をどうやって入手したのかだとか、それのどこが素敵な提案なんだとか、突っ込みどころ満載の風折の話ではあるが、そんなものがあろうとなかろうと、その中身は変わらない。
 言うまでもなく風折は『うんと言わなきゃ、弘樹を襲うぞ』と、智史にこれ以上はないってくらいにえげつない脅しをかけてきているのだ。
 そして、智史にとっては残念な現実であるが、言ったら最後、風折はそれを実行する男なのである。
 こうなってしまうと、いっそ今ここで自分が押し倒された方がまだ逆らいようがあるくらいに、智史にはなす術がない。
 彼が望む言葉を口にする以外には。
 丸々1分間口を開けっぱなしにした後、智史は一旦それを閉じて、大きく息を吸ってから、再び口を開いた。
「解りました風折さん。喜んで脚本書き直させて頂きます」
 智史の台詞が、先程風折が口にした言葉と一字一句の違いもなく、しかも棒読みだったのは、それだけが彼にできるささやかな抵抗だったからだ。

☆   ☆   ☆

 どう考えても有り得ないような脅しをかけられた割には、風折が言った通り、脚本の訂正は簡単なもので、更には合同演劇発表会の進行を楽にするものだった。
 風折の語るところによると、そもそも、招待する予定のなかった霞ヶ丘の元校長が、来賓挨拶をする気満々で、合同演劇発表会に顔を出すことになったのが、脚本変更の理由だそうだ。
 どんなに少なく見積もったって30分間は話し続けるだろう彼の挨拶をねじ込みむためには、いくら本末転倒であろうとも舞台の上演時間を削らなければどうにもならない。
 何故なら、後に控えるクリスマスパーティは様々な業者が関わってくる為にそうそう簡単に時間の変更ができないからだ。
 その点から見れば、風折の判断は確かに適切だといえる。
 第一幕での智史の出番を削って、上演時間そのものを短縮した上に、そのままだと彼のメイクと衣装替えの為に15分程取らなければならなかった幕間を半分以下に短縮できるからだ。
 ──まあ、風折さんの命令することにしちゃ、納得のいく理由がある分、まだやりがいもあるか。
 と、自分自身を無理矢理納得させて、智史は脚本の第一幕を、本来眠り姫を演じる筈だった女生徒が腹痛で倒れたところでばっさりとカットした。
 こうして、最終的なランスルーにでさえ顔を出さなくてもいいと言い渡されている智史が、弘樹に近づけるのは本番の第二幕が始まるシーンまで先延ばしされることとなる。
 女の子──というより人──に向かってダーツの矢を投げつけたり、生徒会役員にストレスを与えまくったりと、彼に一切悪いところがなかったとは決して言えないが、それを踏まえたところで気の毒になってしまう程の不遇な少年。
 それが、神岡智史なのである。

☆   ☆   ☆

 智史を脅して訂正させた脚本を持って、風折が自室に戻った丁度その頃。
 彼のもう一人の被害者である伊達弘樹は──最近すっかり日課になってしまった──胃薬を服用する為に錠剤の入った小瓶をキッチンで傾けていた。
 そんな弘樹に、風折はつかつか歩み寄ると、彼の手から胃薬の小瓶を奪い取った。
「いい加減、こんな物飲むのやめな。癖になるよ」
「それを言うならもう癖になってます。というか、この状況ですよ。胃薬ぐらい思う存分飲ませて下さいよ」
 弘樹はため息と共に風折に向かって言った。
 いくら白取清花を追い払えたところで、それは胃痛の原因の一つが減ったに過ぎなく、しかも原因の中では一番軽いものである。
 そんな状態の弘樹が、その一番の原因──というか元凶──の風折に対し、胃薬ぐらい飲ませろと主張したくなるのは、当然のことであろう。
 わたしは心底疲れ果てました、という表情を浮かべている弘樹に向かって、風折は何故かにやりと笑って見せ、人差し指で彼の耳を自分の口許まで呼び寄せた。
 それに逆らう気力もなくて、風折に近づき、何事かを囁かれた弘樹は、目を見開いた。
「風折さん? それ、マジで言ってます?」
「もちろん大マジさ。大丈夫、絶対にバレないから。それにさ……」
 再びひそめられた風折の声は、弘樹の耳の中だけに収まり、外に漏れることは無かった。
「……ったく、目的はソレですか」
 忌々しげな声を上げながらも、少し表情が明るくなった弘樹に風折は告げる。
「まあ、目的はともかく、どう? 胃の痛み、少しは収まったんじゃない?」
「我ながら情けないとは思いますが、おっしゃるとおりですね」
 何故、ここに来て風折と弘樹が和解に至ったのか。
 その全てが明かされる合同演劇発表会の本番は、既に明日──正確に言うならば、15時間後に迫っていた。

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