DESTINY3 (33)



「今更なんのご用でしょうか」
 智史が2階の渡り廊下からダーツを投げつけるに至った、弘樹と白取清花の密会(?)はこんな弘樹の台詞で始まった。
「ご挨拶ね。ちょっとしたご機嫌伺いじゃない」
 そんな弘樹に、白取清花は小首を傾げ上目づかいで彼の顔を見上げながら微笑んだ。
「で、伺ってみてどうです? ご機嫌に見えますか?」
「ううん、全然」
「では、用件は済んだということですね。ならば、わたしは帰らせて頂きます」
 と、踵を返しかけた弘樹を、白取清花は彼のブレザーの袖を掴んで引き留めた。
「誰があなたのご機嫌伺いしに来たって言ったのよ。私が伺いに来たのはあなたの恋人のご機嫌の方よ」
「彼から隔離されているわたしにそれを聞くなんて、新手の嫌がらせですか?」
「だから、あなたに聞いてるんじゃないの。ここであなたと会っていれば、その内彼があそこの渡り廊下から目撃できるでしょ。それを見た時の彼の様子が知りたいの。だから、昼休みに『授業が終わったら、急いで裏庭の銀杏の木の下に来ること』ってメールしたんじゃない」
「しかも、私が呼び出しをすっぽかせないように風折さんの携帯でね。で、智史のご機嫌を伺ってどうするんです」
 弘樹の問いかけに、白取清花は意味ありげに微笑んだ。
「そうね、満足のいく反応が得られなかったら、もう1度あなたにキスしてみようかしら?」
 という彼女の返答を聞き、弘樹はあからさまに嫌な表情を見せた。
 そんな弘樹を見て、白取清花は声をあげて笑った。
「前にも言ったけど、何もそんなに嫌そうな顔しなくてもいいじゃない。傷つく傷つかないはともかく、女の子に対してちょっと失礼よ」
「失礼なのはあなたの方ですよ。わたしのことなんか好きでもないくせに、いたいけな高校生の心をかき乱さないで欲しいですね」
「ちっともかき乱れてなんかいないくせに、よく言うわ。それに…」
 とてもじゃないけど、いたいけな高校生には見えないわよあなた、と、続けられる筈だった言葉は、ヒュンという音を立てて彼女の後頭部をかすめていった何かによって遮られた。
 それは彼女の予定よりも随分と早く渡り廊下を通りかかった智史の放ったダーツの矢が立てた音で、ヒュンの0.1秒後にはカッという音を立てて、すぐ脇にある銀杏の木の幹に突き刺さったのだ。
 それを見た彼女が、何事よと2階の渡り廊下に視線をやった時には、その矢を投げた張本人は涼しい表情でそこを渡りきる直前で、残っているのは呆然と立ちつくす和泉澤の生徒会役員が数名。
 その状況を白取清花が理解するまで、ゆうに30秒はかかった。
 そして、理解した後に彼女が何をしたかというと、後から襲ってきた恐怖に腰を抜かすでもなく、はたまた殺されかけたと怒るでもなく、文字通り腹を抱えて爆笑したのだ。
 時折、サイコー、信じられな〜い、とかなんとか呟きながら笑い続ける白取清花を、弘樹は温泉に浸かるシロクマでも目撃した時のような気持ちで見つめていた。
 つまり、『お前、どう考えたって、やってることちょっとおかしくないか?』という気持ちでだ。
 そりゃ、弘樹は智史が一般生活では殆ど役に立たない『矢でもボールでも輪っかでも丸めたティッシュでも的(あるいはゴミ箱)に向かって投じたものは絶対に外さない』という特技を持ち合わせているのを知っているから、彼が彼女に当たらないように矢を投げたのは解っている。
 だが、それを知らないはずの彼女がこの状況で笑っていられるのが理解できない。
 そして、理解できないながらも、その光景を眺め続けていた弘樹が、この爆笑女を置き去りにしてこっそり帰ってしまおうかと考え始めた頃、ようやく彼女は笑うのをやめて、笑いすぎで流れてしまった目尻の涙を指で拭いながら話し始めた。
「ああ、笑わせてもらったわ。それにしても、彼、なにつけてもギリギリセーフが好きらしいわね」
「お言葉を返す用ですが、あなた達のやり方がギリギリなんじゃないですか。たかだか学校行事の為にここまでしますか、普通。それに、何でこの状況で笑っていられるんです」
 とかなんとか言いつつも、ギリギリというなら実は弘樹もギリギリ仲間なのだ。
 胃に穴が空いてしまうか否かという点で。
 もちろん、智史に近寄れないのもその理由の一つだが、あの2人の同居していることの方が今の弘樹には辛かった。
 例え本人達が全くそんなつもりはなく、更には片一方が本人的には辛い恋をしているつもりであったとしても、弘樹が恋人に近寄れないことよりもそっちが苦痛に思える程に、彼らのいちゃいちゃっぷりは凶悪だったからだ。
 そんなことを考えてしまったせいか、再び胃が痛くなってきたような気がして、弘樹は右手で胃をさすった。
 そんな弘樹の仕草を気に留める様子もなく、白取清花は会話を続ける。
「たかだが学校行事って言い方はないでしょう。私たち学生にとっては学校行事が一番大切な行事なんだもの。それに、そんなこと言って本当は嬉しいんでしょう」
「何がですか?」
「好きな相手が、いまいましい恋敵にここまでするほど怒ってくれて」
 小さなため息と共に、彼女の口から吐き出された言葉に、弘樹はやれやれと首を横に振った。
「そりゃ、その部分だけをピックアップすればそうかもしれませんが、それ以上に苦痛の方が多いですよ、今回の件は。それに、あなただってこんなことしてる場合じゃないんじゃないですか?」
「だから、こっちが真面目にやってることを、こんなこと扱いしないでしょ。それにしてる場合じゃないってどういう意味よ」
「真面目にというよりは、楽しんでやっているように見えるという点は、まあどうでもいいです。わたしが言いたいのはあなたにもダーツを投げつけたい人間がいるんじゃないかってことですよ」
 弘樹の言葉で、白取清花はこの間口を滑らせたことを思い出したらしく、僅かに表情を曇らせた。だが、それはすぐに、いつものような自信ありげなものに戻った。
「ばか言わないで。追うんじゃなくて追わせるのが私の主義よ。今回みたいな事情でもない限りはね。あなただってそう言ってたでしょ」
「でも、あの時あなたはそれを否定しましたよね。まあ、それでも人様の恋愛に口を出すのは余計なお世話だとは思います。でも、今のわたしは、あなたと縁が切れるなら、とりあえず何でも言ってみようってな気分なもんで言わせてもらいます。やるだけのことをやってしまえばいつまでも気持ちを引きずらないですみますし、うっかり口を滑らせることもきっとなくなります。それに、もしかするともしかするかもしれません。人の気持ちはいつまでたっても同じとは限らないですから」
 弘樹の台詞を暫し噛みしめた後、3年連続でミス霞ヶ丘に君臨した彼女は、その事実を改めて実感させる優美な微笑みを浮かべた。
「その言葉、一応、心に留めて置くわ。でも、いいの? そんなこと言っちゃって」
「いけませんか?」
「いけないっていうか、少なくても恋人がいる人は言っちゃいけない台詞な気がするわ。もしも、あなたがこんなこと言ってたって私が神岡くんに密告したらどうする気?」
 白取清花の質問に、弘樹は余裕の笑みと共に答えた。
「大丈夫ですよ。あなたは智史に一番信用されない人物ですから。それに……」
「それに、何?」
「わたしは自分が心変わりする気も、智史に心変わりさせる気も一生ありませんから」
 自分の気持ちはともかく、相手の気持ちまで変わらせないと、涼しい顔できっぱり言ってのけた弘樹の態度に、白取清花は思わず吹き出した。
「すごい自信ね。OK、どうやら私の役目も終わったみたいだし、これ以上あなたに近づかないって約束するわ。もう2度と彼にダーツを放らせないように、せいぜい頑張って頂戴」
 言って、彼女は銀杏の木に刺さったダーツの矢を抜くと弘樹の手に握らせた。
「頑張るのはわたしじゃなくて、あなたの方でしょう。あなたのためじゃなくて自分のために、わたしはあなたの幸運を祈ります」
「いいわよ、そんな無駄なこと祈ってくれなくても」
「だから、何故、無駄だと決めつけるんです? 言ったでしょう、やるだけやれば引きずらないと」
「無理なのよ。その相手、今、行方不明なんだもの」
「……」
 しまった──という表情が顔に出てしまったのだろうか、咄嗟に言葉が出てこない弘樹に向かって白取清花は告げた。
「別にそんな顔しなくていいわよ。今はお宅の前生徒会長にターゲット切り替え済だから」
 協力してくれなくてもいいから邪魔はしないでね、と言い残し、ひらひらと手を振ってその場を後にした白取清花の背中を、弘樹は困惑した表情で見つめていた。
 彼女がどこまで本気でそんなことを言っているのかは解らないが、それはそれでやっぱり無理そうだったからだ。
 彼女にしても風折にしても、どうしてわざわざややこしい恋愛を選択するのだろうと首を傾げる弘樹は、自分も世間一般的には充分ややこしい恋愛をしていることを全くもって失念していた。
 ある意味、幸せな男である──

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