風折迅樹の極々平凡な1日(後編)
「僕、今夜遅くなるから。涼のこと頼むよ。解ってると思うけど、今日はカレー曜日だから」 その日の放課後。 風折は生徒会長室に後輩の神岡智史を呼びつけて、いつものように、お願いの皮を被った命令をした。 風折は全く知らなかったのだが、涼の語るところによると、どうやら一般家庭では何処でもカレー曜日なるものが存在するらしく(←やはりお坊っちゃん。妙なところで世間知らず。……というより、風折にとって涼の言うことは全て正しい(笑))、涼の実家では木曜日がその日だった。 涼にとって木曜日がカレー曜日ならば、もちろん風折にとってもその日がカレー曜日。 とまあ、ここまでは当たり前の展開である。 当たり前じゃないのは、風折の後輩までもが、カレー曜日に巻き込まれているところである。 今日はこの後の予定が解っているので、早い段階で涼をに預ける(というか涼の食事の面倒を見ろと命令する)ことは可能だったが、そもそも風折の予定はいつどこで狂うか解らないのだ。 ってな訳で、いつ風折からの指令が下っても涼を養えるように、神岡宅では常に、二人で食うには多いが食って食えないことはなく、三人で食うには少々少な目だが夜中に腹が減って目は覚めない程度の夕食が用意される。 ということはだ。来るか来ないかはその時までさっぱり解らないが、涼が来た時の為に、彼らの木曜日の夕食メニューもまた、カレーに限定されてしまうのである──というより風折がそうさせた。 人間、その人への愛があれば多少のことは我慢できるが、愛がないものにとっては、週イチペースでのカレーは苦痛以外の何ものでもない。 ましてや、使用するカレールーと具材までは限定されるともうそれは拷問と呼んでしかるべき状況である。 肉はチキンで、大き目に切ったじゃがいもと人参が一般家庭比1.5倍で投入された上に、使うルーはバー○ントカレーの甘口限定(←涼の実家のカレー。時々チキンの代わりに魚肉ソーセージが投入される)。 変なところで舌が子供で、人参とピーマンが未だに苦手な神岡にとって、本当にこれは切ない。 人参がゴロゴロと皿の上に転がっているだけで食欲をなくしてしまうのだ。 が(鼻濁音)、そんなことは風折の知ったことではない。 人間1食くらい抜いたって死にはしないし、どうしてもそれが嫌ならば、神岡は階下の食堂に行けばいいからだ(当前、そこが神岡宅の食卓であるだなんていうことは、風折にとって考慮すべき問題ではない)。 うんざりとした表情を浮かべる神岡に風折は告げた。 「涼の前でそんな顔してないだろうね。涼が『もしかして、俺、神岡さん達に迷惑かけてる?』とかって、気にしたらどうするのさ」 「………」 そんなことを気にする様な奴は、いくらそう言われたからといって、のこのこ他人の家に飯を食いに来やしない──とでも言いた気に、ぐっとこぶしを握り締め唇を噛む神岡に、風折は更に追い討ちをかけた。 「大体、涼の食事の面倒を見させてもらえるだなんて、これ以上ないってくらい名誉なことじゃない。多少なりとも信頼を置いている相手じゃなければ、この僕が、涼の面倒を見させてあげることなんて有り得ないんだよ」 「……………それはそれは……光栄に存じます」 腹の中でどう思っているかはともかく、一応後輩から満足のいく言葉を引き出した風折は、後輩に向かって邪悪な微笑みを投げ掛けた。 「解ればよろしい。君もね、最初からそう言えれば、世の中もっと楽に渡っていけるんだよ」 言って、用は済んだと言わんばかりに蹴り出すように神岡を生徒会長室から追い出した風折は知る由もなかった。 涼という人間さえこの世に存在しなければ、神岡の人生はもっと楽になった筈だということを── ☆ ☆ ☆ 「で、どんな感じだ?」その日の19時頃(神岡がカレー皿の中の人参を隅に寄せて、伊達に睨まれていた頃とも言う)、風折は自分付きのボディーガードで、この先彼の右腕となるであろう原田彰彦と、とあるホテルの一室でルームサービスの食事を取っていた。 彼らがホテルで落ち合っているのは、決してこの後情事を楽しむからではなく、人に聞かれては困る話をする為だ。 涼と出会って、彼自身とその歌声に心を奪われた風折は、愛しい人のために、とてつもなく彼らしい計画を立てた。 歌手になれるか否か、例えなれたとしても売れるか売れないか。そこには、才能の他に『運』が大きく関わってくる。 こういう言い方はなんだが今のバンドのメンバーと組んでいる限り、涼にメジャーデビューの声がかかることはまずないだろう。 演奏はまあ──好意的に表現すれば──下手ではないが、オリジナル曲の作曲担当の人間がよろしくない。 素人が陥りやすい罠ではあるが、一応うまくまとめてはいるものの、どの曲にも何処かに聞いたことのあるフレーズが組み込まれていて、かといってオリジナルを超えるような目新しさもない。 ビジュアル的にはある程度整ったメンバーが揃っているから、学校近くライヴハウスで女子高生をキャーキャー言わせることぐらいはできるが、それでは学校祭のステージとあまり変わらない。 そして、当然ではあるが学校祭のステージでプロダクションからスカウトされる人間など存在しないのである。 ましてや、友達思いの涼のことだ。 例え、たまたま目の利く人間に出会う機会があって、彼だけがスカウトされたとしても、バンドのメンバーを切り捨てることはしないだろう。 そうなってくると、もともと絶対数が少ないであろうデビューのチャンスを確実に潰してしまうことになる。 風折は、そんな理由で涼の才能がその翼を広げぬままに、埋もれてしまうことを心配していた。 だが、そんな中で解決策が降って湧いた。 風折の父親が、自分の息子の力量を試すために、高校卒業後、風折コンツェルンの子会社を1つまかせると言い出したからだ。 父親の言葉に、風折は既に出来ている会社をまさかれてもつまらないから、どうせなら自分で何か会社を立ち上げると言い放ち、和泉澤学園の経営の合間に増やした自分の小遣い(といっても3億程ある)を使って、涼をメジャーデビューさせる為の芸能プロダクションを作ることにした。 したはいいが、どんなに経営者としての才能があろうとも、風折は未成年。未成年であるがゆえ、手続きの上で様々な面倒が起きてくるので、それを避けるために、登記上名前を貸し、彼を手助けすることになったのが原田だ。 物心ついた時から何故か家におり、彼の兄のいい友人であった血縁上は全く他人の原田は、ボディーガードとして腕が立つ上に、秘書的な役割もこなせる重宝な人間だ。 斯くして、原田は風折の命を受け、現在の芸能界の動向を秘かにチェックしていたのだ。 おおよそ1週間に1度のペースで、報告を聞くためにこのホテルで原田と落ち合う風折だったが、それは何故か木曜日が多い。 風折は単なる偶然だと思っているが、実はこれには秘密がある。風折を弟のように思っている原田は、いくら想い人の為だとはいえ、週イチペースでカレーを食べている迅樹さんが不憫でしょうがなかったのである(←迅樹さんだけがよければ良くて、見ず知らずの彼の後輩がどんなに迷惑を被ろうと知ったこっちゃないという考え方が、さすが風折の側近)。 原田はナイフとフォークを上品に操って、食事を口に運ぶ風折に向かって微笑むと、ゆっくりと口を開いた。 「ちょっと、面白いネタがありますよ」 「どんな?」 赤ワインのグラスを傾けながら、風折が原田に向かって尋ねる。 「まだ、未確認情報なんですが──」 ☆ ☆ ☆ 確かに面白くはあったが、それが事実であったところで、涼にとってプラスにもマイナスにもならないであろう情報と、その他細々とした報告を聞き終えて、風折は21時過ぎに、寮の自分の部屋へと戻った。普段は風折が戻るまで、神岡の部屋で映画を見たり宿題をしたりしている涼であるが、今日はこっちに戻って友達に借りたゲームをしていたらしい。 画面には『GAME OVER』の文字がでかでかと点滅しており、涼本人はコントローラーを握ったまま、ソファに凭れてうたた寝をしていた。 そんな涼の姿を風折はうっとりと眺めた。 寝顔が可愛いのはもちろんのことだけど、目を開けていたって、何かを食べていたって、しゃべっていたって、たんすの角に足の小指をぶつけて痛がっていたって、どんな時でも可愛いなんて有り得ない、君は奇蹟だ──と感動する風折は、既に涼中毒の末期である。 風邪でもひいたら大変だから、早く起こさなくてはと思いつつ、寝顔に見とれて風折が動けずにいると、涼は「う〜ん」と声をあげて、大きく身じろぎした。 同時にキュートな瞳が(風折ヴィジョン)ゆっくりと開いた。 「ん? ああ、迅樹お帰り」 「たっ、ただいま、涼」 黒目がちの大きな目に見つめられ、風折に心拍数は一気に跳ね上がった。 そんな動揺を押し込めて(でも、声が上擦っちゃうあたりが案外可愛い恋する風折(笑))、風折はにっこりと微笑んでみせた。 もちろん涼は風折の動揺には気づきもせずに、緩慢な仕草で身を起こすと、TVの画面をチラリと眺め、「あっ、死んじゃった」と呟いた。 「残念だったね」 風折の言葉に、涼は軽く肩をすくめた。 「別に、そうでもない。暇だからやってただけだし。それよりさぁ〜、俺、迅樹に聞きたいことあるんだけど」 「何?」 「迅樹って、カレーどうやって作ってる?」 「何をいきなり? ……カレールーの箱の裏に書いてある通りだけど」 質問の意図が解らないながらも、涼に聞かれたことには──例え、事実じゃなくでも嘘でもないことを──何でも答える風折は、今回も嘘ではないことを告げた。 「だよな〜。でも、どうして迅樹の作るのと伊達さんが作るのってあんなに味が違うんだろう?」 「さあね。愛情の差とかじゃないの」 涼の質問の意味が解って、心の中でほくそ笑みながらも、風折はつらっと答えた。 その風折の言葉をさらっと聞き流して(←さすが天然。やることが凶悪)、涼はカレー話を続ける。 「伊達さんのもおいしいことはおいしいんだけどさ……なんかこう、なんつーの? 深みが足りないっていうか、何か足りないっていうか、後味が違うっていうか……う〜ん、なんか解らないんだけど迅樹のと違うんだよな〜」 そんな涼の姿を見て、真剣に思い悩む涼の姿もやっぱり可愛いなぁ〜、とか思っちゃう風折に、つける薬はきっとない。 そして── 「俺、やっぱり迅樹のカレーが一番好きだよ♪」 と小首を傾げて風折に告げる、涼の少ない頭の中身を揺さぶって均等にしてくれる人間もここには居ない。 「うん、それでいいんだよ。来週こそは君に僕のカレーを食べさせてあげるよ」 と言いながら風折がにっこりと微笑めば、この部屋の空気は──後に伊達弘樹の胃に穴を空けかけた──凶悪なイチャイチャモードへと変化する。 多少イベントに差はあれど、常に涼のこととか涼のこととか涼のこととかを考えている、風折迅樹の毎日はこんな感じ── 2004.11.13
続いてみたところで、やっぱり涼のことしか考えていない風折でした。 |