1. BREAK OUT
2回目のアンコールを終え、『アゲンスト』のメンバーと、数名のサポートの人間が楽屋に戻ってきた。 彼らをスタッフが激励と共に迎える。本格的な夏を前にして彼らのコンサートツアーは今日で最終日、秋に発売予定のアルバムのツメをするために今年のツアーは最小限に抑えられていた。 「ごくろうさま」 彼らの所属しているプロダクションのプロデューサー工藤ゆかりは、サポートスタッフのひとりである杉崎にねぎらいの声をかけた。 まだコンサートの熱気が残っている楽屋の中では、他人の行動を気にしている者など居ない。彼女が『アゲンスト』のメンバーではなく、サポートの人間に声を掛けていたとしても角が立つことはない。 ドサリと椅子に腰をかけて息を整えていた杉崎は工藤の姿を認め、満足感の浮かんだ笑みと共に、ひと言発した。 「俺、決めました」 「はっ?」 「例の話、進めてください」 「えっ、マジ」 「マジ。この間はああ言ったけど、ここでの俺の役目は、もう終わったみたいですからね」 「なんのこっちゃ? まっ、いいわ。OK、プロジェクト始動ね」 「じゃ、よろしく」 背を向けたまま、手を振りながら出て行きかけた杉崎に、工藤は慌てて声を掛けた。 「ちょっと、どこ行くの? 打ち上げは?」 「パス。あと、よろしくね〜ん」 杉崎が姿を消したドアを見つめながら、工藤はそっと呟いた。 「いよいよね」 「三十路がですか、工藤さん」 丁度その場を通りかかったスタッフは、彼女のハイヒールの直撃を後頭部に受け、『口は災いの元』という諺の意味を身にしみて実感するはめとなった。 ☆ ☆ ☆ 3週間後。自宅に居る限り、工藤の『時間がないんだ早く決めろ』攻撃を避けきれないことに気付いた杉崎は、携帯電話の電源を切って、近所の高校の学校祭に紛れ込んでいた。 なぜ学校祭なのか? 理由は簡単。時間をつぶせる場所があり、女子高生がいる。彼は自分の好みに忠実なのである。 加えて、工藤もまさかこんなところに杉崎がいるとは、思いもよらないだろうという、一石二鳥な計画だった。 が、紛れ込んでいると思っているのは彼だけで、杉崎の金髪の長髪+シャネルのサングラス、真夏に革ジャンというイカレた恰好は、テニス部主催のオープンカフェで、思いっきり目立ちまくっていたということだけ、付け加えておこう。 「なんだかな〜」 『アゲンスト』のサポートの座を退き、自分でユニットを組もうと思ったのはいいが、工藤の持ってくる話やデモテープには、どうも食指が動かない。かといって彼自身に心当たりがあるわけでもなかった。 半分溶けているチョコレートパフェに、思い出したように手を付け、ため息をつく。 先刻から有志のバンドらしきものが何組か、ステージで演奏しているのが、控えめに表現しても上手ではなく、しかも忘れたい問題を思い出させてくれるので気分は最悪だった。 パフェを食べ終えたら校内の展示でも見てくるか、と場所を変える決心をしたとき、スプーンを持つ杉崎の手が止まった。 演奏しているバンドが替わり、今までとは比較にならないほどの声量としっかりした音程の歌声が、彼の耳に入ってきたのだ。 サングラスを外し、ステージを凝視する。 「高校…生」 学校祭のステージに立っているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、貫禄を持った歌声が、杉崎にそれを失念させたのだ。 「高校生か、児童福祉法に触れたりしないよな……」 動転のあまり、訳の解らない言葉が杉崎の口から漏れる。しかし、児童福祉法とは、高校生に一体何をする気だ杉崎。 「み〜つ〜け〜た」 しばし、ステージに眼を奪われていた杉崎だが、地獄の底から悪魔を召還しているような迫力のある女の声が耳に入り、ビクッと身をすくめた。チラリと視線を流した先に存在したのは、残念なことに、やっぱり工藤だった。 「なんでこんな処で、のんきにチョコパなんて食ってんのよ」 「こんな処にいる俺を、貴女はなんで見つけられるんですかね」 再びサングラスをかけ、動揺を巧みに隠しながら、杉崎はしゃあしゃあと言ってのけた。 「あたしのリリーちゃんが見つけてくれたの」 「リリーちゃんは猫でしょーが」 彼女の腕の中では良く手入れされた、可愛いペルシャがしっぽを振っており、すごいでしょうとでも言いたげに「にゃおーん」と鳴いた。 「猫でも狸でも見つけるときは見つけるのよ」 「狸は無理だと思いますけど、俺、今日はオフですよ」 飼い主の性格そのままの猫を見て、杉崎は小さくため息をつきながら工藤に向かって反論する。 「それは何のためのオフ? 新ユニット準備の為でしょうがっ」 ダンっとテーブルを叩いて、工藤は杉崎に詰め寄った。パフェのグラスが倒れそうになり、杉崎は慌ててそれを押さえた。 「ちゃんと準備はしてますよ、工藤さん」 「嫌みったらしく『さん』付けで、呼ぶの止めなさいよ!」 杉崎の必要以上に丁寧な言葉遣いと回りくどい物言いにイラついたらしく、工藤が本題とは関係のない処にいちゃもんをつける。 「何で? 仕事の話でしょ。って、怒るなよ。それより、ステージで歌ってる奴見ろよ。あいつがいい。オーディションは中止だ」 「はあ?」 杉崎の言葉に工藤はステージに視線を流した。 「確かに素人にしちゃ上手い方かもしれないけど、それだけじゃない。冗談はよして」 「バックが悪いだけですよ。1回俺と演らせて下さい。証明してみせますよ」 「大層な自信だこと」 杉崎のあまりに高飛車の言い様に、工藤はあきれた口調で返答した。 「自信がなけりゃ『アゲンスト』のアシストって立場捨ててまで、ユニット組むなんて言いませんよ。あっ、そこの可愛いお嬢さん、追加オーダー、今度はバナナパフェ」 「死んでしまえっ!」 この炎天下で杉崎のこの態度。こんな状況で、工藤の血管がきれなかったのは奇跡に近かった。 ☆ ☆ ☆ 「どっかで昼食ってから帰ろうぜ。わざわざ早く家に帰って、親に文句言われることないだろ。見ろこの通知票、最悪」「俺も似たようなもん。俺、冷やし中華がいいな」 「お前、切り替え早いな」 工藤が先日の高校の校門に立って、30分経つ。終業式に真っ直ぐ家に帰りたくないのは、いつの時代の高校生も同じらしく、先程から似たような内容のおしゃべりが工藤の耳に届いていた。 「西沢、お前、実家に帰省しないって本当なのか?」 「ああ、迅樹(としき)さんの別荘に誘われてるんだ」 西沢という呼びかけに工藤は素早く反応した。校門の影から少年の顔をそっと確認する。それは、工藤の待ち人に間違いなかった。 「迅樹? ああ、和泉澤の生徒会長。しっかし、お前って大層な人とお知り合いだよな」 「みんなが思ってるより普通の人だと思うけどな」 「そう思ってるのはお前だけだよ。俺達みたいな一般人は和泉澤の制服見ただけで、道端に土下座しそうになるぞ」 「じゃあ、してみろよ」 西沢涼はあきれた口調で呟いた。こいつこそ、先日杉崎に危ない発言をさせたバンドのヴォーカルである。 「西沢涼くんね。ちょっとお時間いただけるかしら? とにかく乗って頂戴」 突如として出現した女にあっけに取られている間に、涼の身柄は車の中へと拉致されていた。 「あの〜、まさか、これって……、誘拐じゃないですよね」 車が走り出すと同時に、条件反射でシートベルトを着用しながら、涼は尋ねた。 「誘拐? 何で? ああ、あたし自己紹介してなかったわね。ダッシュボード開けてくれる。そう、その中に名刺入れがあるから、一枚取り出して読んでみて」 運転中の工藤は前を向いたまま用件を伝えた。言われたとおり、涼は名刺を取り出し、音読し始める。 「サニーミュージック、プロデューサー、工藤ゆかり、ってこれっ。……まさか、そんな都合のいい話、あるわけないか」 自分の心の中に浮かんだ都合の良い展開を涼は慌てて打ち消した。決して賢くはないが、世の中がそんなに甘くないことは知っているつもりだったからだ。 「本当に都合のいい話だけど、それがあるのよねぇ。『アゲンスト』のアシストやってる杉崎陸って知ってる?」 「知ってます。俺の友達にもギターやってる奴がいるんですけど、そいつ、杉崎さんのポスター部屋に貼って朝晩拝んでますよ」 涼の返答に工藤は眉をしかめた。この少年の、自分がどんな状況に置かれているのか理解できていないような発言に不満を持ったからだ。 「杉崎のポスター持ってるなんて、またコアなファンなお友達ね。まっ、とにかく、その杉崎が今度新しくユニット組むのね。本人たっての希望で、あたしがあなたに接触したわけ。この先のスタジオで杉崎が待機しているわ。会ってくれるわね」 気を取り直して、今度こそ誤解の入る余地がないように、工藤は用件を伝えたはずだった。 「冗談でしょう」 工藤の首がガクッと落ちる。言うまでもなく、運転中には危険なリアクションである。 「冗談でこんなことしてたら、本当に誘拐じゃない」 「えっ、本当の誘拐なんですか?」 「ボケるのもいい加減にしてっ、スカウトよっ!」 赤信号で車が停止した途端、工藤にものすごい勢いでかみつかれ、涼は本日初めての生命の危機を感じていた。 ……なんとものんきな少年である。 |