1. OUTLINE

「えっ?」
 西沢涼は思わず声を上げた。
 思い立ち訪問した、短大の友人宅のチャイムに応えてドアを開けてくれたのが本人ではなく見知らぬ高校生だったからだ。
「緑、相手も確認しないでドア開けるなよ。この間、新聞とるはめになったの誰のせいだと思ってるんだよ」
 階を間違えたのか思った直後、友人の声とタオルで髪を拭きながら玄関に向かってくる様子が見て取れ、部屋を間違えたのではないと判り、涼は安心した。
「押しに弱い壮太のせいだろ」
「そういうこと言う。整形でも受けてその減らず口、少し減らして貰ったらどうだ」
「所詮、壮太に叩ける憎まれ口なんて、その程度だな」
「お前みたいに、次から次へと罵詈雑言が出てくる方が異常なんだ」
 ── 甘いな壮太。そんな憎まれ口なら陰険じゃないぶん可愛いもんだ ──
 訪問者である自分の存在をすっかり無視されてしまっていることも忘れて、涼はそんな感想を抱いていた。

☆   ☆   ☆

 ──西沢涼は、いわゆるおつむの出来が余りよろしくない方々のための高校に通っている、ごく普通の魚屋の息子だった。
 5人兄弟の長男であった涼は、高校進学と同時に家が手狭だからという理由で、充分すぎる通学圏内の学校に通っているにも関わらず、自宅を放り出され、下宿生活を余儀なくされた。
 兄弟が必要以上に多いということ以外に、涼について特筆すべきことがあるとすれば、運動神経の良さと飯を食う速さ、そして歌のうまさだろう。
 もし、母親に少しでもそんな気が有ったなら、迷わず某事務所に突っ込んだところであろうが、彼女は子供の人生を自分が決定する権利などないことを知っていた。
 暫くして涼は、ありがちなバンド少年への道を進むこととなる。
 気の合う仲間同士で組んだバンドは意外と好評で、学祭のステージに立つのはもちろん、近所のライヴハウスで小銭を稼げる様にもなった。
 涼が風折迅樹と出会ったのは、そんなライヴハウスのステージで演奏するようになって、間もなくのことである。
 出会いのきっかけは、大雑把に分類するとナンパ、ということになるのだろうか? 変な男に絡まれていた風折を助けたことだ。
 もちろん後で知ったことなのだが、日本有数の財閥の跡取りで、全国でも名の通った和泉澤学園附属の高等部生徒会長である彼が、何故あんな繁華街で女装して、ポン引きの真似をしていたのか、涼は未だに怖くて聞けないでいる。
 そして、風折が涼に同居を申し出たのは、知り合って半年後、涼がスタジオを借りるの為の深刻な財政難に悩んでいる頃だった。
 いくら風折の処とはいえ、他校の寮に同居というのは流石に抵抗感が有った。しかし、その部屋が寮とは名ばかりの高級マンション以外の何物でも無かったことが、抵抗感を薄めた。
 更に、自他共に認める風折の強引な口車に乗せられて、涼は彼との同居に踏み切ったのである。
 始めてみれば、その生活は予想以上に快適で、問題らしい問題もなく半年が過ぎた頃、その話は振ってわいた。
 話の内容は極めて単純である。
 その頃、とある人気グループのアシストをしていたギタリスト、杉崎陸が、新たに自分のユニットを組む為にヴォーカルを探しており、たまたま出向いた近所の高校の学祭で、涼の歌声に魅了された。
 数日後、校門の前で涼は、杉崎の所属するレコード会社の女プロデューサーに『ちょいと兄さん、杉崎陸とユニット組んでみない?』ってな具合にスカウトされたのである。
 ラッキーな話。一言で言ってしまえば、これは確かに幸運以外の何物でもないだろう。
 しかし、それを切実に望んでいない状態での、しかも生活がガラリと変わってしまうことが確実に予想される幸運は、人に二の足を踏ませる。
 その背中を押したのは、涼の強引な同居人、風折迅樹であった。
 生徒会長を引退したら新たに芸能プロダクションを設立し、涼をデビューさせることまで予定していた風折だったが、それでも彼のためにより良い道を選択させたのだ。
 豪華なサポートメンバーと共に、順調に人気をのばしていった涼たちのユニット『フォーチュン』は、その人気にもかかわらず、一年足らずで解散した。
 ──杉崎の死によって。
 杉崎の交通事故を涼が知らされたのは、彼と待ち合わせをしていたスタジオの廊下であった。
 涼が、杉崎と親しいプロデューサー、工藤ゆかりと共に、救急治療センターに到着した時には、杉崎は既に他界した後だった。
 工藤と杉崎は、いわゆる『友達以上、恋人未満』という関係で、それだけに彼女の取り乱し方は尋常ではなく、それは涼が冷静でいるために役に立った。
 そうでなければ「絶対嘘だっ!」と医者に掴みかかったのは、きっと涼だったであろう。
 そして、杉崎が最期に涼に託したテープを曲として完成させ、それで彼を送ってあげようなどと、考えつくこともなかったかもしれない。
 結局、涼が杉崎の不在を身にしみて実感したのは、工藤にソロでの再デビューを打診された時になってからだった。
 元々、人気バンドのサポートをしていた杉崎には、実力に伴った人気があり、彼とユニットを組みたがっていた人間は、それこそ星の数ほどいた。
 そんな状況下で、全くの素人の涼がその立場をゲットしたのだから、周りの人間が面白く思う筈がない。
 実際、涼に対する同業者の風当たりは、相当なものであった。
 だからこそ、杉崎の足を引っ張らないよう、更には誰にも陰口を叩かれることない実力を手に入れようと、日夜努力していた涼は、突如目標を失った。
 半端なままの今の自分が杉崎の相棒という肩書きを背負って、芸能活動を続ける自信など涼にはなかったし、このまま芸能界に残ることが、誰にとってもプラスになるとは思えなかった。
 もし、自分がもう一度ステージに戻ることがあるとしたら、それは杉崎の名を汚さない実力と自信が持てた時だ。
 幸いプロダクションは涼の意志を尊重してくれ、彼は芸能界をきっぱりと引退した。
 高校三年のしかも十月。普通ならば、進学なり就職なりに向けて皆が追い込みをかけている時期に、明確に見えていた目標を失い、放心状態だった涼を、半ば強引に自宅に呼び寄せ、息をつく暇も無い程ハードな受験勉強の中に放り込んだのは、風折だった。
 最終的には涼が決めた選択とはいえ、その背中を押してしまったことに、少なからず責任を感じていた風折は、自分の通っている大学の短期部へ彼を入学させることを決意していた。
 学力はあるが、良い意味でも悪い意味でも世間知らずが集まったその学校は、一時的にでも芸能界に身を置いていた涼にとって、恰好の隠れ場所になると思ったからだ。
 また、涼の学力では分不相応なその学校の受験は、彼に感傷に浸る暇など与えるほど甘くはなかったし、高校三年の半年以上を芸能生活中心に過ごして来た(しかも幾度か出演したトーク番組で、涼のおつむの不自由さ加減は白日の下にさらされている)『RYO』が、レヴェルの高い大学に入れば、他人の空似が充分まかり通る。
 そして、全く新しい環境は、涼の意識を続けて別の方向へ持って行くことに役立つ筈だ。
 風折が、どんなこ狡い手を使ったのかは、神のみぞ知るところであるが、涼が奇跡的に和泉澤学園の短期部に合格したのは事実である。
 風折の予想した通り、涼は新生活に追われ、気付いたときには、杉崎の初命日を迎えていた。
 墓参りの帰り、工藤と共に初めて訪れた杉崎の実家は、極普通のサラリーマン家庭で、優しそうな母親が彼らを少し淋しげな笑顔で迎えてくれた。
 サマーコンサートの時の写真の前で、線香を手向けた後、工藤と両親が懐かしそうに話す思い出話に耳を傾け、小一時間を過ごした。
 話が尽きない様子の工藤を残し、さり気ない言い訳と共に涼がその家を辞したのは、話に入っていけない疎外感からではない。
 自分自身、杉崎との思い出をかみしめるたび、胸の中突き上げる熱い何かに、押し潰されそうになったからだ。
 占い師が自分のことは占えないのと同様、その何かの正体を自分では突き止められないままに、涼は一度は帰宅しようとしていた歩みを、はたりと止めた。
 風折が、涼の帰宅をやきもきしながら待っているのは予想できたが(そしてそれは事実だった)、事情を知りすぎている友人の気遣いは、それが親切だと充分解っていても、うざったい時がある。
 そんな、恩知らずな思いを振り切る様に、涼は短大の友人がひとり暮らしをするマンションへと、足を向けた。

☆   ☆   ☆

 玄関口で面白そうに事の成り行きを傍観している涼に、チラリと視線を移し、良く見ると和泉澤学園高等部の制服を着ていた高校生は、口げんかの相手に向かって言った。
「あのさぁ、俺はこのまま壮太の相手してやっててもいいんだけど、……お客、ほっといていいの?」
「はぁ? あっ! 涼!」
 慌てて視線を涼に向けた友人、青柳壮太(あおやぎそうた)は本気でこの訪問者のことなど忘れてしまっていたらしい。
「は〜い。待ちくたびれてた西沢君で〜す」
「悪い、上がれよ」
「おじゃま。彼、弟?」
 風折のマンションに比べれば格段に狭いが、学生が住むには適当な1DKの部屋に招き入れられ、まず涼は尋ねた。
「否、年は違うけど友人。高等部の塚原緑(つかはらみどり)。緑、短大の友人で西沢涼」
「ふ〜ん、わざわざ『短大の』って付ける処をみると、もしかして外部受験の人?」
「ご名答。緑くん、頭の回転早いね」
「外部受験の人に、そんなこと言われると悲しくなりますよ。壮太なんて4大の枠に入れなくて短大だった口だけど、外部受験って下手な国立大学よりレヴェル高いんでしょう。手、握ってもいいですか? オーラで頭良くなるかも」
「………」
 無言で固まっている涼の様子を見て、壮太が緑の頭を丸めた雑誌でパコンと叩いた。
「いい加減にしろよ。初対面でそんなに飛ばしたら、大抵の人間が引くって」
「だって〜」
「解った、解った。俺が涼にお前が友人だって紹介したからすねてるんだろう。ちゃんと恋人だって白状するから、嫌がらせみたいに俺の目の前で別の男に愛嬌を振りまくのはやめてくれ」
「なっ……、何言ってるんだよ壮太」
 壮太の発言に、緑の顔が一瞬にして真っ赤に染まる。
「とぼけるなって。ほら、こっちに来いよ、きちんと涼に俺達の関係説明するから」
「し………信じらんねー、サイテー! 壮太のあほんだら!」
 捨て台詞と共に、あかんべーまでして緑は部屋を飛び出した。
「いいの? 彼、追いかけなくて」
 そんな緑を冷静に見送っている壮太に視線を移し、涼は尋ねた。
「大丈夫だろ。あいつの姉さんに、緑を大切にしますって報告したって言った時も、同じ台詞で怒ってたから。しっかしなぁ〜、あほんだらとは……」
 壮太は緑の捨てぜりふに苦笑していたが、涼にはそんなことより、彼の発言に興味をそそられた。
「報告って……。じゃあ、家族公認?」
「そういうわけでもないんだけど、緑とこういう関係になったきっかけって、彼のお姉さんに一目惚れしたせいだから」
「……理解不能。どういうことだ」
「それを詳しく説明するために、緑を追い払ったわけじゃないって。何か話したいことがあって来たんだろう?」
 ── 何故悟られた? ──
 壮太の問いかけに、涼は一瞬息を呑んだ。
 が、すぐに自分の姿が普通ではなかったことを思い出し、納得する。
 もし自分が壮太の立場であっても、友人が礼服でいきなり自宅に訪問すれば、単に遊びに来たとは思わないだろう。特に普段の服装を熟知しているのなら。
「バレバレか。しかしまあ、何から話していいものやら」
「有る程度端折ってもいいぜ。俺、お前が『RYO』だって知ってるから」
「はい?」
 ── そりゃあ、知ってるだろう。いくら俺だって他人の家には遊びに来ない。
 と、壮太が二重かぎかっこを使って話していることなど知る由もない涼は思った。
「確かにお前の選択は賢かったと思うよ。和泉澤でも特に世間知らずの集まる音楽科、しかも人数が極端に少ない調律を選んだんだからな。でも、それって危ない賭けだと思わなかった?」
「すまん、話がさっぱり見えん」
「耳のいい連中の中に居ることが不安じゃなかったのかよ。敢えて声楽を専攻しなかったのに、音楽科を選ぶ必要はなかったんじゃないか? フォーチュンのRYO!」
「……ふぅ。知ってるってそういう意味か。迅樹も案外いい加減だな、和泉澤でも霞ヶ丘出身でも音楽科を専攻するような奴は、ニューミュージックなんて聴かないから大丈夫だって言ってたのに」
 涼は大きく息をついた後、冗談めかして風折にいちゃもんをつけた。
「なるほどな。流石の風折先輩も、俺みたいな例外は予想できなかったってことか。否、俺が志望学科変えたのって、かなりギリギリだったから、調査データが正確じゃなかったんだな」
「一人くらいなら、何とでもなると思ってたんじゃないのかな。実際三ヶ月位は壮太に監視がついてたよ」
「ひぇ〜、そこまでする。じゃあ、涼は僕たちの秘密を知ってたのね。イヤ〜ン」
「ばか、知るわけないないだろ。迅樹がそんなことしてたのだって、知らないことになってるんだから。それより、俺のこと知ってたんなら、何で今まで黙ってたわけ?」
 涼の言葉が気にかかり、壮太は一瞬眉を寄せたが、すぐに意識を切り替え、彼の質問に応えた。
「最初は確信が持てなかったからだけど、そのうちどうでも良くなったからかな。同じ専攻でお友達になれそうなの、涼くんだけだったし」
「お互い浮いてたってことか。俺はともかく、壮太はどうして音楽科に?」
「なんだかなぁ、今更自己紹介もないって感じだけど、聞きたい?」
「話したくないならいい。人間それぞれ事情があるっていうのは俺も一応知ってるから」
「否ね、話したくないってわけじゃないけど、内容が結構ヘビーだから。今日はどっちかっていうと、涼の話したいこと聞いた方がいいと思うんだよね。機会があれば話すよ」
「そういわれると、俺も今は人の重たい話を聞ける精神状態じゃないな。っても、それこそ壮太が俺の秘密を知ってるんなら、話すこともない気がする」
 『どうしようかなぁ』と、正に顔に書いてあるといった表情の涼を見て壮太は、素敵な提案を思いついた。
「取りあえず、今日はカラオケ行こう。生歌聞かせてくれよ」
「否、俺、カラオケは……」
 どうやら、壮太の素敵な提案は、涼にとってはそうじゃなかったらしい。
 しかし、壮太は涼の周りの人間の様に、腫れ物を触る如く彼を扱う必要は無いと感じていた。
 なぜなら、それが却って人をブルーにさせるという事実を、壮太は経験から知っていたからだ。
「いくらお前がカラオケ断ちしたって、杉崎さんは生き返らないの。それより、葬式の時みたいに一周忌にも思いっきり歌ってやった方が喜ぶって」
「……かなわないな、壮太には。言っとくけど高いよ、俺一応プロだったんだからね」
「解ってるって。今日は俺のおごり」
「安く見られたもんだな」
「調子に乗るな、『元プロ』のくせに」
「ハハッ、もっとも」
「……それより、先刻から思ってたんだけど、お前の今日の恰好、カラオケボックスで注目浴びそー」
「ほっとけ!」
 言葉を荒げながらも、涼はすがすがしい表情で、本当に久しぶりにカラオケへと足を向けたのである。

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