昼下がりの保健室《番外編》(1)
〜in southern island 〜



「天王寺先生?」
「ん? 何かな?」
「何でこういう状況になっているのかが、俺にはさっぱり解らないんですけど……」
「偶然だねぇ、中原先生。僕もさっぱり解らないよ」
 某南の島(日本国内)の某コテージ(というか、単なるこ洒落た一軒家)。
 その玄関先で、先日収まるところに収まったできたてほやほやカップル、保健医天王寺と新任美術教師中原は途方にくれていた。
「しかも、どうやら家中の入口っていう入口に全部鍵がかかってるみたいだな」
「鍵なんてかけなくたって、誰もいないのに……」
 手分けしてベランダと裏口の施錠の有無を確認した結果得られた事実。
 自分たちは締め出しを食らっている。
「……どうして?」
 そんな中原の呟きに、天王寺はさあねと言わんばかりに両手をあげた。
 もちろん、その理由が天王寺には解っていたけれど、それは中原が知る必要がないからだ。

☆   ☆   ☆

 天王寺と中原が締め出しを食らっているコテージは日本有数の財閥、風折コンツェルンが所有する保養所のひとつだ。
 関連企業の人間ならば、誰であっても格安の料金で利用が可能だが、実は和泉澤学園もその関連企業のひとつに含まれていることはあまり知られていない。
 当の教員達にでさえ。
 なぜなら、風折コンツェルンの保養施設を使用しなくとも、和泉澤学園の福利厚生は充分整っていたからだ。
 大体にして福利厚生ハンドブックだなんて名前の小冊子は、毎年更新されて全員に配られる割には、各自が5年に1回位必要に迫られて見る程度だ。
 よって、10年程前に『保養所利用可能企業一覧』に加わった、風折コンツェルンの名前を確認している者など殆どいなかったのである。
 しかも、気づいていたとしても、よその企業の保養所を利用するなんて面倒だし、肩身が狭いような気でもするからだろうか、その利用頻度は極端に低い。
 確かにそれを利用するには、風折コンツェルンの場合を例にとるのなら、庶務グループに連絡を入れ、利用したい保養所の予約を取り、更に別口に総括メールセンターに申請をして送り返されてくる優待チケットを受け取らなければなならいという手続きが存在する。
 が、冷静に考えればどこかのリゾートホテルに予約を入れるのと、その手間にさして違いはないし、もちろん肩身が狭い思いをするなんてこともない。
 ましてや、全国に183ヶ所ある風折コンツェルンの保養所の中で、人気はイマイチどころかイマサンくらいな、だらだら時を過ごす以外にはとりたて娯楽の存在しない半無人島(利用者の滞在期間中には一応管理人が同行する)では、そんなことを感じられるはずもない。
 ともかく、たとえどんな状況であっても、こんな天国みたいな場所(あくまでも天王寺にとって)を見逃す保健医ではなかったし、自分の父が風折コンツェルン本社で海外業務推進部に所属していることもあって、彼はこの保養所の利用をためらわなかった。
 それに、無人島を探検するのは男の子なら誰でも夢見るロマンってやつだよ、と、変なところでロマンを大切にする天王寺の父は、天王寺が小学生の間ずっと、毎年夏になると家族を連れて3日ばかりここで過ごすのが常となっていた。
 今になって思えば、人で混雑したリゾート地に疲れに行くよりも、自分がのんびりしたいので、訳のわからないロマンで家族を煙に巻いたのかもしれない──というよりこれは確実だ。流石に中学生になって口も達者になった息子から反撃される前にと、その年から夏の旅行はパスポートのいる場所に切り替わったのだから。
 とはいえ、その男の子のロマンってやつのおかげで、天王寺には管理人との面識もあったし、地理もわかる。
 夏で海辺で無人島。
 人の気分を開放的にさせる条件は充分に整っている。
 それにつられて恋人の中原が開放的になってくれれば、それにこしたことはないが、まあ、その件に関しては多大な期待は抱かないことにして。
 実際、今回の旅行の主役は自分たちではなく、例の保健室常連客の浪岡君だ。
 更に、もう一人。
 それは、天王寺が関係を持っていた5人の生徒の内の一人で、がたいも顔もそこそこいいが、不器用で……という本編では1行っきりで端折られた生徒である。
 その名は冬野椿(とうのつばき)。
 親が字面だけを意識してつけたのがあからさまな、見た目と似合わぬ女名前を持つその彼は──
 何を隠そう、浪岡のクラスメイトでルームメイトで切ない恋の相手だった──

☆   ☆   ☆

「本当に南の島だとは……」
「びっくりですよね」
「納得いかねぇ〜」
 飛行機に乗ること1時間半。最寄りの空港からタクシーで30分。更に、船に乗り換え一番近くの島まで2時間。最後にその島からモーターボートで15分。
 羽田空港を起点にすると、天王寺の言う南の島はそういった場所にあった。
 いい加減にぐったりしていた同行者が、その島に降り立った途端、中原・浪岡・冬野の順でそれぞれ発したのが冒頭の言葉である。
「僕はちゃんと南の島って言ったじゃない」
 まったく人の話を聞いていないんだからと、提案者である天王寺は不満気な声をあげるが、そう言われたからといって、誰が無人島にやってくることを想像できるだろう。
 パスポートいらずで行けるということもあり、中原も浪岡も、西表島だとかの比較的知名度のある島に向かうことをイメージしていたのだ。
 但し、直前になって急遽このツアーに同行することになった冬野椿を除いて。
 元々冬野だけは、中原、浪岡とはこのツアーに誘われた経緯が違う。
 東北の片田舎で夏休み実家でこれといってすることもなく、更に会いたい人間に会うことも出来ず、新学期を指折り数えて待って居た時に、『浪岡連れて無人島に行くけど、お前どーする? あんまりぐずぐずしてると僕が貰うよ。ちなみに出発は明日の早朝だから。まあ、冬野が来たところで貰いたい時は貰うけどな』と、なんとも感じの悪い電話を天王寺から受けたのだ。しかも、夕方遅くに。
 何事かと目を丸くする親に、明日から学校で飼ってる羊の飼育当番だってこと忘れてた。だから学校に帰るっ! と叫んで、今まで4年間一度もそんな当番なかったじゃないかとか、なんでウサギやニワトリじゃないんだとか、彼らにそんな当たり前の疑問を抱かせる間もないくらいに素早く実家を飛び出した。
 交通の便が恐ろしく悪く、学園に戻るまでにアクセスがうまくいっても半日程度かかってしまう場所に住む冬野には、8時27分に最寄りの駅を発車する鈍行を逃すと、一番近い特急停車駅から発車する夜行列車に乗れなくなる。
 それに乗れなければ、明日の朝までに関東に着く術がなくなるだけに、冬野は駅までの道のりをチャリンコでぶっとばした。
 帰るのに半日かかる? それ、既に海外だろ、と友人に揶揄されるのもこの有様では仕方ないのかもしれないと、無事夜行列車に間に合あった冬野は、窓ガラスに映るなんとも情けない表情をした自分の顔を見つめながら苦笑した。
 しかも、親にした言い訳が羊の飼育当番だというのも我ながら笑える。
 もちろん、学園では羊なんて飼っていないし、たとえ飼っていたとしても生徒に飼育当番をさせることなど有り得ないだろう。
 浪岡のふわふわした天然パーマの髪と優しげな瞳がなんとなく羊を思わせる上、今にも狼に食われてしまいそうなこの状況が、きっと自分にそんな台詞を吐かせたのだ。
 既に浪岡が天王寺に拉致されているという訳ではないのだから、焦っても仕方ないと思いつつ、結局は一睡も出来ないままに冬野は東京駅に降り立った。
 更に京浜急行バスに乗り換えて45分、冬野が羽田に到着したのは乗るはずの飛行機の最終搭乗案内がアナウンスされている時で。
「本当に間に合うとは思わなかったよ」
 と、にやにや笑う天王寺は言葉とは裏腹に、冬野のチェックインもきちんとしてくれていたらしい。
 唖然とする浪岡と誰だコレと首を傾げる中原を促してゲートへと急いだ。
 きちんと自分のことを待っていてくれた天王寺に対して、そーいえばこいつは口にする言葉ほど悪いことはしない奴だった、と冬野が感謝したのも束の間、その思いはあっさりと撤回される。
 なんでわざわざそんなことするよ、と冬野でなくても思うだろう。
 彼らの席は意味無く2席ずつ離れたところに取られていたのだ。
 まあ、それだけなら予約の都合もあるだろうから納得できるとしてだ。
 だが、その振り分け方が何故天王寺&浪岡と中原&冬野になるのだ。
 どう考えても生徒&生徒と先生&先生という振り分け方が常識的に決まっている。
 いや、仮に先生&生徒という組み合わせを取るとしたってこれはない。
 自分だけならまだしも、中原にしたってこの振り分け方は不満だろう。
 真相の程は確認が取れていないが、あの腐れ保健医とこの新人美術教師はいい仲だというのが、学園内のもっぱらの噂である。
 生徒の手前、あからさまに不満そうな顔をするのも何だとでも思っているのだろうか? 中原は冬野に色々と話しかけてくるが、はっきりいってそれどころではない。
 生返事を続けていると、しばらくして中原も冬野との会話をあきらめたらしく、チラリと保健医に恨めしそうな視線を流した後、ジャケットのポケットから文庫本を取りだした。
 そんな中原は気の毒だし、自分はもっと気の毒だ。
 恋人を放っておいてまで、人が欲しがっている物を横取りするかと、冬野はこぶしをぎりぎりと握り締める。
 その件に関して自分が保健医に相談に乗って貰っているという事実は、もちろん今すぐ忘れることにした。
 『冬野が来たって貰いたいときは貰う』
 どうやら、あの保健医はそれを実践する気が満々の様である。
 ── そう、思い通りに行かせるか。
 斜め前方の席に座る天王寺を睨みつけながら冬野は小さく鼻を鳴らす。
 向こうについてしまえば、圧倒的にアドバンテージは自分にある。
 これが高級フランス料理店での勝負だというならば、自分が天王寺に勝つ術がないが、無人島となると話は別。
 ── サバイバーで評価されるのは、使える人間だと決まってんだよっ!
 と、思って降り立った無人島。
 それは、冬野の期待を大いに裏切った。
 なんと言えばいいのだろう──
 目の前に現れたその光景は、海辺の別荘といった感じで。
 ひさしのついたテラスに白い丸テーブルのセットなんかが置かれてちゃったりしている。
 更に、『ようこそいらっしゃいました』だなんて、100m程離れた場所に建っているログハウスから出てきた管理人に出迎えられてしまったら、既にここは無人島などではない。
 それが冒頭の納得いかねぇ〜という、言葉になって現れたのである。
 ならば、冬野が想像していた無人島生活とはとはどんなものか?
 それは、浜辺にテントなんか張っちゃって、流木を集めて火を熾し、山に入って食べられる木の実を取ってきたり、海に潜って魚を捕ったりしちゃうものだった。
 つまり、冬野の思考回路はそういう単純な作りなのだ。
 普通に考えれば、保健医がそんな、思い切りよくアウトドア〜な場所に行く筈がないと想像がつきそうなものなのに。
 そして、この勝負。
 傍目にはアドバンテージ天王寺のまま、3日目の朝を迎える。

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●和泉澤TOP●


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