Pain in my Heart  (1) 原作:諸々の事情により秘密
Novelize:諸々の事情により冴木


 春は出会いの季節というけれど──
 世の中には、そんな機会に極端に恵まれない場所も存在するのである──

 ってな訳で、本日から和泉澤学園附属の高等部1年生である、佐藤尚紀は大きなため息をつきつつ、中庭を通り抜けていた。
 尚紀の居る第2寮は敷地内にあるにも関わらず、校舎に到着するまで5分程度かかる。
 なぜなら、どういう嫌がらせだか知らないが、寮を出てから敷地沿いにぐるっと回って反対正面にある校門からしか学校に入れないようになっているからだ。
 しかも、編入生や学年トップクラスの人間が入っている第1寮は、敷地外に隣接した土地を購入して建てられているというのに、地下道で直接校舎に行けるのだから尚更腹が立つ。
 新たな出会いも期待できず、高等部に進んだからといって変わったのは通学にかかる時間と制服だけ。どんなに尚紀に悪意を持ったクラス分けをされたところで、確実に友人が4〜5人は存在するという、この状況で新生活に胸躍らせることなどできる筈がない。
 あげくに通っている学校が男子校ときては、尚紀のため息は大きくなるばかりだ。
 そんなに愚痴るくらいならば、男子校なんぞに入学しなければ良いようなものだが、受験という名目で学校を休んでみたくて、ダメ元で受験したのが運の尽き。理系だけには滅法強い尚紀は、中等部に合格してしまった。
 合格したら最後、本人の意思など関係なく、親は尚紀を和泉澤に入学させた。
 もちろん名門校という理由もあるだろうが、和泉澤の授業料はその辺の公立校と大して変わらないという、私立にあるまじき安さなのだ。しかも、全寮制で寮費と小遣い合わせて月に3万も振り込めば充分間に合うというのであれば、下手に自宅で養っているよりもずっと安く上がる。
 自分の母親はその辺を見越して、半分脅すようにして、この学校に自分を進学させたのだという、妙な自信が尚紀にはある。
 ウチの母親は絶対にそーゆー奴だ。
 とはいえ、尚紀自身がこの学校を気に入っていることも確かで。
 付属大学の医学部に進学したいとか、生徒会役員になりたいとさえ思わなければ、成績はそこそこでこと足りる。
 点呼を終えてから部屋を抜け出しての徹夜麻雀、休み前の酒盛り、女を連れ込むことを除けば、大抵のことはできる。
 それにしたって、流石に夜中に抜け出すのはセキュリティの問題があって不可能なものの、届けを出しておけば外泊するのはたやすい。
 ただ、所詮は男ばかりに囲まれて青春時代を無駄に食いつぶしている男子高生の集まり、そんなに甲斐性のある奴はほんの一握りしか存在しないのも事実である。
 もちろん、尚紀もその一握りの中には入れないひとりだが、今のところは女の子よりも友達と連んでいる方が気が楽な感じがするから、特別不満もない。
 だけど、それはそれ、これはこれ。
 楽しくても変化のない毎日というのは、それに気付いた時、急にむなしくなるものなのだ。
 へい、そこの旦那、あっしは今日の入学式に合わせてこんなに綺麗に咲いて見せたんですぜ、とでも言わんばかりに満開の校庭の桜は、残念ながら入学式にありがちな記念写真に納められることはなかった。
 一応入学式と銘打って、校門に看板を出してはみているが、エスカレーター式のこの学校では、入学式は単なる始業式扱いだ。
 残念だったな、お前。
 と、その桜の木を眺め、教室に向かおうとした尚紀はその足を止めた。
 桜の木の向こう側に、座り込んでいる生徒が見えたからだ。
 制服の色合いからも、その人間は自分と同じ、1年生なのは明白で、具合でも悪いのかと気になった尚紀は、少々角度を変えて、その人物を確認した。
 けだるげに額に手を当てて、ゆっくりと深呼吸を繰り返すその様子は、泣いてるようにも見えて。
「あっ…」
 尚紀の口から、思わず声が漏れた。
 この声に、まさか桜の木の精ではないだろう、その人間は、ビクッと反応して、尚紀の方を振り返る。
「悪い、おどかした?」
 咄嗟に謝ってみたが、そいつはふいっと視線を外す。
「もうじき、式始まるぞ」
 好奇心が旺盛で、人なつこいのは尚紀の長所であり、短所でもある。
 自分のことは棚に上げ、尚紀は再び話しかけた。
「わかってるよ」
 そんな尚紀の態度とは裏腹に、素っ気なく言って、彼は立ち上がり、鞄を掴んで駆け出した。
 その背中を見送りながら、尚紀は唇の両端をつり上げた。
 ── 結構、かわいいかも。
 と、それは違うと突っ込みが入りそうな、男子高生が同じ男子高生を形容するには、ちょっと的はずれにことを考えながら。

☆   ☆   ☆

 尚紀の退屈だ〜オーラが天に届いたのかもしれない。
 掲示板のクラス分けを眺めて、教室に向かった尚紀は、先程のつれない君が、同じクラスにいることに気付いた。
 尚紀、また同じクラスだな〜等という、クラスメートの声をかき分けながら、その人物へと近づく。
 初めて見た顔にも関わらず、否、初めて見た顔だからこそ、尚紀にはこの人物の正体に心あたりがあった。
 なんの躊躇もなく、顔を覗き込み声をかける。
「よぉっ、奇遇だな〜。同じクラスなんて」
 そんな尚紀に彼は眉をひそめる。
「見かけない顔だよな。ひょっとして外から入ってきた?」
「そうだけど……」
 彼の何だよお前、という視線をものともせずに、尚紀は続ける。
「へぇ〜、やっぱりお前か。天王寺渉だろ、すげーな、今年高等部の入試通ったの1人だけだって聞いたぜ」
 そう、この学校は中等部を受験するのならば、尚紀がまぐれ合格する程度のレベルであるが、高等部、大学部となると話は違う。下手すりゃT大よりも難関だと噂される、この学校の入試問題は、高等部のものであっても眩暈がするほどマニアックで、2〜3年に1度くらいしか合格者が出ない。
 去年はいなかった外部入学者が今年は出たというんで、一時期そいつの噂で持ちきりだったのだ。
 天王寺渉というのは、その時、どこからともなく漏れ聞こえてきた名前だ。
 それを聞いて彼──天王寺渉──は、はんっ、俺だけ新参者って訳ね、と先程からチクリチクリと感じていた視線の訳を知った。
「別に、来たくて来た訳じゃないから」
 そう、これは事実だ。
 両親を無くしてからお世話になっていた親戚の叔父さんの海外転勤で、行く場所が無くなって仕方なく。
 自分ではある程度大人なつもりでも、叔父さんはそうは見てはくれないらしく、渉をひとり残して転勤なんてと、その栄転を蹴ろうとさえしたのだ。
 今まで散々お世話になっておいて、これ以上迷惑はかけられない。
 もともと、別の有名私立に通っていた渉だが、根性で全寮制のこの学校に入学したのだ。
 有名で生徒の質もいいというこの学校は、事実はともかく、叔父さんが安心するもう一つの理由もあったからだ。
「あ、そーなの」
 そんな渉の言葉に、尚紀は信じられないと言わんばかりに目を見開いた。
 来たくなくて、この学校の入試に合格できるなんて、一体どーゆー奴なんだ。
 と、思いはしたものの、驚いてばかりいては会話は続かない。
「えっ、えーと……。あっ、そうだ、俺、佐藤尚紀っていうんだ。よろしくな。尚紀って呼んでくれていいから。尚紀の尚は和尚の尚で、紀は世紀末…」
 勢い込んで自己紹介を始めたものの、渉は俯いたままだ。
 聞いてるのか、それとも寝ているのかと、尚紀は渉の肩に手を掛けた。
「なあ、聞いてる?」
 途端──
「触るなっ!」
 一瞬、教室が静まりかえる程の声を上げて、渉が尚紀の手を振り払った。
 唖然とする尚紀を見て、渉は自分が反射的に取ってしまった行動を恥じる。
「あ……、ごめん。ぼーっとしてて。俺……人に触られるの嫌いなんだ」
「あっ、悪かったな」
 冷や汗をかきつつ告げる渉に、尚紀は素直に謝罪した。
 知らなかったとはいえ、他人が嫌がることをしてしまったことを反省したからだ。
「尚紀ー、見たぞ〜。フラれるところ〜」
 多分、興味津々で自分たちを見物していたであろう、友人のひとりが茶化してくる。
「うるせーよ」
 づかづかと友人の方に歩み寄って、冗談で襟元を掴みながらも、尚紀は考えていた。
 叫び声と共に払いのけられた、自分の手。
 しかし、あの様子は、触られるのが嫌いというよりも、もっと別の何か──恐怖……?

☆   ☆   ☆

 その後、尚紀は何かというと、渉にまとわりついて話しかけはみたものの、結局あまり打ち解けて話せる関係にはなれなかった。
 どーしたもんかなぁ〜と、授業の為、音楽室でぼや〜としてた尚紀は、ふと周りを見渡して、渉の姿が見えないことに気付いた。
 人数は少ないくせに、やたら広いこの学校。教室は中等部と殆ど同じ配置で並んでいるから、自分たちが迷うことはないが、もしかすると渉は迷っているのかもしれない。
 尚紀は渉を捜しに出ることにした。
 間違うとしたら、L字型校舎の反対端だな、と見当を付け、角を曲がる。
 ビンゴッ。
 口数の少ない渉。それでもその殆ど一方的な会話の中から引き出せた渉の茶髪の理由は、別に染めている訳ではなく地毛なのだそうだ。
 廊下を曲がった瞬間、尚紀の視界にその茶髪が飛び込んできたのだ。
「わた…」
 と呼びかけようとして、途中でその声が消える。
 なぜだか解らないが、白衣を着た男が、渉の前に立ちはだかっていたから。
「相変わらず、愛想のない奴だな。愛しの兄との感動の再開を少しは喜んでくれてもいいじゃないか」
「誰がっ。あんたとはもう、関係ないっ」
「つれないこと言うなよ。昔はあんなに…」
 一体これは、どういう展開なんだ? と尚紀の頭の中がパニックを起こす。
「やっ、やめろよっ!」
 だが、渉が今度は完全にそうと解る、恐怖を含んだ声をあげるのを見て、尚紀は我に返った。
 よく見ると、白衣の男が渉に向かって、今にも頬に触れんばかりに手を伸ばしていた。
「オイ、おっさん。嫌がってるじゃないか」
「何だ君は」
 おっさんと呼ばれたことにか、それとも邪魔されたことに腹を立てたのか、白衣の男は尚紀に向かって冷ややかな視線を投げる。
「渉が見あたらないから、探しに来た」
 尚紀も負けずに白衣の男をにらみつけた。
 そして、今度は笑顔で渉に向かって告げる。
「教室、わかんないんじゃないかと、思ってさ」
「佐藤……」
 じゃなくって、尚紀だっけか、と思いながら、渉はちょっと感動していた。
 あんなにそっけない態度を取っている自分を、わざわざ探しにきてくれた、このクラスメートの行動に。
「行こうぜ。授業始まる」
「あ、ああ……」
 未だ、足が動かずにいる渉を促して、尚紀は白衣の男に背を向けた。
 が、2〜3歩進んだところで思い直し、そいつを睨みつけてやる。
「兄弟だかなんだか知らないけど、あんまり渉のこといじめるなよ、先生」
 タンカを切って、今度こそ渉を連れて音楽室へと向かう。
「今の、ウチの先生だよな。お前の兄貴なのか?」
 廊下の角を曲がり、白衣の男が見えなくなったのを確認して、尚紀は渉に問いかけた。
 その尚紀の問いに、渉は唇を噛みしめた後、低い声で言った。
「……あんな奴、俺は兄だなんて認めない」
 そんな渉にかける言葉が見つからず、尚紀はただ、黙って彼を見つめていた。
 そして、その頃。ひとり取り残された白衣の男は、二人の背中を見送った後、「面白い……」と呟き、不適な笑みを浮かべていた。

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