Pain in my Heart (4) | 原作:諸々の事情により秘密 Novelize:諸々の事情により冴木 |
尚紀が渉に腹を蹴り上げられてから、ひと月あまり。 これといった事件もなく、時は過ぎた。 ゴールデンウィークは家には戻らないという渉に付き合って、尚紀も残り、殆どを彼の部屋で一緒に過ごした。 といっても、彼らに友達つき合い以上の進展があった訳ではない。 第2寮に入っている人間の殆どが第1寮の内部を目にする機会はない。 何でも入るのにIDカードが必要だとか、各部屋の前にSPがひとりずつ立っているだとか、廊下の角を曲がる毎に数学の問題を解かされて、1分以内に解けないかったら、二度と戻ってはこれないだとか、あげくに、10年前に第1寮に忍び込んだまま本当に帰ってこない奴がいるだとか……好奇心旺盛な男子高校生でさえ流石に近づくのを躊躇する、都市伝説まがいの噂が流れている、おっかない場所だからだ。 もっとも、自分たちでも噂しながらも、彼らは別にそれを鵜呑みにしている訳ではない。 ただ、成績で入寮が決められるという割には、何故だか有力者の息子が入っている場合の多いその寮には、本当にSPぐらいは居てもおかしくないと思うから、危ない橋は渡らないだけだ。 そんな噂話を渉に振ると、大笑いされ、今から来るかと誘われた。 その誘いに一も二もなく乗っかってみて解ったことだが、確かに表玄関と学校から続く地下通路の入口にガードマンは立っているものの、今回みたいに寮の住人と一緒でなくとも、和泉澤の学生ならばノーチェックで通してくれるのだそうだ。 結局、噂なんてこんなもんだよなぁ〜と思いながら、学生寮の玄関ホールにシャンデリアがぶらさがっているのに別の意味で驚いて。 更に、渉の入っている部屋に通されて、尚紀の驚きはピークに達した。 「コレ……、俺んちより広いぞ」 玄関先でまずその広さに驚き、中に入って更に驚く。 尚紀の実家(?)も、同じ3LDKのマンションなのだが、断然渉の部屋の方が広い。 すげ〜、俺もこんな処でひとり暮らしをしてみたい、と思う反面、たったひとりでこんな部屋に住んでいたら淋しいだろうなという気もした。 渉に聞けば、そんなことより、掃除の方が大変だよとの返答。結局、寝室以外の2部屋は使わないままなのだそうだ。 もっとも、誰かさんのように、この広さの部屋を2人暮らしとは言え、完璧に──というか足りない位に──活用できる高校生の方が少ないというのが真実だろう。 尚紀があまりにも感動しているので、渉は苦笑しながらも泊まっていくかと話を振った。 更に「下の食堂うまいぜ、とくにナシゴレンが」という台詞に尚紀はもうくらくらしてしまう。 なんで、寮にくっついている食堂のメニューに『ナシゴレン』だなんて、尚紀が聞いたこともないメニューがあるのだ。しかも値段が300円ときたもんだ。そんな食堂、採算が取れるはずがない。 畜生、だから、俺達の朝飯には週に3回も納豆が出るのかと尚紀はこぶしを握りしめる。 どーして、うどんとかラーメンとかカレーライスじゃないんだっ! 「ばかだな、尚紀。それが例の噂の真相に決まってるだろ」 憤る尚紀に渉はあっさりと言った。 渉の語る真相とはこうだ。 学食とさして変わらない値段で、しかも食券争奪戦に参戦することなく、うまい物が食えるならそれにこしたことはない。 つまり、運良くその食堂の存在を知りうることのできた人間は、既に常連となっている──大抵の場合は──先輩達から、厳しく箝口令を敷かれるのだそうだ。 例の噂は他の学生をみだりに第1寮に近づけないために流されたものだと。 ウチの学校って…… ちょっぴり、遠い目をしてまった尚紀だが、渉に連れられていった食堂のナシレゴンの美味さに、誰に言われるまでもなく、口を噤むことを決心したのだった。 結局、人間なんてそんなもんさ、と乾いた笑いを発しながら。 それに、たった一回渉と食事をしただけで、気付いてしまったから。 渉が言った通り、結構な人数がその食堂を訪れているにも関わらず、新顔を連れてきている渉に話しかけてくる者が誰もいないという事実に。 渉がいつもはたったひとりで食事をしているのだと、いうことに。 ☆ ☆ ☆ そんなこんなで、尚紀がせめて昼食だけはと渉と食事を共にするようになってから暫く立った頃。「なあ、尚紀。最近、天王寺の奴明るくなったよなー」 放課後帰り支度をしている尚紀の元へクラスメートの坂口が話しかけてきた。 「うんうん、初めは神経質そうで、ちょっととっつきにくかったけど」 「今じゃ、俺らのヘンな話とかも乗ってくるしな」 その話に、尚紀が返答する間もなく、隣の席の桜井が乗っかる。 「まーねっ。これも、俺様の愛の力ってやつさ」 ヘンな話ってどんな話をあいつにしてんだよ、と思いつつも、渉がクラスになじんできたのが嬉しくて、腕組みしながら冗談を一発かます。 「尚紀、寝言は寝て言えよ」 「いや〜、でも、確かにこいつら地味にアヤしいって」 坂口はともかく、桜井の突っ込みに尚紀は固まった。 なんで認めるよと。 こいつらは友達だから、何を言っても冗談だし、もし仮に本当に尚紀と渉がアヤしかったとしても、それはそれで認めてくれるだろう。 ちなみに、この3人が仲良しなのは、元々は出席番号が近かったせいなのだが、今となっては関係ない。 そして、こんな記述は話の内容にも関係ない。 閑話休題。 しかし、昼休みとなると2人でどこかに姿を消す彼らに、──極、一部の人間だが──悪意を持った噂話をする奴がいることも確かで。 自分はともかく、渉に何かあったら、と尚紀は時折不安になる。 変な噂話をしている奴なんて、結局は口だけだから何とでも出来る。 本当に不安なのは、その噂を耳にした時のアイツの行動だ── ☆ ☆ ☆ 「あれ? 渉は?」生徒指導室にプリントを取りに行って戻ってきた時、先刻まで教室にいた筈の渉の姿が見えなくなっいた。 待ってるって言ってたのにな、と疑問に思った尚紀は、副委員長の北森に問いかけた。 「ああ、身体検査の書類取りに保健室に行ったぜ。保健委員が風邪で休んでるから代わりに。保健委員が風邪ひいてどうするよ」 それは無茶というものだ。 看護士だろうが医者だろうが、風邪をひくときはひく。ましてや、保健委員なんて単なる高校生以外の何者でもない。 それはともかく、北森の言葉で尚紀は顔色を青くした。 「ほっ、保健室だぁ〜」 慌てて机にプリントを放り出し、保健室に向かおうとしたところで北森に制服の襟首をつかまれる。 「待て、行くならアンケートの集計済ませてからにしてくれ。気持ちは解るが、何も毒蛇捕まえに行った訳じゃないんだから」 あいつはそんじょそこらの毒蛇よりも毒があるっ、と思いながらも、不用意にそんなことは口に出来ず、尚紀はしぶしぶ椅子に座って、アンケートの束を取り上げる。 「畜生、雑用ばっかりやらせやがって」 「お前は張り切って立候補したんだろ、自業自得じゃないか。俺はくじ引きで負けて副委員長。なのに、やってる雑用は同じ。愚痴を言いたいのはこっちの方だっての……」 悪態をつきつつも、ものすごいスピードでアンケートの集計をしていく、尚紀を見ながら北森はあきれた様に呟いた。 そんな北森の呟きは、尚紀の耳を素通りする。 なにか──とてもイヤな予感がして。 ☆ ☆ ☆ 「そこ通せよっ!」尚紀の予感は当たっていた。 天王寺に保健室の入口に立ちはだかれ、渉は保健室から出られないでいた。 「まあ、待てよ渉。最近冷たいじゃないか。前は僕たちあんなに仲が良かったのに」 「もう、一生仲良くする気なんてないねっ!」 「意地っ張りだな」 渉の言葉に天王寺は頬をゆがめた。 「だが……、そう言っていられるのも今のうちだけだ」 言葉と同時に天王寺の手が、渉の両手首をつかみ、そのまま壁へと押しつけられる。 「なっ、何す…」 渉は抵抗をしようと思うが、そんな気持ちとは裏腹に抗議の言葉でさえ途中で消える。 ── 動けない、身体がすくんで…… そんな渉を見て、天王寺はにやりと笑うと、右手で渉の顎を捕らえた。 「う」 ── もう、まともな言葉さえ出ない。 そんな自分がなさけなくて、渉の目から涙がこぼれる。 その涙をゆっくりと舐め取った後、天王寺は渉の首筋に唇を移した。 柔らかい肌をついばみながら、時折耳元に熱い吐息を吹き込んで。 その間も天王寺の右手は器用に渉のYシャツのボタンを外し、その中へと滑り込んだ。 ── どうして…… 「……あ」 懐かしいその手の感触は、気持ちとは別のところで、渉に声を上げさせる。 既に相手が抵抗出来ないことを知ると、天王寺はいよいよ本格的に目的を達しようとした。 胸の突起を幾分強く刺激しながら、濃厚な口付けを落とす。 いくら歯を食いしばってみたところで、天王寺は慣れたものだ。渉の弱い処を的確に攻めてきて、一瞬力が抜けたところで、容易にその舌に侵入を許してしまう。 ── 忘れられそうだと思ったのに…… せつなさに、息苦しくなりながら、渉が諦めかけたその時── バタバタバタバタバタと大きな足音が近づいてきたかと思うと、ガタッと保健室の引き戸が音を立てた。 「渉っ!」 聞こえてきたのは尚紀の声。 「なっ、尚紀?」 来てくれた──と思えたのはごく僅かな時間だった。 ── こんなところを見られたら…… 渉の全身から一瞬にして血の気が引く。 「畜生っ、鍵かけてやがるっ。渉っ! 無事かっ!」 尚紀の声と共に今度はガンガンと今にも破られそうな勢いで扉を叩く音が響いてくる。 その扉が開いてしまったら……。 ── いやだ、見られたくないっ。 天王寺の手はこの状況で、未だ渉の肌の上をすべっていた。見たいなら見せてやれよと言わんばかりに。 バンッ! 一際大きな音を立てて、保健室の扉が破られる。 尚紀が器物破損に成功したのだ。 保健室の入口に立つ尚紀の姿が、渉に昔の経験をフラッシュバックさせた。 あの、冷ややかな視線を── 「や……見ないで…!!」 ── 軽蔑される── 渉は身をすくませた。 「てめえ、何してんだよっ。渉から離れろっ!!」 尚紀は躊躇することなく、保健室に踏み込んできて、保健医を渉から引きはがした。 ── え? 「大丈夫か?」 あっけにとられる渉をよそに、尚紀は両肩をつかんで聞いてくる。 その目に軽蔑している色などない。だた、必死で渉のことが心配でしょうがないという様子が伝わってくるだけだ。 「……尚紀」 それが解った途端、突然天王寺に対する恐怖が襲ってきて、渉は目の前の友人にしがみついた。 その震える体を尚紀はしっかりと抱きしる。絶対に他のヤツには触らせないとでもいう様に。 「……そいつの方がいいのか、渉」 そんな渉、保健医は一歩引いたところから問いかける。 「たりめーだろっ」 天王寺の問いかけに、身体を抱く手に一層の力を込めて、渉ではなく尚紀が応える。 「渉」 お前には聞いていないという態度をあからさまに、保健医は再び渉の名を呼ぶ。 その声に、渉は息を止めた。 眼を閉じて考える。 そして── 「…もう、あんたには会わない」 声を震わせながらも渉はハッキリと保健医に告げる。 「……そうか」 と言って、保健医は大きなため息をひとつつく。 「僕は結局、お前を苦しめることしか出来なかったな」 渉にはそういう保健医の方が苦しそうに見えて。 違う──と言いたいのに、やっぱり言葉は出なくて。 渉は尚紀に促されるままに、保健室を後にした。 ☆ ☆ ☆ 「好きだったのか?」泣き顔を見られたくはないだろうと、鞄は後から自分が届けるからと、尚紀は渉を部屋まで送ってくれ、さり気なく問いかけた。 言われて、渉は気付く。 自分が嫌だったのは天王寺ではなく、友人の冷たい視線だったことに。 どうしようもなく、孤独で淋しかった時に、優しく手を差し伸べてくれた人。 頼れるのは彼しかいなかった── 「……あ」 自分の頬をいつの間にか涙が伝っているのが解る ── 好きだったんだ── 「今頃……今頃気付くなんて……」 嗚咽を上げながら両手で顔を覆った渉を、尚紀は今度はやさしく抱きしめる。 「──あいつのことは、俺が忘れさせてやるよ」 「バカ、何言って……」 渉の言葉は途中で尚紀の胸元に消える。 そこから伝わってくるのは、渉の胸の痛み── 「俺が、ずっとそばにいるから」 泣き続けたまま、顔をあげることが出来ない渉に尚紀は告げた。 いつの日か、忘れることができるまで── その、心の痛みが消えるまで── FIN |