1.塚原緑15歳の思うところ

 突然鳴ったチャイムに慌て、履きかけていたスウェットに足を引っかけ、転びそうになっている壮太を見かねて、俺は本人の代わりに玄関へと向かった。
 ドアを開け、相手を確認する間もなく、壮太が奥から文句を付ける。 
「緑、相手も確認しないでドア開けるなよ。この間、新聞とるはめになったの誰のせいだと思ってるんだよ」
 はぁ? それが俺のせいだってか? そりゃ違うだろう。
 だから、今後の為に指摘してやる。
「押しに弱い壮太のせいだろ」
「そういうこと言う。整形でも受けてその減らず口、少し減らして貰ったらどうだ」
「所詮、壮太に叩ける憎まれ口なんて、その程度だな」
「お前みたいに、次から次へと罵詈雑言が出てくる方が異常なんだ」
 吐き捨てるように壮太は言うが、別に俺は罵詈雑言の名手だという訳じゃない。
 壮太よりもちょっとばかり、口がたつだけだ。
 というよりも、壮太は基本的に器用じゃない。針に糸も通せない程不器用とか、そういう物理的なことじゃなくて、目の前のものしか眼中になくなってしまうって意味で。
 その証拠に、多分学校の友達だろう訪問者のことをすっかり忘れてしまっているし。
 再び、指摘。
「あのさぁ、俺はこのまま壮太の相手してやっててもいいんだけど、……お客、ほっといていいの?」
「はぁ? あっ! 涼!」
 俺の言葉に、壮太は慌てて視線を上げた。
 同時に俺も振り返り、待ちぼうけをくらわせていた、客をまじまじと観察した。
 多分、壮太の同級生だとは思うんだけど、服装がちょっと変わっている。
 いわゆる喪服というのだろうか、真っ黒なスーツにネクタイも黒。
 少なくても、友達のうちに遊びに来る恰好だとは思えない。
 葬式帰りか何かなのだろうか?
「は〜い。待ちくたびれてた西沢君で〜す」
 待ちくたびれてたと言っている割には、彼の言葉の調子は怒ってはいなかった。
 どうやら割とのんきな性格の人らしい。
「悪い、上がれよ」
「おじゃま。彼、弟?」
 靴を脱ぎながら、彼は壮太に話しかけた。
 塩をくれと言わないところをみると、どうやら葬式帰りではないらしい。
 しかし、俺が壮太の弟に見えるか? 全く似ていないのに。
 こういっちゃ何だけど、壮太より俺の方がよっぽど美形だぜ。
「否、年は違うけど友人。高等部の塚原緑(つかはらみどり)。緑、短大の友人で西沢涼」
 壮太がその西沢とやらにソファを勧めながら、お互いを紹介してくれる。
 短大の友人ねぇ〜。
「ふ〜ん、わざわざ『短大の』って付ける処をみると、もしかして外部受験の人?」
「ご名答。緑くん、頭の回転早いね」
 彼の返答を聞いて、俺は一気に西沢を見直した。
 のんきな感じを受ける割には、頭はいいらしい。
 ピアノはともかく、勉強では全く役に立たない壮太の友人としては上等だ。
 ここで渡りをつけておくに限る。
「外部受験の人に、そんなこと言われると悲しくなりますよ。壮太なんて4大の枠に入れなくて短大だった口だけど、外部受験って下手な国立大学よりレヴェル高いんでしょう。手、握ってもいいですか? オーラで頭良くなるかも」
「………」
 勢い余って飛ばしすぎた俺の様子に無言で固まっている西沢を見て、壮太が俺の頭を丸めた雑誌でパコンと叩いた。
「いい加減にしろよ。初対面でそんなに飛ばしたら、大抵の人間が退くって」
「だって〜」
 壮太ほどではないにしても、俺だって成績に余裕がある訳じゃない。
 是非、ぜひ、ぜひっ! お友達になっておきたい。
「解った、解った。俺が涼にお前が友人だって紹介したからすねてるんだろう。ちゃんと恋人だって白状するから、嫌がらせみたいに俺の目の前で別の男に愛嬌を振りまくのはやめてくれ」
 なっ、何を言い出すんだ壮太っ!
 自分の顔に一瞬にして血が上るのが解る。
 ずっと和泉澤の人間だっていうならともかく──それでもあまり良くはないが──外部受験の一般人に、たとえ事実とはいえ、そんな衝撃の告白してどうすんだよっ!
 そういえば、こいつは俺の姉貴にも正直に俺が好きだと宣言しやがった、とんでもない奴だった。人間正直過ぎるっていうのも困りもんだぞ、壮太。
 って、そんなことを考えている場合じゃないっ!
「なっ……、何言ってるんだよ壮太」
「とぼけるなって。ほら、こっちに来いよ、きちんと涼に俺達の関係説明するから」
 折角、俺が冗談にしてやろうとしているのに、まだ言うかっ!
 ん? 待てよ?
 ああ、はいはい、そういうことね。
 一瞬、本気で怒りかけたものの、壮太が俺に席を外して欲しがっていることに気付いた。
 やっぱり、友達んちに遊びに来るのに喪服は普通じゃないってことだ。
 でも、黙って追い出されるのは悔しいから、気付いていない振りをすることにした。
「し………信じらんねー、サイテー! 壮太のあほんだら!」
 捨て台詞と共に、あかんべまでおまけにつけて、俺は壮太の部屋を飛び出した。
 寮には夕食不要の届けを出してきてしまっていたので、俺は実家──でいいのかな?──に晩飯を食いに行くことにして、ピッチの履歴を呼び出した。
 ふふん。
 後日、壮太がどんな言い訳をしてくれるのか、まったくもって楽しみだね。

☆   ☆   ☆

「ったく、何だよ壮太の奴〜」
 俺は高等部のピアノ練習室でひとり、ふてくされていた。
 壮太の態度が腹立たしかったのも理由の一つだが、こんな時に限って、いつもの練習室が使えないとくれば、いよいよ気分が悪くなる。
 そりゃ、壮太の言うことはもっともだ。
 友人のプライベートな相談事は軽々しく他人に話すことじゃない。
 頑固で融通が利かなかったりもするけど、口が堅いのは壮太の良いところだし。
 でも、俺が言いたいのはそういう事じゃない。
 あいつは解っているのだろうか? 冗談抜きで、俺の悩み事ランキングの1位は、男にもててしまうことだってことを。
 壮太が高等部に居た頃なら、俺の安全は一応保証されていた。
 毎日の様に高等部に入り浸り、短くはない時間を壮太と共に、ピアノ練習室で過ごす。
 この学校でそんな状態にあれば、俺と壮太の関係が、仮に先輩後輩の域を出ないものだったとしても、この学校内では完全にデキているものとみなされる。
 まあ、俺達の場合みなすもなにもその通りなんだけど、そうみなされている人の中には偽装カップルも存在する。
 実際デキているならまだしも、ノーマルな生徒がカップルを装うには理由がある。
 和泉澤はその環境から男同士の恋愛に対する偏見は少ない。裏返せば、男同士のカップルが少なからずいるということだ。それが特殊な環境での一時的なものの場合もあるし、そうじゃ無い場合もあるけど、下手をすると男同士で男の取り合いという、あまりにも不毛な戦いに発展することもある。
 そこで、不要な戦いとゴタゴタを避けるために、この学校では、いつしか生徒手帳には載っていない裏校則なるものが口伝されてようになっていた。
 結局、和泉澤っていうのは全寮制だから、校則は寮則も兼ねているんだけど、嘘か本当が判断がつきかねる、いんちき臭い噂話も含まれている裏校則。
 その中にあって、暗黙の了解でみんなが守っているのが『公認カップルへの横恋慕禁止』という条項だ。
 その他、夜ばい禁止とか強姦禁止、更には薬物使用禁止なんてものあるけど、それは裏校則以前に法律に違反してるっつーの。
 聞くところによると、寮長にデキちゃいました♪ と申請すれば、基本的に二人部屋のみで構成されている寮の部屋割りを変更してもらう事も可能らしいけど、実際それを申請したって根性のある人は見たことがない。結局、年度が替わるときにどさくさにまぎれて同室に変更してもらっているみたいだ。
 もちろん、2〜3年に1人の割合で高等部に外部受験で入っている人間は、こんな裏校則のことなんて知るわけがないから、特権という名目で、完全一人部屋の第一寮につっこまれる。
 それでも、外部受験へ入ってきた去年の前期生徒会長は、完全一人部屋のその部屋に何故か二人で住んでいたあげくに、そいつとデキてたって言うんだから、環境って怖いよなぁ〜。
 じゃなくって、偽装カップルが存在するのは、その『公認カップルへの横恋慕禁止』という裏校則の効力で我が身を守る為だ。
 とはいえ、俺の勘だと、全くの偽装カップルっていうのは存在しないと思う。
 本人達は自分の気持ちを否定していても秘かに両想いだったり、少なくても片方には好きって気持ちがあったり……じゃないと、そんな関係が成り立ちっこないし、周りも納得しないと思うし。
 そんな中で俺の立場は微妙にヤバい。
 壮太が高等部を卒業したからといって、俺がフリーになった訳じゃないんだけど、裏校則は中・高等部のみで適用されるルールだから、その相手がいなくなった今、俺を守ってくれるものではなくなった。
 実際、壮太が卒業してまだ半年しか経っていないにもかかわらず、俺にアプローチをかけてきた人間は両手の指では足りない位の人数に登っている。
 この顔のおかげで壮太と出逢えたことには感謝するけど、姉貴似の女顔で得したことなんて殆ど無い。
 もちろん、壮太には壮太の新生活があって、慣れない一人暮らしも大変なんだろうし、新しい友人のことを心配するのも、壮太らしい優しさだ。
 でも、今までと違って毎日逢える訳じゃないんだから、俺と逢っている時はその友人の心配をするんじゃなくて、俺のことを見て欲しい。
 言い訳がましいけど、これは単に俺の我侭って訳じゃないと思う。
 誰かになびく気なんて全くないけど、俺が淋しい気持ちになったら、周りに付け入る隙を与えてしまうような気がするから──
 って、既に淋しい気持ちになってちゃ駄目じゃん俺。
 それによくよく考えてみれば、俺は俺でやるべき事がある──
 これからもずっと壮太と一緒に居たいから──
 言っちゃあ悪いが、甲斐性なしの壮太を将来俺が養うっていう目標。
 理由は知らないけど、壮太は腕の怪我のせいで、ピアノを止めたらしい。
 だけど、音楽には関わっていたいって事で、調律師を目指している。
 だったら俺が壮太の代わりにピアニストを目指す。壮太には俺専任の調律師になってもらって、一緒に世界中を飛び回る。
 これって、サイコーじゃない?
 この目標のどこまで実現できるかどうかは解らないけど、少年は大志を抱かなくちゃ。
 俺は自分に気合いを入れるべく、ピアノの蓋を持ち上げた。
 気合いを入れたい時、俺が弾く曲は決まっている。
 いつものグランドピアノじゃないのが、少々不満だが、弾き終えた後の満足感が高くて、激しい曲。
 英雄ポロネーズ──

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