9.まあ、そういうことで〜
「ひぃ〜っ。あいつら単純〜っ」 新がストーカー宣言(笑)をした丁度その時、緑はピアノ練習室で腹をかかえて笑っていた。 確かに緑が普段使わない方の練習室の窓からは、丁度格技場と体育館の間のスペースがよく見える。 が、それは緑がここにいる理由ではない。 B定食の生姜焼きを食べている最中に突然とあるフレーズが頭に浮かび、それをピアノで弾いてみたくなったからだ。 時間がないので、てっとり早くアップライトの練習室へ向かい、実際に弾いてみたら、思ったよりありきたりな旋律で。一応譜面にしておくか否か、少々悩んでいたところで、空けていた窓から、かおると吉田のやりとりが耳に飛び込んできたのだ。 4階程度の高さというのは、案外と外の音を拾う。今日が雨上がりの翌日という理由も手伝ってか、普通の話し声程度の大きさにも関わらず、その声はよく聞こえた。 ── あいつら面識あったっけ? 緑は先刻の新と同じ事を考えつつ、声のする方をそっと覗くと、吉田がかおるに詰め寄りながら、新と別れろとかなんとか言っていた訳だ。 ── えっ? 意外な伏兵出現? 所詮、当事者ではない緑は、面白いもんめっけ、ってな気楽さで、ことの成り行きを傍観することにした。 が、微妙に普段とは違うキャラを演じている吉田と、後から出現してふたりの様子をうかがう新に気付いて、はは〜ん、と納得。 これは緑が一時期かおると行動を共にしていた為に、知りたくも無かったが存在を知るはめになった例の2団体の仕業だろう。 それと解って周りを良く見回してみると、あちこちの植え込みの後ろに怪しくうごめく人影が多数。 あいつらよっぽど暇なんだなと緑は苦笑した。 そんなことに気を取られている間に、下では急展開を迎えていた。 吉田がかおるを壁に押しつけ、それを見た新が思わず飛び出したところに、かおるが思いがけない台詞を声高に発する。 コトを仕掛けた連中だって、ここまで都合の良くいくとは予想していなかったであろう、破竹の急展開だ。 そんなべたべたな手に乗せられちゃうなよ〜、しかもストーカー宣言しちゃうなよ〜。 斯くして緑はピアノ練習室で昼休み中笑い転げ、あやうく持病の喘息の発作をおこすところだったのである。 ☆ ☆ ☆ 「あはは〜。そいつらよっぽど暇なんだな〜」時と場所を移したにも関わらず。ここにも笑い転げる人間が一人。 緑からことの顛末を聞いた壮太である。 「まあ、あとはきっかけだけって感じのふたりだったから、あーゆー展開になったんだろうけど、普通途中で気付くって」 「いや、そーじゃなくて。それもおかしいけど、俺が笑ってるのは、その何とかって会の奴らだよ。緑、まさかお前の背後にも変な組織があったりしないだろうな」 「あったら、俺がその組織に囲まれて、かおるに近づくなって脅されてる時点で助けに出てきてくれる奴がいてもよさそーなもんじゃん」 自分が笑いすぎで喘息の発作をおこしかけたことなど棚に上げて、緑はいまだ笑い続ける壮太に向かって冷ややかに言う。 が、壮太はそんなことにはお構いなしに、自分の思いついた俺的ナイスネーミングを披露する。 「わかんねーぞ。その名も『緑保護委員会』。環境団体みたいな名前でいかにもありそうじゃん」 「壮太〜っ。いい加減にしとけよ。そんな会があったら、お前に俺が落とせる訳ねーだろうが」 自分の名前が笑いの種にされて面白い人間がいる筈がない。結構本気で自分に詰め寄ってくる緑に、壮太は意外とあっさり同意した。 「まあ、そうだろうな。でも、何でないんだ?」 「あった方が良かったのかよ」 「いや、無くてラッキー。でもさ、あいつらにそういう会があって何でお前にないのかは素直に疑問。だって、お前の方があのちっちゃいのより少なくても5割増しで可愛いじゃん」 恥ずかしい台詞を真顔で言う壮太を、緑は照れくささも手伝って、そっぽを向きながらあまり若者らしくない発言で諭した。 「……壮太、そういうの何て言うか知ってるか? 妻が思うほど亭主もてもせずって奴だぜ」 「しょっぱなに、姉貴より俺の方がもてるって宣言したのはどこのどいつだったっけ? まあ、俺の欲目があるってのも確かだろうけど、結構マジで疑問なんだけど?」 あ゛〜、こんな会話を人に聞かれたら、爆笑されるのは自分たちだ、と思いながらも、壮太が本気で不思議がっているところを見て、緑は自分なりの見解を述べてみる。 「お前さ〜、俺のこと守ってやりたいと思うか? ひとりで生きていけるか心配か?」 緑の質問に壮太は首を傾げた。 「う〜ん、そう言われると……。男として守ってやりたいとは思うけど、その反面、お前なら俺なんかが守らなくてもひとりで充分生きていけるとも思うわな」 「そーゆーこと。俺って可愛い外見な割にしっかりしてるから。女だったら案外と嫁に行き遅れるタイプかもな」 そんなもんかね〜と呟く壮太を横目で見ながら、緑はここ最近、秘かに自分がチェックを入れていた注意人物の姿が周りから消えたことが気になっていた。 ── ま…さか…な。 思わず打ち消した、緑の嫌な予感は実はバッチリ的中していた。 しかし、その団体が、新やかおるの後ろについている、なんの権限も持たないあやしい組織ではなく、和泉澤生徒会だというのは、緑が一生知ることのない秘密である。 素知らぬふりをしながらも、コネを最大限に利用してみた壮太であった。 風折迅樹──卒業して2年が経っても、未だ彼の権力は絶大で……。 そして、それを現生徒会に通達するべく、面倒な作業を押しつけられたのは、以前、緑がちらりと回想していた、去年の前期生徒会長であるというのは、彼らにとっては、まったくもってどうでもいい話なのだろう。 ☆ ☆ ☆ 「畜生〜っ。まんまとはめられたってことか」翌日。放課後の教室でひとり。新は忌々しげに奥歯を噛みしめていた。 吉田とどんな顔して会えばいいんだと、ため息をつきながら登校したにもかかわらず、吉田はいたって普通の様子だった。 いや、普通というより、普段よりいくぶん楽しそうに見えるのは気のせいか? とつぶさに吉田の様子を観察してみて解った。 昨日の出来事はヤラセだということが。 大体冷静に考えてみれば、本気でかおるに釘を刺すつもりならば、食堂みたいに人目のある処から、しかも引っ張り出すような真似はしない筈だし、都合良く自分の耳にその話が入ってくるのも不自然だ。 何人がグルになっているのかは知らないが、それにホイホイはまってしまった自分にあきれかえる。 しかし、そんなことをしでかした友人達を恨む気にもならないのも事実だ。 あんなことでもなければ、あと暫く──否、もしかしたら一生──自分たちが不自然さを感じながらも友人の振りをし続けたのは確実だからだ。 新は寝込んだ後、朝飯を食いながら緑に言われた言葉を反芻する。 確かに自分は友人達に感謝しなくてはならない。 自分の上辺だけを見て、本当の自分を解ってくれる奴など居ないなんて思うのは、もう止めた。 考えてみれば、自分のことを完全に解ってくれる人間など居る筈がないのだ。 たとえ、それが肉親や恋人であろうとも。 そんな、ある筈のないものを求めるよりも、自分の為に得にもならない演出をしてくれる友人なんて、他には得難い財産だ。 「新〜。こんなところで何やってるんだよ。帰ろ〜」 物思いに耽っている新のところに、ガラガラと教室の引き戸を開けて、かおるが顔を出す。 手ぶらなところを見ると、一端部屋に戻ってから、自分がいないので、探しに来たのだろう。 その顔を見て、新の口元がゆるむ。 新に無茶な約束をさせた後、無理をしていた反動からか、かおるは自分にべったりだ。 今まで無駄にした時間を取り戻すかのように。 甘味のこと。最近面白かったこと。気になる教頭のヅラ疑惑のこと。 沈黙を恐れるかのように、ひっきりなしに話続ける。 新はその話に頷いて、時々キツ〜イ突っ込みなんか入れてみて。そんな感じ。 周りが寄ってたかってお膳立てしてくれた割には、自分たちが進展する速度は、他人からみたら、きっとイライラする程遅いかも知れない。 でも、自分たちには自分たちの速度がある。 歩みは遅くても、確実に一歩一歩進んでいけばいいのだ。 だって、気付いてみれば、以前ほど甘い物が苦手ではなくなっている自分がいるのだから。 まずは、かおるが遠慮なんてことをしないように、この事実を告げて。 自分が好きだと叫んでくれたかおるの為に、今日はケーキ屋巡りだと決心して、新は鞄を取り上げた。 FIN |