8.謎の組織の暗躍
「かおる、混ぜすぎだ。泡潰すなって何回言わせりゃ解るんだ」 「この間はきちんと混ぜろって言ったじゃないかよ」 「だから、泡を潰さず良く混ぜる。これがケーキ作りの基本だ」 「不可能じゃんっ」 「こねるように混ぜるからだ。切るように混ぜろ、切るように」 「そうしたら混ざらないじゃん」 「混ざるわっ。もういい、貸せっ」 新はかおるから金属製のボールを取り上げ、手早く自分でケーキの種を混ぜだした。 本日のケーキは新でもあまり無理をせずに飲み込むことのできるふわふわのシフォンケーキ。 つまり、普通のスポンジケーキより、更に泡にこだわらなければならない作品だ。 新は出来上がった種をシフォンケーキ用の真ん中に穴の空いた型に流し込み、数回テーブルの上に落として中に入った余計な空気を抜いた。 その作業をしながら、新は思う。 今、自分とかおるの間にある見えないすきま、こんな風にして詰められればいいのにと。 かおるが心境の変化を新に告げることによって、彼らの関係は一見、以前のものに戻ったかに見えた。 しかし、物事というのは一端知ってしまったら最後、知らなかった頃に戻るというのは不可能な話で。たとえ他人からは元に戻った様に見えたとしても、それぞれが無理をしていることは本人達にはよくわかる。 新は以前と比べると却ってそれが不自然に思えるくらいかおるに親切ではなくなったし、かおるはかおるで今までなら何気なくしてしまっていた新に甘える態度を意図して取らないようにしている。 何か違うと思いつつ、お互いにどうして良いか解らないまま今に至る。 熱してあったオーブンにケーキの元を放り込んだ後、彼らは同時に大きなため息を漏らした。 ☆ ☆ ☆ いいえ、そんな不自然な態度は、たとえ他人が見たって変だと解ります。俺から見れば、どうしてバレないと思えるかなぁ〜、って感じだが、まあ、案外と自分が当事者になってみればそういうものなのかもしれない。 っと、突然出てきた上、自己紹介が遅れたが、俺は新のクラスメートの伊東(仮名)、A組の『新の馬の足会』の会長だ。 そもそも『新の馬の足会』というのは、新の恋路を邪魔する奴を蹴飛ばす会で、甘い物が苦手な新が甘味同好会を立ち上げるのとほぼ同時に数人の有志で結成された。 聞くところによると、このネーミングはどっかの少女まんがに出てきたものを流用しているらしいが、残念ながら俺はその元ネタを知らない。否、元ネタはどうでもいい。 この会の結成理由は、身長が高くルックスもいい新が女に興味がないならば、自分たちのチャンスが増えるという、連中の限りなく自己中心的なものではあったが、それはまあ、表向きの言い訳って奴だ。 男子高校生が、たとえ事実だとしても、友達が心配だからなんて、どの面下げて言えばいいっていうんだよ。 だいたい新は恋愛に関して不器用すぎる。純愛するなとは言わないけど、ずっとこのままの状態で停滞しているのは青春の無駄遣いだ。 ましてや相手だってまんざらでもない様子だ。男だったら行っとけ新。 堂々と女子高生だらけのケーキ屋巡りに付き合える、お前の勇気ある行動に一目置いて、周りの人間がちょっと退いている今のうちに。 まあ、他人ごとだから無責任なことも言えるのかもしれないけど、うまくいくならうまくいく、振られるなら振られるで、ちゃっちゃとカタをつけないと駄目だと思う。 たとえ振られたって、10年もたてば笑い話に出来るんだから、きっと。 俺には事情がさっぱり解らないが、奴らに塚原に関係した何事かが起こったのはまず間違いない。 ってな訳で、『新の馬の足会』は、協力組織である『かおるを守り隊』と共同戦線を張ることにしたのである。 『かおるを守り隊』とは同じく有志で結成されたD組の組織で、その名の通り、かおるに不穏な思いを抱く連中から彼を万全の協力体制で守る会だ。 この会の発足は俺達の会より早く、かおるが中等部2年の頃からあったらしい。 まあ、どうあがいたって一把一絡げで、自分ではとてもかおるに手が出ない奴らが作った、なんとも悲しい会ではあるが、その活動は意欲的だ。 新とかおるが同室になったのも、実はこいつらの地道な作戦があってのものだ。 その理由っていうのがなんとも笑いを誘う。 そういう性癖の無い人間が選ばれたのはもちろんだが、もし仮にそうなってしまったとしても、新だったら自分たちも認めて良いと判断したからだそうだ。 お前らは旧家のお嬢様の両親か。認めるも認めないも、要は本人の気持ちじゃないかと思いはしたが、俺達とは利害が一致しているので文句をいう筋合いはない。 っていうか、基本的に俺達って暇だよな…… ☆ ☆ ☆ 「おい、新」「ん? あぁ〜」 昼休み、食堂にも行かずに机に突っ伏して寝ている新にクラスメートの一人が声を掛けた。 「先刻、吉田がお前の相方連れてどっか行ったけど、あいつら面識あったっけ?」 「吉田が? まあ、食堂で一緒に飯食うぐらいはしたことあるけど。なんでいちいち俺に聞くよ」 「いや、別に何でもないならいいけど、いつになく吉田の顔、怖かったから。何かゴタゴタがあったのかなって思って」 「怖かったって、あの地蔵の吉田がか? でも、あいつらゴタゴタする程親しくないと思うけどな」 新は首を傾げた。 「だよな〜。でも、吉田が月形を引っ張って食堂から連れ出したのは事実だぜ。目ぇ、座ってたし。心当たり無いの?」 「心当たり? さあ?」 実際新に心当たりはなかった、しかし、それが気になる報告であることは確かだ。 しばし、視線を泳がせた後、新は目の前の友人に『パン買ってくるわ』と言い訳して、彼らを捜すことにした。 食堂から向かった先は、多分人気の無い場所だろうと判断して、まずは裏庭に向かう。 そこで空振った新は、そのまま体育館裏に向かい、体育館と格技場の間に出来た僅かなスペースに彼らの姿を発見した。 「だから、別に俺が頼んでる訳じゃ無いって!」 「頼んでなくても、新がお前に付き合ってしたくもない甘味研究会をしてるのは事実だ。もう、解放してやってくれないか」 「だから、それは俺じゃなくて新に言えって。新が好きでやってることだったら、俺にもお前にも止める権利はないぞ」 ちょっと盗み聞いただけでも、吉田がかおるに余計なことを言っているのは解った。 かおるの言うとおり、自分は好きでやっているのだ。いくら友人だからと言って、あんな交渉を勝手にする権利は吉田にはない。 しかし、止めに出てゆけるかというと話は別だ。なぜなら、自分がここに居る理由ってやつを説明しようがないからだ。 こぶしを握りしめつつ、新は格技場の影から様子を見守った。 「だったら、お前も新を友達だと思ってるなら、新これ以上無理させる前に新を振ってやってくれよ」 「何、訳の解らないこと言ってるんだよっ。新に失礼だと思わないのか?」 「思わない。新の気持ちにつけこんで、その気もないくせに新にまとわりついて、新に無理させて。お前なんかより俺の方がずっと新のこと好きで、ずっと新のこと思ってるのに……」 「そんなん知るかよ。だから、そういうことは俺じゃなくて新に言えって」 「ったく、はっきり言わなきゃ解らんないのかよ。お前が目障りだって言ってるんだよ。ちっちゃいのはちっちゃいの同士、緑とでもつるんでりゃいいじゃないか。お前にその気がなくたって、相手はお前のその思わせぶりな態度に振り回されるんだよっ! 返せよっ、俺の新をっ!」 「いつから新がお前のものになったんだよっ、返せるかっ」 「新のこと好きでもないくせに、もったいぶるなよっ」 「好きだよっ!」 「ああ、そうだろうな。友人として、同居人として、甘味を愛する者として、だけどそんな中途半端な好きは新も周りも傷つけるだけだ。解ってくれよ」 「いーや、違う。今まではそうだったかもしれないけど、今解った。新は誰にも渡せないっ」 「一時の感情に流されて適当なこと言うなよ。もう一度言う、新を解放しろ」 「やだね」 「お前、いい加減にしろよっ」 あまりに聞き分けのないかおるの態度に腹を立てたのだろう。吉田の手がかおるの制服を掴んで壁に押しつけた。 かおるの頭が壁にぶつかり、ゴツンと鈍い音を立てる。流石にこれは黙って見ていられない、新は隠れていた場所から飛び出した。 「吉田っ、何してるっ!」 「俺は本気だっ! 新が好きなんだよっ。絶対誰にも渡さないっ!」 新とかおるの怒声がかぶる。 思いがけない人物の登場と、思いがけないかおるの発言に、三者は揃って固まった。 ビデオの一時停止の如く、30秒程そのまま固まった後、最初に再生ボタンが押されたのは吉田だった。 「なんか……、俺ってかっこ悪ぅ」 情けなさそうに呟いて、かおるの制服から手を離し、その場を離れる。「すまん」と小さく新に謝罪の言葉を残して。 一方、残されたふたりは未だ動けずにいた。しばしの沈黙の後、かおるが頭を掻きながら何を言っていいか解らないまま、取りあえず声を発した。 「えっ、えーと……」 「かおる、ああいう時は、素直に「はい解りました」って言っとけ。怪我をする前にな。いくら俺だって、いつもいつも、そう都合良くは飛び出せない」 真っ赤になりながら吐き捨てる新の様子に、かおるはこれが新なりの愛の告白なんだと気付く。 まあ、なんとも解りにくい告白で、自分以外に解ってやれる人間はそうはいそうもないが。 だから言ってやる。 「いいや、嘘でも新と離れるなんて言わない。それに、新は絶対飛び出してきてくれるさ。そうだろう」 パチンとウィンクを飛ばすかおるを新は思わず抱きしめた。 「しょーがねーな。頑張るよ」 そんなことができたなら、世間一般的にそいつはストーカーと呼ばれるだなんていうことは、この際ふたりの為に黙っていてあげて欲しい── |