プロローグ1 「また会おう。おやすみ、アリス。いい夢を」 既に内蔵コンピュータの情報を維持するためだけに電力を使う──いわゆる強制スリープモードと同じ状態になったアリスに頬に男はそっと右手を伸ばした。 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか、ですか?」 その作業に立ち会っていた男の助手が、からかうような口調で彼に問いかける。 「見るか? じゃなくて、彼は夢を見るよ。人間と同じにね。一時的に保存された情報をスリープ時に必要頻度に応じて振り分けるようにしてある。もちろん、起動時にも同じことはできるけど、同時にいくつもの処理をさせるのは、却って効率的じゃなくなるからね。その時、情報を手に入れた状況を振りわけ時の判断材料として使うから、人間が夢を見ているのと同じ状態になる。ただ、人間のように暗示的な夢じゃなくて、実際に起こった事象をそのままリプレイするだけだけどね」 「それは通常のスリープ時のお話でしょう。今回は強制スリープ状態ですよ。夢は見ないでしょう」 「この状況で、そういう夢のない話はしたくないね」 「……すいません、失言でした」 「悪い、僕もたいがいナーバスになってるね。実際君の言うとおりだよ。大丈夫、僕は悪運が強い。きっとなんとかなるさ」 「ええ、私もそう思います」 「悪運が強いから? なんてね。さて、余談はこの辺にしよう。僕もそろそろ眠らなくちゃ。あとは頼むね」 「お任せ下さい。出来れば、次に目覚めた時も、そういえばあんな奴がいたな、程度には私のことを覚えておいて下さいね」 「さあ、確約はできないね」 「勘弁して下さいよ〜」 「冗談冗談、絶対に忘れないよ。……目覚めることができればね」 「約束ですよ」 最後に小さく呟かれた男の言葉は、絶対に彼の耳に届いていた筈なのに、まるで聞こえなかったように助手は男に向かって微笑んでみせた。 そんな彼を見て、男も胸の奥底深くにある、不安を切り捨てる。 そうだ、自分は悪運が強い。きっとなんとかなると。 「ああ、約束だ。おやすみ」 言って、男は医療スタッフの待つ別室へと向かうために立ち上がった。 きっと、長い長い眠り果てに彼の未来がつながっている筈だから。 「お休みなさい、博士。どうか良い夢を」 助手の言葉に振り返らずに手を振って、その部屋を後にした。 ただ一つの思いを胸に。 また会おう、アリス。絶対に── プロローグ1終了 プロローグ2 「行きたいのか? 『彼』の所に」 火村の言葉にアリスは声は出さずに頷くことで答えた。 「どうしても?」 再びアリスが頷く。 相手が人間ならば、決して止めることは出来ないだろう、強い意志を持った彼の瞳を見つめ、火村はゆっくりとした動作で──今では農家と直接契約して葉を栽培して貰う以外には入手の方法がなくなった──煙草に火をつけた。 どうしてもアリスを行かせたくないのならば、いくらでも手段はある。 一番簡単な方法は、命令すること。 ──『彼』の元には行くな。これは命令だ。 3秒足らずで事足りる、この言葉を口にしさえすれば、アリスは火村に従うしかない。 しかし、そうして無理に止めたところで、『彼』が本気になれば、火村には手も足も出ない。 火村が手にしているのは、アリスを使う──この言い方は好きではないが──権限であって、アリス自身ではない。 別段、それで問題はなかった。 たとえ、彼の左手首にはめられたブレスレット型の認識票の、所有者と取扱責任者の名前が違っていたとしても。 そう、『彼』が目覚めるまでは。 この、長い時の流れの中で、何故、『彼』が目覚める時が今なのか。 無駄だと知りつつも考えずにはいられない。 100年前でも100年後でも、いつだっていい。 火村がこの世にいない時ならば。 いや、せめてあの夜の前ならば── 火村は唇をかみしめる。 同時に、大切にしていたアンドロイドを不注意からスクラップにしてしまった学生時代の友人に、自らが言った言葉がいかに酷いものだったかをもかみしめて。 人の形をしていても、彼らは所詮プログラムだよ。 違うっ! 火村の耳を素通りするに過ぎなかった、友人の叫び。 今なら、彼の叫びの意味がわかる。 叫んでなんとかなるのならば、たとえ警察を呼ばれたとしても、シティ中に響き渡るような声で叫んでやる。 アリス── 自分がつけたものではないということが、今では悔しくて仕方ない、彼の名を。 「熱っ」 どれだけ長いこと考え続けていたのだろう。殆ど吸った記憶のないままに短くなった煙草の熱が、火村の意識を現実へと戻す。 視線の先には煙草に火を点ける前と、全く変わらない様子のアリス。 火村は大きく息を吐くと、口を開いた。 彼が望んでいる言葉を与える為に── プロローグ2終了 |