1 「それで、我社のしかも私の所に、彼が持ち込まれたという訳ですか? 勘弁して下さいよ。ロボット三原則を遵守する為には、アンドロイドに感情など不必要なものですよ。それに、アンドロイドが今以上に人間に近づくことは、人間とアンドロイド双方にとって良いことだとは思えません。基本的に、私はロボットが人の形をしている必要はないとさえ考えています」 火村は自分の研究室に持ち込まれた、ガラスケース入りのアンドロイドにチラリと視線を流すと、目の前に男に向かって言った。 今から300年も前に作られた割には、少なくとも見た目からは現在のものと比べても遜色のない出来映えのアンドロイドに──純粋に、学術的な意味から──興味を覚えはしたが、それを調査するためにつけられた条件が気に入らない。 「君がどう思おうと、人型ロボット、いわゆるアンドロイドがこの世に存在するのは、人がその姿を望んだからだよ。そして、その人々は、今、アンドロイドに感情を求めている」 「それが、どんな結果をもたらすかも知らずにね。自分の欲求のために、都合のいい物だけを欲しがるのが消費者というやつです。そして、その先にあるだろうトラブルを予測して自粛するのが、企業の努めだと思いますがね」 「確かに我社はロボットことアンドロイドに関しては日本、否、この際謙遜は抜きにしよう、世界トップクラスの企業だよ。しかし、この件は既に他社を出し抜いて当社が利益を上げたいというレヴェルの話ではい。この国の民族同様、その手先の器用さを理由に、日本製のアンドロイドが世界中でもてはやされたのは既に過去の話だ。そして、現在、日本政府はいかにして今の不況を脱するかを模索中だ」 「つまり、全世界のアンドロイド市場を、再び日本が制することを企んでいるという訳ですか? 意志を持つアンドロイドを切り札に? それこそ、そんな話は私に関係ありませんね」 「日本経済に関係ない日本人など居ないという点はこの際置いておくにしても、関係はある。君はこの仕事を断ることが出来ないという点において」 「それは、私がこの仕事を断れば、ここで研究を続けられなくなるということを意味しているのでしょうか?」 「そうとってもらって差し支えないね」 「何故私なんでしょうか?」 「順序が違う。君がいるからこの話が我が社に持ち込まれたんだ。300年も前のアンドロイドの構造を分析できる人間なんて、世界中に君しかいないだろうからね」 「その300年も前のアンドロイドから技術を盗もうってんだから、これはもう笑い話にしかなりませんね」 「盗むのではない、参考にするだけだ。君はそう……口は災いの元という諺の意味をじっくり考えるべきだと思うね」 言うと、男は夜には火村の寝床へと早変わりするぼろぼろのソファから立ち上がった。 「解りました。では、暇なときにでも考えさせて頂きます、専務」 火村の言葉に男は苦々しい笑みを浮かべた。 火村に暇な時間など存在しないことは、誰よりも本人が自覚していることだ。 つまり、彼は暗にそんなものを考える気はさらさらないと言っているのだ。 いくらその知識と技術が群を抜いているとはいえ、一介の研究員が、仮にも専務に向かってこの言いぐさかとも思うが、彼の頭脳なしにはこの仕事は成り立たないのも事実。 結局は容認するしかないのだ。 しかし、そんな彼の態度の悪さは、彼がもたらしてくれる利益のことを思えば、簡単に忘れてしまえる程度のものだった。 * * * サニーエンタテイメントロボット。火村が所属するのは、サニーという企業の一部門だ。 晴れた日を意味する名前を持つこの企業は、音楽、家電、金融etcとありとあらゆるジャンルに手を伸ばしているが、その中でもエンタテイメントロボットは現在一番勢いのある部門だ。 元々愛玩品という形でロボットを発売するために立ち上げられたこの部署は、時代を経て、ロボットに求められる機能が変わった今でも、前時代の名前をそのまま引きずって現在に至っている。 業界全てが結託して、作ろうと思えば半永久的に使用可能な物を作れるにもかかわらず、10年前後で使用限界を迎えるものしか作っていないのが、その売り上げが安定している理由であろう。 つまり、値段は違えど、女性のストッキングと同じ手段をとっているという訳だ。 その中で、火村がしている仕事は、新製品をリリースするにあたって、その製品の最終チェックをすることと、膨大な量に及ぶロボットがらみの事件を分析・研究することだ。 この仕事はそう、例えて言うならばゲームのバグを探すのとよく似ている。 誰もが当たり前のことしかしないのならば、火村の仕事は必要ない。 だが、それがゲームでもアンドロイドでも、こちらが思ってもみなかったことをやらかすのが、ユーザーというやつだ。 制作者が思っても見なかった状況にアンドロイドが置かれた時、どのように対処すれば良いか。 過去の犯罪例を元に、これから起こりうる事態を予測してプロテクトをかける。 アンドロイドの能力が向上すれば向上するほど、この過程は大切になる。 開発3年、検証5年。 100年前ならいざ知らず、現在では最終チェックにかかる期間は長くて1年といったところだろうが、開発よりもそのチェックに時間がかかることが多いために、未だ、ため息と共にこのインチキくさい格言が人の口に上ることは少なくない。 各社の技術的な足並みが揃ってしまった今でも、サニーエンタテイメントロボットが、この業界で他社と比べて頭一つ抜きん出ているのは、実はこの辺りに理由がある。 火村のチェックは人間業とは思えない位スピーディなのだ。 今ではアンドロイドと呼ぶのにも躊躇してしまう初期型の物から、現在開発中の最新の物まで、しかも、自社製品に限らず他社の物まで含めて、その全ての部品データが彼の頭脳には詰め込まれているというのが、その理由の一つ。 もう一つは、それを使う人間が起こした犯罪についてのデータも完璧に近い──日々起こり続ける犯罪に関してのデータが完璧ということはあり得ない──ということ。 つまり、何かを調べることに取られる時間が無い分、火村の仕事は速く、データが完璧な分、その結果も完璧なのだ。 事実、彼がこの仕事に携わって以降、サニー製品が犯罪に関わった事例はない。 それには、サニー製品のプロテクトはやっかいだからという理由で、犯罪者が製品自体を敬遠する傾向があることも関係あるのだろうが、それにしたって火村の功績であることに変わりはない。 スキップで大学を卒業し、若干19歳でこの仕事に就いてから10年余り。 既に、現在のアンドロイド業界で火村の名を知らぬ者は、誰一人として居なかった── * * * 元々は、アンドロイドではなく、それを犯罪に使う人間の心理を知りたくて就いた仕事だった。いくら、プログラムにロボット三原則を組み込んだところで、抜け道はいくらでもある。 考え方としてはこうだ。 確かに、アンドロイドに向かってあいつを殺せと命令したところで、その命令には従わない。 そうプログラムされているからだ。 しかし、例えば、私が出かけてから1時間後に、階段の途中に釘を打って、ピアノ線を張って置きなさいと命令したならば、アンドロイドはどうするか。 誰かがそれに足を取られて階段から転落するかも知れないとまでは考えない。 ピアノ線を張ること自体は、人間に危害を加えてはいないから、主人に言われたとおりのことを実行するのだ。 冗談みたいな話だが、発売当初のアンドロイドは、そんなことにさえ対応していなかった。 当然考えてしかるべきことなのにも関わらず。 そして、実際にアンドロイドを使って行われる犯罪はこんな簡単なものではなかったのだ。 以後は、企業と犯罪者の知恵比べが続く。 だが、悪い人間というのは悪が付くだけあって、悪知恵が働くものだ。 アンドロイドが過去の犯罪を電子頭脳にインストールして自分がされた命令がその事例に当てはまらないかを判断できるようになれば、そのデータをアップデートするためのシステムを悪用してデータを書き換える。 それを受けた企業が、その作業を定められた代理店でしか行えない様にすれば、アンドロイド自体を解体して中身をごっそり入れ替える。 最終的には、特殊な電波とパスワードを使わなければ、解体さえ出来ないようにすることで、アンドロイドを使った犯罪は一応の落ち着きを見た。 アンドロイドの歴史を学ぶにあたって、火村が興味をもったのは、どうしてそこまでして人間がアンドロイドを犯罪に使いたがるかという点についてだ。 そこに、自分の手を汚したくないという気持ちがあるのは確かだろうが、それだけが理由だとも思えない。 火村は、それ以外の理由を知りたいと思った。 大学に残って研究することではなく、企業に入ることを決めたのは、まずは、アンドロイド自体を知らなければ、それを使う人間の気持ちも解らないと思ったからだ。 それを学ぶ為には、サニーエンタテイメントロボットは恰好の場所だった。 更に、犯罪に関しての資料は何処にいたって手に入れられるが、他社はともかく独自の製品開発を得意とするサニーには、内部に入らなければ見ることさえ出来ない資料が山ほどあるのだ。 そう、どちらかというと犯罪学の方に興味があって、この仕事に就いたのにもかかわらず、気付けば、火村はロボット──特にアンドロイド──工学の第一人者として、周りから一目置かれる立場になっていた。 ──本末転倒ってのはこのことだ。我ながらやってることが間抜けだよ。 しかしながら、研究を続けるにあたって、この立場にいるのが一番有利なのは、紛れもない事実なのだ。 この業界で、決して消えることなく囁かれ続けていにも関わらず、実際には誰も目にしたことが無かった、伝説のアンドロイドが、今、自分の目の前にある。 現在の技術力を持ってしても作り出すことの出来ないといわれるアンドロイドの最高傑作を分析できる機会など、ここにいない限り、あり得る筈がない。 「さて」 冷めたコーヒーを飲み干すと、火村は研究室の片隅に置かれたガラスケースに歩み寄った。 専務にはああ言ったが、このアンドロイド自体には非常に興味がある。 華奢な作りに長めの髪。全体的に色素は薄く、閉じられた瞼に植え込まれたまつげも長い。おまけに名前がアリス。これでいて、男性タイプのアンドロイドであるというのは、ある意味ミステリーだ。 「まずは、起きてもらうのが最優先事項かな」 いくら内部の構造が解ったところで、その能力を見てみなければ、使い物になるかどうかが解らない。 というのは、それを優先することの、他人に対しての言い訳だ。 何はさておき、この瞳が開いたところが見てみたくて仕方がない自分がここにいる。 思いも寄らぬ感情にとまどいながらも、火村はこのスリーピングビューティを永い眠りから目覚めさせる作業を開始した。 目覚めさせる方法は、決して王子様のキスなんかではなかったけれど── |