2 「畜生、なんて寝汚い奴なんだ」 アリスが火村の元に運び込まれてから、早1週間。 火村は未だ目を開けた彼の顔を拝めずにいた。 いくら、現在の物とは構造自体が異なっているとはいえ、機械は機械だ。通電検査でも断線は見られなかったし、システムにも問題はなかった。 つまり、パソコンに例えていうならば、本体もOSも、全く持って正常に機能しているが、何故だか一番使いたいアプリケーションだけがどうしても立ちあがらん(くそぉ〜)ってな状態だ。 ここまでの作業が思った以上にさくさく進んできただけに、火村のイライラ具合は、倍率ドン更に倍ってな状態だ。 そもそもアリスはものすごく単純な方法で、強制スリープさせられていた。 その秘密は、意外なことに彼の納められているケースにあった。 まず、アリスの内蔵バッテリーをほとんど空の状態にする。 そうしておいて、アリスをケース内にセット。 そのケース自体が充電型のバッテリー装置を内蔵しており、そこからメモリを維持するだけの最低限の電力をアリスに供給。そして、そのケースに内蔵されたバッテリーをいわゆるコンセントにつなげるというやり方だ。 つまり、電力が絞られているケースからではなく、直にアリスに電力を供給してやれば、内蔵バッテリーの充電を待つまでもなく、使用可能な状態になる筈なのだ。 アリスが製造された年代と現在では電力の供給方法が異なっている為に、その変換装置を作るために──どうせなら、ケースだけじゃなくて、変換装置も持ってこいと悪態をつきながら──1晩を要したものの、現在のアリスは充分な電力を供給されている状態だ。少なくとも、内蔵バッテリーがフル充電されているくらいには。 それに、ちっとも目は開けない癖に、ちょっとした衝撃を受けると機械的な──いや、機械なのだが──音声でいっちょまえに警告だけはしやがるのが腹立たしいったらない。 「まさか、しっぽがスイッチになってる訳じゃあるまいな」 どこぞの漫画に出てくる猫型ロボットじゃあるまいし、アリスにしっぽがないのは既に確認済みだ。 ──特定の言葉がパスワードになっているなら、プログラムにその痕跡がある筈だし…… 火村は人差し指で自分の唇をなぞり始めた。 無くて七癖。 これは、火村が考え込むときに無意識にしてしまう仕草だ。 とはいえ、両親が他界した今、火村のこの癖を知るものは現在誰一人としていない。当の本人でさえも。 たとえ、知るものがおらずとも、火村の指先の動きと共に火村の頭脳は回転を始める。 ──ハードにもソフトにも問題がないということは、原因は極めて単純なものの場合が多い。相手は機械だ複雑に考えるな。一番単純な理由は電源が入っていないこと。いや、散々確認したのだから、これはあり得ない。次に単純なのがスリープ状態を解除するためのスイッチが切り替えられていないこと。……簡単に開けられるところには、スイッチらしき物はなかった……。解体しなければ入れられない様なところにスイッチがあるとは思えないが、リモコン操作という可能性もあるか……取りあえず保留。必要な配線がなされていない……ざっと見た限り、配線に不自然な部分はなかったと思う……改めて要確認。ならば起動するのにハードウェアキーみたいなものが必要なのだろうかか? 試しに耳にバナナでも挿してみるか?……いくら煮詰まってるからっていい加減にしろよ俺(独り突っ込み)。バナナはともかくハードウェアキーが必要だというのはあり得る話だ。となると、今のままでは手が出せないな。……こりゃ、いよいよ解体するしかないってことか。 わずか10秒程度で、ここまで思考を巡らせると、火村はアリスに向き直った。 ──解体の前にまずは配線の再確認と警告アラームの解除だな。 面倒なことになってきたなと、大きくため息をつき、火村は目の前のアンドロイドの鼻をつまんでやる。 機械にあたったところで、どうしようもないと思いつつ、せめてもの腹いせってやつだ。 アリスは人間らしいアンドロイドの極限にでも挑戦したかのように、知らぬ者が見れば、人間にしか見えない程に作り込まれていた。 なんと、電力の供給が充分になった途端にアリスの肺は呼吸を始めたのだ。多分、発声も疑似声帯を震わせて行われるのだろう。 もちろん、現在の技術をもってすれば、同じようなアンドロイドを製作するは可能だが、金持ちが道楽で発注する最高級品と使用目的が極端に限定されている──いわゆる夜の相手をするセクサロイドと呼ばれるものだ──製品以外にこんな機能はついていない。 最高級品はともかく、何故セクサロイドに限り、こんな機能がついているかは想像に難くないだろう。ぶっちゃけ、乱れる呼吸と喘ぎ声ってのを表現させる為だ。 ましてや、アリスは呼吸をするだけではなく、飲食物の摂取もある程度可能なように設計されていたし(摂取した物は粉砕・乾燥された後、廃棄ボックスに溜められるようになっていた。溜まった物を定期的に廃棄するために、そのボックスがすぐに取り出せる部分に設置されていたので解ったことだ)、流石に内蔵まではそうはいかなったらしいが、手足をレントゲン撮影しても、人間の骨らしきものが写るように作られていた。更に、その皮膚には産毛さえきちんと生えているのだ。 まるで、どこかの国のスパイにする為に作られたかのような徹底ぶりである。 まあ、いくら──物騒な使用目的を想像してしまう程に──人間らしく作り込まれてるとはいえ、実際に酸素を必要をしないアンドロイドにとっては、鼻をつままれたところで、なんの苦にもならないだろうが、まさか蹴飛ばす訳にはいくまい。 鼻をつまんだ指先を、軽く左右に動かしながら、火村はアリスに向かって呟いた。 「ったく、お前が早く起きないから、解体されるんだからな。俺を恨むなよ」 ──機械相手に何言ってんだか…… 火村が、自分の行動に苦笑して、アリスの鼻をつまんでいた指を離した時だった。 今まで全く聞こえなかったアリス内部のモーター音が、一時的に静かな部屋では解る程度に高くなり、すぐにまた元に戻る。 何が起きたと息を飲む火村の目の前で、アリスの瞼がゆっくりと開き、鳶色の瞳が姿を現した── * * * その様子は見物だった。例の機械的な音声がスリープ状態からの復帰中であることを告げると、今までは白に近かった人工皮膚に、見る見る内に赤みがさし始め、より人間の肌に近くなる。その復帰に伴って静電気でも発生しているのだろうか、長めの髪が風に吹かれた時のようにふわりと舞い上がる。ガラス玉のようだった瞳の輝きが、このアンドロイドが意志を持っていることを証明しているかのように力強くなり、ついには焦点が定まって、目の前にいる火村を見つめた。 「緊急対応プログラム・パターンBを発動します。私はSO-KAZAMA製作・人造人間試作A−666・通称アリス。あなたは誰ですか?」 微笑んでるようにも見える、優しい表情を作りながら問いかけてきたアリスに、火村も思わず笑みをこぼした。 その笑みは、過程はともかく、ようやくアリスを起動できた嬉しさからと、人に名を聞く時はまず自らが名乗るという礼儀を守っているものの、あなたは誰って訊き方はないだろうという感想からきたものだ。 どうやら彼の製作者──いや、制作者というべきだろうか──は、単刀直入な会話がお好みらしい。 そんなことを考えて、火村がアリスの質問に返答せずにいると、アリスは同じ台詞を今度は英語で繰り返し、最後に言語パターンを英語に切り替えるかどうかを尋ねてきた。 別に火村はどちらでも構わなかったが、その切り替えとやらに再び時間を取られても面倒なので、首を横に振った。 「いや、日本語で結構。私は火村英生。君を起こした張本人だ。他に質問は?」 「博士はどこですか? 私は博士に起こされる予定でした」 アリスの質問はもっともなものだった。 彼が一番最初に口にしていた緊急対応プログラムBというのは、自分が目覚めた時に博士がいない場合のものだったのだろう。 しかし、これはいい傾向だ。 これが、少なくとも博士にとって予想外の出来事ではなかったという部分で。 「残念ながら君の博士は未だにおやすみ中だ。現在我々は博士の頭脳を必要としているが、博士がコールドスリープから目覚める条件はまだ整っていない。つまり、彼の身体を蝕んでいる病魔に対する治療法が発見されていないということだ。博士を起こす訳にはいかないから博士が作った君を起こした。意味は解る?」 「理解しました。私に使用されている機能のどれかを必要としているということですね」 「そう。しかも博士の許可なしにだ。この場合、君が私たちに協力することは可能かい?」 「それにお答えする前に、質問があります。私がそれを拒否した場合、私は解体されて内部を調べられるのですか」 この問いを火村に向かってした後、アリスの瞳の輝き方が変わった。 それは、じっと見つめていなければ気付かない程度の変化ではあったけれど、火村は解った。 アリスがその瞳で自分をスキャンしていることが。 心音、呼吸数、発汗等の変化により、火村が嘘をついているかを見極めるために。 が、それならそれでかまわない。 同じく誰かに利用される立場の者として、火村は彼に嘘をつく気などないから。 「ああ、そうなるだろうな。実際、君が起動してくれなければ今頃はもう解体が始まっていたかもしれない。仮にそれで君が壊れてしまったとしても、解体してみないことには上部が納得してくれなかっただろうからね」 「そこにあなたの意志はありますか」 「君を解体しなくては、自分がここに居られなくなるから解体するという意味ではある。じゃなかったら、君を起こすことさえ俺の意志ではなかったよ」 「解りました。緊急対応プログラムをパターンBからパターンYに切り替えます。あなたの名前をファーストネームから先に、ゆっくりはっきりと発音して下さい。声紋を登録します」 バターンBからYにだなんて、またえらい飛び方をしたもんだ。 ──しかも、声紋を登録しろだと。 それをすることによって飛び出す結果は、多分、火村を受け入れるものか、排除するものかといった両極端なものだろう。 しかし、火村は嘘をつかなかった自分と、そのパターンの飛び方に賭けた。 言われた通りに、ゆっくりとファーストネームから自分の名前を口にする。 ピピッと電子音を立てた後、アリスが告げた言葉に、火村は自分が賭に勝ったのを知る。 「声紋登録完了しました。私はSO-KAZAMA製作・人造人間試作A−666・通称アリス・管理責任者はHIDEO-HIMURAです。以後、製作者によるパスワード入力がない限り、全ての権限が管理責任者に移行します。以上、緊急対応プログラム・パターンY終了。プログラムを通常モードに切り替えます。現在システムの再起動中。そのまましばらくお待ち下さい」 『現在……お待ち下さい』の部分を3回繰り返して、アリスは再起動を完了したらしい。 先程までのように、作り物めいた微笑みではなく、にっこり笑うとアリスは火村に右手を差し出した。 「よろしくお願いします。ミスター火村。あなたのことは何とお呼びすればいいですか?」 求められた握手に応じながら、火村は彼をどう扱うべきか、一瞬だけ思案する。 ほんの一瞬だけ。答えはすぐ出た。 「火村でいい。ミスターもさん付けも必要ない。君の持つ感情がどれ程のものかを知るためにも、俺は君を友人として扱う」 「人を呼び捨てにするのは良くないことだとプログラムされています。それは命令ですか」 「ああ、命令だ。君は俺のことを火村と呼ぶ。敬語も丁寧語もなしだ。以後、『それは命令ですか』という質問も禁止する。俺が君に何かを頼む時、それは命令ではなくお願いだ。きくかきかないかは自分で判断すること。それに、俺が許すかどうかはともかく、何かやりたいことがあったら遠慮無く言ってみること。ほら、解ったらさっさとプログラムを友人モードに切り替えろ」 火村の言葉にアリスは──そんな訳はないけれど──思わず笑ってしまったという感じで、声を上げて笑った。 「その程度のことはモードを切り替えるまでもなく出来るよ。じゃあ、最初のお願いだ。言語モードを俺がスリープ前に標準設定されていたものに切り替えてもいい?」 「言語モード? 英語なら構わないが、ドイツ語フランス語となると、俺は日常会話くらいしかできないぞ」 「そんな心配しなくても、俺だってドイツ語なんて話せないよ。試しに切り替えてみるから聞き取れないようだったら言ってくれ」 「……話せないのかよ」 ──頭にコンピュータが詰まっているくせに。まさかとは思うが、こいつの計算方法は10進法じゃあるまいな。 と、火村がいくらなんでも、そんなまさかはあり得ないようなことを考えている間に、アリスはさっさと言語モードを切り替えた。 「俺は日本のアンドロイドや。日本語が話せれば充分充分。個人的には英語モードもいらんと思うくらいやわ」 「なんで……」 関西弁なんだ? 多分、火村の消えた言葉の続きはこうだ。 これで、博士が関西人だというならば、別段不思議ではないが、彼は生粋の江戸っ子──今時、こういう表現も何ではあるが──だった筈だ。 「俺が関西弁な理由? なんでも、俺って博士の大事な人──ずっと前に亡くなっとるんやけどな──と外見がそっくりに作られとるんやって。作ったはいいけど、標準語しゃべらせとくと必要以上にその人のこと思い出すから関西弁にしてみたらしいわ」 「……それになんの意味があるんだよ」 火村は呟いた。 その亡くなった大事な人とやらが、博士にとってどれだけ大切だったのかは知らないが、忘れたいならその人そっくりなアンドロイドなんて作らなければいい。 それを作っておいて、必要以上に思い出したくないとはどういうことだ。本人と別の言葉を話しさえすれば適度に思い出せるという訳でもないだろうに。 そんな火村に、アリスはあっさりと答える。 「知らん。俺は博士やないもん。ところで、俺、このまま関西弁しゃべっとっていいの」 「好きにしろ」 アリスが関西弁を操ろうが博多弁を操ろうが、理解できさえすればそれでいい。 ──これが、博士の性格なんだろうな。 何故、思い出すのが辛いのにアンドロイドを作ったのか。 何故、英語ではなく──資料によると博士は英語も堪能だった筈だ──関西弁なのか。 何故、スリープの解除スイッチが鼻をつまむことだったのか。 考え出せばキリがない位、アリスを作った博士のやることは訳がわからない。 いい加減面倒になってきたので、彼の性格ということで、火村はその全てを納得してしまうことにした。 やるべきことは山ほどある。そんなことは余裕のある時に気にすればいい。そう思ったから。 しかし、そんな余裕など無いままに忘れ去ってしまったであろう、そして、別段知りたくもなかったその疑問に対する答えを、火村は将来得ることとなる。 だが、それはまだ、随分と先の話── |