Fall


プロローグ1

 トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル……
 しつこく続く電話のコール音に、弘樹はベッドの中から手探りで受話器を取った。
 深い眠りから浮上しきれないまま、電話に出るというよりは目覚ましを止めるといった感覚で取り上げられた受話器が目的地──つまり、彼の耳元──に辿りついたのは、コール音が止んでからゆうに20秒は経過してからだった。
「……はい」
 寝起きの不機嫌さを隠そうそもせず低い声で応答した後、弘樹はようやく夜光塗料の塗られた時計の針を眺めた。
 その針が示す時刻は、午前3時過ぎ。
 非常識にも程がある時間帯の電話に、一瞬身内の不幸を思い浮かべ、弘樹は慌てて身を起こした。
『か〜み〜お〜かぁ〜』
 だが、受話器から聞こえてきた忌々しげな声は、伊達の身内のものではなかった──というか、そもそも自分宛にかかってきた電話でさえないらしい。
 普段より格段に低くなっているとはいえ、確実に相手を特定できる聞き覚えのある声に、弘樹は隣のベッドで眠る智史にチラリと視線を流した。
 電話の向こうの相手は、講英社の女性編集者。そんな相手からこんな時間に電話がかかってくる理由を弘樹は持ち合わせていない。
 ということは、小学校1年レベルの単純計算『2−1=1』で、すやすやと寝息を立てているこの同居人が、夜中に叩き起こされなければならない何かをやらかしたのだという答えが出る。
 とはいえ、通話相手の前田は、早とちりな上に、我を忘れると、突然女王様──相手の都合を全く考えずに、自分の思うとおりに行動する──になってしまうという、はた迷惑な特徴(決して特長ではない)を持ち合わせているから、本当に智史が悪いのかどうかも怪しいものだ。
 こんな時間に電話をかけてきておいいて、通話の相手を確認することもせずに、智史だと断定している時点で、前田が我を忘れていると判断した弘樹は、智史を起こすのは取りあえず後回しにして、口を開いた。
「……智史なら」
 ──寝ていますよ。
 そう続く筈だった弘樹の言葉は、前田の絶叫によって阻まれた。
『こ…こんのぉ〜、裏切り者ぉぉぉぉぉっ!!』


プロローグ1終了





プロローグ2

 トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル……
 午前7時に鳴る電話に対して、『はた迷惑な時間の電話やなぁ』と感じるのは、何も作家を生業としている私だけではないだろう。
 いや、どちらかというと好きな時間に寝て起きられる推理作家なんかよりも、普通の会社員の方がずっと迷惑に感じるのではなかろうか。
 1分でも長く寝ていたいと布団と仲良くしている人間にとっては嫌がらせ以外のなにものでもないし、仮に起きていたとしても、忙しい朝の時間帯の電話はやはり邪魔くさい。
 そんなことを考えつつも、私が相手をさほど待たせることなく、受話器を手に取れたのは、先日の締切で変な風にずれ込んでしまった睡眠時間がぐるっと一周して朝型になっていたからだ。
 このまま朝型の生活を続けられれば大変健康的なのだろうが、そうは問屋がおろさない。
 読書の合間のうたた寝をきっかけに、しっかり夜型に戻ってしまうのは、多分、そう遠くない未来のことだ。
「はい、有栖川です」
『…………』
「もしもし?」
『んっ? ああ、本物か?』
 受話器から聞こえてきた声を聞き、相手が十年来の悪友──火村だと特定できた私は、軽口を叩く。
「あいにくと、偽物がでる程有名人やないわ」
『そんなことは知ってる。留守電かと思っただけだ』
「いちいち言われんでも、そんなん自分が一番よう知っとるわ。単なるジョークに本気で突っ込み入れて、朝っぱらから人をヘコます気か」
『朝っぱらだから、ジョークに付き合ってる暇がないんだろうが』
「せやって、まだ家を出る時間とちゃうやろ。というか、普段の君なら寝ててもおかしくない時間や。もしかして、今日から学校に弁当でも持って行くことにしたのか?」
『だから、冗談に付き合ってる暇はないと言っただろ。アリス──お前、明日から暫く暇になれ』
「はぁ〜っ?」

プロローグ2終了

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