1−1 「だから、知らないって言ってるでしょうがっ」 「ああ、そう。あくまでもとぼける気。なら、決定的な証拠を見せてあげる。どう? これを見ても、そんな余裕な態度でいられる?」 バンッ! テーブルに叩きつけたハードカバーの本を眺めながら弘樹は思いだしていた。 10年程前に見た、これとよく似た光景の事を。 ☆ ☆ ☆ 神岡智史(かみおか・さとし)は小説家である。15歳の時にデビューして以来、24歳になる現在までずっと神崎智美(かんざき・ともみ)というペンネームで少女小説を書き続けており、人気の入れ替わりが激しいその業界で、10年経った今でも年間5冊の新刊と、初版部数1万冊を切ることのない人気作家だ。 そんな人気作家、神崎智美のマネージャーとして、仕事のスケジュール管理及び資料集め、更には家事全般を請け負っているのが、同居人の伊達弘樹(だて・こうき)である。 一時期、綾瀬えりかというペンネームで、神崎智美の小説に絵を入れていたこともある弘樹だが、大学を卒業すると同時にそちらの仕事は控え、マネージャー業に専念することにしたのだ──というより、智史がそうさせた。 ギリギリまで自分の進路を思い悩んでいた弘樹のために、神崎智美事務所という有限会社を立ち上げることによって、智史が就職先を確保したのだ。 神岡智史──年齢を重ねれば重ねるほど、やることがどこかの誰かに似てきている。 閑話休題。 そんな彼らは、高校時代に偶然(?)寮で同室になってから以後、違う屋根の下に住んだことがなく、真相はともかくとして、担当編集者である前田淑子(腐女子)の妄想をかき立てていることだけは確かである。 閑話休題とかいいつつ、再び話がそれているようではあるが、今回はそれていない。 ☆マークの前に弘樹が回想していた、始まり方が今回とよく似た騒動に、前田が腐女子であることが大いに関わってきているからだ。 それは、弘樹と智史が高2の夏、前田が妄想の種を買い込む為に出かけたイベント会場で、彼らの名(ペンネーム)で出された同人誌(やおい本。しかも超ハード)を発見したことに端を発する。 まあ、読者層が下は小学校高学年から始まる、講英社の季刊誌『NAVY』の看板作家がそんなものを書いていると噂でもたった日にゃ、イメージダウンも甚だしいと慌てまくった前田の気持ちも解らなくはないが、その同人誌を書いていないということを自分で証明しろと彼らに難題を押しつけた彼女もやりすぎだ。 そして──結果的には、完全に前田の勇み足であったということが判明したその騒動の始まり方が、今回のものと大変よく似ていたのである。 ☆ ☆ ☆ 「本を突きつけられたところで、今回は驚きませんよ。神崎智美の名前で講英社以外から推理小説が出てるってんでしょ。でもって、今連載してるシリーズが終わったら俺に推理小説を書かせようと心密かに企んでいた前田さんは、自分に内緒でライバル会社の円山書店から推理小説を出した俺にものすごく腹を立ててる。そういうことですよね」ここで一旦言葉を切った智史に、前田はすかさずくってかかった。 「なによ。その開き直った態度。あたしは別に、あなたが他の出版社で仕事したことを怒ってるんじゃないわよ。推理小説を書きたいなら、どうしてあたしに相談してくれなかったのかって言ってるのよ。今までずっと一緒にやってきたのに酷いじゃない」 いい歳をして、ふくれっ面をしながら言う前田に、智史があからさまにため息をついてみせる。 「前田さんこそ、俺の話聞いてます? 先刻から言ってるでしょ。これは俺が書いたものじゃないって。単に同姓同名の作家ってだけでしょ」 「同姓同名? …………いえ、それはないわ」 前田は首を横に振りつつ、口でも智史の言葉を否定した。 「俺が書いてないって言ってるのに、どうして信用してくれないんですか。それこそ、ずっと一緒にやってきたのに酷いですよ」 「…………そう、酷いわね」 「なら、信じて下さいよ」 「…………ううん、そんなこと信じられない」 「なんでそうなるんですかっ!」 一応、会話が成立しているように見えて、実はちっともかみ合って居ないふたりの間に弘樹は割って入った。 「智史、彼女は考え事をしてるみたいだ。ちょっと放っておけ」 「えっ? ──ああ、そういうことか。しっかし、人を呼びつけておいて、突然自分の世界に入るだなんて、一体どこまで勝手な人なんだ……」 「考えても疲れるだけなことを考えるのはやめろ。お前の悪い癖だ」 「いや、別に、素直な感想言っただけで、考えてはいないし」 「それより智史、その本、10年前の例の彼女が出したって可能性はないのか?」 「ああ、言われてみれば、その可能性もあるな」 「それはないわね」 「「はっ?」」 いつの間に、現実世界に復帰したのか、突然口を挟んだ前田に、弘樹と智史はユニゾンで声を上げた。 「あなたたちの言う、例の彼女。もう講英社でデビューしてるもの。『NAVY』の妹誌『SKY』で連載持ってる麻生みふゆが彼女よ。知らなかった?」 「知りません──というより、聞いてません。前田さんが教えてくれなきゃ、他の作家と交流なくて、パーティにも出ない俺がそんなこと知れる訳ないでしょうが」 「そんなことは、どうでもいいのよ」 前田は、智史の反論を切って捨て、「見て」と先程テーブルに叩きつけた本の帯を指さした。 「余程売れてない作家ならともかく、神崎智美ほど名の売れている作家と同姓同名の新人がデビューするだなんて事故が起こる筈がないの。そして、この帯がそれを証明しているわ。この帯って、いわゆるアイキャッチなのね。だから、一番お客の気をひきそうな言葉を大きな文字で、補足的な事を級下げ(文字のサイズを小さくすること)して入れてある訳。例えば、シリーズものなら主人公の名前、そうじゃないなら内容を簡潔に表した言葉とか。でも、この本の帯で一番大きな文字は『少女小説のカリスマ、神崎智美がミステリーに挑む』って文章。この意味解る?」 「……神崎智美の名が一番のアイキャッチになるってことですか?」 自分の質問を受けて、応えた智史に、前田は大きく頷いた。 「そう。こいつ、前と違って、本物の偽物よ」 |