Fall


 1−2

 小説やまんがやドラマの中では、犬も歩けば棒に当たる状態で、殺人事件に出くわす主人公がしばしば出てくるが、現実にそんな人間がいたならば、名探偵ともてはやされる前に、確実に疫病神扱いされるだろう。
 かく言う私──有栖川有栖(ありすがわ・ありす)も、そんな現実に居て貰っては堪ったものではない疫病神を主人公にした小説を書くことを商売としている、大阪在住のいわゆる推理作家というやつである。
 そして、今、何故か東京の何故か警視庁で何故か私の隣に座っている男は、その名を火村英生(ひむら・ひでお)という。
 彼は、私の十年来の悪友で、母校である京都の英都大学社会学部で教鞭をとっている助教授だ。専門は犯罪社会学で、フィールドワークと称して実際の犯罪捜査に加わることもある。そんな彼のことを、私は『臨床犯罪学者』と呼び、時折、助手という名目で彼のフィールドワークに同行したりしている。
 そう、どちらかと言えば──というより、確実に──何故かこんなところに居るという表現がふさわしいのは、人殺しを飯の種にしているとはいえ、警察関係者からみたら単なる民間人にすぎない、推理作家の私の方であろう。
 だからして、私たちを半ばセットで勘定している京阪神の警察ならばともかくとして、警視庁からお声掛かりのあった今回のフィールドワークに私が同行しているのには、『暇だから』以外の理由があるのだ。
 例え、その理由が調べ物の手間を減らす為だけだったとしても──
「まあ、動機も目撃証言もありますし、普通に考えるなら自殺で決まりなんですが……例の一件が、ちょっと気になるんですよ」
 と、複雑な表情を浮かべつつ、火村と私に向かって切り出した警視庁捜査一課の室尾(むろお)警部とは、諸事情あって、以前にも行動を共にしたことがある。
 どうやら今回の事件も、その時同様作家絡みのものであるらしく、火村の下宿の電話を鳴らした室尾が、都合がつくならフィールドワークに私を伴って来て欲しいと告げたのだそうだ。
「ああ、電話でおっしゃっていた件ですね。その編集者の自殺の動機に、おかしなところがあるとかないとか」
 火村の言葉に、室尾は「ええ」と大きく頷いて見せた。
「金が支払われてないんですよ」

☆   ☆   ☆

 室尾警部が語った事件の概要はこうである。
 事件は、日本で5本の指に入る大手出版社──生憎と、私は声をかけられたことがないが──円山書店の女性編集者が都内のビルから飛び降り自殺をしたことに端を発した。
 多数の目撃証言から、ビルからダイブした夏目瑠璃子──芸能人みたいに小じゃれた名前の編集者だ──が、事故や他殺ではなく、確実に自殺であることは証明されたのだが、その自殺の動機に少々問題があった。
 この春、円山書店では、女子中高生の間ではやたらと知名度が高いが、30代以上には殆ど知られていないという不思議な売れ方をしている少女小説家──神崎智美が書いた、初の書き下ろし推理小説を出版した。
 だが、その本が曲者だったのである。
 どんな事情があるかは知らないが、公の場に全く顔を出さない神崎智美の顔は、一般にも出版業界にも全く知られておらず、それを知るのは、彼女がデビューした講英社の中でもごく一部の人間だった。
 よって、他社の人間が彼女に接触できる機会は皆無等しかった筈なのだが、夏目瑠璃子はその希有な機会を得ることに成功した──と、その時は思っていたのだ。
 担当作家に恵まれず、ヒット作品に縁がなかった彼女は、その出会いをチャンスであると判断した。
 神崎智美と上司を説き伏せ、彼女の原稿とその原稿を出版する許可をゲットした夏目瑠璃子が、刷り上がった本を胸に抱きしめ、将来の夢を見られたのはほんの僅かの期間。
 その本が書店に並んだ途端に、講英社と神崎智美本人から、抗議の連絡が入ったのである。
 そんなばかなと、神崎智美に会ってみれば、それは夏目瑠璃子が接触した神崎智美とは似てもにつかぬ別人どころか、性別からして違っていた。
 なんと、本物の神崎智美は『彼女』ではなく、『彼』だったのである。
 更には、以前にも同じような騒動に遭遇したことがあるという神崎智美は、円山書店で出版した推理小説が自分の文章ではないことを、誰もが納得するやり方で証明してみせた。
 結果──円山書店は、店頭に並んだ本の引き上げ、既に売れてしまった本の回収・返金、各方面への謝罪等の対処に追われることとなった。
 そして、その件に一段落つくまで、偽物がどうやって夏目瑠璃子に自分を神崎智美本人だと思わせたのか、等の追求を先送りし、彼女を自宅で謹慎させていた円山書店は、結局それを知る機会を失うこととなった。
 言うまでもなく、彼女が自らの命を絶ってしまったからである。

☆   ☆   ☆

「とまあ、こんな感じです。しかも先日、円山書店が詐欺の被害届を出したんで、今は二課も大忙しですよ。彼女が飛び降りる前に、円山書店が証言とって置いてくれれば、捜査がいくらか楽だったんでしょうが、今となっては、何を言っても後の祭りですよ」
 長い説明を終えて、室尾は大きなため息をついた。
 そんな彼の姿を見つめながら、無念な気持ちは解らなくもないが、自殺であることが確定しているなら、一課の仕事は終わりなのではなかろうか、と考えていた私に答えをくれたのは室尾ではなく火村だった。
「詐欺の目的は金。だが、今回の事件では金が奪われていない。つまり、その詐欺が金ではなく、夏目さんを追いつめる為に行われた可能性がある──そういうことですね」

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