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狂気の約束


 あれが欲しい。
 今目の前でご飯をかきこむあの体。
 視線をテレビにのみ向けて、僕の方は一切無視の、あの視線。
 どこかに置き忘れたように言葉すら発しない、あの心。
 全て欲しい。
 全部皿の上に乗せて、食べつくしてしまいたい。
 そこらの素行不良な者どもなど、人睨みで黙らせるあの視線を、組み敷きたい。
 凶悪な肉欲の圧倒的な支配力で、屈服させたい。
 泣き、叫び、縋る様。
 悔しそうに喘いで、苦しんで、永遠に僕の心の檻に閉じ込めてしまえれば良いのに。
 そうだ――。
 確か証拠物件として押収したあのクスリ。
 使えないだろうか?
 今夜、持ってきてみよう。
 そんなに多くなければ、ばれもしない。
 警察官の正義?
 そんなもの、この欲の前では無力でしかない。
 あれが欲しい。
 僕はどうあってもあれ――周防達哉の心と体が欲しいのだ。
あれが欲しい。
 見られてる。
 朝食、夕食。
 あいつがいる所ではいつだってそうだ。
 視線が絡みつく。
 覚えのある――嫌なタイプの視線。
 黒く淀んだ澱がまとわりつくような不快感を伴う――視線、視線、視線。
 逃げてしまいたい。
 逃げろ――。
 体が本能でそう言う。
 早く朝食を終えて、この場から逃げろ。
 そしてもう二度と、あいつの――兄の前に姿を晒すな。
 飲まれてしまいそうな黒いもやが、触手を伸ばしている。
 避けるよに視線を外して、必死に目の前にある食事を終えようとする。
「達哉」
 不意に、声をかけられた。
「……」
 返事はしない。出来ない。
 恐怖で声が震えてしまいそうだ。
 恐い? この、情けない兄という殻を被り続けた兄のどこに、こんな恐怖の威圧感があるというんだ?
「今日は早く帰るのか?」
 今日?
 まさか夕食もこいつと一緒に、この視線のなかで食事を取るというのか?
 絶対に嫌だ。
「いや……」
 これだけはどうしても答えなくてはならない。
 唯一、あんたと一緒にいたくはないんだ、の意思表示。
「そうか。ならば、夜中近く、お前の部屋に行く」
「!?」
 部屋に来る?
 夜中?
「逃げないよな? 達哉」
 見透かされている。
 恐怖を。
 にたりと血で真っ赤に染めたような唇を歪める兄の顔が、昔、図鑑で見た妖怪のように見えて、恐怖は更に酷くなる。
「……」
 駄目だ。
 逃げられない。
 今夜きっと、俺は、こいつに食われる。
 骨まで余すところなく――……。

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