最初はとるにたらないちょっとした出来事だった。
こんこん。
随分と咳が続くな、と思っていた矢先、急に体調が悪化して倒れたクラウド。
水上都市で開かれた、初めての会議の最中のことだった。
総責任者の第一秘書の立場を持つクラウドの昏倒に、会議は中断し、直ぐに水上としからミッドガルに続く水路が開かれた。
水上都市にはまだ十分が設備がない。医者はいても、大仰な治療を施すことが出来ないのだ。
医者は、原因不明です、と告げた。
検査をするなら、ミッドガルの研究所が最も好ましい。機材から何から全てが揃っているからだ。
「頼んだぞ、ドミンゴ」
クラウドの付き添いには、ルーファウスの執事を頼んだ。
「お任せください。必ず連絡を差し上げますので」
慇懃に頭を下げる執事に、祈るようにルーファウスは告げた。
「頼む……」
ルーファウスにとってクラウドは至高の宝だ。
ただルーファウスの秘書であり続ける為、傍にいる為に、クラウドのたった一つの強い願いであるソルジャーへの道を断念してくれた程の愛しいものだ。
失えないのだ。
遠ざかるクルーザーを見つめ、ルーファウスはただ、祈り続けるしかなかった。
ここから、事態は驚く展開を見せる。
「なんだって?」
統括管理室で、ルーファウスはミッドガルの医療研究所のドミンゴから、クラウドの状態についての報告を受けていた。
『検査の結果なのですが、クラウド様の体には、どこにも病原に当たるもの見られないそうで、全くの健康体だそうです』
「では、何故倒れた?」
『それが、判らないのです。現在医療班が総力を挙げて解析にかかっていますが、恐らく病原体は見つからないだろう、との見解です」
それは、いかにもおかしかった。
「昏倒の原因を究明するまで、解析をやめるな、と言っておけ。クラウドの身に、何の欠点があってはならない」
『私もそう思いますが……このまま解析を続けると、科学部門扱いになり、また宝条博士が出てくるのでは……』
「……」
クラウドは一度、宝条の実験体として扱われかけたことがある。
そのことが、ルーファウスに暗い影を落とした。
二度とあんなことがあってはならない。それは、決して。
「判った。解析が終わりしだい、タークスを護衛につけ、こちらに戻ってきてくれ」
『了承しました』
通話が切れる。
心配そうに会話を伺っていたエレノアに、「クラウドは大丈夫だ」と告げる。
しかし、それは本当なら、おかしい。
例え風邪にしろ他の何にしろ、原因がなくて倒れることはありえない。
嫌な予感が――した。
「そういえばエレノア」
「はい?」
「君の知り合いに確か――医術に造詣の深い人物がいたな」
「……まぁ、造詣が深い、というよりは、医療関係オタクと申しましょうか……」
エレノアは不機嫌な顔をする。
「その医療オタクに、クラウドの診察を頼めないだろうか?」
「ということは、神羅医療研究所の見解に、異を唱える、ということですか?」
「ああ……」
世は因果関係の末に物事が成り立っている。
クラウドが倒れたのなら、それに繋がる原因は何かしら、絶対に必要だ。
健康であり、何の原因もないのに倒れるなんて、やっぱりどう考えてもありえなかった。
となれば、医療研究所でも発見出来ない、小さくとも確実な原因が、どこかに隠れている可能性がある。
「ミッドガルでそのまま検査を続けるのでは、駄目なのでしょうか?」
尤もな疑問だった。
「今のドミンゴからの報告によれば、このままミッドガルに頼っていては、クラウドは再び宝条の実験体になりかねない」
「それは……」
その時のことは、エレノアも鮮明に覚えていた。
クラウドが攫われたその場にいたのは、他でもないエレノアだったからだ。
「判りました。連絡をつけてみます」
「頼む……」
非合法な医者――だという噂だった。
だからだろう。エレノアは統括管理室を出て行く。
その背を見送って、ルーファウスは、言うに言われない不穏な予感を膨らませていた。
本当にこの道で間違っていないか?
迷子になりそうな時、人は必ずそう自分に確認する。
それと同じ心境。
この選択を間違ってはいないか?
どこか一歩でもまちがえれば、クラウドを失ってしまうかもしれない、そんな不穏な予感がルーファウスの胸を締め付ける。
記憶の一つ一つを鮮明にし、頭をクリアに保ってもう一度自分の判断を繰り返す。
クラウドに潜む病原体を見つけるのは、最優先。これは、命に関わるかもしれない。だから必要だ。
では、検査手段は?
もしもミッドガルで続ければ、クラウドはまた、宝条の餌食になるかもしれない。
宝条は科学部門統括の席を、前代ガストを殺害して手に入れた。
となれば、クラウドが今宝条の手に落ちれば――命の保障はないかもしれない。
ミッドガルでは不安が残る。
となれば、検査は他の地域、出来れば神羅の息のかかっていないところが相応しい。
それはどこだ?
エレノアは信頼出来る。クラウドを息子のように可愛がっているし、クラウドの為の異動にも文句一つ言わなかった。
そのエレノアの知り合いの医者。
資格を持っているのかどうかは、知らない。だが、腕は確かだと聞いた。
「大丈夫だ。間違ってはいない」
ならば、この不安は何故だろう? ザラザラしたものを胸に飲み込んだような、嫌な予感は?
当然、エレノアの知り合いの医者に見せる際にも、ドミンゴを同行させるつもりだ。でなければ、ソルジャーを借り受けるのも良い。
丁度セフィロスが空いているはずだ。
英雄と名高い彼なら、安全にクラウドを医者の元に届けてくれるだろう。
「大丈夫だ。間違ってはいない」
同じ言葉を繰り返す。
不安はまだ拭えない。
最大の間違いを犯していることを気付くまでは……。
そしてその間違いを、ルーファウスは自ら引き寄せてしまうことになる。
やむをえない事情によって……。