(真夏日)
それは夏の暑い日のことだった。
突然司令部に現れたエドワードは、その日は報告も連絡もするでなく、ただぼんやりとロイの前に立ち、何かを言いたげに口を閉じたり開けたり――戸惑っているのが良く判る。
暫くは放置していたものの、数分もそうしているとじっと見られているのもあり、集中が途切れる。
ロイは溜息を吐くと、話を聞く体制をとり、エドワードに話しかけた。
「一体何が言いたいのだね? それとも聞きたいことでも?」
じっと見上げた先、アメストリスでも珍しい金の彩りを持つ瞳が、ゆらりと揺れる。
ゆっくりと鋼の右手が胸の辺りを押さえるのに、おや? と思いながらひとしきり待つと、やはり数度口を開閉したエドワードは、観念したように細い声で言った。
「大佐は……軍は長いんだろ?」
戸惑った末の質問にしては、ごくありきたりなそれに、ロイは更に疑問を持つ。
「まぁ、そうだね。イシュバール前からだから、かなり長いと言えるだろうね。士官学校にも通っているし……」
「じゃぁさ、軍で公然の秘密になってること、って知ってる?」
「ああ……」
成る程――と思う。
軍の公然の秘密といったら、アレしかない。
とかく軍というのは男性重視の男社会である。
今でこそ女性もその地位を得て活躍はしているが、まだまだ男女平等とは言いがたく、戦場に出るとなれば、男は最優先で狩り出される。
その中で、軍独特とも言える風習が出来上がった。
男色嗜好である。
多くは戦場の中で確立された嗜好ではあるが、実際のところ、軍という閉鎖空間に好んで職場を求める人間の中には、真性と呼ばれる生まれながらにしてその嗜好を持つ者も多く存在し、戦場遠い勤務地でも、公然の秘密として存在している。
「勿論知っているよ。むしろ、軍にいて知らない人間の方が珍しいのじゃないかね?」
「そうなんだ……俺は知らなかったから」
「そうか……」
しかし、どこかで知るに至った。
しかもロイに尋ねてきたということは……。
「それで?」
「大佐も……なの?」
――やはり……。
「違うと言われれば否定せざるを得ないが……私はどちらかと言うと女性の方が好みだね」
ロイは――いわゆるバイという種類に属する。肉体に関しても精神に関しても、対象として男女の差はない。
そもそも恋愛感が他とかけ離れているので、滅多に人に恋愛感情を抱かないし、だからまともなお付き合いをしたこともない。
「でも、経験はある?」
「勿論、あるよ」
「やっぱり、イシュバール?」
「それもあるが、今でもね」
「そうなんだ……」
エドワードの胸を押さえた右手が握られる。
キシリと鋼の擦れる音がして――ここからだ――とロイは気を引き締めた。
エドワードの本当の用事は、今までの質問ではなく、ここから。
ここからが本題だ。
再び束の間逡巡したエドワードは、ぎゅっと瞳を閉じて何ごとかを決意すると、金の瞳をきらめかせロイを見つめた。
「……真性の見分け方、知ってる?」
「見分け方だって?」
「そういうのって、生まれ持った嗜好か、それとも状況や環境に応じてそうなったのとか、色々あるんだろ?」
「まぁ、そうだね……」
「ならその――生まれ持っての嗜好かどうか、見分ける方法ってある? セックス、してみれば判る?」
子供らしくか、それともその性格故か、ストレートに問いかけてくるエドワードに、ロイは戸惑った。
「何故そんなことが知りたい?」
「……それは……」
「何か知らなくてはならない状況にもでも陥ったのか?」
軍には多い。多いのだ。
そしてエドワードは、金髪に金目という珍しい色合いと、子供でありながら将来を彷彿させるその整った容姿から、そういう嗜好の者には酷く好かれるタイプである。
これまでは子供である部分が先に立ち目立たなかったそれが、年齢を重ねるごとに際立ち、そういう嗜好を持つ者に言い寄られても不思議ではない程には成長した。
簡単に言えば、エドワードは愛される性質の人間なのである。
どんなに鋭い眼差しを持とうが、天才的な錬金術の使い手であろうが、にじみ出る雰囲気や全体的なフォルムが、彼を制服したい男達を刺激する。
「別に……そういうのじゃ……」
「なら、何故知りたい?」
ある程度大人になったら、身を守る術を教えるべきだと思っていた。
勿論、エドワードは思考が既に老成しているとも言え、人によって言動も態度も使い分けることが出来る人間なので、教えなくても身を守ることくらいは出来るだろう――とは思っていたが……。
この態度を見ると、怪しいかもしれない。
ロイの目の前に立っているのは、微かながら匂い立つ色香を放出した少年。
背は未だ平均には達していないとしても、どこもかしこも細い肉体が、男の征服欲を誘う。
更に、少年期から青年期への移り変わりの時期で、その不安定さが更に……。
それはエドワードがそうであろうがなかろうが、関係のないものだ。
答えをためらうエドワードに、ロイはふぅと溜息をついた。
「……大体は交接してみれば判るが……受身となると、その快感のすさまじさにそうでなくても癖になるという場合があるらしい」
「じゃ、真性でなくてもそういう嗜好になる可能性もあるのか?」
「そういうことになるね」
実際には、セックスしてみたって、真性かどうかなど判りはしない。
見極めるのには、最低でも、複数回恋をするとが絶対条件になる。同時に、同性相手での行為の拒否感情。
男は即物的だから、肉体そのものを刺激すれば、相手が誰でも意外と簡単に出来てしまうものだ。だからこそ、拒否の感情は判断の目安に成りやすい――のではあるが……。
「それで? 君は自分がそうであるかないかを、確かめたいとでも言うのか?」
「え?」
見開かれた瞳は、何故か涙で潤んでいる。
「私に聞くということは、そうだろう?」
「え? いや、そうじゃなくて……ちょっと気になることが……」
「では、その気になることを、聞こうか?」
どうやら話は長くなりそうだ。
ロイは執務机から離れると、エドワードを誘ってソファに移動する。
向かい合わせに腰掛け、じっくりと聞く体勢を取ると、エドワードは更に戸惑ったように視線を移ろわせ。
しかし逃げられないと知ると、意を決したように口を開けた。
「昨日まで俺達、セントラルにいたんだ」
「ああ。そのようだね。ヒューズから聞いているよ」
「そこでさ……機関の資料室使ってたら、見たこともない国家錬金術師が来て……」
機関――国家錬金術師機関のことだろう。
「その人、イシュバール経験者で、でも軍人じゃなくて……」
「ああ。あの時は国家錬金術師の殆どが召喚されたからな」
「それでその人が俺に……」
親しげに話しかけてきたその錬金術師は、どうやらエドワードが鋼の錬金術師で、かつロイの指揮下にあることを知っているようだった。
見た目の年齢は、ロイと同じか、ちょっと上程度に見える、優男風の眼鏡の男。
「始めまして」
人好きのする笑顔でそう言って握手を求めた男は、用事が済んだのなら一緒にお茶でも、と誘ってきた。
エドワードは親しい軍事のいる街以外では、絶対的に猫をかぶるようにしている。それが身を守る術だと、短いようで長いような数年で学んだからだ。
だから、気軽に誘いに応じて、共に機関資料室を出たのだ。
暫くは街をぶらぶらして店を物色し、雰囲気の良さそうな明るいオープンカフェに入った。
共にお勧めであるというフルーツジュースを注文して、錬金術についての話を始めて暫く――ふとしたきっかけで、焔の話になった。
「ところで君は、マスタング大佐の指揮下にあるのだったね」
「はい。大佐には良くしてもらっています」
「そうだろう。彼は軍には珍しい人徳者だからね。それに、弱い者には優しい」
「はぁ……」
ロイのどこを見ても、そんな様子は見られなかったが、人徳者というところには、多少共感するものがあった。でなければ、あれだけ心酔する部下はつかないだろう。
「だがね、彼の魅力はそういうところでは測りきれないんだよ」
悪戯を告白するような男に、エドワードは眉根を寄せた。
何が言いたいのか、まるで想像出来なかったからだ。
しかしそれを別の感情からのものと勘違いしたのだろう。男はこう続けた。
「大丈夫。僕はもう、彼とは何の関係もないからね」
「は?」
「今は君という可愛い人と、楽しくやっているのだろう? 羨ましいよ」
全然まるで意味が通じない。
「楽しくって……?」
「おや? 君はまだ手付かずなのかな? ならば、今度私とでもどうかな?」
会話の内容にまるでついていけなかったエドワードは、男と別れた後にヒューズの元に向かい、この話をした。
と、何故か焦ったヒューズは、かつてロイがその男と肉体関係にあったことを教えてくれたのだった。
そして、エドワードがその手の男に目を付けられやすいことを指摘した。
事情を聞き終えたロイは、頭を抱えたくなった。
よりにもよってエドワードにばらされた末、そういう人種に狙われやすいことまでも聞いてる?
「それで……君はそれが事実かどうか、私に確認に来たのかね?」
「それは、違う……」
「では何故?」
「それは……」
途端に言い淀むエドワードに、ロイの疑問は募る。
事実の確認ならば、もうヒューズ相手に済ましているはずだ。ならば、ロイにわざわざ確認に来る必要もない。
ヒューズはロイのことを誰よりも理解し、その行動から思考までをロイ以上に知っている。だからエドワードに対しての答えを間違うわけがないのだ。
エドワードはひたすらに握り締めた鋼の手を、何度か開いて閉じた。
随分と歯切れの悪い。
こんなエドワードを見るのは、初めてだ。
「……大佐は、そういう……なんての? 恋愛感情? そういうものがなくても、出来るの?」
「それは、君の出会った彼に対して、愛情があったのかどうか、という確認かい?」
「そうじゃなくて……誰に対しても……?」
疑問が一層深くなる中で、ロイはもしやの可能性をひっかける。
「……誰に対しても……だとしたら?」
探るようなロイの視線に、エドワードはためらいがちに、恐らく今日の本当の訪問理由であるそれを告げた。
「俺を、抱いてみない?」