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S M L LL

中嶋×啓太編1


飛んでいく

「何か困ったことがあったら、直ぐに僕のところへ来るんだよ?」
遥か年上とはとてもではないが思えない可愛い顔に、涙を一杯流して、海野が言う。
啓太にしたら、女になってしまったのが一番困ったことなので、今直ぐに何とかして欲しい――と真剣に思ったが、これまで何度も「元に戻して欲しい」と言ったのに関わらず、何もしてくれなかったのだから、無駄だと思いなおす。
隣に並んだ保険医もなんだか妙な笑みを浮かべているし……。
在学中、とにかく世話になったこの二人には、いくら礼を言っても言い足りない――と思いつつ、やっぱり奴らは面白がって結局啓太の望みをかなえてくれなかったのだから、礼を言う必要もないか。
思いながらも、一応「ありがとうございました」と言い、啓太は最後に出るバスに乗り込んだ。
不思議なもので、これからBL学園を発つというのに、何も感じない。
むしろ、これでこれから、女の身が何時ばれるか、と怯えないで生活せずに済むのだ、と思えば、安堵が広がる。
長く世話になった学園に対し、なんたる不義理――とは思わないではないが、実際にそうなのだから仕方ない。
友達にも、もう会えないというわけでもないし……。
啓太はそのおっとりした性格からは程遠い程に能動的な面も持っていたので、自分の行動力では到底及ばない別れに対して以外は、あまり別れというものに対して感慨を持っていない。
いずれ会えるさ。と、そう信じているからだ。
だから、これまで見送った卒業生に対してもそうだった。
むしろ、中嶋と卒業で別れることになった時は、ほっとしたものだ。
恋人――ではあるのだ。確かに。だが、日々襲われる心配がない、ということは、啓太にとっては物凄い安心感をもたらした。
遠慮無用で中出しされ、あわてて洗浄に向わなくても済むし、薬も飲まなくて済む。
なんだか異様な程に妊娠にこだわる中嶋は、怖くていけない。
学生で妊娠。しかも男が? なスキャンダルは、遠慮したかったから。
「んでもなぁ……」
これからはそうも言っていられないのか?
簡単に処置してくれる人も遠く離れてしまうし(BL学園の職員だから)、より身近になってしまいそうな”妊娠”。
出来たら本当に責任を取ってくれるつもりなのだろうか? と、不安にもなる。
まぁ、啓太の両親に、もう挨拶は済ませているのだが……。

ひた走るバスの前面に、駅が見えてきた。
あの駅の側では、中嶋が待っていてくれるはずである。
卒業後、一応大学に入学を決めた啓太は、これからの数年を、中嶋と共に過ごすことになっている。
同棲――というよりは、居候という感じだろうか?
生活費の一切の面倒を見ると豪語してやまない中嶋は、本当にそう思っているらしく、啓太に身一つで来い、などと、まるで嫁に迎えるように言った。
当然、最初は実家に戻るつもりだった啓太は、中嶋の言葉に甘えることにした。
妊娠は恐怖だが、出来たら出来たでもう寮生活ではないのだから何とかなるだろうし、第一に、実家からでは大学が遠すぎたのだ。
片道二時間は辛すぎる。
しかしながら、中嶋の今の住まいも、啓太の大学からは少しばかり遠いのだが。
だが、何にしても新たな生活である。
緊張するかと思っていたが、そんなこともなく、楽しいばかりだ。
「これからは一緒なんだよなぁ」
結局、惚れてることには違いないのだ。

最終バスには啓太一人で、運転手はのんびりと啓太に「ついたぞぉ」と告げた。
キキッとブレーキをかけて止まったバスから降りて、啓太は駅前に。
懐かしい姿が、不機嫌そうに啓太を見ている。
――不機嫌?
なんでだろう? と思いながら走り寄れば、変わらない美貌が歪められ「遅い!」と怒鳴られた。

ぽてぽてと中嶋の後ろを歩きながら、啓太は首を捻っている。
荷物は中嶋の手の中にあり、啓太は手ぶらで、この辺の優しいところは変わらないなぁ、と思うのだが……。
怒っているのである。
しかも、啓太には何で怒っているのか、判らない。
遅い、と言われた。だが、最終バスで駅に着くことは最初から話してあり、その時間に合わせて迎えにきてくれるはずだったし。バスは遅れることもなく駅に着いたのだから、遅いはずはないのだが……?
「あの……中嶋さん?」
「なんだ?」
即座に返ってくる答えに、意識を啓太に向けているのが判る。
「俺、そんなに遅刻しました?」
「ああ……」
「でも、時間通りでしたよ?」
とは言っても、啓太は時間を気にしていたわけではなく、最終バスが来るのを、バス停の前で待っていただけだ。海野と保険医に礼を述べながら。
――まさか……。
最終バスと言っても、本日は卒業式なので、特別ダイヤになっていた。
――時間が、違ってた?
「あの……今、何時ですか?」
「六時半だ」
「へ?」
通常学園から出るバスの最終は、寮の門限も考慮して五時になっている。
学園から駅前までは、それなりに長い橋は渡るが、途中に障害物などないので、二十分くらいで着く。
だから約束は、五時半になっていて……。
「時間が違う!?」
「……やっと気付いたか……」
「知ってたんですか?」
「ここに来て、今日の特別ダイヤを見て、判った」
「……す、済みません……」
約一時間近く中嶋を待たせたことに、やっと啓太は気付いた。
それは、遅いと、怒りもするだろう。
「済みません。俺、特別ダイヤのこと、忘れてて……」
「だろうな」
「わざとじゃないんですよ?」
「判っている」
やっと柔らかな表情を浮かべ、中嶋が振り向いた。
啓太はあからさまにホッとした。
「お前が抜けていることは、知っているからな」
「あのですねぇ……」
ホッとした気分は、一気に霧散。半端に反骨新がむくむくと浮かび上がる。
「俺だって中嶋さんが側にいない二年の内に、成長してるんですよ!」
思わず怒鳴った啓太に。中嶋はニヤリと、あの啓太にとってはあまり嬉しくない事象の前兆でもある笑みを浮かべると、さらりと言った。
「先週、忘れ物をしただろう?」
唐突な話題の変換。
啓太は「は?」と首を傾げる。
先週。
中嶋の卒業後、毎週のように通い妻を続けていた啓太であったが、その先週?
先週は――と啓太は考える。
持って返るのが面倒なので、荷物の類は財布しか持たずに中嶋の自称仮住まいのマンションに行った。忘れるものなんて、何も……。
「……あ…………」
「思い出したか?」
「あ、あ、あれは……!」
「随分と大胆なものを忘れていったな? で、帰りはどうしたんだ?」
「…………中嶋さんのを借りて……」
「俺の? サイズが合わないだろう?」
「だから! ズボンのベルトで抑えて!」
本当。何故忘れていたんだろう?
啓太は先週、下着――ショーツを忘れて帰ったのだ。
いや、忘れたわけではない。なかったのだ。
マンションに迎えられて、一週間の空白を埋めるような会話もないままのボディトーク後、次に意識が回復したら、既に学園に戻らなくてはならない時間だった。
慌てて起きて、服を身につけようとして、ショーツだけがなかった。
中嶋は既にバイトだかなんだかで出かけていて、啓太しかいなかったのだが、辺りを引っ掻き回して探しても、どこにもなかった。
仕方なく、中嶋の箪笥を引っ掻き回して下着を一枚拝借し、とてもじゃないがそのままではずり落ちてきてしまうそれを、ズボンのベルトでなんとか誤魔化して、慌てて学園に戻った。
「あの……あるんですか?」
「ああ」
「どこに……」
「ここに」
ぴらり、と中嶋がポケットから出したのは、啓太の、忘れていったそれ。
「ぎゃー!」
啓太は慌てて中嶋に飛びつき、下着を奪い取ると胸に抱え込む。
「な、なんでこんなところに持ってるんですか!」
「気に入っていると言っていただろう?」
「だからって、こんな……人目のあるところで」
啓太はビクビクと辺りを見回す。
幸いにも大通りを外れて歩いていた所為か、他に誰もいなかった。
中嶋は啓太の慌てぶりに楽しげに笑うと。
「洗濯はしておいた」
と言った。
「ど、どうも……」
頬を赤く染めている啓太は、きっと知らないだろう。
その下着が、一週間中嶋の机の前に飾られ、中嶋の目を楽しませたという事実を。

2007.05.11

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