ときめき
「あ……」
言ったまま啓太は硬直した。
「あ……」
同様に呟いたまま、七条も。
互いを互いに、驚きの表情でもって見やって――。
「す、済みませんっ!」
らしくもなく慌ててドアを閉めた七条の姿が見えなくなってから、啓太はへなへなと床に崩れ落ちた。
「ど、どうしよう……ばれ、ちゃった? よな、やっぱり……」
咄嗟にシャツで隠した場所を見下ろせば、有り得ないはずの膨らみが、誤魔化しきれない威力でもって、そこに存在しているのだった。
着替えを終えた啓太は、微かな羞恥と多大な困惑でもって七条に向かい、頭を下げた。
「驚かせてしまって、済みませんでした」
「え、ああ、いいえ……」
何事にも動じない七条が、困惑しているのが良く判る。
つとめて啓太を見ようとしない七条に、再度啓太は頭を下げる。
「出来れば……誰にも言わないで欲しいんですけど……」
「ええ。それを伊藤君が望むなら……ですが……」
そこで初めて啓太を見た七条は、更に困惑を深めたような顔をする。
「何故女性の君が、この学園に?」
当然の疑問だ。普通、性別が女だというだけで、BL学園の入学規定から外れてしまう。
理事会だって理事長だって馬鹿じゃない。啓太が女であることなど、直ぐに判るだろう。なのに入学が許可されたということは、それなりの事情が啓太にはある――ということになる。
啓太は困ったように七条を見上げた。
本当なら、裏事情の殆どは己の胸一つに留めておくのが相応しいのだが、この場合ならば説明してしかるべきだろう。
七条は被害者にあたるのだから。
啓太は吐息一つ吐くと「実は……」と口火を切る。
「俺は、理事長に会う為に、この学園に送られたんです……」
隠すところは隠し――それは、啓太の保護者を受け継いでくれた男にとって多大なる不利になってしまうので――啓太は事情を簡単に説明した。
全てを納得したわけではないだろうが、七条は啓太の事情を自分の胸に秘してくれることを約束し、尚且つ何かの時には協力してくれると言ってくれた。
「しかし……理事長ですか……」
難しい声と顔で、七条は呟く。
「会うのは難しいと思いますが……」
「そうなんですよね……思い切り避けられてるみたいで……」
「いいえ、避けられているのとは、少し違う事情があるのですよ」
言う七条に、啓太は小首を傾げる。
「事情……ですか?」
そんな事情があることなど、啓太は聞いていない。
ただ会うように、そういうメッセージがあったので、簡単に会えると思っていた。
「ええ。理事長は、経営側が教育側に口を出すのを由としていないのです。ですから、顔も出さないようにいているのですよ」
「へぇ……」
初めて知った。
私立高校など、初めて来たので知らないが、普通学校経営側と教育側というのは、密着しているものではないだろうか?
教育のよしあしで、経営も変わるのが常だからだ。
だが、BL学園は学校経営で設けているわけではないから、その辺が他と違うのだろうか?
「それで、もしも理事長と会えたとして、君はどうするつもりなんですか?」
「会えたとして……ですか? それは良く判らないんですけど、会えないことには先に進めませんし……」
メッセージは「会え」の一言だった。その出会いがどのような未来を啓太に与えるのかは、まず会ってみないことにはなんとも言えない。
だが、啓太は少し期待もしているのだ。
十八になったら会わせてくれると、そういう約束があったあの幼い日々を共に過ごした少年――啓太はお兄ちゃんと呼んでいたが――が、もしかしたら理事長なのかもしれない、と。
幼過ぎる頃のことで、顔ははっきりとは覚えていないが、綺麗な顔をして、酷く優しく接してくれたことを覚えている。
もしも彼に会えたなら……。
「まるで、顔も知らない理事長相手に、恋でもしているかのようですね」
苦笑交じりの七条の声に、啓太は頬を染める。
「こ、恋はしてませんよ!」
「そうですか? 今、理事長のことを考えていたのでしょう? 可愛い顔で微笑んでいて……恋する少女そのものでしたが?」
「え、ええっ!?」
啓太は慌てて頬を押さえる。
「そ、そんなことはないです!」
「そうですか?」
「はい!」
そんなことは、ないはずだ。だって、まだ会ってないのだから……。
きっぱりと断言する啓太に、七条はうっすらと笑みを見せて、驚くべきことを口にした。
「なら、僕にもまだ、チャンスはありますね」
「はい?」
「気付きませんでしたか? 君が女の子であることを、僕はとても嬉しいと思っているんです」
「……なんで、ですか?」
「それは……出会った最初から、僕は君が好きだったから――ですよ」
「はいぃ!?」
考えてもみなかった告白に、啓太は素っ頓狂な声を上げて、思い切りのけぞったのだった。
人生初めての告白を受けて、啓太は非常に悩んでいた。
答えるべきか、答えないべきか。
というか、あまりに突飛な告白だった上、まだ理事長にも会っていなかったので、その場で断ろうとした啓太を、七条はとどめ、言った。
「今、答えてくれなくても良いんです。考えてもらえるだけで」
まずは直ぐに恋愛対象として見られなくても良いから、男として意識してもらって、それからゆっくりと考えてくれれば良いのだ――と。
そんな風にいわれれば、嫌でも意識してしまう。
七条のことは嫌いではない。むしろ、好きな部類だ。
きっと相性も良いのだろう。側にいて不快感は感じないし、どころか七条の持つ雰囲気は啓太を穏やかにしてくれる。
甘いお菓子が好きで、何時だってポケットに入っている飴やチョコレートは、どこで探してくるのか絶品で。
「どうしよう……俺……」
特別に好かれるという事実が、こんなに嬉しいことだと、啓太は初めて知った。
これまでだって、好きな男の子はいた。が、七条はその誰とも違う。
「どうしよう……理事長……」
会うことも適わない、会いたい相手に救いを求めて、啓太はひたすら悩むのだった。
2007.06.05
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