コスプレ
危惧していた七条との関係は、それからも余り変わることはなかった。
肌を合わせたとは思えない程変わらない七条の態度に、啓太の方だけが一方的に戸惑っている。
経験の差なのだろうか?
そう思えば、何となくモヤモヤしたものが胸に渦巻くのを感じて、啓太は己の感情の変化にただ戸惑うだけ。
唯一の救いは、いまだ理事長に会いたいという気持ちが変わっていないことだろうか?
その理事長は、全く啓太の存在に気付かないか、それとも気付いても無視しているのか、まるで音沙汰がない。
避けられている。
七条に言った言葉はそのまま啓太の本音だった。
そんな、色々なことがモヤモヤと啓太の表情を曇らせる日々の中でのことだった。
「七月際?」
訪れた会計部室にて、七条と西園寺に言われた言葉に、啓太は首を捻る。
「……啓太、学校案内を見なかったのか?」
「え? えっと……」
見なかったのではなく、学校案内はなかったのだ。
啓太は特殊な事情を持ち学園に入学した者であり、だから正式な手順を踏んだわけではない。
戸惑う啓太に、西園寺は一つ吐息すると「まぁ良い」と言い、七月際について説明を始めた。
「BL学園はただ学ぶだけの学校ではない。これは判っているな?」
「あ、はい……この学園を出た後、人によっては大学に行かず企業に引き抜かれる人がいたりとかするって……」
「そうだ。だが、噂だけの評価で引き抜く企業はない。ということは?」
「お披露目……」
「そういうことだ」
要するに、その七月際はお披露目の為のお祭りであると同時に、人によっては何よりも大切な行事となる。
「会計は必要経費の捻出だけで普段は何もしないが、今年は生徒会が粘ってな……」
お披露目される生徒は、この時期だと主に体育会系となり、文科系及び生徒会会計部にはなんら関係のないものだ。
なのだが、生徒会には丹羽がいる。
丹羽はお祭りというお祭りが大好きな方向で、何かある度に目立って何かしようとするのだ。
これまでは副会長の中嶋及び会計部の二人が押さえてきたが、今年は最後の年とあって、粘ったようだ。
「それで……何をするんですか?」
「さてな。なんとかコンテスト、というようなものだと聞いたが……問題は、その何とかコンテストに私達も出ろ、ということだ」
「はい?」
啓太はキョトンと西園寺を見つめた。
「コンテストの内容は、判らないんですか?」
「良く聞いてなかった。あまりに馬鹿らしかったんで、無視していたら、知らない内に決まっていた。臣が……」
「七条さんが?」
「何故か今年は丹羽の後押しをしてな」
「はい?」
それはどういうことだろう?
啓太は首を捻る。
中嶋程ではないが、七条は丹羽もまた、あまり得意ではなかったように見受けられる。
勿論、他人の感情を透かして見られるわけではないので、実際のところどうなのかは知らないが……。
「そのコンテストにな、会計部からは啓太。お前が出ることになった」
「…………………………はい?」
「これも臣の言い出したことだ。文句なら臣に言うと良いだろう」
唖然と西園寺を見ると、西園寺もまた、怪訝な表情をしている。
当然、と言えば当然の反応であろう。なにしろ啓太は、七条に連れられて会計部に顔は出しているものの、別に会計部員でもなければ、会計の仕事を手伝っているわけでもないのだから。
むしろ無関係と言っても過言ではないのに、会計部の代表としてそのコンテストだかに出ることにされている矛盾。
そしてそれを、西園寺も怪訝に思っているのだろう。
「本当に俺が?」
「そういうことになった。というか、コンテストが決まった時点で生徒会と会計の出場者はその場で決められた。臣の提案に対して、丹羽も中嶋も反論しなくてな。あの中嶋も、がだ」
「はぁ……」
それは珍しい。というか、聞けば天変地異すら起きそうなありえない事態である。
七条の提案に中嶋が反論一つ挟まないなんて……地球が逆回転をしてもないと思っていた。
冗談ではなく、本気で、である。
「……決定、なんですよね?」
「そういうことになる。済まないな、啓太」
「あ、いいえ。それは良いんですけど……」
良いのか? 言ってから自分で突っ込んでみた。
啓太はこの学園においては、あまり目立ったことが出来ない立場にある。なにしろ女なのだから。
男ばかりのこの学園で、性別を隠して毎日を過ごすのは、それもう大変なことだ。
体育の際の着替えにしろ、入浴にしろ。学生というのは着替える機会が少なくない。というのに、何とか(何かは知らないが)コンテスト――となると、まさか学力のコンテストになんて啓太が推薦されるはずはないから、衣装とかそういうものになるのではないか、と思うのだ。
体育の時は、皆が出て行ってから教室でこそこそ着替え、風呂は部屋風呂で通しているから何とかなっているものの、コンテストとなると人前で着替えなくてはならないことになるかもしれない。
その時、もしかして七条に真実を知られた時のように、ばれるかもしれないではないか。
着替えのないコンテストなら、良いのだが……。
「巻き込んで済まないと思うが、これから出場者に説明会が行なわれる。これから講堂へ行ってもらえるか?」
「あ、はい。判りました……」
ふらりと立ち上がった啓太は、よろよろしながら会計部室を出た。
その背中を、実に哀れを込めた目が見ているのを知らず……。
講堂に辿り就いた啓太は、驚愕に眩暈がした。
西園寺に言われて直ぐにやってきたはずなのに、既に説明会は終わっていて、最後の最後にコンテストの賞品として紹介されたのが、啓太。
「は?」
どういうことだ? と説明を求める啓太に、七条はにっこり笑う。
「君の憂いを晴らすのが一番の近道だと思いまして」
「近道?」
「このコンテストで、理事長を引っ張り出します」
「え?」
七条の背後には、丹羽と中嶋が、同じような笑みを浮かべて頷く。
「一度くらい生徒の前に顔を出すのが、理事長の義務だと思わないか?」
丹羽の問いに、中嶋が頷く。
「隠れてばかりで出てこない理事長など、得体が知れないからな」
「君を賞品にすれば、黙って見てはいられないでしょう」
「いやでも……俺が賞品になっても、コンテスト自体、盛り上がらないんじゃ……」
「本気で言ってますか?」
「え?」
困惑の表情を浮かべる啓太に、七条は当然のこと丹羽も苦笑する。
「鈍いのもここまでいくと国宝級だな」
嫌味交じりに言ったのは中嶋。
意味が判らないと尚更に困惑の表情を浮かべた啓太。
「まぁ、良い。準備はこちらで整えるし、盛り上がりに不安があるなら、ある程度なら煽れるからな」
「煽れるって……」
「心配すんなって! お前が賞品だと知って誰もが喜んでたぞ? 何しろ季節はずれの転校生でしかも……」
ちらり、と啓太を見る丹羽の頬が、何故かかすかに赤らむ。
七条が警戒したように啓太を背後に隠すのに、丹羽は笑みを苦笑に変えて首を振る。
「ま、何とかなるだろ?」
どうやら、丹羽や中嶋、七条にはコンテストの結果が見えているようである。
不思議に思いながらも、ここまで来て断るわけにもいかないと、啓太は頷いた。
のだが……。
「女装するんですかっ!?」
賞品用の衣装を見せられた啓太は絶叫した。
賞品には賞品としての価値をもつべく衣装があるのだ、と七条に案内された小部屋で見せられたのは、とてもではないが男子が着用するとは口が裂けてもいえないようなそれで。
「何か問題が?」
涼しげな顔で言うのは七条である。
しっかり下着から小物まで取り揃えられたそれを見て、啓太は怯えるしか出来ない。
ドレスである。まるで花嫁のような、真っ白な、しかも露出の激しい。
こんなものを着たら、いくら隠していてもばれてしまうではないか!
BL学園は男子校で、だから本来なら男子生徒しか存在出来ない学校なのである。啓太が実は女だということが知れたら……。
考えたくない。
「無理です。着れません! 七条さんなら判るでしょう!?」
涙目になりながら叫ぶ啓太に、しかし七条は笑って頷いた。
「ええ、判りますよ。あなたの体を、僕は隅々まで覚えています。腕一つとっても男には見えない君の体……ですが……」
「ならっ!」
「そもそもね、女性の身の君が、何年もこの学園にい続けるのには無理があるのですよ」
「え……?」
それはどういう意味だ? と視線を上げれば、柔らかな微笑を浮かべる七条の顔に出会う。
「今ですら、男ばかりの生活の中で、君は神経をすり減らしている。今はまだ良い。けれどこの先、もっと困難な事態が起こるでしょう。その時、君は果たして無事に過ごすことが出来るでしょうか?」
知っているのは七条のみ。言わないで、と頼まれたから誰にも告げてはいない。
だが、言わなくても違和感を覚える者や、真実を見破る人間がいないではない。
問題は、それを知るのが皆男であり、また啓太は魅力的な女性であるという事実なのだ。
例えるなら狼ばかりの群れに、ウサギを放り込むようなものだ。
目の前に餌を出された狼は、本能でそれを食す。これは、人間にも通じる考え方と言っても良い。飢えているのなら尚更のこと。
啓太はその、餌であるのだ。
勿論、啓太はそのことに気付いてはいなかったが。
「間違いが起こってからではまずいのです。君には早々にこの学園から出ることをお勧めしたい。ですが……」
「学園を……出る……?」
「君の憂いは、理事長に会えないことだ。ならば、僕らが引きずり出してあげます。だから君は早く」
「……学園を……?」
なーんだ、と啓太は思った。
そういうことだったんだ、と。
確かに女の身で男子校はまずいと、さすがにそれは啓太にだってわかる。しかも能力が秀でた者ばかりが集まるこの学園で、啓太はまさに異端だ。突出した能力があるわけでもない、また学力だってそれ程抜きん出ているわけではない。
いるだけで違和感を覚える人間となれば、啓太以外にいないではないか。
そうだったんだ。
啓太は思い、ならば、と頷いてドレスを手に取った。
2009.01.08