浮上していく意識を不思議に思うくらには、闇に閉ざされる前の記憶ははっきりしていた。
世界は滅びた。アッシュの超振動によって。
下らない人間の排他的意識と傲慢さによって、平和とレプリカ達はゴミ屑のように扱われ、挙句あれだけ平和と世界の存続をかけて命をかけて戦ったアッシュを、再び戦争という実りのない行為へと担ぎ出したキムラスカ。
既に絶望しか存在しない己の中には、キムラスカもマルクトも、はたまたダアトだとて、全ての災厄の元凶である人間が生きているというだけで、存在する価値も見出せなくなっていた。
そう、だから滅ぼしたのだ。己の力を暴走させて。
なのに意識が浮上する?
力の暴走で滅びたのは、世界だけではないはずだった。己の身だとて、過ぎた力の前に、塵すら存在しないまでに分解されたはずであった。
なのに何故?
眠りと覚醒の間を、思考のまま漂っていたアッシュは、目を開けるという行為によってそこから脱した。
そして、愕然とする。
「ここは……」
記憶力は悪くはないと自負している。七年間ヴァンに言われたあれこれを、殆ど記憶し、それを八つ当たりがごとく己のレプリカにぶちまけていた事実から鑑みれば、それは間違いない。
ならば、ここは間違えようもなく、己の意思とは無縁のまま、仕方なくという状態のままで七年間を過ごした、ローレライ教団内部にある、己の自室。
どうやらベッドに寝かされていたようだ。
そして己は……。
「目が覚めたか、ルーク?」
唐突にかけられた声に、驚きながらも振り向けば、そこにはヴァンの姿が。
最後の記憶にあるよりもいくばくか若いように感じられる、神託の盾騎士団を束ねる総長でありながら、最終的にはそれとすらも敵対し、己の欲望のまま世界を滅ぼそうとした勘違いな復讐者。
「ヴァン? 何故ここに……」
「お前が気を失ったのでな。ここに運び込んだのだが……記憶がないのか?」
「いや……ないわけじゃない。ただ、現状を把握しきれていないだけだ」
アッシュは表情を歪め、視界を覆っている己の髪をかきあげた。
「ならば、現状を説明しよう」
ヴァンはやたらもったいぶって言うと、アッシュの直ぐ側に椅子を引き寄せ、腰掛けた。
腰を据えてアッシュを洗脳しようとでも言うのだろうか?
「先日、私と共にダアトに来たのは、覚えているか?」
「先日? ダアトに?」
「お前が言ったのだ。超振動の実験が辛く、なのにそれを訴えても両親は何もしてくれない、と。ならば私がどうにかしてやろうと、そう約束したのを、覚えていないか?」
「ああ……」
そんなこともあったような気がする。
アッシュの記憶の中では、もう一昔前の話である。
だが――。
「……もしかして、レプリカをつくった直後か?」
「覚えていたか。そうだ、お前の情報から紛いものの命をつくり出した。なかなか精巧に出来上がってな。とは言え、まだ隣の部屋に置いてあるが……」
まるで物に対するような言い方。
既にレプリカが、一人の確固たる人間であると認めているアッシュからすれば、嫌悪感すら覚えるような考え方だ。
「隣か……会えるか?」
「それがな……」
そこでヴァンは、何故か表情を歪めた。
「作成中に事故が起こったのを、覚えていないか?」
「事故?」
「そうだ。お前の情報という骨組に、音素の肉付けをしている時だった。唐突に第七音素が膨れ上がり、余剰第七音素が作りかけのレプリカに吸収された。そして、その音素量に対応しきれなかった機械が爆発した」
オリジナル、レプリカ、共に無事なのが不思議なくらいの爆発事故だった、とヴァンは言う。
呑気なことだ。もしも二人とも死んでいたら、今後はどうするつもりだったのだろうか?
「その結果かどうかは判らないが……出来あがったレプリカは、少女の体となっていたのだ」
「なんだと!?」
アッシュ(男)の情報から生まれたレプリカが、女?
フォミクリーの理論は、あまり詳しくは知らないものの、完全同位体という珍しいレプリカであろうがただの同位体であろうが、外見性別共に異なるものは生まれない――というのがその常識だったと記憶している。
だから例えば事故が起ころうが、そんなことは不可能なはず、なのだ。
とは言え、この世には実際理論で説明が出来る事象に対しても、次々と新たな事実が出てくる。
そういう意味で言うのなら、これは新発見とも言えるべきことであり、ありえない、なんてことにはならないのかもしれないが。
「会えるか?」
「レプリカにか? 会ってどうする?」
「これから俺の代わりとなる者だろう? ならば憐れみを込めて見ておくのも良いだろう?」
「成程な……お前はレプリカを憐れむか?」
実際に憐れむ相手は、幾多の救いを無視して破壊の限りを尽くした結果、馬鹿にしていた己の弟子に倒される――そして、今この時から、アッシュまでを敵に回すことが決定している、そんなことは微塵も考えていないだろう、ヴァンだ。
「憐れみは人を優しくするものだ。憐れまれる方はたまったものじゃないが」
「ふ。お前は面白いことを言うのだな」
「ああ。お前程面白い思考は出来ないがな」
自分のやったことを反省もせず、奪った命に償いもせず、挙句自分の責任を預言というものに転嫁し、さらに命を奪うべく暗躍する愚か者。
何より、己の身内とも呼べる者達だけを無条件に助けようという、その差別的思考が気に入らない。
預言を盲信する人類を滅ぼすのが目的だというのならば、己の妹であれ、己の仕えていた主であれ、問答無用にその牙にかけるべきだったのに関わらず。
「会えるな?」
「良いだろう。来い」
手を差し伸べたヴァンにはかまわず、アッシュは己の力でベッドから起き上がった。
出会ったレプリカは、確かにヴァンが言う通り、女であるようだった。
「幼いな。性差があまりはっきりとはしない」
「だが、それでも立派に女だぞ?」
「そのようだ……」
アッシュと同様、ベッドに寝かせられた少女は、同年齢の外見を持っているのにかかわらず、アッシュよりも細く、手足も頼りなかった。
簡素な白衣を着せられたその下の体は、だから成長しても細いままなのかもしれない。
「女だな?」
「そうだ」
「ならば、取るべき手段は一つだけ、だな」
振り向きざま、アッシュは嘲笑に似た笑みでヴァンを見た。
「ルーク?」
怪訝に問いかける声は、かつてアッシュのものだった名を呼んでいる。己から、アッシュと名乗れと言ったのではないか。
アッシュの意思も感情も無視して、己の力あるコマとして使うべく、自我すらも封じて。
「お前に従う意味もない、むしろお前の存在自体、意味のないものだ」
憎しみと憐れみを共に、アッシュは右手をヴァンに突き出す。既に尊敬は、失われて久しい。
放たれる力は、世界を滅ぼした力。
「滅びろ、ヴァン!」
破壊に限定された力は、ダアトをも消失さえるに等しいものだった。
一瞬にしてダアトが消失した。
その知らせを受けて、誘拐された子息を探しにダアトに上陸したばかりだったファブレの私兵――白光騎士団の者達は、かつて教会を中心とした街にやってきていた。
消失した、とは言われていたが、実際になくなったのは教会の半分程で、街そのものは無事なようだ。
だが、混乱した街の住民の話によると、消失した教会部分に、赤毛の少年少女が二人、倒れていたとか。
赤い髪。
思い当たるそれに、騎士達は慌ててその少年少女の所在を聞き、かけつけた。
そこには……。
「ルーク様!」
彼らの記憶にはっきりと刻まれている、己の主の子息。
その子息の腕には、同様に赤毛の少女が抱かれていた。
目は閉じているので、その色は判らない。だが、予想するのに恐らく緑だと知れる容姿の少女。
「その方は……?」
騎士は怪訝に問いかける。
迎えと悟った騎士を前に、アッシュはうっそりと笑い「俺の妻だ」と、そう言った。
ブログ初出:2009.04.20