「お久し振りです。皇帝陛下」
優雅に一礼したルークに、対したマルクトの皇帝は鷹揚な笑みで答えた。
「良く来たな、キムラスカの至宝たるルーク殿?」
堂々と裏の呼び名を口にする皇帝に、ルークは苦笑する。
「それは言わない約束でしょう?」
「約束はしなかったな。俺達がした約束は、ああいう場所で会っていたことを他言しない、ということだけだ」
「そうでしたっけ?」
「それに、もっと口にされたら困る名があるだろう? それは言わないでおいたんだから、許せ」
「皇帝陛下を許さないなどという愚か者は、この場にはいません。ご安心を」
マルクト帝国首都グランコクマ。
あれから数日を陸艦で移動したルーク達は、今、謁見の間に通されたばかりだ。
迎えた皇帝の方は、どうやら待っていたらしい。
謁見申し込みから許可までそれ程の時間はかからなかった。
「で? 改まって重要な話があるとか? とうとう俺の妃に収まる決意が固まったか?」
「冗談を。陛下の側には赤毛の粒が揃っているとか。その中に入って平静でいられるだけの覚悟はありませんよ。それに、皇妃の件初耳ですが?」
「そうだったか?」
そらとぼけた皇帝には、苦笑しか出ない。
このマルクトの若き皇帝は、なかなか駆け引きに堪能だ。
「で? 重要な話とは?」
漸く冗談を収めた皇帝に倣い、ルークもそれなりに真剣な表情を浮かべる。
しかし、飛び出た言葉は要点とは外れていた。
「その前に、まずアスラン=フリングス以下、元聖家の家臣をお返し――もしくはお借りしたいのですが?」
「聖家の家臣?」
「それ程の人数がいるわけではありません。まずアスラン=フリングス。そしてジェイド=カーティス、その妹ネフリー=バルフォア――とこちらは旧姓ですが――それと、サフィール=ワイヨン=ネイス。亡くなってはいますが、ゲルダ=ネビリム」
え? とジェイドが驚きのままに振り向くのに、しかしルークはこの場では視線すら向けなかった。
「そいつらが、あの滅びた聖家の元家臣だったと言うのか?」
「本来なら、ホドのガルディオス家もそうですが、ホドは崩落し、ガルディオスはもう一人息子しか残っていない上、既に我が手に戻っております故。――ガイ」
ガイが隣で、多少の驚きを表情にともしながらも、皇帝に向かって頭を下げる。
まさかここで紹介を受けるとは思わなかったのだ。
「ガイラルディア=ガラン=ガルディオス。ホドの領主、ガルディオス家の正当なる血統です」
「お前が……」
皇帝は一瞬を思考に沈ませ、ルークを振り向いた。
「返してやるのは吝かではないにしろ、何故今更? と理由を問いたいところだな」
「そこからが重要な話となります」
ルークはフリングスを振り返り、手を伸ばす。
心得たとばかりにフリングスが差し出したのは、小さな譜石であった。いや、譜石と呼ばれる物。
「これは第六譜石と呼ばれるものです。欠片、ですが」
「それが!?」
預言を重用しない皇帝にしろ、譜石――しかもユリアの預言による譜石――がいかに世界で重要視されているか知っている。
「本来ならこの第六譜石には、ユリアの予言が詠まれている、そのはずです……ですが……」
ルークはそれを、今度はイオンに渡す。
アクゼリュスにて、ルークに対してわだかまりを抱えてしまったイオンは一瞬戸惑ったものの、しかしながらこの行動が今、マルクトの皇帝にも望まれているとは判っている。個人的な感情で断れるほどイオンの存在は軽くないのだ。
受け取った譜石に意識を集中し、その向こう側にある預言に耳を傾ける。
けれど……。
「預言が、詠めない?」
イオンは愕然とルークを見やる。
「だろうな」
「何故、ですか!? 僕は導師であり、ユリアの譜石を読み取る術に最も長けているはずです」
「はず、なんだろ? だけどイオン、お前はこれまで、本当に譜石から預言を詠んだことがあるのか?」
「え……?」
ルークはそれきりイオンからは視線を移し、今度はティアを見た。
「ティア、譜石を」
「無理よ。イオン様に無理なものが、私に詠めるわけが……」
「良いからやれよ……」
ルークはイオンから譜石を受け取り、ティアに放り投げる。
慌ててキャッチしたティアは「譜石を投げるなんて!」と憤りながらも、一応皇帝の前だから、と譜石に意識を集中させる。
と――。
アクゼリュスへの出発前、謁見の間でティアが詠んだままの預言が、そしてアクゼリュスにてルークがヴァンに告げた予言が、ティアの口を通じて流れ出す。
「何故私に……イオン様にも無理だったのに……」
詠み終えたティアは、呆然とルークを見る。
ルークは目を細めそのティアを見つめた後、「怨嗟の声だよ」と吐き捨てた。
「陛下。何故導師イオンに詠めなかった譜石が、ティア=グランツに詠めたのか、お判りですか?」
唐突に声を向けられ、その意図が読めずに皇帝は首を捻る。
「譜石に仕掛けがしてあるからか?」
「『そう』とも『違う』とも言えます。この譜石は、聖家がまだ存在している時代、当主――即ち聖主に連綿と継がれていた譜石なのです。それも、『怨嗟の形』として」
「怨嗟の形?」
ルークは重々しく頷く。
「今でこそ、ローレライ教団がまつり上げている聖女ユリア。彼女は多くの預言を譜石と共に残し、まるで星を支配するがごとく人を操ってきた。けれど、それは全てまやかし。この世には、未来史などは存在しない。どころか、預言は未来予知などではなく、ユリアが吐き出した怨嗟の言葉に過ぎないのです」
馬鹿な! とその場にいる殆どの人間が否定に近しい視線をルークに向けた。中でもティアの否定は凄まじかった。
「何を言うの! ユリア様の預言は絶対よ。何より、預言と歴史の合致がそれを証明しているじゃない!」
それは、近しいところで言うならホドの崩落であろうか。
「そう。ユリアの預言は絶対だ」
「言っていることが矛盾してるわ!」
「矛盾は人の中にあり、俺の中にはない。ユリアの預言が絶対なのは、誰もが皆、ユリアの預言は現実化すると思い込んでいるからだ。先に人の行動があるんじゃない。先に預言があり、その上に人の行動が乗っていることを差して、ユリアの預言は絶対だと、俺はそう言った」
意味が判らない、と叫ぶティアを、皇帝は一括して黙らせた。
「ルーク殿、それは、預言が当たるのではなく、予言の通りに人が行動することによって、預言が当たっているように見えている、ということか?」
「そうです」
先程の例を上げるなら、ホドがその良い証拠だ。
ホドは自然崩落したわけではない。人の手によって崩落させられたのだ。預言に、そう詠まれていたから。
そして崩落の原因となる戦乱とて、そこで戦争が起こると詠まれていた者達が意図的に起こしたものなのだ。
全て、人が預言というものの通りに行動した結果、預言は当たることになってしまった。
「フェンデという家をご存知ですか?」
「ああ……確かガルディオスに仕えていた下級貴族だな」
「そうです。そのフェンデは、上手く隠されていますが、ユリアの子孫らしい」
ルークはちらりとティアを見る。
「そのフェンデが、ユリアの預言は当たるものだと吹聴して回り、世界を混乱に陥れる発端を担ったのです」