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‥。そう呼んで甘く囁いてくれる彼氏はいない。はぁ、ため息が出てしまうが今日の配達はちょっと嬉しい。今日も会えるといいな、なんて期待していた。こんな大変なことになるとは夢にも思わずに。 どうして四大にまで行って、栄養士の資格を取って私はトラックの運転をしているんだろうか。いつもいつもそのおかしさを自分で指摘しながら仕事をする。しかもトラックの運ちゃんなのにどうしてあんなものに参加しないといけないのだろう。 そして今日も大学の食堂へ注文と配達にやって来た。 「こんにちわ。恵産食品です」 「あら、今日は砂糖としょう油と‥‥」 言われた調味料を力仕事で運び込む。この仕事に就いてからハッキリ言って腕力が付いた。腕に力を入れると力こぶが出来る。ああ、女なのに全然嬉しくない。 「お昼、食べてったら?」 食堂のおばさんの優しい言葉に落ち込んでいた私はジンとする。そしてご相伴に預かった。 「ご馳走様でした」 きちんと手を合わせ、食べ物に、おばさんに感謝をする。昼の一番混雑する時間を過ぎ、午後の講義が始まっているのか生徒はまばらにしか居ない。 大学にいると学生時代を思い出す。あの頃は夢も希望も一杯で、おまけに男もいて。ああ、幸せだった。私は食事の献立を考える仕事に就きたかったのだ。自分で料理をしながら栄養のバランスを考えてあれこれと試行錯誤する。もちろんそれに加えて美味しくないといけない。そこら辺のさじ加減が腕の見せ所って言うか、挑戦し甲斐があるって言うか。 なのに学校給食、病院関係共に倍率が高くてダメだった。栄養士なんて掃いて捨てるほど居るのだ! だからこの恵産食品に受かったときは凄く嬉しかった。だって企画の方にいければ管理栄養士になれたのに。なのに‥、面接で車の運転が好きと答えてしまったのがいけなかったんだろうか。配属部署が発表されたときのショックは忘れられない。まさか配送部に回されるとは。 夢が打ち砕かれてしまったから。でもこの就職氷河期。特に四大出の女なんて売れ行きが悪い。残念ながら転職するわけには行かないのだった。 遅い昼休みを注文先で取る。これくらいの自由は取っても許されると思って勝手にサボる。仕事も手を抜くことを覚えてしまった。この後の配達は残ってないし、新たに注文を取りに行くだけだから夕方までにその会社に行けばいいのだ。 冷房の効いた食堂で学生を眺めているのが悔しいような、羨ましいような複雑な気分だけど、好きだった。エネルギーをくれる彼らが好きだった。 あっ! 窓の外には一番会いたかった彼が居た。 私は思わず走り出してしまった。 その彼とはこの大学のバレー部の期待の新人。都築虎王。 初めて見たときは芸能人が通っているのかと思ったくらいに驚いた。それほど彼は格好良かった。男前でハンサムだった。人とは違うオーラが出ていた。でもそれは芸能人オーラじゃなく、誰も近づけない、人を跳ね返す強いオーラだった。 それでもいっぺんに惹かれてしまったのだ。今まで生きてきて良かったとさえ思ってしまった。そう、思わず拝みたくなってしまったのだ。それくらいに彼は格好良かった。 それから仕事が少し楽しくなった。この大学の食堂だけは楽しみで仕方なかった。 でもいつも会えるとは限らない。それどころかこの広いキャンパスでたった一人の男に偶然会うのは難しい。だから食堂のおばさんに聞いてみた。もの凄く背が高くて格好いい男の子、と。そしたらあっさりと返事が返った。こんなに生徒が居るのにそれは凄いことだった。それほど彼は有名だったのだ。 正体が判るとときおり体育館を覗きに行った。彼が練習に参加してると二階の通路は女の子で一杯になる。だからすぐに分かるのだ。 私もこの子たちくらいだったら。そしたら練習が終わった後にタオルを持っていったり、スポーツドリンクを差し入れしたり、得意の料理でお弁当なんか作ったりできたのに。 まるでとっくに過ぎ去ってしまった高校生のようなことを思う。それくらいに憧れて、そして目の保養だった。 自分でも何故追いかけてしまったのか分からない。もしかしたらそばに誰も居ない所を初めて見たからだろうか。当然のようにいつでも彼の周りには女の子が鈴なりだった。なのに今日は1人も連れてない。 追いついた。そして何も考えないまま叫んだ。 「つっ、都築くんっ!」 彼、都築虎王くんはゆっくりと振り向いて私を見た。 うわっ、映画のCGの効果みたいにビームで焼かれた。なんて、なんて整った顔をしているのだろうか。本当に神様の傑作品とも呼べる非の打ち所のない顔で私を見たのだ。私は呼ぶだけ呼んでおいてその場に立ちつくしてしまった。 「ナンパもスカウトもアンケートもお断り。ついでに言うなら俺はバレー部‥。あれ、あんた‥」 振り向きざまに発せられた最初の台詞はきっと何回も何回も言っているのだろう。かなり強い口調でしかも早口だった。 「何?」 立ち止まった私を値踏みする。 「その格好でナンパはないよな」 いったいいくらに弾かれたのだろうか。楽しそうな目つきですごく不安になる。そのどうしようもない立場と気持ちのままでいたが、ハッと気が付いた。 私ったら、仕事着のままだったのだ。 最近の食の事情を反映してか、背中には工事現場みたいに「安全第一」なんて書かれている、もちろん社のロゴはしっかり胸に入っている青のTシャツは、暑さに負けて肩までまくり上げ、頭には汗止めのバンダナを巻いて、ジーンズのポケットからは軍手が半分顔を出していた。おい、これじゃどっからどう見てもガテン系だろう、なんて1人で突っ込みたくなる。恥ずかしさに顔が燃え上がる。 「すっすいません。出直してきます」 そう言って頭を下げた。なるべくおかしな奴と思われないように自然に歩こうとした。でもどこかぎくしゃくしてしまって自分で分かるだけにまたそれで焦る。もうドツボに嵌ってしまってどうしようもなかった。 それでもなんとか50メートルくらいは歩いただろうか。もう彼は向こうに行ってしまっただろうと、振り向いてみた。 「キャーッ」 あんまり驚いたので思いっきり叫んでしまった。 なんと都築くんは私の後ろを歩いていたのだった。 「酷いな。人を化け物かなんかみたいに」 「だっ、だっ‥だっ‥だって。まさか後ろにいるなんて」 「いちゃいけないか? 俺はここの生徒なんだぜ」 それはそうなんだけど、だって向こうへ向かって歩いてたじゃない。心の中ではちゃんとそう言えるのに、口に出すことが出来ない。さっきよりも近付いた顔に目が釘付けになる。 ああ、アップで見るといい男さ倍増。 普通、アップになるとアラが見えるのに。 それにしてもやけに彼は楽しそうだ。 こんな年下の男にからかわれているのが少し悔しくなって今度はしっかりとした足取りで駐車場へ向かった。 「おい、用事はいいのか?」 「いいです。出直してきます」 「ふーん、俺に2度目はないぞ」 えっ? さっきまでの普通の男の子の雰囲気はなくなり、例の人を寄せ付けないオーラが滲み出る。 普通は逆なのに‥。 都築くんは本当の姿がこっちで普段はそれを上手に隠しているんだ。 振り返ってマジマジと眺めている私に彼は言った。 「ナンパだったんだろう?」 なんて自信過剰な男だろうか。初対面の年上の女を捕まえて言う台詞だろうか。でも悔しいくらいに彼にはその台詞が似合う。卒倒しそうになる。 そして私は倒れる代わりに素直に頷いていた。 |