あれは高校二年の春休み前のこと。俺は季節に少し遅れを取って、インフルエンザにかかってしまった。

 昨日は冬哉と三学期末テストの最終勉強を行っていたのだが、どうにも頭痛がする。冬哉は俺の調子が悪いことにすぐに気が付くと、母親を呼びに行った。
 そこからはホントに短時間だった。背中を何度も寒気が這い上がり、間断なく体が震えた。
 体温を測れば三十八度。しかしこの寒気はまだまだ上昇しそうなことを告げていた。
 お袋はいの一番で虎王に電話をし、虎王は大学からの帰宅時間のベストタイムを叩き出したかと思われる素早さで帰ってきた。
「風邪薬と解熱剤を飲んでおけば朝には治ってるって」
 俺は家族に何度もそう訴えかけたのだが、聞き入れてもらえず、病院へ連れてこられしまった。
「インフルエンザだと発症してから時間の勝負だ。なるべく短時間で治療してもらえばそれだけ軽くて済む」
 虎王がそう言っていた通りで、薬を手渡しされたその場で飲まされた。発症してから四十八時間以内だとよく効くらしい。それを過ぎると非常に長引くと言うことだった。

 冬哉はもう一日試験が残っているので病院へ行く前に帰したが、実はその前の日から調子は悪かった。冬哉に心配を掛けたくなくて、自分自身の体なのにそれには気付かない振りをしていた。だから熱はその前からあったかもしれない。
 帰宅後は虎王に冬哉の家に行ってもらい、家庭教師の続きをしてもらった。
 そして今日、試験を休む訳にはいかず、冬哉と共に虎王に車で送ってもらった。帰りも迎えに来てくれるというので素直に甘える。そうでもしないと冬哉にまでとんでもない迷惑を掛けてしまいそうだった。
 しかし午前中は熱も平熱で、少しふらつきはするがそんなに大変ではなかった。昨日の晩はグッスリ寝たし、今日もう1日しっかり睡眠を取ればかなり快方に向かいそうだった。
 だがそれは甘い考えだったのだ。

 家に帰るとすぐに着替えてベッドに横になる。アイス枕と冷却シートを額に貼って前後から冷やされて気持ちがいい。うとうとと仕掛けた頃に冬哉がやってきた。
「狼帝‥、具合どう? ごめんね。風邪引いてるのにずっと俺の勉強をみてもらってたから。だから酷くなっちゃったんだね。お詫びに治るまでずっと看病するからね」
 冬哉‥、冬哉がそばに付いていてくれるなら、風邪が治らなくてもいいな、なんてチラッと考えてしまったほどこの時は嬉しかった。
 だが風邪なんて睡眠と栄養を補給し、自分自身が体力をつけるしかないのだ。だから看病と言ってもすることなんてさほどない。
「狼帝、なにかして欲しいことがあったら言ってね」
 昔なら氷枕の氷が溶けたとか、額のタオルが暖かくなったとか、やることもあったかもしれないが、今は数時間はほっておいても大丈夫。やることがなくてしょんぼりしてしまった冬哉の気を紛らわすために話し掛ける。

「数学の試験はどうだった?」
「えっ、ええっ。すっ数学?」
「ああ、最初の2問は丁度やっていた所だったろ」
「え‥えっと‥、あの、木村に聞いたら違ってたみたい」
 木村はクラスで俺の次に数学の出来る奴だ。まず間違ってはいないだろう。
「お前‥、あれほどこれは出るからって言ったのに」
「だっ、だって‥、違うんだって。ちゃんと式の作り方は合ってたんだよ。だけど計算してたらなんだか答えが間違った方向に‥」
「と・お・や〜」
 一体どこをどう間違えたのか、自然と声が低くなるのが分かる。喉に負担の掛かる低音が出たことで酷く咳き込んでしまった。
「ほっ、ほら、狼帝。興奮するから勉強の話しは止めにしようよ」
「い〜や、ダメだ。やったときすぐに復習しておかないとまだ同じ所を間違うぞ。机からノートとシャープ出してすぐにやれ。問題はカバンに入ってる」
「えっー、マジィ?」
「マジもマジ、大まじめだ」
 渋る冬哉に無理矢理解かせる。ついでに他の問題も全部やらせた。
 ついつい興奮してしまい、咳がさっきより酷くなる。腹筋は痛いし喉の痛さと言ったらこれまでに経験したことがない。
 一通り済んで、ベッドへ身体を沈める。

「ねえ、ただ寝てるのはつまんないでしょ。俺、家から漫画持って来たんだ。これ読もうよ」
 そう言って冬哉は最近はまってるらしい漫画の単行本を取り出した。普段は漫画は余り読まない。冬哉ももちろん知っているが、こう言うときくらいは読むと思ったのだろう。
 しかし頭は朦朧としているし、咳は酷い。起き上がる気力がない。
「うーん、無理」
 パラパラと数枚めくって降参した。
「ええっ、漫画もダメなの? それじゃ狼帝暇だよね。俺が出来ることなんかない?」
 こう言うときはただ寝ていられればいいんだが、冬哉は俺がつまらないと決めつけている。なにかしないと居られないようなので、少し考えてそれからこの状況にピッタリのことを思いついた。
「なにか、話してくれ」
「話すって何を?」
「昔のこと。楽しかったことの思い出話し」
「けど、そう言う思い出ってほとんど狼帝も一緒だったし‥」
 と続く言葉を飲み込んだ。俺が一緒じゃないとなると省吾と桐谷が一緒と言うことだ。冬哉はまた俺がヤキモチを妬くんじゃないかと心配しているのだ。
「小学生の、しかも低学年の頃の話しだろ。楽しく聞けるから」
「そう? それじゃ何を話そうかな。楽しかった話しだよね‥。う〜ん」

 考えなきゃいけないほど、多くの思い出があるのだろうか。その事実は弱っている俺を打ちのめす。
 唸りながらあれこれ考えていた冬哉は、ポンと手を打った。
「これにしよう。あのね、これはね、小学4年生の時のことでね。夏休み中の話し」
 本当に面白かったらしく、思い出し笑いをしている。
 その話しはこんな内容だった。


 冬哉と、想像通り省吾と桐谷は、夏休み最後のイベントを考えていた。
 そこで登場した案は「肝試し」。俺たちが住んでいる住宅街の外れに墓場があった。寺などは付いておらず、広大な敷地に、多数の墓石が立ち並ぶ。それは背景に暗い山を持ち、肝試しには最適な場所だった。
 主催の3人はそれぞれ3つの印を昼間のうちに墓のあちらこちらに付け、夜になるのを待った。
 9つある印のうち、6つを見付けて戻ってくると言う単純な物ではあったが、墓が怖い者にとってはかなり厳しい条件だった。
 冬哉たち首謀者は自分の知らない6つの印を見付けることになる。冬哉は当然省吾と桐谷の付けた印を見付けなくてはならないのだが、ハッキリ言ってこいつらは意地が悪い。同じクラスの参加者全8人中、冬哉が一番不利なのは目に見えていた。冬哉の出題が一番簡単だったからだ。
 他の参加者は簡単な冬哉の3問と、残りは偶然見付けることが出来た3つでいい。冬哉以外の問題を6つ見付けることは至難の業だったと考えた方がいいだろう。
「狼帝、覚えてる?」
 と聞かされた名前はかろうじて顔が一致する程度。しかしその中で水谷と言う奴だけはしっかりと覚えていた。デブででかくて超が付く乱暴者だった。こいつの兄貴が確か虎王と同じ学年で、色々比べられて面白くない思いをしたのだろう。5年生の時に同じクラスだった俺はことあるごとに絡まれて、殴られた。
 だが‥そう言えば5年の途中からプッツリ記憶がないな。2学期の後半くらいから絡まれなくなった気がする。
 その水谷が4年の時も冬哉と同じクラスだったのか‥。しかし水谷は悪戯っ子の代表選手だった省吾たちとも敵対関係だったはず。何故誘ったりしたのだろう。

 じゃんけんで順番を決め、5分おきに1人ずつ出て行く。
 コースは自由。単純に印を見付けてくればいい。
 冬哉たちは主催者らしく最後となり、その中では冬哉が1番手。2番手に省吾、大ラスに桐谷と続いた。
 主催者以外の5人の中では水谷が最後。冬哉が続いて出て行く。
 ゴールには心配で付いてきた冬哉の両親が待っていた。
 全員が出ても1番手は帰ってこない。印は墓石に括り付けられたリボン。何色のリボンがなんて言う墓に付いていたかを答える。
 10年も経った今は色々と物騒なことが多いので、街灯が付いたのだが、この当時は自分の懐中電灯だけが頼りの世界だった。色鮮やかなリボンも見付けるのは難しい。
 それでも1人、2人と帰ってきて、残りは水谷以下4人になった。

 冬哉自身は親と省吾たちから聞いたことで、知らなかったことも話してくれる。
 残り4人になって暫くすると、墓中に水谷の悲鳴がとどろいた。それは実は肝試しの勝負はどうでも良かった省吾と桐谷が、前々から気に入らなかった水谷をビビらせていたのだった。
 ご丁寧に釣り竿にボロ布を丸めたものをぶらさげ、火を着けて火の玉にし、ラジカセで効果音を鳴らし、省吾の姉貴に吹き込んでもらった「恨めしや〜」のおどろおどろしい声まで聞かせたそうだ。這々の体で逃げ帰ってきた水谷はおしっこを漏らしてビャービャー泣いていたそうだ。

「くっくっく‥、あいつ、そんなことになっていたのか。全然知らなかったよ」
「ね、少しはスッキリしたでしょう? 水谷って狼帝が良くできるから目の敵にしてたもんね。俺がケンカしないでってお願いしたら、ちゃんと聞いてくれたけど。だからね、きっとちょっと狼帝のことが羨ましかっただけなんだよ」
 はぁ、やっぱり冬哉はおめでたい。あんな根っから根性悪い奴が改心するはずがない。しかも省吾たちに手を出すなと言うなら効果もあったと言うか、そんな恥ずかしいことをバラされたら困るだろうから、実際大人しくしてたと思うんだが、そのことを知らない俺に躊躇はしないだろう。冬哉が見ていない所でやれば済む。それどころかチクリやがってとか、他の奴に頼るなんて、とかまた新たな因縁を付けてきてるに決まってる。
「ちょっとね、ケンカが派手だったから省吾のお姉さんから虎王先輩に言ってもらったんだけどね。その必要はなかったみたい」

 虎‥王に知られていたのか!
 虎王に直接絡んでも勝ち目がないから、代わりに俺が虐められるのはよくあることだった。
 年も上だし、敵うはずがなく、あったことは虎王に報告していた。だが、水谷も虎王絡みだとは思ったが、同じ年なのに自分でなんとか出来ないなんて、恥ずかしくて言えなかった。
 もちろん俺だって黙って殴られていた訳じゃない。しかし向こうが5発で俺が3発、と言った情けない内容だったから、内緒にしていたのだ。
 そうか‥、虎王に知られていたのか。あいつは打つ手が早い。同じクラスだった省吾の姉貴から聞いてすぐに対処したのだろう。
 8年も経ってから分かってもどうしようもないが、あの頃は本当に互いにブラコンだったと改めて思い知らされる。虎王はマジでいい兄貴で、自慢したい兄貴だった。

 冬哉がそばにいることも忘れ、しみじみしてしまってからふと現状を思い出した。じっと俺の顔を見つめる冬哉に話し掛ける。
「それで順位はどうなったんだ? その結末を知らなかったと言うことは、そのときまで冬哉は戻ってきてなかったんだろう?」
「そうそう、俺はね、水谷の悲鳴は聞いたんだけど、一番奥まで来てたからそんなに大きくは聞こえなかったんだ。普通に怖がってるだけだと思っちゃったんだよ。それでその奥の列で最後のリボンを見付けてね、帰ろうと思ったんだ。そしたら丁度そこに」
 まだ誰かが居たんだろうか。
「おじさんがいてね」
「知ってる人か?」
「ううん、全然知らない人だったけど、もの凄く困ってるみたいで、あのも一つ向こうにある山の中に大事な物を忘れてきたって言うんだ。一緒に探して欲しいって」
 冬哉は今でも充分に可愛いが、あの頃の可愛らしさは破格のものがあったからな。
 けど、今時の子供がそんな見えすいた嘘に騙されるはずがない。

「それでね、行こうとした‥」
「行ったのか!」
「うっ、ううん。行こうとしたときにね、省吾と啓介が捜しに来てくれたんだけどね」
 そっそうか‥。今、嫌な感情を持ってないってことは何もなかったってことだよな。本当に冬哉は‥。話を聞いているだけで心拍数が跳ね上がる。呼吸が荒くなって咳がまた一段と酷くなった。
「大丈夫?」
「ああ‥、続けてくれ」
「省吾たちに一緒に探してあげようよ、って言ったら、そのおじさんを蹴ったんだよ! またお前か! とか言って」
 そんなにしつこい奴に狙われていたんだろうか。本当によく無事に‥。と言っても今の冬哉は俺たちに悪戯されてるようなものだから、俺はそのオヤジとなんら変わりがないってことか‥。
「それから後を追いかけてきてた俺の両親が来たら、そのおじさん、一人で山の中へ入っていったよ。凄く可哀想だった」
 本当に一緒に探してあげられなかったことを悪いと思ってる冬哉は寂しそうに話す。
「お前‥、まさか次の日、その山の中に入ったりしなかっただろうな?」
「うっ、うん‥、手伝ってあげたかったけど、母さんと父さんに知らない人に付いてっちゃいけません、ってもの凄く怒られちゃったし、なんか次の日はね、悪い人が逃げたかも、ってあの山、地元の青年団とかが総出で山捜ししてたから。そのついでに見付けてもらってるって省吾たちも言うしね」
「それでその悪い奴は捕まったのか」
「うん、捕まったみたいだよ。よくは知らないけど」

 はあ、省吾たちがずっと冬哉を守っていてくれたんだな。初めて知る驚愕の事実に胸の高鳴りが抑えられない。女の子でもないのにそんな奴に狙われるなんて‥。そして俺にも狙われるなんて。
 冬哉の可愛らしさが罪作りなのか、それを我慢できない俺が大バカ野郎なのか。

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