想い出の一品 1

 惚れていたのかもしれない。
 愛していたのかもしれない。
 
 どれだけ経っても色褪せない、鮮やかなあの瞳。

 俺には忘れることが出来なかった‥。



「組長。いいッスか、この部屋の荷物も運んじまって」
 ‥‥‥。
「4代目。聞いてますか」
 一応秘書という立場の鮫島に再度呼びかけられてようやく今の現状に気が付いた。
 若いもんが数名、俺の部屋‥と言うか社長室に入り込み、俺の方を向いて返事を待っていた。
「あ、ああ。すまん、運んでくれ」

 近頃の世相を反映して、暴力団と名が付く所は追い出される傾向にあった。うちもご多分に漏れず、住民が一致団結して、法的に閉め出されてしまった。堅気には手出ししたことはないのだが。
 仕方なくビジネス街へ自社ビルを建てた。山岡建築株式会社として。もちろん今までだって山岡組なんて露骨に名乗っていた訳じゃない。特に俺の代になってからは企業としての実入りでやっていけるよう、努力してきたつもりだ。

 そもそも俺は跡目を継ぐ立場ではなかった。親父の一番上の兄貴が組を興し、その息子が継ぐ予定だったのだ。それが抗争が激化したときに一代目は殺され、まだ幼い息子が継ぐわけにはいかず、二番目の兄が引き継いだ。二代目は気が小さくて、利権争いのまっただ中自殺した。だが体裁が悪いので病死と言うことにしてある。
 そしてついにうちの親父が引っ張り出され、一代目の息子は父親が殺されてヤクザを嫌っていたので、俺におはちが回ってきたのだった。
 俺だって組長になんざなりたかったわけじゃねえ。組の経営する山岡興業の社長としてやりがいも感じていたし、頭で勝負する世界の方が性分に合っていた。
 まあだからこそ今は企業としてやっていけてるのだが。

「組長」
「いい加減覚えろ。社長と呼べと言ってあるだろう」
 近頃入り立ての奴は組長とかボスとか呼びたがる。普通の企業と一緒で構成員になるのだって下積み時代は大変なのだ。それを潜り抜けちゃんとうちの組員になった喜びで、ついそれを回りに誇示したくなるらしい。
「はっはい。すいませんでした」
「で、なんだ」
「これ‥なんスか」
 山岡組はここで三十年以上やってきた。俺が跡を継いでからも十年の歳月が流れる。感慨深いものが沢山残っていたが、全てを持っていくわけにはいかない。
 その黄ばんだ箱も中身は忘れてしまったが、捨てることになるだろう。
「開けてみろ」
 言われて開いた箱から出てきたのは、大の男が着るにはかなり小さなスタジャンだった。
 革製の程々に値段が張りそうなそれは一度も手を通されておらず、当然手入れもされておらず、固まって白くなっていた。
「まだ‥置いてあったのか」
 手だけで指図して持ってこさせると、広げてみた。そして着ることの無かった主を思い出した‥。


 このジャンバーを買ったのは俺が三十代半ばの時。今からちょうど二十年前、親父が三代目を襲名したての頃だ。その時点で俺は四代目と呼ばれ始めた。

 嫌だと思っても俺の下にはもう誰もおらず、逃げ出すわけにはいかなかった。そして逃げ出せるほど若くはなかった。
 多少気分が腐っていたのかもしれない。ヤクザ然としたスーツではなく、普通のサラリーマンに見えるものにまだ拘っていた。

 鮫島が運転する車から一人で降りたそのとき、通りを走ってきた子供とぶつかった。
「あ、悪い」
 俺のガタイじゃふらつきもせず、勢いがあった方の子供が転がった。なのにその子供は俺の方を見て、確かに笑ったのだ。そしてそのあと、「いってぇな。バカヤロー」と怒鳴り立ち上がった。
「捕まえろ」
 何かが引っ掛かり、降りてきた鮫島の方へ走り去ろうとした子供を捕まえさせた。足も速い。

「なにしやがんでー、放せよ」
 暴れる子供を捕まえさせたまま、背広の内ポケットを探った。財布がなかった。
「こら、財布を返すんだ」
「なんのことだよ」
「とぼけるな。すっただろう」
 鮫島に顎をしゃくって合図を送る。両手を背中で押さえられて観念した。

「だって、仕方なかったんだ。俺には養っていかなきゃならない小さな妹と弟がいて、母さんは病気で寝込んだままだし、父さんは蒸発しちゃったし。金が欲しかったんだよ」
 そう言い訳をしながら泣き出した。

 男にしては綺麗な顔をして、言うほど貧乏には見えない身なりであった。ごく普通の家庭で育ってそうな。それに養えるほど歳がいってるとも思えなかった。どう見ても中学生だ。でもあまりにも哀れを誘うその涙にほだされそうになった。

「お前、誰の財布をすったか分かってるのか。この人は山岡組の四代目になる人だぞ。無事に済むと思うなよ」
 情にほだされることのない鮫島は、極道の筋を通そうとする。わざわざヤクザだとバラすなよ、余計に怖がらせるだけだろう。鮫島の行動をいらぬことだと思ったら、泣いていたはずの子供は、ちっ、と小さく舌打ちをした。もちろん大っぴらにしたわけではなくて、俺に隠れてしたつもりだったのだろう。だが俺はそれを見てしまった。

 騙された。瞬時に頭に血が上った。暴力団である組を継ぎたくないと言いつつも、ずっとその場で育ったのだ。決して気が長いとは言えない。
「おら、財布出せや」
 きっと子供の目にだってその筋のもんだと分かっただろう、声と顔で命令した。
 すると今の今までベソをかいていたその顔は、生意気なガキの面になった。
「持ってないって言ってるだろう。証拠にこの場で裸になってやる。それで出てこなかった時にはどうしてくれるんだよ」

 ヤクザだと分かってなおこのはったり。俺はむかつきと共に心が躍るのを抑えられなかった。なんてガキだ! そう叫びながら、面白がって喜んでるもう一つの心があった。
「放せよ」
「分かった。その代わり財布が出てきた時にはどうしてくれるんだ」
「殴るでも蹴るでも好きにしたらいいだろう」
「見たところその足で食ってるようだな。一本もらうぞ」
「好きにしろよ」

 ガキはそう言うと2月の寒さの中、上着を脱ぎ始めた。ジャンバーを脱ぎ、セーターを脱いだ。中のシャツも脱いで上半身裸になった。脱いだ服を鮫島が調べるが俺の財布は出てこない。ただ小刀が出てきた。刃に真鍮が巻いてあるだけのどこにでもあるやつだ。
「こんなもの、どうするんだ」
「ふん、俺は中学生だぜ。鉛筆くらい削ったっておかしくないだろ」
 目一杯つっぱっていたその態度が激変した。

「わーん、怖いよう」
 まるで幼稚園児のようなことを言って泣き出したのだ。
 ハッと気付いたらそばには警官がいた。すぐに駆け寄ると、しがみついて離れない。本当に脅えて身体のしんから震えているように見えた。
「このおじさん達が変なことする」
 泣きじゃくりながら訴えると、どう見ても俺たちの方が分が悪い。
「そいつが財布をすったんですよ」
「なんにも持ってないのに。見てよ」
 警官がズボンのポケットを調べても何も入ってなかった。俺は痺れを切らしてズボンを引きずり下ろしパンツも脱がそうとした。

 そこで警官に止められて我に返った。このままいけばもっと危ない奴になってしまう。しかもパンツの中に俺の財布が有れば一目瞭然だったろう。
「ちょっと署まで来てもらおうか」
 そこまでの話しになった時、サッサと服を着込んだそのガキが言った。
「ね、お巡りさん。先にぶつかった俺も悪かったんだ。だから許してあげて。おじさん達も反省してるよね」
 にっこりと可愛い面で微笑みながら、俺の方が謝罪をしなきゃならない状態に陥れる。

 はらわたが煮えくり返る思いと、宝物を見つけた子供みたいな思いと、両方で血が騒ぐ。
 仕方なくガキにもお巡りにも頭を下げて許しを請い、用事を済ませることもなく逃げるように車に乗り込んだ。
 ガキは嬉しそうにお巡りに礼を言う。俺たちが発車したのを確認して、見えなくなるまでお巡りのそばを離れなかった。


「もう少しで山岡組の4代目は変な趣味があると噂されるところでしたね」
 鮫島は普段は冷たい顔して表情を出さない奴なんだが、酷く楽しそうだ。
「まったくだ。あのお巡りが新人で助かったぜ。しかし俺の財布はどこへ行ったんだ」
「これは想像ですが、あのガキはこの時間にパトロールが来るのを知ってたんじゃないでしょうか。それで来るまで粘って上だけを脱いだ。その時はまだ自分のズボンの中で、警官に抱きついた時に、ズボンの後ろか、ポケットかに入れたんじゃないでしょうか」
「お前、分かってたんならそれを言えよ」
「だけどあの場面で財布が見つかっても、どっちがしたか分からないですよ。それこそ署まで引っ張られて痛くもない腹を探られる羽目になるかと」

「もしかしてあいつ‥俺たちがあっさり引くってそこまで計算済みか」
「たぶん。あなたが凄んだ時にヤクザだって判断したんでしょうね」
 なんて狡猾なガキだろう。ここまで見事にやられると笑いがこみ上げてしまう。

「おい、あいつのことを調べろ」
「調べてどうするんですか」
「組に入れる。あんなに賢くて度胸もある奴は初めて見た。絶対に役に立つぞ」
「確かに賢いのは認めますが、あんまり賢すぎるとうちの財産持っていかれてドロンってな事もありますよ。しかもあんな野良猫が懐くでしょうかね」
「まだガキだ。色んなエサで釣って、上手くいかなきゃちょいと脅して、終生を俺のために使わせてやる」
 あのぎらつく目が忘れられなかった。手に入れて甘えさせてみたかった。
 俺は上等なペットを手に入るつもりで、ヤクザな稼業もたまにはいいことがあると、一人ほくそ笑んでいた。

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