「乙女の肖像」事件 −1−
「遅くなっちゃった・・・」
そう呟いて少年が空を見上げると月がまんまるに輝いていた。
その美しさにしばらくぼおっとしていたが、冷たい風がざあっと吹き、少年はハッと我に帰った。
「急いで帰らないと・・・。」
少年はいつもは通らない近道である路地裏に入り込み歩みを速めた。
顔に当たる風が冷たく、俯いて歩きが駆け足に変わった瞬間。
どんっ
「わっ」
前を見てなかった少年は何にぶつかったのか瞬間わからず、ポカンと顔を上げた。
が、ぶつかったものを見た瞬間さらに唖然とした顔になった。
「・・・え・・・?」
少年が驚くのも無理はない。
少年がぶつかったのは一人の男だった。
ただの男ならば少年も驚きはしなかったであろうが、問題は男の服装であった。
黒いタキシードに黒のシルクハット、目にはこれまた黒のサングラスを掛け、極めつけは肩から掛けている真っ黒のマント。
(・・・これって、コスプレ、ってやつかな・・・。)
少年はそんなことをぼんやり思いながら、男から視線を外せずにいた。
だが驚いているのは相手も同じようで、男も微動だにせず、少年とぶつかった時のポーズのまま固まっている。
と、突然静かな空間にパトカーのサイレンの音が鳴り響いた。
男はその音にハッと、身を翻したが、一歩踏み出しかけた足をとめ、くるりと少年の方を振り返った。
「君・・・、」
男は呟きながらすっとサングラスを外した。
現れたその美貌に少年が目を見開くと男はそれは美しく微笑んだ。
「君、名前は・・・?」
男の雰囲気に完全に飲まれている少年は、まるで催眠術にでもかかっているかのように、男の顔を見つめたままぼんやりと答える。
「太郎・・・。小林、太郎・・・。」
「た、太郎?」
ぼんやりとしていた少年は男の驚きの声にハッとし、次にムッとした。
コンプレックスを指摘する声には黙っていられない。
「別に僕だって好きでこんな名前な訳じゃ・・・!!」
「あ、ご、ごめんね。その、ちょっと、意外で・・・。」
「どうせ、太郎なんて名前・・・。」
拗ねて俯いた少年に慌てた男は膝をつき少年の顔を下から見上げた。
「いい、名前だよ。気を悪くしちゃったならごめんね?」
少年はまだ少し拗ねていたが男の困ったような顔から、本気で謝ってくれているのだとわかり、許すことにした。
「別にいいですけど・・・。」
その言葉にほっとした男はさらに言葉を重ねようとしたが、先ほどよりさらに近づいてきたサイレンに小さく舌打ちをした。
「どうやらタイムリミットみたいだ。」
男はサングラスを掛けなおすと少年の頬にすっと口をよせた。
「また次の満月の夜に・・・。」
男は立ち上がり周囲を見回すともう一度少年を振り返り微笑んだ。
「じゃあね、タロちゃん。」
そういうと今度はもう振り返らずに男は走り去っていった。
「そこで何をしている!?」
少年が我に帰り、ほっぺたにキスをされたのだと気付いたのは男が走り去り見えなくなってから10分後。
懐中電灯でこちらを照らした警察官に鋭く尋ねられたときだった。