正しいペットのしつけ方 −1−
初めて見たときから恋焦がれていた。
男らしく整った顔も、すらりとバランスの取れた長身にも。
誰とでも親しくするのに、どこか冷めている。
まるで犬の振りをした狼のようだと、そう思っていた。
だが。
「悪かったって。なあ、機嫌直せよ」
そう言ってにっこりと、魅力的に見えるとわかっている顔で笑う。
いつもならこの笑顔にほだされ、ときめき、周りが見えなくなっていた。
けれどたった今、唐突に美幸(ヨシユキ)は目が覚めた。
これは遊び慣れた、だけど孤高の狼の笑み。
ではない。
「なあ、愛してるのはおまえだけだって」
自分の優位を信じて、恋人の心を傷つけ続ける。
これは学習することができないただのバカ犬なのだ。
「おい、ユキ!どうしたんだよ!」
慌てふためいて、らしからぬ声をあげた男を冷たく見下ろす。
目が覚めてしまえばなんということはない。
乱れた髪がワイルド?
とんでもない。
ボサボサに振り乱した髪を気にかける余裕もないのか。
胸元が肌蹴たシャツのだらしないことと言ったら。
「ほら、カバン、忘れてますよ」
玄関から蹴りだされた姿のままドアの向こうで座り込み唖然とこちらを見上げている男に鞄を叩きつける。
「わっ!ちょっ!ユキ!?」
―――チッ
思い切り叩きつけたのにあっさりと鞄を受け止めた男に舌打がもれる。
「なあ、ユキ?ユキちゃん?ほんとにオレがわるかっ」
バタン!
最後まで聞かずに勢い良くドアを閉めた。
ドンドンと扉を叩きながら自分を呼ぶ男をこっそりのぞき窓から見る。
頭だけが拡大されたその姿に笑いがこみ上げた。
「それ以上騒ぐと警察呼びますよ」
冷たくそう告げると男はようやく立ち去っていった。
悪い男にひっかかってしまった。
だが、目が覚めてよかったと美幸はすっきりとした気持ちで冷蔵庫から缶ビールを取り出したのだった。
そして翌日。
「おい、西。昼付き合えよ」
言われて顔をあげれば、5年先輩の新井がいた。
「僕は今日お弁当ですから」
そういって断ると周りの女性陣から「じゃあ私たちと行きましょうー」と声がかかる。
いつもならその声を断ることなどない新井だが珍しく今日はごめんねと断った。
「オレも何か適当に買ってくるから休憩室で一緒に食おうぜ」
皆の前でこうまで言われては断れない。
はあ、と頷く美幸に新井はじゃあ先に行っててくれと社外に飛び出していった。
10分後、近くのコンビニで弁当を買ってきた新井と共に美幸は休憩スペースの隅っこで顔を付き合わせながら昼食をとっていた。
いつもは昼時は混んでいるのに何故か今日に限って休憩スペースはガラガラだった。
「ユキ、まだ怒ってるのか?」
二人きりの時の呼び方で新井が美幸を呼ぶ。
「社内ですからその呼び方は止めてください。っていうかもうその呼び方は二度としないでほしいんですけど」
「ユキ、俺は」
「西です」
「ユキ!」
「に・し・で・す!」
「西・・・」
「なんですか?」
「まだ怒ってるんだな・・・。」
そういって物憂げに目を伏せた新井はつらつらと浮気の理由と謝罪を告げてきた。
新井の話はこうだ。
昨日人の家の近くで抱き合いながらキスをしていた女の子は藤本さんという。
最近入ったアルバイトの女の子だと言われ、そういえば見覚えがあるような気がした。
その藤本さんに相談に乗って欲しいと言われ、二人で飲みに行ったのが2週間前。
彼女には最近ストーカーらしき男がいると相談を受けた。
そして一人で家に帰るのが怖いと言われ、家が近いこともあり毎日送っていってるうちにそういうことになってしまったと。
だが、一昨日そのストーカーが捕まった。
ストーカーは藤本さんの元彼で彼女の部屋に不法侵入しようとしているところを帰ってきた藤本さんと新井に見つかりそのまま警察に捕まった。
最近は藤本さんにつきっきりだったから昨日は久々に美幸に会いたくなったらしい。
もうストーカーも捕まったし一緒に帰らなくていいだろうと、美幸の部屋に向かう新井に藤本さんはついてきてしまったのだと。
キスをしてくれたら帰るという彼女と仕方なく美幸の住むマンションの近くでキスをしているところをちょうど帰ってきた美幸に見られてしまったと。
仕方なくしていたにしてはやけに熱いキスだったように思ったが。
まだ目が覚めてない美幸がショックで部屋に逃げるほどには。
その時を思い出して胸がチクリと痛む。
だが、その後部屋に逃げ帰った美幸を追いかけ、部屋に入ってきた男がバカ犬だったと気付いたところまで回想が進んで美幸はふーん、と冷めた返事をした。
そっけない返事をする美幸に新井が自分に酔ったように沈痛な面持ちで続ける。
「不安で一人になりたくないっていう彼女を放って置けなくて・・・」
「いいんじゃないですかあ?」
どうでもよさそうに返事をする美幸に新井がえっ?と固まる。
「そりゃあ、かわいい女の子がストーカーに合ってたら守ってあげたくなるのが男ってもんでしょ」
「あ、ああ」
「そんで?2週間?毎日二人で彼女の部屋に帰ってれば、そりゃあセックスのひとつもしたくなりますよね?気持ちはわかりますよお?」
だから別にいいんじゃないですかーと言いながらウィンナーをつまんだ美幸を新井が不安げに見つめる。
「ユキ…?」
「西です」
「……」
二人の間に沈黙が流れる。
とはいっても、美幸は弁当を食べ進め、新井は弁当に全く手をつけず、美幸を窺うように見つめている。
「新井さん食べないんですか?休憩時間おわっちゃいますよ」
怒ってる様子もなく、だがユキと呼ぶと西だと返す美幸に新井は困惑していた。
「えっと、ユ…西。」
「なんですか?」
「怒ってないのか?」
「何をです?」
それは・・・と言いにくそうに口篭もる新井に美幸はにこりと笑いかけてやった。
「恋人がいるというのに何度も何度も浮気を繰り返して、そのたびにくだらない言い訳をして。そしてまた昨日キス現場を押さえられたことをですかね?しかも聞いてもないのにセックスまでもうしちゃった仲だなんて告白してきたことですか?」
あからさまな美幸の言い方に新井は口をパクパクさせている。
まるでエサを求める金魚だ。
その間抜け面にもう一度にっこり笑いかけてやる。
「もちろん怒ってませんよ。」
その言葉に新井がほっと息を吐く。
「だって僕にはもう関係ないですから」
「え…?」
「新井さんが誰とどうなろうが僕にはもう関係ないんで、どうぞご自由にー。」
言って弁当箱にのこる最後のプチトマトを口に入れる。
新井の顔が信じられないと言うように歪んだ。
プチっと口の中でつぶれたトマトのような顔だった。