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水魔変




八神庵は、両国の口入れ屋「八神屋」の主人である。
口入れ屋とは早い話、人材斡旋業者だ。
あらゆる商売に融通し、どんな職が余っていて、どんな人間が必要か、常に情報に通じていなくてはならない。人間を世話する手前、ゴタゴタにも素早く対処できるようでなくてはならない。
つまり現代でいうところの職安だが、職安と違って仲介料もたっぷりいただく。
職柄上、ヤクザ者も多い。
無宿人の身許保証人になるのはいいが、稼ぎのピンはねや人攫いも年中行事。
八神屋ではヤクザ稼業と女衒こそしていないが、ある意味ではもっとタチの悪い副業を営んでいた。
裏の口入れこと、暗殺斡旋稼業である。
通常の口入れとは比べるべくもないほどの仲介料をふんだくるので、実入りは非常に良いが、それが人の命と等価と思うと嘆かわしい。
なぜそんな卑しい生業をしているかといえば、八神の先祖がややこしい因縁を残して死んだためらしい。
文献は残されていないので、庵にも詳しくはわからないが、相手に対して「この恨み晴らさでおくべきか」的な、流行りの怪談話みたいなことでも言ったとしても変ではなさそうだ。
八神屋は、悲願を成就する為の資金稼ぎと情報収集を兼ねた店なのだ。建てた人間は「一石二鳥♪」な発想だったろう。
先祖の宿恨につきあいたいわけではないが、八神屋の主人におさまってしまった以上、庵も宿敵を探しながら裏世界に気を配らなくてはならない。
表稼業、裏稼業、さらには八神家の家長と、わらじを3つも履く八神庵は、毎日が多忙であった。



煌々と月の照る夜である。
闇討ちには適していなかったが、標的が明日にも江戸を発つと耳に入った以上、暗殺を急ぐしかない。
急なことでもあり、見届け役には八神屋の主人が、日中歩く時分とは異なるスタイルで暗殺者を観察できる位置に立っていた。
夜目には黒としか見えない藍染めの小袖は、裏が緋色になっていた。
黒い打掛を頭からかぶり、髪も顔も隠す。
それは八神庵の、闇の刺客者としてのスタイルだ。
黒や紺は返り血をごまかせるし、万一追われても、小袖を裏返して着ればすぐに撒けてしまう。
刺客…といっても庵の場合、仕事の出来不出来を見極めるための見張り役だ。夜目はきく方なので、月に頼らずとも、ときには気配だけで様子を探れる。
本来ならそういった仕事は身内や子飼いに任せるのだが、重要だったり大金がからむ場合には人手不足もあって、主人みずから見極めをする。
危険な稼業ほど信用が大切、という庵の信念もあったかもしれない。
八神屋で雇った暗殺者がヤクザ者の背を切り裂いたのを見届けると、契約の後金を渡してすぐにその場を離れた。
隅田川沿いに遠回りして帰ろうか、と考えた。
おっつけやってくるであろう町方役人や岡っ引きの目を暗ますためにも、まっすぐ帰宅する愚は犯さない。
鈴虫が声高く鳴く草むらに、踏みならされて草の低い道をみつけて進む。
すると、水音と虫の音にまじって、三味線の音色を聴いたように思った。

…しゃん…

「…まさか。こんな夜更けに爪弾くバカもおるまい…」
夜中の三味線は御法度だ。というか、歌舞音芸は常識的に禁止だ。
それでも、やはり遠くから聴こえてくる音に、間違いはない。
人家からは離れていたはずだが、まさか鳥追いが野宿でもしているのだろうか。
関わりあいになるのはよくないとわかっていながら、好奇心が勝って、庵の足がふらりと音の方へ歩き出す。
音が近づくにつれ、商売者が弾いているのではないとわかった。
ときどき音がずれるし、弾き損なったりする。よほど自分のほうが上手い、などと庵は思いながら、船着き場へ向けて降りた。
着けられた小舟に、人影。この距離で、さやかな月の光では、そこまでしかわからない。
それだけ離れていたというのに、三味線の音色が止まった。
「…………」
「…………」
ながい、ながい沈黙のあと、しゅらり、と三味線が再開された。
先程よりもゆっくりとした、それは庵の記憶では恋唄の出だしだったはずだ。
弾き手が庵に背を向けたまま、朗々と歌い出した。
低く甘く、耳に残る声は、若い男の声。
弾き手は女と思っていた庵は、目を剥くほど驚いた。男が三味線を弾くのは珍しいことでもないが、芸人か教養人が大半と考えていい。芸にしてはお粗末すぎる弾き方で、教養があるにしては夜半にこんなさびれた場所にいるのが理解しがたい。
その点、酔うに任せた女が弾くなら不思議はないと当然のように考えていた。
まあ、女でなかったからといって気を落とす理由もないのだが。
しかし歌詞を聴くにつれて、庵の目に緊張が走った。
こいくち。
けさ。
かえし。
鯉口を濃口、袈裟を今朝、などと変えてはあるが、それは先刻庵が見届けた殺しの情景そのままである。偶然にしてはできすぎているような即興歌だ。
庵はまた近づきだした。
男は三味線よりかは唄のほうが多少は上手い。よく通る好い声だ。
あの声がなにを唄っているのか…事と次第によっては、もう一人、死体をつくらねばならない。
さく。河原の草をかきわける。
さく。丈の長い葦が視界からなくなると、びっくりするほど近くに船宿がある。
ぎし。渡り板がきしむ音にも、男は振り向かない。
ぎし。庵の足下に、舟底と、男の背中…
三味が止んだと認識するまもなく足首をつかまれ、庵は小舟へと引きずりおろされていた。
「うわっ!?」
急な衝撃で舟がゆらりと大きく傾いで、水飛沫に、庵は目を閉じた。
「…もしかしなくてもおまえ、男か?」
至近距離から庵にきいてきたのは、あの声。
彼が目を開けると、月に照らされた青年の顔があった。
庵が一瞬見とれるほどの整った顔立ちは、暗闇に慣れた夜目にも目立つ。女が放っておかないタイプだ。
闇色を吸収するつややかな黒髪と黒目は、色素の薄い庵がうらやむほど。
「見てわからないのか」
打掛をかぶっていたせいで、遠目には庵は女と見えたかもしれない。この着物はそういう意図もあるコンビネーションだからだ。
が、こんな近距離で、声まで聞いて、自分と変わらない身長の女性に見えるのだったら、この男の頭には小豆が入っていて、振れば小気味良い音がするはずだ。
「わかるんだけど。…男っていうのは、初めてだなあ」
「…なにが」
「たまに三味線弾くと興味半分で人が来るんだけど、歌いはじめると男は引き返しちまうんだ。
女だと声の聴こえるとこで止まるか、ソノ気があるときは、舟まで近づいてくるってワケ」
「…! つまり貴様は、女を夜釣りに来ていたということか」
自分にソノ気がある、と暗にいわれた庵はあえてそこを無視し、ナンパ男を睨んだ。
暗殺時の昂りがまだ残っていて、少し冷静さを欠いていることは自覚しているが、感情の波を抑えるのはためらわれた。
「夜中の三味線を誰が弾いてるか知りたいと思ってたなら、それがわかった時点で引き返せばよかったんだよ。ソノ気がないってんなら、殺されても文句いえないような奴じゃねーかな」
「なにを言ってるんだ…。俺は降りる!」
庵にのしかかった男を乱暴に押しのけて上半身を起こすと、また舟が大きく揺れた。
が、右を見ても左を見ても船着き場がない。
舟を囲む、黒い川面があるだけ。
「どういうことだ」
「ああ。おまえを乗せたあと、縄をほどいて蹴っとばした」
庵が目を閉じている間の早業をきいて、頭痛がした。
「棹はどこだ」
「ねえよ。女と一晩しっぽり濡れるには好都合だしな。つまり、どこかの岸に着くか、明るくなってからよその舟に拾ってもらうかするまでこのまんまだ」
「………」
ますます頭痛がひどくなる。
こんなナンパ男と一晩も一緒にいなくてはならないなど、御免だ。
男が彼の思考を読んだように、それもとびきりの笑顔で言った。
「眠れない夜ってのは、長くてつらいぜぇ?
俺は草薙京。
長い夜を過ごす相手のことくらい、知っててもいいだろ?」
「…八神庵だ」




舟の両端が牙のように鋭いから、猪牙舟(ちょきぶね)という。
小さいといっても3人くらいは乗せられるような細長い船体で、吃水は浅い。
江戸時代は鎖国ということもあって、沖船は数少なく、しかもより遠くへと進める竜骨構造は禁止されていた。
竜骨がない舟は波に弱く、ひっくりかえりやすい。まして棹もない猪牙舟では。
吉原通い用の舟なので、安全性など考えられていないのだ。
試しに手を川へやると、かなり冷たい。
「川に身投げでもする気か?」
おもしろそうに、京が問うてきた。
「自分から死ぬような趣味はない。貴様を放り投げてやろうかとな」
意地をはって庵は反論する。
小さい舟に不馴れな庵の方に分がないことはわかっていた。しかし暗殺を請負うだけあって、彼も殺し技は心得ている。ナンパ男を危険人物と判断した瞬間に、この世から消すくらいは簡単なことだと考えた。
京は、放り投げるのは無理だぜ、と言い返した。
「俺って、ただのナンパ野郎に見える? それだけじゃあ食ってけねーよ。
一応二本差しだけど、いまのところは血筋くらいしか威張れねーんだけどさ」
「貴様が武士? 刀も持っていないじゃないか。しかも月代も剃らずに」
うろんに京を見て、信じていませんという表情。
髱(たぼ)は武士らしくもなく膨らませて、髷(まげ)の銀杏は脂気も少なく、ばさりと乱されている。粋な江戸っ子といったほうがまだ不審さがない。
ようやく月に白面をさらした庵に、京の笑みが深くなる。
「だって俺、剣術からきしだしさー。刀はずして着物と髪型変えて町人のふりしてるのが気楽でいーんだよー
俺ってあったまイイ〜!」
「本当は全部デタラメだろう」
「そーいうあんたこそ、まだ言ってないことがあるんじゃない?」
いらだっているところへそんなことを言われて、庵は渋面を隠せなかった。
「…なにが」
「八神庵って、両国の口入れ屋の八神屋の主人じゃないか?
若旦那が舐めたくなるようなイイ男だってきいてたから、あんたに間違いないだろ」
「舐め…それは褒め言葉か」
「そうだろうな。閨で俺の顔見ながら言ってたしな。比べられた俺の身にもなれよ。
ま、舐めたくなる、ってのは確かだから許してやるか」
ぐいと庵の頤に手をかけ、首をねじ曲げられると、京と正面で向き合う形になった。
あえかな月の紗光に照らされた整った顔を舐めるように見て、庵が口を開く前に、切り札を持ち出した。
「水もしたたるイイ男に殺されるってのも、悪くねえな」
「……!」
居心地悪くさまよっていた庵の目が、京の黒瞳とぴたりと合う。
先刻刺客とともにいたのを見られたのか。
だとしたら、庵を脅すのではなく死を覚悟しているというのか。
その疑問の答えを、京の瞳は語ってはくれなかった。
黒い打掛の下から、剣呑な光をたたえてその男を威嚇する。
「京……貴様、何を見た?」
「さあてね……」
くす、と唇の端で笑って、挑戦的な庵の視線を受け止めた。
「賄賂をもらっちまえば、俺も共犯として咎められることになるからな。
だから、俺は別になにも見てないし、知らないぜ?」
「袖の下だと。言っておくが、財布には小判1枚も入ってはいないぞ」
嘘ではない。
暗殺稼業で出かける場合、身許のわかるものはおろか、大金は絶対に懐に入れたりしない。
万一返り討ちにあったり御用になったりした場合の、殺し屋の用心だ。
そのくらいは庵も心得ているから、今夜も渡した後金以外にはろくに金目の物など持っていないのだ。
「こういうときは身体で払うって相場が決まってるじゃん」
「口入れ屋が遊び人に何を払うというんだ」
「殺しの口入れ屋だろ」
「まさか、タダで人を殺せとか言うのではなかろうな…」
心底嫌そうに眉をしかめる。
報酬がないことに対してではない、人命を軽んじられるようで気に入らないのだ。
暗殺したい奴などいないと京は言った。
「信じてねえな。これでも二本差しだと言ったろ。
気にくわなかったら殺しても咎めを受けねえ身分だぜ」
「法螺を吹きおって。さっき賄賂をもらえば共犯として咎められると、自分で言ったばかりだろうが」
「あ、そうだった」
ヤバいヤバいと小声で呟くのを、呆れた風情で庵は見ていた。ついでにこのまま賄賂云々のことは無視してしまおうかと思ったのだが。
「で、袖の下くれるんだろ?
くれないんだったらもう一人殺さなきゃならないけど、俺を殺すのはちょっと骨だぜ」
「やってみなくてはわからんぞ」
しゅす、と音立てて頭から打掛を落とし、バランスの悪い舟上に、動きやすいように裾を帯に手挟んで、足を開いて立つ。得物は持っていないので、徒手の構えだ。
庵にとっては構えよりも、相対した時の闘気こそ、本当の武器かもしれない。
闘気などというものではなく、研ぎ澄まされた殺気で威圧し、初手を有利にする。闘いのなかで身につけた、自然の兵法。
空気を通じて肌を粟立たせる感覚になぜか京は酔い、うっとりと微笑みながら、自分も掌を構え、気を放った。
圧倒的な重圧を誇る気が庵に襲いかかり、恐れながらも更に欲して、いつしか艶然と笑う。
対峙して気をぶつけることで力量を計る。それも武芸のひとつ。
波頭が舟にぶつかる音だけが、やけに大きく、長く、響いていた。
猪牙舟の上は闘いには狭く、実際には拳も交わされず、ふたりは栄誉を争う雄獣のごとく睨み合ったまま、ゆっくり腰を下ろした。
緊張した時間だけが過ぎ去り、庵が小さくついた溜息で、不気味な沈黙は終焉を告げた。
「いくら欲しい」
「金、持ってないんだろが。だから、おまえの身体」
「口入れは必要ないんだろう」
「だからー、いますぐ舟饅頭が欲しいって言ってんの」
わざわざそこまで言われて、やっと京が要求してきた「物」の意味に思い当たる。
この場で意味することに、庵は迷惑千万とばかりに声を荒げた。
「芦町にでも行け!」
「んなとこ行くくらいなら女を釣りになんか来ねーって」
「俺がどう見えるかは知らんが、もう何年も前に元服も済ませているんだぞ」
「俺もどう見えるかは知らねえけど、衆道はしたこともされたこともねえぜ」
何が自慢なんだか、妙なことに胸を張る京。
「今晩どこでなにがあったか…俺はお上に忠誠を誓う身だから、町方にも協力するかもな」
はっ、と顔を上げると、にやにやと笑う男の黒瞳が、庵を見ていた。




「…!」
庵がなにか言う前に、上半身は押し倒され、のしかかられていた。
上背があるはずの庵を組み敷けるくらいだから、京も大柄なタイプなのだろう。
荒事に対処できるよう、庵も鍛えてはいたが、胸に体重をかけられてしまっては逃げられない。
ましてやここは舟の上。
足をばたばたさせても舟が揺れるばかり。
庵が髪につけている、鉄線を織りこんだ紐に手をかけたとき。
京が、庵の耳元に唇を寄せた。
女を腰砕けにさせる、甘く低い情事専用の声で呼ぶ。
「庵…」
熱い吐息とともに、低く囁かれただけで、庵の全身から力が抜けたようだった。
その反応に、京は嬉しくなって、背中に手をまわして帯を探る。女の帯は解き慣れていたが、男のそれはずっと下のほうにあって、ちょっとほどき甲斐がないかな、などと思ったりする。
帯が緩まる感覚に、庵は我にかえって、今度こそ抵抗しだした。
京の肩に、顔に、手をあてて自分からひきはがそうとする。蹴りもとぶ。
躊躇いが、庵本来の鋭い動きを失わせていた。
「バカモノ! なにをしている!」
「ん。イイコト」
「退けッ! 手を放さんか!」
「おとなしくしろ、庵。
舟がひっくりかえっちまうだろ」
またも耳に言葉が吹き込まれる。
ぴたり。と激しかった抵抗がやむ。
隅田川に放り出されるよりは、裸にされるほうがマシであるのは庵にも認められた。
京の要求を呑むなどとは一言も言っていないから、いまならまだ拒否できる。
タチの悪い連中なら、一度要求を受け入れたことをネタに、何度でも脅してくるものだ。
京もその類かもしれないという心配と、彼の考えが読めない不安が、状況に流されるのを許さなかった。
外気に素肌をさらされた庵は、羞恥に顔がほの赤い。
京も帯を解いて、袖を通したままの着物の下に越中一枚になっていた。
「あれ、見えるか、庵。
たぶんおまえを追ってるんじゃないのか」
庵の顔をその方向へと京が持ち上げる。
遠くに提灯の灯が、点々とあった。
そのうちひとつはかなり近い。舟でこの川を下ってきている。
「こっちは棹ないから追いつかれちまいそうだな」
「京……?」
「心配はいらないって。でも抵抗はしてくれるなよ」
やさしく、目蓋に唇を寄せてくる。
胸と胸をこすりあわせると、庵の胸筋は厚く、腹も割れた筋肉に覆われていた。やわらかな脂肪の感触に慣れていた京だったが、同性を与していることを再認しても欲はおさまらなかった。
顎に寄せられた京の唇が、庵のそこへと移動する。
ごくやんわりと、軽く吸い上げ、京は乱暴には抱かないことを主張したつもりだ。
舟べりをぎゅっと掴んだ庵の手に、京の手が重なる。
「庵、力を抜いて…水の上に浮かぶような感じに。
俺の舌をあげるから、殺すなら噛んじまえよ…?」
ゆっくり、唇が重なる。
抵抗するなと言いながら殺すなら噛めと言ってくる京の矛盾した思いやりが、おかしかった。
ちろ、と庵の唇を嘗めたあと、隙間から侵入して歯をなぞる。
(噛んじまえよ…?)
睦言のような京の囁きが、庵の脳裏に繰り返される。
受け入れた舌は、庵の舌先にからまって、次第に奥へとのみこまれていく。
あふれた唾液が頬をつたった感触に庵が気づくと、髪は京の指で梳かれ、首筋から肩口を撫で上げられた状態で、深く深く舌を求めあっていた。酔ってしまうほど。
自分からも舌を絡めていては、舌を噛み切ってやれない。
逆に京は、庵が舌を噛まずに応えてくれたことで、了承ととったのは当然だった。
越中の紐をさっさと解いて、庵の下着もしゅっ、と一息で解いてしまう。
布越しでなく直接触れあった器官に、庵が息を飲みこんだ。
「…ッ」
「かたくなるなってば」
言いながら、京が胸の突起を舐めあげる。
「…う…っ」
びく、と庵の身体が跳ね上がった。
思わぬ反応のよさに気を良くして、京はそこを責めたてた。
「や、やめろ…っ」
「そうだな。こっちばっかりじゃ不公平だな」
そう言って逆も責める。
「俺を、女扱いするな…!」
「女がされて嬉しいことは、男も嬉しいんだよ」
空いた手で内股をなぞりあげ、もう片手で力の入らない庵の右手とじゃれあう。
危険な部分へと侵入した京の指が、敏感な場所をかすめていく。
羽毛で触れるようなかすかな刺激が何度も行き来するうちに、庵の息はあがり、とうとう声を発してしまった。
「…ハ、アッ…」
押し殺した喘ぎが、深更の川に響いた。
発してしまってから庵は、しまったといわんばかりに歯を噛みしぼり、月明かりから顔を逸らそうとした。
「いい声だな…。」
身体をずらして、足と頭が逆になるように横たわった京は、硬くなりかけた庵の先端を口に含んだ。舌を絡ませると、鋭く息を呑む気配がする。
「声、出さないのか」
「しゃべ、るな…!」
庵が必死で虚勢を張るのに、京が犬歯をつかって敏感な部分を甘噛みしたので、悲鳴のような喘ぎが漏れてしまう。
それほど強い感覚があることを、声は物語っていた。
「気持ちいいんだろ? 俺にもやってくれるか、庵…」
京の足が、庵の視界を塞いだ。
成長をはじめた京が迫る。
目を逸らしても着物に覆われて外も見えない。
耳を澄ますと、棹が水面を叩くぱしゃりという音がかすかに聞こえる。
庵は覚悟を決めて、京を口の中へと導いた。
「うぐ…」
最初は先端しか入れなかったはずなのに、成長したのか、京が腰を押しつけてきたのか、すぐに喉を突くほどになっていた。
先端から溢れてくるものが行き場をなくして喉奥へ滑りこむのを堪えきれずに飲むと、京が腰を揺らして快感を訴えた。
庵を銜えていた京が、ふいに口をはずして小声で囁いた。
「来たぜ。庵はそのまま続けてくれ」
庵は答えようにもできない状態なので、緊張を走らせながら京を頬張る奇怪な体勢で、どう誤魔化すのかと耳を澄まさせた。
舟が一艘近づき、止めろ、と怒鳴ってくる。
「お勤めご苦労さんです。生憎ですがこの舟、舵取り棹をなくしちまって」
「海まで行く気か。岸へつけてやろう」
「ありがとうございます。せっかくですが、こっちは取込み中でして」
そう言って庵の白い足を撫で回した。
庵はすっかり失念していたが、京の着ている着物で上半身は隠れても、下半身は曝け出されているのだ。提灯で照らされれば、どんな状態かすぐにわかってしまう。
京を含む全員から顔を隠されていても、目を閉じたい衝動は抑えられなかった。
がこん、と舵取り棹が、二人の転がる舟に置かれ、二艘が並ぶ。
「おぬしたちの名は」
「草薙京。こっちは緑」
庵の焦りをくんだのか、京は適当な偽名を言った。
「川を上がったところで殺しがあった。近くで浪人風の侍を見た者がいるんだが、おぬしは見かけなかったか」
「さあねえ。そのお侍さん、どんな着物でした」
「黒っぽいとしか聞いておらん」
「俺のは夜目には黒と見られてもしかたないですが、この通り格子柄です。
コイツのは、どう見たって黒じゃないでしょ」
庵の藍染め小袖の裏は鮮やかな緋色だ。いつ裏返したのか、それを広げて見せたらしい。
しかし役人には別な、素朴な疑問が浮かび上がった。
「女物、か…?」
「芦町で買ったんですよ」
言うに事欠いてなにを言いやがる!
頭に血がのぼった庵が抗議を含めて、口の中のそれに無理矢理歯を立てた。
「ぐ、ぎぃ…っ」
「おい、どうした?」
「…へ、平気です…。お勤め、がんばってくださいよ」
京が、なにかを投げ渡した。
それから庵への報復とばかり、いたずらに背後へ指を突き入れる。
「ン! ン、ン!」
「これは…
失礼しました。草薙様」
役人は庵の嬌声を事務的に無視して、京にだけ話しかけた。
袖の下でも握らせたんだろうと庵は不審に思わなかったが、役人が急に態度を変えたことが気にかかる。
しかもどうやら、受け取ったものを返すようだ。
「そいつは手間賃ですよ。夜の見回りは大変ですからね」
「か、かたじけない。これにて御免」
先端から漏れる水を指に絡め出した京に、役人は会話の終わりを悟って、早々に舟を出させた。
町方役人が町人には絶対に言わないような言葉遣いをしたことで、京が自称した二本差しというのは嘘ではなかったのを知った。
舟が去る気配とともに、京が腰をあげて、庵の口から抜き出す。
ひさしぶりに新鮮な空気を肺いっぱいに吸いこんでから、庵は言いたいことを言った。
「人の事を、芦町で買ったなどといい加減なことを言いおって…!」
「小姓にしちゃ老けてるんだから、ああ言うのが一番だろ。
それにまいないもたっぷり渡しておいたから、大丈夫だって」
「本当に、二本差しとはな…。同心から一目置かれるような家なのか?」
「なんでそう思う?」
「さっき家紋かなにかを見せたのだろう。
家紋を知られるようなお武家ということは……ぁ、ん…ッ、や、め」
「手拭い渡しただけだ。拾い物かと聞かなかったのは、役人の落ち度さ。
あっちは舟足早いな。もう叫んだって戻ってきてくれないぜ」
「動かすな…ッ、ン…!」
「庵の舌が上手かったんで、俺もそろそろヤバいんだよ…」
体内を荒らしていた指を引き抜くと、庵の身体を這いのぼるようにしてまた上下を変えた。
星と月と、京の瞳が庵を注視する。
覆いかぶさって体重をかけ、肌に指を滑らせる京。
体温を感じる面積が増えるごとに、京の心臓の鼓動がより強く激しく庵へと伝わった。
全身で庵を欲しがる京の姿は、予想していたほどの嫌悪感がない。
首筋にかかる息の熱さに、胸をくすぐる指の腹に、足を割ってすりよせてくる太股に、またも庵は悩ましい声をあげ、それからは止まることがなかった。


「くウ…ッ! ア、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」
息を吐いていたほうが楽な気がして、京の刻むリズムにあわせて呼吸しようとした。
うっかりするともっと色っぽい声をあげて、上の男を刺激しそうで、庵は理性をとばすことのないよう気を張っていた。
快感をともなう電流が背筋を襲い、意識を霞ませるなかで、これは快感などではない、と必死で打ち消しながら。
「ん…ッ、庵、もっと…」
声だけ聞いていると、どちらが犯されているのか首を傾げるほど、京のあげる声も艶めいている。
繋がった部分は京の着物に遮られて、月にさえ覗き見ることはできない。
が、舟の激しい揺れを見れば、なにをしているか一目瞭然の事態ではある。
庵の着ていた小袖は彼の下で皺になり、時折足にからまる。
「アッ…ア、ア、ア!」
影になった庵の部分を手でなぞってみれば、もう限界点ということがありありとわかり、京に対する戒めの熱ときつさとは対照的。どんな快感より、京はその事実に目眩を感じた。
「…イオリ…。京って、呼んで。
京だよ…」
「は…キ、キョ…ウ…」
耳元で繰り返される名を呼ばなくてはいけないような気がして、庵は男の黒髪を緩くつかんで、呼んだ。掠れて、鼻から抜ける高い声になってしまったが、後悔するだけの余裕は残されていなかった。
喘ぎまじりに名を呼ばれた京は、直後に庵のなかに欲望を解放した。
自分を荒らしていたものとも違う熱的苦痛を受けて、庵も限界を突破する。
冷気をのせる隅田川に、肩で息をつぐ音が妙に大きい。
双方の息が整うまで沈黙したまま動かず、惚けていた庵の目がようやくきょろきょろと動き出したのを見て、京が話しかけた。
「なあんか、働き以上の報酬もらっちゃったみてえ…
すげえイイ…」
「…今夜の事はすべて忘れる。それが条件だったな」
「ああ、朝になったら綺麗さっぱり忘れてるぜ。
でも忘れたくなくなってきた…」
言葉の意味を庵が反芻するまえに、身じろぎした京と、まだ内部にある彼を意識してしまって、そちらに気をとられてしまった。
全身を朱に染めて、怒鳴りつける。
「いっ、いい加減にこれを出せ! もう済んだろうが!」
「一回だけなんて誰も言ってないだろ。
それに、さっきあんなに楽しんでおいて、色事が嫌いとはいわせないぜー?」
庵の耳元を、情事のときの低音でくすぐる。
模索するように、角度を変えていく。自分を高めながら。
「動くな…!」
「京って呼んで。さっきみたいに」
「京…ア!」
一際細く高い悲鳴があがり、庵の身体が一気にこわばった。
弱点を知った京が、ぐいぐいと責め上げ、そのたびに切ない声が漏れる。
またも肌をまさぐりだした京の指と、内側からのゆさぶりに、今度は間違いなく理性をなくしていく。
確実な悦楽の波に、ささいな痛みがねじふせられていく。
庵は右足を大きく開かされて、舟べりから冷たい水中に足首を浸からせる、大胆な体勢だった。
たまに小魚らしいものが庵の足裏をくすぐるのにも気づかない。
ぐらぐらと揺れる小さな舟は、いまにもひっくりかえりそうになりながら波紋をつくる。
「…キョォウ…」




暗かった空が、紫がかりはじめた。
ちゃぷんと水が舟にぶつかる音。
あの船着き場からず〜っと流されると、夜明け前までにこの浅瀬に乗り上げることは計算済みだった。海が近いので、流れも遅いし浅瀬ばかりなのだ。
こんなに肉欲に溺れたのは、京にとっても、おそらくは庵にとっても初めてだろう。
手荒どころか、最初は抱くつもりもなかったはずなのにと、腕の中の庵を見る。
まだ空も白んでいないのではっきりとはわからないが、目鼻立ちの整った、京と体格も歳も違わない男。髪は黒ではないらしい。
切れ上がった目尻が上方風で、京の好みだ。
この男が、自分の腕の中でああも乱れたかと思うと、少し信じられなかった。
「八神庵…本名かな。八神屋の主人には見えないけど。
…また会えるかな」
ごとん。
それは見事に船着き場へつけ、手際よく縄をもやう。
「庵の着物…これ着て帰ったんじゃあ、家族が驚くよな」
底に敷いていた緋裏の藍の小袖は、数カ所に血と、欲の証とでしみになっていて、洗濯女たちの噂のたねになることは京にもわかる。
裾が水をかぶってはいたが少しはマシかと考えて、京の羽織る着物を庵に着せた。
黒い打掛は京が着ることにする。
使用済みの薄い桜紙はそのまま流れに放り、眠る庵を抱えあげ、足場の悪い渡り板を、京は河原へと向かいはじめた。



庵が目覚めると見慣れた天井があった。
見回して両国八神屋の自室であることを確認する。
「そうか、帰ってきたのか。昨夜は殺しを見届けて…それから…」
舟に乗せられて。間違っても親族には言えないようなことをさせられて。
しかし記憶はそこまでで、自分の足で帰ってきた覚えなどない。
川から無意識にここに戻ってきたとしたら、たいした帰巣本能だ。
「などと感心している場合でもなかったな……ウッ」
起きようとして、彼を受け入れた場所の痛みに顔をしかめて、無理矢理立ちあがった。
奉公人を呼んで食事を所望すると、まもなく妹がそれを運んできた。
なにを言われることやらと、庵は腹を据える。
「兄さま、昨夜はどこへお泊まりに?」
「こっちが聞きたい。わけがわからん。俺はどうやって帰った?」
結局とぼけることにした。
もちろん通じるはずがない。
「この年で神隠しのわけありませんしね。
朝帰りなど一度もしたことのない真面目な兄さまが連絡ひとつよこさないなんてと、私と母さま、とても心配したんですから。
今朝方、籠屋が兄さまを乗せてきたんです。本所から運んできたと言っておりました」
「本所…?」
吉原よりは格が落ちるが、そこには色町がある。そして本所は両国の対岸にある。
あれだけ流された舟がそんなところへ着くはずがないから、あの男が一度本所まで運んでから庵を籠に乗せたということになる。
存外、気を使ってくれるな、と感心した。
「それと、着ていた着物は質にでも入れたのですか?」
「? どういうことだ?」
妹のいいたいことがわからず、問い返す。
「言葉通りです。籠屋が兄さまを運んできたときには、あれを着ていたんです」
妹が指さしたところを庵が見ると、見慣れない格子柄の着物が掛けられていた。そういえば夜目でよく見えなかったが、あの男が着ていたのはあんな感じではなかったろうか…。
「げふっ!」
「金子(きんす)は財布にあっただけでしたが、人足にはお渡しになったのですね?」
「あ、ああ。だが、あの場を見られていたらしく、町方が出回っていたな」
「呼子笛がうるさくて、私、寝つけませんでしたわ。
兄さまには聞こえませんでしたの」
「あ、いや、かなり遠回りした…はず…」
誘導尋問だ。
まずい、と思った時にはもうひっかかっていたが、妹は多くを追求しようとせず、畳に衣をこすらせて身を引くことで会話を打ち切った。
「昨夜なにがあったか知りませんが、少し熱があるようですよ、兄さま。
風邪かもしれませんね。粥を作らせましたので、ゆっくり養生してください」
「………。すまん」
ぴし、と障子を閉める音で、妹が怒っていることがわかった。
川中で、着物も着ずに一晩中激しい運動していたのだから、風邪をひくのはあたりまえであった。
常識をいえば、下痢も不思議ではない。
二口、三口と食事が進むうちに腹がゴロゴロ鳴りはじめ、庵はしかたなく中座した。
目覚める前に、彼の歌声を遠くで聞いたような気がしたが、もはやそれを思い出している精神的ゆとりが、庵にはないのだった…。





NEXT・‥…→焔火変



裏稼業…内容は様々ですが、目明かし・岡っ引きが博徒を仕切る親分だったり、ただの魚屋が下っ引きをやってたり、いばれるものからそうでないのまで副業天国。必殺好きなので(笑)
八神屋は、いい人も悪い人も高い金で殺す、暗殺ギルドっぽいイメージ。
打掛…花嫁が白無垢の上から着る白または派手な着物。豪勢な晴着なので、赤系が綺麗で見栄えがいいです(私見)
鳥追い…三味線を弾き流して食べ物やお金を貰う。三味線持ったホームレス(家のある人もいますが)。旅姿とはいえ江戸の外に出ることはないです。
眠れない夜…「ね〜むれぬ夜は〜 な〜がくて〜つらい〜 ね〜むらせてあ〜げよう〜」
「必殺からくり人」枕売り、夢屋時次郎の商売文句。
二本差し…つまり侍。ただし侍でも、元足軽という家では二本差しはできなかったときいたことが。侍は江戸だけで20〜30万人いたとか。それ以外が50〜60万人。戦国時代じゃないんだからリストラさせられて当然。
無礼を働かれた場合の「斬り捨て御免」という特権が武士にはありましたが、これは公務執行中でないといけなかったようです。京様、きっと武家諸法度を勉強してないんですね…(笑)
…日本髪を結った時、首の後ろで折り返す部分。鬢(びん)は、左右のはりだしたところ。
髷の銀杏…江戸のメンズヘアとして大流行。スタンダードな髷を太く長く結います。脂はちょっぴりしか使わないで、崩した感じを出すのが江戸の男伊達。
舟饅頭…舟饅頭は繋いだ苫舟(小さい舟)、夜鷹はござの上くらいしか違いません。
芦町…陰間茶屋スポットで有名な場所。今でいう新宿二丁目みたいな言い方。他には木挽町、湯島天神内、神田花房町、市ヶ谷八幡宮内などがあって、色町とも重なってます。
越中…いわずとしれた越中褌。




WRITTEN BY 姉崎桂馬
このサブタイトルを平仮名で読むと…






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