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仕掛変




ターゲットは山形藩江戸留守居役。
「留守居役ねえ。そりゃ確かに大物だわ」
「京…。少し声をひそめろ」
「え? 大丈夫。聞こえやしねーって」
人数を集め、情報を収集し、八神の者と作戦を練った庵は、京と打ち合わせるために湯屋にきていた。
精確に記せば、人のいない場所でと思う庵に対し、京がここを指定してきたのだ。
断れば「じゃあ四ツ目屋で」とか言い出されるかもしれない。店に押しかけてこられたら、更に迷惑だ。
日が落ちる前に湯を貰い、別料金を払って二階に上がると、浴衣姿の京がうちわで差し招き、将棋を打ちながらの会話となった。
だが庵は、人の耳の多い場所で語り続ける気はない。
京、と低い声で促した。
すっかりデート気分の京は周囲など気にもせず、冷めた茶をがぶりと飲んだ。
「なんだよ。もうちょっとのんびりしてこうぜ」
「店を空けてまで湯屋に来たのは、将棋のためじゃない」
「庵のしどけない浴衣姿を拝むため〜♪」
「ふ、ふざけるな!」
怒鳴ってから、柄にもなく公衆の面前で大声を出したことに気づき、口を噤む。
時あたかも日没前。夕飯の支度に忙しい女達にせきたてられるのか、子供や隠居も一風呂浴びて夕涼みする者が多い。
だから庵の上げた声は、雑音に紛れて周囲には届かなかった。
「留守居役を殺るからには大金ふんだくったんだろ。
そんな金、誰が払ってくれたんだ?」
「それは言えない。客の秘密を守るのが、商売繁昌の秘訣だ」
「人を殺す商売、ね…」
「葵の紋は八神を歓迎しなかった。そのなかで貴様ら草薙を追うには、資金が入用だった」
「そう言われたって、はいそりゃご苦労様って死んではやれないぜ」
ちょうど歩が桂馬を食らい、と金に成った。次の手で庵が手を打たなければ、銀取りもできる。
穴熊の堅い防御陣形だって、きっと京なら緩やかに戦力を削ぎ落とし、王将を丸裸にするまで対手をなぶるだろう。
「討手は5人になる」
留守居役相手に、人数が少ないように思われて、京はそう反問した。
「裏方で細工して、警護を手薄にする。そちらにも人を割いているんでな」
「ふうん。庵はどっちをやるわけ?」
「八神屋は見届け役だ。貴様の働きぶりも見ているぞ」
庵が飛車角両取りをしかける。片翼をもぎとれる絶好の機会に、忍び笑いが漏れた。
しばらく庵と一緒にいられると思っていた京はあてがはずれ、少し情けない顔で見上げてきた。
余裕の表情か、色に溶けているくせに見愡れさせる笑顔ばかりが庵の記憶に残っているので、庇護欲を誘うその表情は新鮮だった。女のヒモになって不自由なく暮らせてしまうタイプだ。
考えているうちに、見つめているのは京ではなく自分だと気づいて、慌てて視線をはずす。
駒を盤に置く乾いた音が、やけに大きく感じられた。
「最悪、全員帰れなくても、次の算段を考えるときの肥にせねばならん。
刀にものいわせて終わりなら、こんな稼業は必要ない」
「すぐ暗いほうにばっかり考えるの、おまえの悪い癖だぜ。
俺の背中は庵に預けるつもりだったんだけど、そのくらいは我慢するか」
「貴様の腕が頼りなければ、すぐにでも補佐にまわる」
「お? つまり俺の腕を信用してるから、任せてくれちゃうわけね」
「好きに解釈すればいい」
男に乗せられているような気分に嫌気がさし、庵は次の手を促した。
京の腕を知っているからこそこの仕事に誘ったのは本当だ。だが、裏にはさらに思惑がある。
だというのに、京の言葉を聞くほど、理由の辻褄合わせをしているように思えてくる。
あの月夜の続きを望んで————
京は上機嫌で、持ち込んだ小さな袋から、金平糖を取った。
「これ、南蛮の菓子なんだけど、食べてみろよ。旨いぜ」
「いらん」
「口開けて、ほら」
一文字に閉じられた庵の唇に、とがった金平糖の先端が押しつけられた。
甘いから、という京の言葉に、つい庵は唇の封印を緩ませる。
砂糖菓子の強い甘味が、口中に広がった。
もう一個、と京が差し出してくるのを、拒まずに口で受け取る。
京はそれを嬉しそうに見てから、自分も金平糖を食べた。
甘い物に夢中になるなんて女子供じゃあるまいしと自戒するが、清冽な甘さをもう一度求めてしまうことを、たぶん庵は止められない。
次の一個が庵の口へと入るとすぐ、京は将棋盤を乱暴に追い払って、舌に金平糖の後を追わせていた。湿った髪を無骨な指が掴むと、力の入っていない身体は容易く京に抱きこまれた。
砂糖の欠片を追って、ふたつの舌が絡み、わざと間違えて相手の舌を舐めあげて吸いつく。
菓子が溶け去ってもそれは繰り返された。
八神屋の…と小さく店の名が耳に届いて、やっと庵は我に返った。
湯屋の二階、衆人の前で口づけに耽っていたことを自覚して、全身に朱がのぼる錯覚を覚えた。
客と女郎ならともかく男二人では、どう誤魔化せばいいのかもわからない。
確信犯だった京は、手拭いを庵の頭に被せて周囲から見られない…というより、庵が周囲の視線を気にしないようにした。
「メシ、食いに行くか」
薄っぺらい木綿に庵は縋る。
誰の視線より、今は京に見られたくなかった。



江戸留守居役のもっとも重要な仕事は外交だ。
他藩の様子を、大名の服装から家老の一言にまで注意して探る…といえば体はいいが、バブリーな時代には単に連日宴会でさわぐだけである。
中村座で芝居を見、深川の料理屋で食べ、吉原に通う。庶民からは羨ましがられる生活だ。
ただ、下屋敷にはほとんど毎日出勤する。午後2時あたりで切り上げるのが通例だが、夏はサマータイムで早目に終了するのは寺子屋と変わらない。
問題の山形藩江戸留守居役はほぼ規範通りに生活していることはすぐに調べられた。
彼が下屋敷から出るときは、身辺警護やとりまきが必ずついているので、狙うのは難しい。
動的なタイムテーブルを組んで、八神屋は討手全員別個に伝えた。
チームワークは必要だが、互いの顔を知る必要はない。というのが庵の方針らしい。
彼らの統制をはかるのが八神屋。
仕損じた者の口を封じるのが八神屋。
言葉にされない厳しい鉄則が存在していた。
緊張と無縁な人間もいる。
風の冷たさに、いつも町を出歩く遊び人姿の京が身を震わせた。
「冷え込みが厳しくなってきたぜ…」
8時を迎えようとしている。まだ決行時間まで余裕があるので、近場の屋台でおでんをつついて身体を温めているのだ。
寒さのせいか屋台に人が集まりだしたので、席を立って留守居役が来るという料理屋に向かう。
裏口を、定められた回数で叩くと、八神屋の雇った男が招き入れ、ターゲットのいる座敷を教えてくれた。
庵は、留守居役の隣の座敷で息をつめていたが、むろん京にはわかるはずもない。
京が到着するのを待っていたのか、手代を装った、やはり八神屋の雇った者がとりまき達を誘導していく。彼らとすれ違いに着飾った女郎が、留守居役の座敷へと消える。
その座敷の前には、一人だけ警護が見張りをしていた。
通常は2人連れ歩いているので、もう一人は中だろうと察せられる。
その見張り役の顔面を、水に濡れた手拭いが塞いだ。
「!」
忍び足で近づいた二人組が、呼吸のできない苦しさと、目を覆われた驚愕に侍が暴れる前に手を戒める。物音をたてる時間もなく、匕首は侍の胸に吸い込まれていた。
白かった手拭いがみずみずしい赤に彩られ、奇怪な姿のまま庭に落とされた。
そのときのショック音を、座敷内の侍が不審に思って「どうした」と声をかける。二人組はもう姿を消している。
返事がないことで警戒し、柄に手をかけ、男は障子を睨んだ。
座敷は明るいので、影が映ることをおそれて、侍は障子に近づいてこない。
だが、ここで長引かせては、とりまき達と鉢合わせしてしまう。庵も京も、助太刀すべきかと僅かに逡巡した。
場に変化が生じた。音もなく障子が開けられ、倒れた侍が漏れた光にぼんやり浮かび上がる。
「どうした…ぐ!」
駆け寄った瞬間、障子の外側で待機していた大刀が、下から腹を突き刺した。串刺しになったまま、別な男が喉を突き、すぐに懐紙で血を拭う。返り血を浴びることを懸念して、浪人二人は慎重に刀を抜いた。
石灯籠の蔭に身を潜めていた京が、浪人と入れ違いに座敷に入り込む。
肝腎の江戸留守居役は、偽の女郎に一服盛られて動けないでいた。
闘争心むきだしで抵抗されるのかと思っていた京は、拍子抜けした格好である。
「チ…。あいつ、どこが俺を信用してるんだ。これじゃさっきの女にだって殺れるじゃねーか」
「それが暗殺というものだ。俺達八神が、貴様ら草薙を追うためにしてきたことだ」
隣の座敷から、庵がはじめて声をかけた。
それとも女に手を汚させる気か。庵が低くせせら笑う。
過去にどんな確執があったかも知ることなく、生きていくためにも相手を「滅ぼす」ことを忘れないためにも、心のどこかを麻痺させて無抵抗の者でも殺してきた哀れな一族。彼らや自分の心情を知れと、庵はどこかつらそうに言った。
怯えて唸り声をもらす留守居役の前で、閉じた襖に、紙が挟みこまれてきた。
「終わったらそこへ行け。全員に後金を渡してから俺も行く」
それを聞いて、すぐに京の手に赤い炎が喚びこまれた。見知らぬ男と庵とを天秤にかけた当然の結果だ。
炭化物の焦げる嫌な臭いが広がる。
生から遠ざかっていく男にも家族があり、守るものがあったのだと思うと、後味の悪さはぬぐえない。しかし幸か不幸か京は無礼討ちを許されている身分で、禁忌を犯した感覚はどこか遠かった。
京はすぐに紙切れを掴んで廊下へ躍り出たが、足止めされていたはずのとりまき達がちょうど目の前にいた。臭気が山形藩江戸留守居役の座敷から出ていると知って、彼らはすぐに京に向かって刀を抜いた。
退路が塞がれないうちに手早く片づけようと、手に再び炎を喚ぶ。
「死にたい奴からかかってきな!」
煌々と、赤い炎が舞うたびに、誰かの命が天に昇る。

とりまきのうち、2人を逃がしてしまった京だが、あまり気にせず指定された四阿(あずまや)で寝転がった。
深川の料理屋からあまり離れていない、草薙家旗本屋敷にも近い閑静な一角だ。
庵はこういう場所が好みなのだろうかなどと色々考えるうちに、おかしいことに気づいた。
馬蹄音が次第にこの四阿に近づいてきているようだ。気配を探ると旗本の怒鳴り声や足音が遠くに響く。留守居役を失った藩の人間が、必死で犯人を探しているのだろう。
戸を閉めた民家に押し入ろうとする騒音も聞こえてくる。物音は、徐々に近づいている。
庵を待っていたかったが、近くで笛の音も聞こえているし、誰何されることを警戒して来ない可能性が高い。
彼はこういった場合のプロだということを、ようやく思い出す。
京はこの場を諦めることにした。
「家に帰るのもなんだし…。
両国まで行って四ツ目屋のジイサン叩き起こすか」
両国ならいっそ八神屋まで押しかけたかったが、庵と同じ屋根の下にいて自制できる自信はなかった。
一体何故、こんなに庵を欲するのか。
結論はいつも、それが恋というものだ、で終わってしまう、己の単純さが恨めしい。



あれから半月間、京は庵と連絡をとってこなかった。したくてもできないのだ。
草薙京は現在、山形藩留守居役他三名を殺した罪で追われる身となっている。
京が炎を扱う姿を、死を免れた二人が見ていたのだ。
それに身辺警護の二人は二本の刀で刺し殺されている。代々炎を扱う草薙一族がリストアップされるのに、時間はかからなかった。自然とアリバイのない当主、草薙京に容疑がかかる。
そこまでは庵の計画通りに進んでいる。
目付方の耳に入れば切腹ではすまない。
もっとも合法的で、もっとも気分よく先祖の仇を討つことができる、はずだった。
つまり、草薙京は現在行方不明ということだ。
京と待ち合わせた四阿には最初から行かなかった。京が手抜かりなく行動したとしても、山形藩か町方を誘導していく予定であった。
山形藩は京の居場所もつきとめられず、目付方は気乗りしないのか積極的に探そうとしない。
四ツ目屋によく出入りしていたことを密告したが、時すでに遅く、京が姿を消した後だった。
八神屋の情報網を使うべきかと、庵は本気で考えだした。
しかしそれが、捨てられた情婦が男を追うシチュエーションと重なって、なぜかバツが悪い。庵の本心が京を求めて彷徨っているのを、自覚したくない。
いらつく庵に、妹が追い討ちをかけてきた。
「兄さま。お旗本の草薙様のことで、ちょっとお話が…」
妹の後ろには、裏稼業で庵に次ぐ凄腕の一族の男が控えていた。
内密にしていたかったわけでもないのに、胸に重い痛みを覚えた。


日本橋の小寺で、京は毎日くすぶっているということだった。
ろくに金子も持たず、旗本屋敷にも戻れなくなったので、そうする以外に策がなかった。
寺の常で境内で賭場を開いており、まぎれて博打していたため、八神屋の情報網にひっかかったわけだ。
「寺は寺社奉行の管轄だからな。よく考えたものだ、京にしては」
庵は苦笑するしかない。八神屋から数十分歩いただけで行けてしまう所にいるとは。
直接会いに行ってもよかったが、文を渡して、場所を指定することにした。
半月前の留守居役殺しのことで庵を疑っていれば、京は来ることなく、もっとうまく姿を隠すはずだ。
逃げてしまっても構わない、とさえ思う。
朧げに、会いたい、とも思う。
いま再び、彼の赤い炎と闘ってみたいと思えば、息が触れるほどの距離を欲したり。
庵には相反する自分の気持ちが、いまだにわからず、苦しんだ。
会えば必ず死合わなくてはならないのに。
使いの者が返事をしたためて戻ってきた。
かならず行く、と記された掠れた文字が、また庵を惑わす。
自分は京に会って、どうしたいというのだろう。




NEXT・‥…→火影変





穴熊…将棋の守りの陣形で一番堅固といわれる。自陣の右隅(香車の位置)に王将を移動し、金・銀で側面を固めてしまいます。




WRITTEN BY 姉崎桂馬
人呼んで仕掛人…ぐはあっ!
人死にしかない暗い章にしそうになり、シリアスな打ち合わせシーンの予定が風呂屋でデートになったという…
殺しの描写だけ延々続くような小説、さすがに読みたいといってくれる人はいないでしょう(それ以前にupできないのでは?(笑)






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