流れる血が大地を真紅に変えていく。
名前を呼んでも返らない答え、恋人を抱きしめたままジュリアスは、動けなかった。
もしも、目を離せば…消えてなくなりそうな恐怖に、呆然と微かな呼吸を見つめ続ける。
「ジュリアス様! 今のうちに!」
オスカーの声にジュリアスは、我に返った。周囲を見渡せば、自分達を助ける為に懸命に戦う仲間の姿が目に入る。
「…すまぬ」
ジュリアスは、一瞬とは言え指揮官たる己を忘れたことを恥じた。
今は、この仲間達を救わねば…
即座に回復魔法で応急処置を施すとクラヴィスを抱き上げ、号令を掛ける。
「退避だ!」
クラヴィス…もう少し我慢してくれ。必ずそなたを助けてやるからな…
追い縋る敵を振り切り、町のホテルに辿り着くと、ジュリアスは、ルヴァにクラヴィスの治療を委ねた。
「ジュリアス! クラヴィスは、かなり危険なのですよ? 傍にいてあげた方が…」
「そなたらに任せる。私には、やらねばならぬことがあるゆえ」
ルヴァは、尚も言い募ろうとしたが、ジュリアスの性格から責務を放り出すことが出来ない事を、何よりもその苦しげな表情から彼自身が一番つらいであろうことを察し、頷くしかなかった。
「わかりました。必ずクラヴィスを助けます」
「…頼む」
ジュリアスは、寝台に力なく横たわるクラヴィスの額に口づけると『すまぬ』と言い残し、己の責務を果たすべく…だが、後ろ髪を引かれる思いで部屋を出た。
扉が閉められた後、意識のないクラヴィスの唇が「…ジュリ…アス」と形作った。
ジュリアスは、まず次の戦いへ向けて、破損した武器や防具の手配を行わなければならなかった。
そして、刻一刻と変わる被害状況の報告、目的地を決めるための研究院との会議は、思った以上に時間がかかり、
ホテルに帰ることすら困難であった。
合間に他の守護聖がもたらすクラヴィスの容態は、聞くたびに一進一退を繰り返している。
そなたの傍にいてやりたい。だが、私には二度も責務を放棄できぬ。
そなたが倒れた瞬間、首座の任を放棄してしまったが、もうあのようなことをしてはならぬのだ。
会議の合間、休憩室でジュリアスは、机に両肘をつき両手を組み合わせるとクラヴィスの回復を祈り続けた。
不意に扉が叩かれ、ルヴァ、オスカー、オリヴィエらが訪れる。
ジュリアスが訝しげに問い掛けるよりも早くに、ルヴァが口を開いた。
「ジュリアス、クラヴィスの元へ行っておあげなさい」
「後の事は我らにお任せを」
ルヴァとオスカーの静かな、だが断固たる意思を表している声。
自分を気遣う彼らの気持ちが伝わる。その気持ちに素直に応えたい。だが…私は、首座なのだ。私心で己の使命を預ける訳にはいかぬ。
ジュリアスは、感謝しながらも首を縦には振れなかった。
「そなたらの気持ちは、嬉しく思うが…私は、己の責務を」
「ああ! もう! ぐちゃぐちゃ言ってないで、さっさとクラヴィスの所へ行きなさいよ! 心配で堪らないくせに!! それともそんなに私達が信用できないわけ?!」
ジュリアスの言葉をオリヴィエが苛々したように遮った。
その台詞にジュリアスは、苦笑を浮かべる。
オリヴィエの言う通り本当は、心配のあまり自分がどうにかなりそうなのだ。全てを投げ捨てて行けるものならば…
「そなたらを信頼しているからこそ、クラヴィスを頼んでいるのだ」
ジュリアスは、己の本心を首座の仮面の下に隠したが、その仮面はオリヴィエの次の台詞に脆くも崩れ去った。
「でもね。今のクラヴィスは、私達を必要としてないの! あんたの名前ばっかり呼んでるのよ? それでも、行かないつもり?」
オリヴィエの真剣な瞳がこれだけ言っても行かないなら、許さないと告げている。
クラヴィスが私を呼んでいる?
普段は、責務に追われる私を気遣い、決してそのようなことを口にしないあの者が…
私に助けを…傍にいて欲しいと願っているのか?
行かねば…行ってやらねば! 自分を偽わっている時ではない!
「後は頼む!」
言いざまジュリアスは、音を立てて椅子から立ち上がるとそのまま恋人の元へと駆け出した。
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