頬、首筋に次いで額へと移される指先、行き先が見えない不安・焦燥に翻弄される感覚。ジュリアスが体温を確認したいだけだと理解できても過剰反応を引き起こす。
思わず身をよじりその指先から逃げを打った。
「触れるな!」 「顔が赤いな、やはり熱の上がる前兆か」
ジュリアスは、私の態度を気にとめた様子もない。純粋に体調だけを心配しているようだ。
うろたえた自分が情けないような、それをもたらした彼が腹立たしいような。
紅潮しているのは、『おまえのせいだ!』と叫びたいのをぐっと堪え背中を向けた。
「気分がすぐれぬなら薬を持ってこさせるが」
「かまわぬ」
「食事は、どうする? 具合が悪いのならば無理に勧めぬ」
「いらぬ」
心配する相手に素っ気無い返事しか返せない、己の狭量さを自覚する。だが、こういうのをバツが悪い……とでも言うのか。
ジュリアスが、私の態度を体調がすぐれぬせいだと思い込んでくれているのが幸いだな。
「私は、食事を済ませてくるが何かあれば遠慮なく呼んでくれ。後にも様子を見に来る」
ジュリアスは、言い終えると部屋を後にした。
何かあれば呼べか……誤解とは言え心遣いが嬉しい。
抱き起こす腕の強さ、身体の浮遊感に目覚めた。 来ると言ったジュリアスを待つうちに、いつの間にか眠っていたらしい。
「ジュリアスか?」 「起こさぬように気をつけたつもりであったがすまぬな。このまま眠ってしまうか? それとも起きたついでに入浴を済ませるか? 体調も優れぬようだし止めた方が良いと思うが……どうする?」
「いや、湯を浴びてさっぱりした方が気分がよさそうだ」
「わかった」
完全に覚醒していないせいか、抱き上げられていることに恥ずかしさを感じない。
目覚めたなら自分で歩けばよいことを自覚しながら、ジュリアスの肩に頭を乗せてぼんやりとしていた。
「クラヴィス! 本当に目覚めているのか? 寝惚けていては、転倒するぞ」
「……起きている」
耳元で怒鳴られれば嫌でも起きると言う物だ。ゆっくりと床に下ろされ、ジュリアスが私の服に手を掛ける。
最初のうち肌を晒す事に抵抗を感じたが、事務的にこなす動きに次第に気にならなくなっていた。すべてを脱ぎ終えると手を引かれ浴室の中へ。
ジュリアス自身は、寝る前に入る主義だと言い、共に入浴を済ませることはなかった。
一緒に入れば二度手間にならぬだろうに、妙なところで意固地だ。
ジュリアスは、いつものように浴槽の縁に腰掛け、私を見ている。
注がれる視線が気にならなくもないが、これにも慣れてきていた。
ゆったり浴槽に浸かりながら手足を伸ばす。髪が手足に絡みつくのが邪魔だ。
目が見えている時は、気にならなかったが鬱陶しいものだな。
「切るかな」 「髪をか!?もったいないではないか!」
ぽつりと呟いた台詞に、ジュリアスが血相を変えたようだ。他人の髪なのだから好きにしてよいだろうに。
「しかし、こうも伸びると」
「そなたには、似合っているのだからよいではないか」
「そう思うか?」
「気に入っているぞ。美しい髪だ……手触りも良い」
私の一部でも好む所があったとは、意外な一面を見せてくれる。 ジュリアスは、浴槽から私の髪をすくい上げ感触を楽しみ始めたようだ。くすぐったいような…妙な気分だ。ふと、指とは違うものが触れる。
私の訝しむ表情に気付いたのか、ジュリアスは、咳払いをすると『何でもない』と嘘ぶき髪を離す。
気になるが正直に答えそうもない。 追求を諦め、浴槽から立ち上がった時、一瞬の立ちくらみに襲われた。
「クラヴィス!」
咄嗟にジュリアスが私を支えた。声が遠い……頭に靄がかかったようにはっきりしない。 温まったはずの身体が急激に冷え込んでいくようだ。呼吸を落ち着け大きく息を吐くと弛緩していた身体に力が増していくのを感じた。一時的なものであった事に安堵する。
「大事ない。案ずるな」
掴んでいたジュリアスの衣から身体を離した。そして、気付く。全身を覆っているはずの水滴が髪と背中以外から失われている事に。
「すまぬ。濡らしてしまったようだな」
「この程度のこと気にするな。湯あたりでもおこしたのであろう。それにしても今日は、よくよく倒れる日だな」
「全くだ。我ながら不甲斐ない……」 「万全な体調と言えぬのだから仕方ないことだ。気に病むな」
濡れになるのも厭わずジュリアスは、バスタオルで私を包み込み抱き上げると寝室へと向かった。
寝台に下ろされた後、着替えのために部屋を出る足音を聞きながら苦笑が浮かぶ。今日は、よく抱き上げられる日だ。
ゆっくりと身体を起こしてみた。気分も悪くなくすっきりしている。
バスタオルで身体の水分を拭い去った頃、ジュリアスが戻ってきた。
「起きられるようになったのか? 無理せずとも私を待っていればよかろうに」
私の手からタオルを取り上げ寝かしつけると髪を拭き始める。
なすがままにされながら改めてジュリアスの世話好きに驚かされた。
「おまえがこれほど世話好きだとは、知らなかったぞ」
「私もだ。自分でも驚いている」
ジュリアスが照れくさそうに答える。つられるように、私も笑みを浮かべた。同時にジュリアスの手の動きが止まった。
「―― そなたも普通に笑うのだな……知らなかった。長いつきあいだが初めて見た」
自分がどのような笑みを浮かべたのか知る由もないが、驚愕に動きを止めてしまう程の威力があったらしい。
私とて笑った事位あるのだかな。否、確かにジュリアスの前で笑ったことなどなかったかもしれない。
皮肉や厭味交じりの笑み以外は。
私自身、ジュリアスと一緒に暮らし始めて意外で初めて知り得たことのなんと多いことか。
「お互い知らぬことが多いな」
「まったくだ。そなたと普通に語り合うことができるとはな。長い時間を無駄に過ごした気分だ」
「そうかもしれぬ」
「これから、もっとそなたを知りたいものだ」
ジュリアスの何気ない言葉。私を知りたい? 私を知る事は、私の闇に触れること。光しか知らぬおまえにできるのか?
「―― 何故、私を知りたいと思うのだ?」
「何故だろうな……ただ、このようにそなたと過ごす時間が貴重に思えてならぬ。今更だが……そなたが何を考え、何を思っているのか、分かり合いたい」
真っ直ぐに私を見つめるおまえの視線を感じる。おまえならば、私の闇に畏れも抱かぬかもしれぬ。
そう……私もおまえをもっと知りたい。おまえの光に触れてみたい。
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