他の者が聞けば驚愕する誘いを怒ることなく、抱きしめてくる腕を振り払うことも抵抗もせず、それどころかその胸に心もち身体を預けるようにもたれ、クラヴィスは静かに問う。
「何故?」 「今更理由が必要か? 互いの胸の内などとうに知れておろう」
ジュリアスは、黒髪から見え隠れする耳朶に唇を寄せ、微かな笑い声をあげた。耳元を掠める熱く甘い息にクラヴィスは、黒い衣を震せながら吐息と共に答える。
「確かに。だが、今まで関係を崩さずに来たのものを何故…」 「今言わねば、永久に機会を失うではないか?」
ジュリアスとクラヴィス。 太陽と月が同じ時に輝く事のないように、永久に相容れる事のない聖地史上最も険悪な筆頭守護聖と噂され続けた二人。
しかし、月明かりに照らされた湖面に映る二人の戯れる影は、森の湖の別名に相応しい姿そのものであった。
誰もが認めざるを得ない仲の悪さは、擬態であったのか?
否、二人に問い掛けたなら即座に噂を肯定し、恋人である事を否定するであろう。正反対な性格ゆえに衝突や激論を行い疎ましく感じていたのは事実であり、触れ合うのも今夜が初めてなのだから。
「いづれこのような別れが来るゆえ、言わずにいたではなかったのか?」
相容れない性格と想う気持ちは、別である。疎ましく感じながら、何故か目が離せない不思議な存在として、長い年月を想いあって来た。 何気ない言葉の端々や視線の先に互いを捉え合う事で、誰にも気付かれず想いを確認して来た。 置いて行く側、置いて行かれる側それぞれのつらさを思えば、互いを想い合う気持ちの強さが言葉にするを良しとせず、暗黙の了解として胸の奥に伏せて来た。 それを破ろうとするジュリアスをクラヴィスは、振り返り非難と戸惑いを込めて紺碧の瞳を覗き込む。
「ああ…その通りだ。だが、やはり言っておきたいのだ。そなたを」
『愛している』と続けられたであろう台詞は、腕からすり抜けたクラヴィスの拒絶するかのような背で止まった。黒く長い髪が軽く左右に振られる。
「言うな…必要ない。今夜だけと言えどおまえのものにならぬ。何故なら明日のない我らには、意味があると思えぬゆえな。思い出だけを作ったところで未練が残るだけであろう? 私を忘れろと言わぬが、覚えておく必要もない。人の記憶は、風化するもの…徐々に形にするのさえ困難な程にな」
「私は、決して忘れぬ! 忘れられるはずなかろう?! この歳月を意味のないものにせぬ! 信じられぬのか?!」
ジュリアスは、激情のままに想い人を再び抱きしめると、逃がさないように腕に力を込めた。クラヴィスは、一瞬苦しげに瞳を閉じたが胸に回る腕を落ち着かせるように手を添える。
「今まで聖地と言う狭い檻の中で過ごして来た我らにとって…互いしか見えていなかったのも事実。これから私は、限られた生の中で数多くの人々と出会うだろう。心惹かれる者もいるやもしれぬ。それゆえ、今の気持ちがどうであれ忘れぬと約束できぬ」
「そなたの言いたい事は、理解できる。だが…思い出だけでは生きてゆけぬだろうが、その思い出が時として生きる希望になると思わぬか?」
緩まった腕に安堵しつつクラヴィスは、説き伏せるように囁く相手に苦笑を浮かべた。
「おまえに希望が必要と思えぬ。陛下と宇宙を守り前だけを見つめるのが似合いだ。過去など振り返るな」
「似合わぬか…」 「ああ、過去は、ただ過ぎ去るのみ…何も生み出さぬ」
遠い星々を見つめるクラヴィスを追うように、ジュリアスも夜空を仰ぐ。明日には、この星の何処かで聖地と異なる流れで生きるクラヴィスと、サクリアが尽きるまで聖地で住まうジュリアス。 同じ宇宙を居住にしながら二度と会う事の叶わない存在となる。感慨に耽ってか、しばしの沈黙が二人を包む。
不意に、ジュリアスが腹立たし気に呟く。
「今回の交替で三人目の闇の守護聖と出会った。何故、私だけが三人の片翼を知らなければならぬ? 順序が違うではないか…」
「答えられぬ問いなどするな…サクリアの寿命は、その者の持つ力の大きさであることを知らぬ訳でもあるまいに」
駄々をこねる子供のような言い分にクラヴィスは、再度苦笑を洩らした。順序で交替するならば、ジュリアスが先…もしくは、同時期の消滅でもおかしくない。恐らく二人は、それこそを望んでいたであろう。
「二人の守護聖が同時にサクリアを失うなど奇蹟に近いのだ。今まで幾人もいまい」
「その奇蹟が何故我らに起こらぬ?」
「ジュリアス…」
二人がどれほど切望しても現実は、無情である。だからこそ奇蹟と呼ばれるのだ。
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