光の雫と闇の声



 それは、前触れもなく突然に訪れた。
 絶対なる負の力。滅び行こうとする宇宙の最後の足掻きなのか…捨て去ろうとする女王への反逆なのか。
 聖なるサクリアに守られているはずの聖地に、嵐が吹き荒れ同時にそこに住まう人々の平穏な心に憎悪、絶望、猜疑心等の負の感情を埋め込んだ。
 人々は互いに憎しみ合い、狂気の世界へと誘われる聖地。
 血に塗れるのも時間の問題。

 宇宙を導く女王でさえもこの事態を予測できず、それどころか対抗する手段さえその御手になかった。
 もしも、女王が全盛期の力を備えていれば、あるいは対抗できたかもしれない。否、そうであればこの事態を招くことは、なかったであろう。
 だが、力の衰えがそれを成しえなかった。
 それでも、微力となった聖なる力で負の力を抑え込もうとした気高き女王だったが、圧倒的な力の前に成す術もなく倒れ伏す。

 女王が倒れた後、嘲り笑うかのように勢いを増す負の力。
 負と反対に位置する力を持つ光の守護聖ジュリアスや炎の守護聖オスカー、水の守護聖リュミエールがサクリアを注ぎ込んだが、何の効果も得る事が出来なかった。

 聖地始まって以来の危機に守護聖達は、連日連夜に及ぶ会議で対抗策を講じたが、決め手となる案を考え出せずにいた。
 時間が経つにつれ状況が悪化する中、殺生を危惧したジュリアスの命により、守護聖や聖殿に従事する一部を除いた人々は、聖地から脱出を始める。
 いつの日か元の聖なる場所へ必ず帰れると信じて…


 負の力は、守護聖にも少なからず影響を及ぼし、会議中にも怒声や罵声までも飛び交っていた。尤もジュリアスの一喝で、すぐに沈静を余儀なくされたが。
 重苦しい空気が流れる中、それぞれが疲れを隠せず憔悴しきった表情で黙り込んでいる。
 不意にカタンと椅子から立ち上がる音、続いて床を擦る衣擦れ。静寂を破った主に一斉に視線が注がれた。
 闇の守護聖クラヴィスは、周囲の視線を気にした様子もなく扉へと向う。

「クラヴィス!まだ、話は終っておらぬ。何処へ行く?」

 ジュリアスの幾分苛立ちを含んだ訝しげな問い掛けに、クラヴィスは面倒臭げに歩みを止め、無表情に振り返った。

「ここでいくら話し合おうと埒があかぬだろう。試してみたい事がある」
「試す…何をするつもりだ?」

 クラヴィスの答えにジュリアスは、眉をひそめた。

「…闇のサクリアは、安らぎと共に死を司る故…同調を懸念し当初反対されたが、やはり負に対抗するには、同じ負を用いればよいのではないかと…な。毒には、毒をもって制する。と言うであろう?」

 淡々と抑揚のない口調で己の考えを述べるクラヴィス。

「なるほど…もはや、それしかないかも知れぬな」

 ジュリアスを始め他の守護聖は、ようやく見えてきた打開策に安堵の表情を浮かべる。しかし、ルヴァは、机を叩きつけるように立ち上がると、青褪めた顔色で大声をあげた。

「いけません! 危険が大き過ぎます!」

 自分の声に恥じたのかルヴァは、深くため息を吐き気を落ち着けると、クラヴィスを真っ直ぐに見つめ諭すように話す。

「それは、確かに有効かもしれません。ですが、仮にその毒が強ければ制するはずの毒さえ…飲み込まれてしまう。あなた自身が取り込まれる危険性を孕んでいるのですよ」
「試してみる価値があると思わぬか?」

 指摘された危険性は、クラヴィスにとって元より承知の上の事。意に介した様子もなくルヴァを見返した。

「私は…賛成できません。あなた一人を窮地に追いやるなど…」
「効果がなければ早々に引き上げる故、心配に及ばぬ」

 それでも尚、承服できない気持ちを表すようにルヴァは、力なく首を振る。
 最初のうち賛成していた守護聖達も、下手をすればクラヴィスの命をも奪いかねない危険な賭けに、再び暗く沈んだ。

 このやり取りを無言で聞いていたジュリアスは、口を開きかけたが、躊躇するように一瞬眼を閉じ唇を噛みしめる。だが、瞳を開けた時には迷いの片鱗さえ見せず、クラヴィスへ足早に歩み寄った。

「危険だが…今現在そなたの案以上のものがない。やってくれるか?」
「私が言い出した事だ。おまえに頼まれる筋合いはない」

 クラヴィスは、素っ気無く答えると踵を返し扉に手をかける。

 筆頭守護聖の決断にルヴァも誰も異議を唱えることは、できなかった。誰もがこの手段が最良だと、これ以外にないとわかっていたのかもしれない。
 全員がクラヴィスを見送るために立ち上がった。口々に無事を祈る気持ちを込めて言葉を送る。
 クラヴィスは、言葉を返すことなかったが応えるように小さく頷いた。

「クラヴィス!」

 扉が閉まる直前、思い余ったように名を呼びジュリアスは、クラヴィスの肩に手を置き僅かに苦渋を滲ませた声で囁いた。

「危険を感じたら即座に引くと約束せよ」
「…犬死は、趣味でない」

 クラヴィスは、肩に置かれた手をしばし見つめた後、軽く手で払い除ける。

「クラヴィス…」

 払われた手を握りしめジュリアスは、己らしくないと思ったのか微かに自嘲の笑みを洩らした。

「日頃怠慢なそなたがやる気になったか。聖地を疎んじていると思っていたが、守りたいと思う心があったのだな」
「…かも知れぬ」

 ジュリアスの呟きを背後に聞きながらクラヴィスは、後ろ手に扉を閉めた。


 クラヴィスは、ジュリアスの手が触れた肩にそっと己の手を置くと、静かに笑みを浮かべる。

「聖地も宇宙も守りたい気持ちに嘘はない。だが…私の一番守りたいものは…おまえを守り抜く事が全ての平穏に繋がるのだ」

 長い年月を同じくしながら触れ合う心も身体もなかった只一人の想い人、彼の気遣いが手のぬくもりが嬉しかった。

「私は、負けぬ。必ず…勝つ。ジュリアス…」

 扉の向こうに想いを馳せながらクラヴィスは、闇よりも濃い暗黒の世界へと踏み出した。


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